02.契約
眩しい日の光を感じ、朦朧とする意識の中でゆっくりと目を開いた。
水の流れる音と共に、木々のざわめきが聞こえる。
草花が絨毯のように広がり、その周囲を木々が生え並ぶ、その中心に、僕は居た。
次第に意識がはっきりしてく中、雲ひとつ無い青々とした空を眺めていた。
「――ここは……?」
声が漏れる。
思い出したくも無い記憶に残った最後の情景。記憶と、現在のギャップに、思考が入り交じる。
「やあ。少年。気がついたかい?」
木々の影から声と共に一つの影が現れた。
どこか儚く、今にも消えてしまいそうな声。しかしその声は、優しさに包まれていて、聞いていると安心できる。そんな声だった。
草地を踏む音が次第に大きくなる。
女性……。であろうか。体全体をローブが覆い、フードを深々とかぶっているため、外見でははっきりとは解らないが、その歩く姿や声から、女性特有の匂いを感じた。
ローブの女性は僕の傍に寄ると、フードに手を当て、その顔を顕にする。
雪の様に白く透き通るような肌に、深海を想像するような深く暗い青色の瞳、凜とした顔立ちの中で、その優しさで溢れた眼が異質さを放っている。
凍るような綺麗さ、そんな言葉が似合うような女性だった。
ローブの女性は近くの岩にゆっくりと腰を下ろし、手を頭の後ろに回して髪を束ねていた紐を解いた。
光が髪に反射し、輝きを発しながら、漆黒の髪が流れるように棚びく。
腰まで伸びているであろう髪の一部を手に取り、毛先を手で弄びながら、ただ、僕を見つめている。
何も語らず、ただ、じっと――。
「あの……」
声と当時に、地面に手を付き、体を起こそうとしたとき、謎の違和感が全身に走った。
起き上がるために手を着こうとするも手は動かず。立ち上がるために膝を立てようとするも足は動かない。
……僕の体が、僕の意思に反するように、微動だにしなかった。
「ゆっくりと――。意識を己の中心に集めろ――。少年……そこには何が見える?」
困惑する中、はっきりと、確かにローブの女性の声が聞こえた――。
言われるがまま、意識を中心に集める……。
何か、冷たい鉄のようなものが体に纏わり付き、体の中で異物を構成していく、そんな変な感覚。
異物は、体の中心から上下に伸び、板状に変化していく。変化はさらに続き、先端は鋭く、末端は細い筒状に。
これは……剣――。
再度、周囲に意識を向ける――。
僕の体があるべき場所に僕の体は無く……。
そこには一本の黒い剣があるだけであった――。
見ている者を全て黒に染めてしまうような、漆黒に染まった剣が――。
「少年には今、二つの道がある……」
ローブの女性は語る。毛先を弄ぶ手を休めることなく、指先を見る目を細め、淡々と。
「このまま運命に幕を閉じるか……。私の剣となり、新たな運命に身を委ねるか……」
視線を僕に向け、うっすらと笑みを浮かべ、ささやく。
僕は……。どうなってしまったのだろうか……?
意識が途切れる前の記憶を呼び起こす。
自身の負っていた傷。剣となってしまった体。……奪われてしまった……家族。
考えても考えても答えは出てこない。
だが、ただひとつだけ。ただひとつだけ確かな事がある。
まだ……、まだ僕にチャンスがあるのであれば、守れなかったもの。大切な人を。家族を。――助けたい。
「そろそろ。答えを聞かせてもらおうかな……」
ローブの女性はゆっくりと腰を上げ、僕に近付き、地面に横たわっている黒剣を手に取った
突如、大きな酩酊感と共に意識が遠のく――。
次第に意識がはっきりしてくると、僕はひとつの違和感を感じた。
視線の先には黒剣を持つ手が映り、手に持つ黒剣の重量感や服の重みは肌で感じ取れ、鼓動の音や息遣いまでも聞こえる。
ローブの女性を中心に意識が存在している感覚。
まるで僕がローブの女性になったような――。そんな気さえしてくる。
『やあ、少年。聞こえるかい?』
突如、頭の中にローブの女性の声が響いた。心の声を乗っ取られているかのように、音源のない声はただ優しく、言葉を紡ぐ。
「聞こえて……。ます……」
焦燥感に囚われながらも、たどたどしく返事をした。
声は聞こえているのだろうか。声は発しているのだろうか。声は……届いているのだろうか――。
『ああ、よかった。魔装の声は実際に身に着けないと聞こえてこないのだよ。目覚めているのは分かっていたのだけどね』
「魔装……?」
聞いた事がある……。命と意思を持った武具の総称。剣・槍・斧等、さまざまな魔装が存在すると。そう聞いた気がする――
『ああ、そうさ。少年。君の儚き命は散り、散った命が再び収束し、魔装となった。君の場合は魔剣だな』
天を突き刺すように黒剣を高々と持ち上げ、日の光に目を細める。
一寸の間を置き、黒剣を持つ手を下げ、ゆっくりと岩に腰を下ろしながら言葉を繋げる。
『散った命を集めたのは私だがね』
その言葉はどこか切なく、寂しげであった。
「僕は……。死んだのですか?」
『死んださ』
淡々と。
「僕は……どうなるんですか?」
『人として死ぬか。私の剣として生きるか、さっきの言葉通りだよ。ただ、私の剣として生きるのであればタダでとは言わない』
言葉が切れる。
『君の望みを言ってみろ。私が叶えれるものであれば叶えてやろう。その望みが叶ったとき、君は晴れて私の所有物だ』
静寂が場を支配する。
答えなど……初めから決まっている――。
「捕まった母と妹を…。助けたいんです」
ローブの女性が立ち上がり、黒剣を地面に突き刺す。土を割く音が静寂を穿つ。
「契約と共に望みは叶えてやろう。契約者である我の名はルシル・レイフィード。さあ、汝の名を我に教えよ。黒き魔剣よ。」
先程までとはまったく違う、とても強く、とても重い声。言葉のひとつひとつが体中に響き渡る。
「僕の……、僕の名は……。クルト・ヴェンセール」
『黒き魔剣クルトよ。契約は交わされた。』
ローブの女性、ルシル・レイフィードは言葉を放つと黒剣を握っていた手を離した。
同時に僕の意識が黒剣に戻る――
黒剣全体を淡い光が包み込み、包み込んだ光は次第に大きなっていく。光が徐々に収まってくると、黒剣のあった場所には大きな影がひとつ。
そこに、僕はいた。
僕は人の姿に戻っていた――。