13.盗賊団7
足場を失ったトロルロフが石畳の残骸と共に落下し、着地場所を失ったソフィも後を追うように落下する。
石畳の残骸が下の階の地面に激突し、地響きと共に大きな音を立てる。細々とした石片が埃と共に砂煙のように舞い上がって膜を作り、風船を膨らませるように大きくなり、視界が一気に悪くなる。
『ソフィ、気を付けて』
「言われなくとも」
落下地点を覆う膜に、ひとつのうねりが発生した。
うねりは徐々に大きくなり、まるで暴風域の如く中心に虚無を作り出す。
虚無の中心に大きな影がひとつ。大斧をまるで玩具のように振り回す影がそこには在った。独楽のように、大斧とダンスを踊っているかのように。グルグルと。
『ソフィ!』
「わかってるッ」
全身の筋肉が強張り、柄を持つ手に力が入る。冷や汗が滴り、喉が急激に渇きを覚える。
独楽状に回転しているトロルロフが回転の軌道を平行から斜め上に強引に変更し、その手を離した。大斧がうねりを上げながらブーメランのように回転し、ソフィ目掛け放たれる。
うねりを成す大きな風きり音と共に、大斧が回転しながら急速に迫ってくる。
焦燥感が流れ込む。
勢いを衰えさせない大斧が目前まで迫る。
ソフィは手に持った黒剣を構え、大斧を受け止めた。
鉄のぶつかり合う音が鳴り響き、大きな火花が散る。小さな火花が持続的に発し、黒剣と大斧が互いに叫んでいるかの如く甲高い金属音を発する。落下中の体は重力を失ったかのように一瞬留まり、大斧の勢いそのままに共に吹き飛ぶ。
激しく振動する黒剣を持つ手に力を込め、動きを抑える。
少しでも黒剣を持つ手を緩めれば、腕ごと大斧に持っていかれそうになる。
いつまで耐えれば終わるのか、一瞬が永遠に感じ、精神が磨耗する。
『後ろ!ぶつかるッ!』
吹き飛ぶ体の後ろから壁が迫ってくる、いや、天井だ。
斜め上空に吹き飛ばされた体が、下の階の天井に衝突しそうになり、僕は叫んでいた。
回避できない衝撃を迎える為、背中に意識を集中させて力を込め、歯を食いしばる。
激突音と共に背中を中心に衝撃が走り、激痛が全身を駆け巡る。視界が、意識が薄れる。
激突により勢いを失ったソフィの体が重力に負け、落下しようとした時、大斧が淡い光に包まれ出した。
まだ淡い光が残っている中、真っ先に変貌させた片腕を天井に向けて突き出し、鷲掴む。そして残った腕を大きく振りかぶり、勢い良くソフィに向けて殴りかかった。
丸太のように太い腕が振り子のように弧を描き、ソフィ目掛け襲い掛かる
歯を割れんばかりに食いしばり、腹部に力を入れる。
「ッ――――!!」
ハンマーで殴られたかのような大きな衝撃が腹部に走り、ソフィの体が天井にめり込む。先程とは比べ物にならない激痛が全身に広がり、声にもならない悲痛な叫びが口から漏れる。
猿は再度腕を振りかぶった。先程よりも深く、重く。
支えを無くしたソフィの体は一枚の紙切れの様に力なく落下し始める。意識は朦朧とし、その力なき手から、黒剣がこぼれる。
『クソッ!』
僕は咄嗟に人の姿へと移り変わり、落下しようとするソフィを抱え、体を捻って天井を蹴った。
直後、天井を破壊する音が頭上から聞こえた。破壊された天井から石片が落下し、追撃せんが如く迫ってくる。
地面に着地すると同時にさらに地面を蹴って移動し、追って落下してくる石片を回避する。
さらに地面を蹴り続け、天井にへばり付いている猿とも、悠然と佇んでいるトロルロフとも距離を取る。
「ソフィ、大丈夫?」
両者が一望できる位置まで距離を置くと、腰に差してある鉄剣に手を当て、警戒しながらソフィの安否を確認する。
「なん……とか……ね」
息も絶え絶えとさせ、とても痛々しく話すソフィが、僕の腕の中で淡い光に包まれ、一振りの刀へと移り変わる。
綺麗な薄い桜色の刀の刃に、一本の痛々しい亀裂が走っていた――。
「――……!」
込み上げる言葉を飲み込む。
血の気が一気に引くと共に、胸に熱いものが押し寄せる。
綺麗な桜の木が雷で引き裂かれるのを目の当たりにしたように。どうにかしたい、しないといけない、そういった気持ちとは裏腹に、自分では何もできない絶望感。
僕が必死に紡ぐ言葉を選んでいると、
『ばか……ね。あんたと同じように、あんたが私を手にしている限り……私にもあんたの意識や気持ちが流れてくるのよ?私は……大丈夫。大丈夫だから』
ソフィの声が頭の中に響く。気丈に振舞う、彼女の声が。
僕は立ち上がり、刀を地面に突き刺した。
そして、腰に差してある鉄剣を一気に引き抜く。
トロルロフがゆったりとした足並みで歩いてくる。灯篭の灯りと共に、その影を揺らしながら。
天井にへばり付いていた猿もその手を天井から離し、落下する。着地後にこちらを一瞥し、トロルロフの元へと歩いて戻り、その姿を大斧へと変貌させた。
大斧を手に取り、肩に乗せ、トロルロフが口を重く開いた。
「手こずらせやがって。おい、ガキ。今ならまだ二人共生きたままで売られるだけで済むぞ?」
威嚇するように、強い眼差しで。
「無駄に死ぬぐらいなら売られるほうがまだマシだろ。なァ?」
眉を上げ、嘲るように片手を上げる。
僕は静かに、音も無く、地面を蹴った。
「まァ、そうだろうよ」
トロルロフが静かに呟いた。残念そうな言葉とは裏腹に、楽しそうな笑みを浮かべて。
負けるわけにはいかない。
例え魔剣の力がなくとも。
屈するわけにはいかない。
例え僕の命が尽きようとも。
突進する僕に合わせるように大斧が振りかぶられる。
まだだ、まだだッ。
トロルロフの全身に意識を向けつつ、大斧の動きを注視する。
ぎりぎりまで、引き付ける。斧が動く、直前まで。
間合いに踏み込んだ瞬間、勢いよく大斧が振り下ろされようとした。
その初動を見切り、地面を蹴り回避に行動に移る。
燃えるように熱く、高ぶる鼓動に反するように、意識は冴えわたり、頭は冷静さを保っていた。自分の意識以外、全てがゆっくりとした時を刻み、歩んでいる。
右側に回り込み、足を踏み込んでその場に留まる、移動の余韻で足を基点に砂煙が舞う。鉄剣を肩に乗せるように振りかぶった。
一寸の静寂。腰を僅かに落とし、鉄剣を持つ手に力を込める。舞い散る砂煙が上昇の頂点で動きを止る。
全ての――時が止まる。
僕の動きに合わせるようにトロルロフの眼が動き、その鋭き眼光が灯篭の灯りによって揺れ動く。始動済みの大斧が、何も無き空間に向けて振り下ろされた。
大斧を振るう事で無防備となっている右腕に視線を向け、溜め込んだ力を開放する様に一気に袈裟斬る。
瞬間。トロルロフの腕が弾ける様に膨れ上がった。
太く脈打つ浮き出た無数の血管は生きているかの様に、その隆々とした様は鋼にも劣らない強固さを言わずとも物語っている。
構う……ものかッ。
振り下ろした鉄剣を握る力を強める。
どれだけ強固であろうと。断ち切る。
一筋の光の軌跡と共に鮮血が舞う。
手応えはあった。だが……まだッ!。
腕を切断、もしくは骨を断ったときの感触は返ってきていないが、決して浅くない傷を負わせた事が鉄剣から伝わる重圧感で伝わる。
斬撃の余韻を感じる暇もなく、脚に力を込めて踏み留まり、鉄剣の動きを強引に制御する、返す刀で薙ぎ払おうと手首を返した。
トロフロフの身体が捻じ曲がる。大きく身体を捻り、振り下ろしている大斧の軌道を強引に変える。すくい上げる様に。大斧が地面をこすり、大量の石片や砂埃を舞い上げる。
鉄剣を振るおうとしている腕の動きを止めて腰を落とす。脚に力を込め、地面を蹴り、上半身をその場に残して宙を舞う。脚と舞い上げた砂埃が空中で奇麗な円を描く。
逆さ状態になった位置で大きな風圧と共に大斧が頭を掠めた。
強引に大斧の軌道を変えた影響でバランスを失ったトロルロフが片膝を付く。重い響きと振動が付いた膝を中心に広がる。
微量の砂煙を上げると共に地面に着地後、すぐさま鉄剣を構える。
トロルロフの腕がまた弾けんばかりに膨れ上がり、その顔を守るように覆い隠す。
構うものか!
鉄剣を振りかぶり、がら空きの胴目掛け、一気に振り下ろし、さらに手首を返して切り上げた後、その勢いのまま回転し、薙ぎ斬る。
回転の勢いを断ち切る様に両脚を踏み込んで下半身を留まらせ、上半身は回転の勢いそのままに限界まで体を捻る。鉄剣を水平に構え、一気に突き抜こうとする。
突如、自身を襲う強烈な悪寒。
冷や汗が滴る中、視線を”そこ”に向ける。
牙をむき出しとさせ、怒りに毛を逆立てる黒き猿。その巨木の如き腕が僕の眼前まで迫ってきていた。
半身をトロルロフに向けて体を捻っている状態。その背後からとなる一撃を躱す手などなく、焦燥感と絶望感で思考がせめぎ合う。
隆々とした腕に隠された顔からこぼれたトロルロフの口が、にやりと一筋の笑みを浮かべた。
絶望の中、今まさに、猿の振り下ろす拳が僕を押しつぶそうとする。
僕の目が見開き――。猿の眼から鮮血が飛び散った――。
後方からの一筋の光と共に、一本の鉄剣が鈍色の弾丸となって現れ、猿の片目に突き刺さった。
獣が鳴く悲痛な叫びと共に、トロルロフの口から笑みが消える。
「何してんのよ!さっさと決めなさい!!」
後方からの声に呼応するように身体の捻りを開放する。足先から脚へ、脚から腰へ、全ての力を解放し、トロルロフの身体の真芯目掛けて突き抜く。
「うぉおおおおおおおおおおおォォォッ!!!」
「クソったれがァアアアアアアアッ!」
トロルロフが断末魔の如き叫びを上げ、顔を覆い隠していた腕を下げ、鉄剣を受け止める。
肉を裂く鈍い感触が鉄剣を伝い、手に響く。押し出す様、押し断つ様、腕を突き伸ばす。
骨を断つ小さな抵抗感の後、トロルロフの腕を貫通した鉄剣がその胸に突き刺さった。
あと少し、あと……少し!
胸に少し突き刺さったと思われる状態で、トロルロフがおもむろに鉄剣が貫通した腕を僕に向けて押し当てた。
トロルロフの腕と鉄剣の鍔がぶつかり、鉄剣がその動きを止める。
クソッ!
鉄剣の柄裏に手を当て、押す様に力を込めようとする。
「離れなさいッ!」
突如、後方から怒声の如き声が聞こえ、鉄剣を手放し後ろに飛びのく。
僕の頭上を、桜色の髪をなびかせながらソフィが飛び越える。
手に持つ鉄剣を振りかぶり、身動きの出来ないトロルロフ目掛け、一気に振り下ろした。
大量の赤い飛沫が舞う。
トロルロフとソフィの間に割って入った黒き猿の身体から。
絶望的と思われる傷口に一度手を当てた黒き猿の表情に、悟りと覚悟が現れる。
低い嘶き声と共にトロルロフの前に立ち仁王立つ。その体を滴る血に濡らしながら。
「モルキー……済まない――」
トロルロフの口から声が漏れる。
モルキーと呼ばれた猿が、優しく笑った。儚く。切なく。
人が駆け、遠ざかって行く音がする。
その音を聞き、モルキーの表情が変わる。決して此処は通さぬという覚悟を秘めて。
「モルキー……だっけ?あんたの名前は覚えておいてあげるよ」
モルキーがソフィの言葉に応えるように、薄っすらした笑みを浮かべた。