6話 二人のお嬢様
不良少年達は命拾いをしたのかもしれない。
自分達の目の前で、上品でセレブチックなお嬢様がいきなり世の中の全てを破壊しかねない憤怒の王に豹変したのだ。少年達は声にもならない嗚咽を漏らしながら、「てめぇ!覚えてろよ!」なんていうお決まりの台詞を吐くこともなく、その場から一目散へと逃げ帰っていった。
無理もない。ここで変に格好つけてこの魔王に挑んだとしよう。そんな事をすれば、待っているのは血祭りである。
「あのー……裂条さん……?」
この一連の流れの中で、最も不幸な人間といえば八雲だろう。セレブチックお嬢様、裂条の凶悪な表情は未だに戻りきっていない。下手に声をかければ何をしでかすかわからない憤怒の王を前に、八雲はたった一人で取り残されてしまったのだ。助けた側と、助けられた側。本来ならば、八雲がお礼を言って、おほほ気にしないでください的な平和的会話が交わされて終わりの筈が、何故か二人の間で殺伐とした気まずい空気が漂ってしまっている。
そんな空気を何とかしようと思ったのか、八雲が恐る恐る口を開く。
「助けてくれて、ありがとう……ござい……ます」
「アァ、きにすんなですわ」
八雲のしどろもどろとしたお礼に対し、表の喋り方と裏の喋り方が入り混じったような返事の裂条。
怖い、怖すぎる、もういっそ全速力でここから立ち去ってしまおうか、と、そんな事を考えていた八雲の元に、
新たな不幸の塊が投下される。
「あらあら八雲さん、裂条さん、御機嫌よう」
暗闇を照らす光明のような明るい声が、八雲達がいる裏路地に響き渡った。声の発生源に目を向けて見れば、そこには純白のワンピースを着ている黒髪の少女。裂条とはまた違った『お嬢様』を連想させる風貌。そして、その後ろには何故か黒いスーツを纏った屈強な男が、数人控えていた。
少女が爆笑を堪える様に、唇の両端をひくつかせているのは気のせいだろうか。
「アァらあら御機嫌よう、綾小路さん」
歪んでいた表情を無理矢理戻し、微笑みながら挨拶を返す裂条。しかし、心なしか綾小路と呼ばれる少女を見る目が笑っていない。テメェあたしとキャラ被ってんだよ臓物ぶちまけんぞ、とでも言いたげな視線。
そんな視線を感じ取った綾小路が言葉を切り出した時、戻り掛けていた裂条の表情がどんどん崩れていく。
「それにしても裂条さん。今回も見事な作画崩壊でしたわね。その顔芸でどこまで視聴者様を楽しませれば気が済むのかしら?」
「やはり見ていらっしゃったのね、このクソ女狐が。困っている方を目の前にして、それを傍観するだけなんて、大企業の令嬢としての品格が疑われますわよヵス」
(やばいぞ裂条さん!本性が所々で滲み出ているぞ……)
「低俗な言葉が露呈してますわよ。そもそも、貴方にお嬢様キャラは無理があるのでは?そうだ、ゴリラ枠が空いてますわ!教室の隅でウホウホいっているような、生徒達のアイドル(笑)を目指せばよろしいかと!」
「このアニオタ女が。その体を限界まで圧縮して、二次元の住人にしてやろうか?」
今にも綾小路に飛び掛りそうな裂条であったが、今度はすぐに我に返ったのだろうか。軽く舌打ちした後、綾小路に背を向けるように踵を返した。
「……時間の無駄ですわね」
そう忌々しげに吐き捨てると、裂条は街中の雑踏へと消えていった。比較的あっさり引き下がってくれたので、このままでは戦争でも起こるのではないか、とビクビクしていた八雲は安堵する。
しかし、まだだ。もう一人のお嬢様がいる。つまらないわね、と八雲の方へと同調を求める様に視線を移している、黒い黒いお嬢様が。
「それにしても、ご無事で何よりですの」
そうにこやかに微笑む綾小路の後ろには、いつ拳銃を取り出してもおかしくない怪しい風貌の男達がこちらを睨み付けていた。おそらく、裂条が先に追い払っていなかったら、あの不良少年達は誰にも気づかれぬまま、あの黒いスーツを纏った男達の手によって闇の中に葬られていただろう。
八雲の背筋が凍る。この女も普通じゃない、と。
「八雲さんにお頼みしたいことがあるのですけれど」
そう言いながらニッコリと微笑む綾小路見て、八雲の理性と本能が危険を告げた。嫌な予感しかしなかった。あの楽しそうな笑顔の奥に隠された意味を八雲は知っている。彼女の気持ちを言葉にして表すのならこうだ。
『あ、面白い事思いつきましたわ♪』
「な、なんでしょうか」
「先程、助けて貰った事を口実に、裂条さんを監視……ではなく、親密な関係になってほしいのです。まずはあの時のお礼がしたい、と言って纏わりつくのがいいでしょう」
「いやそれはちょっと……」
「まぁまぁ、三ヶ月前のアレと、先週のアレと、昨日のアレを、世に晒しめてもよろしいのですか?」
「……」
薄暗い裏路地で、八雲の不幸が炸裂する。