3話 信頼
「ああああああああああああァァァァァァァァ!!!!」
朝のHRを前にした教室に、毒舌少女、山瀬の悲鳴が響き渡った。
耳を劈く程の絶叫。山瀬特有の眠たそうな垂れ目はカッと見開かれ、普段の抑揚のない話し方が嘘のように声を荒げていた。
しかし、周りの生徒達は、叫び声の音源である山瀬へと一目向けると、すぐに視線を元に戻してしまった。何人かの生徒に至っては、なんだいつもの事か……っと呆れている様にも見える。
そう、くだらない事だった。
山瀬の下半身に、一人の女子生徒がスカートの中に頭を突っ込む形で『収まって』いた。その女子生徒は屈みながら、微妙に蟹股でプルプルと震えている山瀬を気にも止めず、スカートの中でモゾモゾとうごめいている。そして、幸福で満ち溢れた陽気な声がスカート内で反響する。
「イェーイ♪マル秘スポットへ突☆入……ごっどぶふァァァァァ!」
瞬間、女子生徒の鳩尾に、山瀬の正拳突きが勢いよく突き刺さる。
それと同時に、山瀬の足元から弾け出るように飛び出たのは茶髪のツイテールの少女だった。
この変態少女の名は神谷。
ホラ吹きで厨二病、ぼんやりしていて実は毒舌、と言った様に、説明する事自体が面倒な変人が大半を占める子守クラスでは珍しく、すぐに人物像を把握できるような単純な変人だった。というかただの変態である。
その神谷の餌食となってしまった山瀬は、倒れ込んでいる変態の襟首を掴み、ズルズルと引き摺りながら何処かへ行ってしまった。その際山瀬が、抉る……っと軽く呟いていたのを一部の生徒は聞いていたが、具体的に何をするのかは想像もつかない。
結局、その後神谷がどうなったかを知る者はいなかった。
*
子守は思案にくれていた。
まさか阿良々木に自分の正体がバレているとは思っていなかったからだ。
教務室に向かいながら、これからどうするべきか、と思考を巡らせる子守。阿良々木はこの事については内緒にする、とニタニタと胡散臭い笑みを浮かべながら言っていたが、正直かなり不安である。そもそも、バカ正直にヘルメット被ったまま学校の敷地内に自転車を止めている事自体、かなり危険な行為だった。一応、子守は人がいない事を入念にチェックしてから自転車を止めているし、まだ登校する生徒や教員が少ない時間帯(早朝)に学校に着くので、他の人間の目に触れる事自体稀なのだが、それでもいつ誰に目撃されるかわからない。現に今朝、何故かいつもより早く登校していた阿良々木に目撃されてしまっている。
(一旦学校の敷地外で止めて、そこから徒歩で来る事にするか……)
敷地外でも知り合いに目撃される可能性はあるのだが、若干のリスクを負っても、あの無茶なサイクリングをやめる気はないらしい。子守の自転車に対する執着心は異常である。
(阿良々木の方は……誰にも言わない事を信じるしかないか。いや、自分の生徒を信じないで何が教師……!あいつは信頼できる奴だからな!)
そう自分に言い聞かせる子守の肩を、不意にポンッと叩いた生徒がいた。
「よ!ヘルマン(helmet man)!」
不吉なフレーズを耳にした子守は、顔を歪ませながら振り返った。
そこにいたのは、子守を小馬鹿にしたように微笑んでいる阿良々木だ。
「あら? あらあらららぎさん? ヘルマンってなに? 他の人間に聞かれてたらどうするんだ? たった今お前への信頼という結晶を築き上げた所だったのに見事に粉砕しやがったなコノヤロー!」
「いや、ちょっと突いただけで崩壊しちゃう泥団子の間違いでしょ」
「ふっざきんな!人の心を弄ぶような奴が信頼してもらえるとでも思ってんのか!……っふ、ここは内申点を盾に取った最終兵器、☆KUTIDOME☆ を使わざるおえ……いたいたいっごめんなさい」
子守が教師の権利を乱用しようとした事に対し、イラッと来た阿良々木が殴って黙らせる。
そして、ため息混じりに、
「まぁさっきのは冗談。もう言わないし、あんたがあの街中を騒がす馬鹿って事は内緒にしてあげる。まぁ、ヘルマンだけじゃ何の事かわからないと思うけどね」
「念のためだ。もし、あんな変な奴が教師である俺だってバレたら、色々面倒だからな」
「自覚してるんならやめればいいのに」
「無理だ」
案の定、即答だった。
どんだけ好きなのよ……っと失笑を浮かべる阿良々木だったが、それも子守の面白い所なのだ。
「本当に、愉快な教師」
「おい何か言ったか」
「なーにも?じゃあ、先に教室へ行ってるわねー」
目の前の珍獣を弄る事が日課になってきている自分の生活を自嘲しつつ、阿良々木は自分の教室へと向かっていった。