2話 チャリンジャー
子守泰人という男がいた。
とある進学高校の一教師であり、教師という身でありながら、茶色がかった髪は肩より少し先まで伸びており、鬱陶しい程長い前髪は左右に分けられている。 一部の保護者からは、不潔だと快く思われていないらしいが、子守本人は髪型を変えるわけでもなく、気にも止めていなかった。
「……さて、行くか」
あまり眠れなかったのだろうか、仕事の疲れが抜けきっていない身体を無理やり起こし、 子守は両手を大きく伸ばすと、玄関の扉を気だるそうに開けて外へ出た。
一日の始まりを心地よく知らせる朝の日差しが、今日も頑張れと言わんばかりに子守を照らす。
子守は玄関のすぐ近くに止めてある、黒いフレームに彩られた愛車に跨り、フルフェイス型のヘルメットを被った。
これで準備完了だ。
「よし、今日も飛ばして行くか」
そう自分に気合を入れるように呟くと、子守はエンジンを切った。
猛々しい音を上げて、子守の愛車が勢いよく発進する。
チャリンチャリン
発進と同時に鳴り響いたのは、甲高い自転車のベルの音だった。
言い忘れたが、愛車というのはバイクではなく、ただの自転車である。
バイク用のヘルメットを装着した男が自転車に乗っている姿はなんとも奇妙ではあるが、そうしなければならない理由があった。
「オラオラオラァ!そこの車待てヤァ!」
子守が操る自転車の速度は、バイクはおろか、自動車にも引けをとらないのだ。
急カーブをドリフトを使って曲がり、道行く人々を華麗にかわし、どこで身に着けたのかよくわからない異様なテクニックで街中を疾走していく。
当然の事ながら、ヘルメットを被りながら自転車で爆走している馬鹿を見て、大半の人間が驚愕するが、中には興味津々の目で見てくる者や、奇妙な人間もいるもんだ、と呆れている者もいた。
ちなみに、こんな無茶な運転を繰り返しているにも関らず、子守が人間を轢いた事は一度もない。
子守本人は、(一応)人間の安全を第一に考えて運転する、ということを胸に留めているらしいのだが、 じゃあそんな運転をするな、と突っ込まざるおえない。
(俺を止めたければ、俺に追い着いてみるがいい。 チャリンジャーとしてな!ぎゃはは!)
そう何度も心中で繰り返しながら、今日も自転車マニアの子守が走っていく。
後にヘルメットを被った謎の変態として街中の噂となる事は、彼はまだ知らない。
*
阿良々木 美奈津は学校へ向かっている途中だった。
阿良々木は子守が担当する変人クラスの一員だが、比較的まともな性格であり、数少ない常識人でもあった。 高田のホラ吹きや、厨二病による妙な発言や行動も、山瀬の強烈な毒舌も、彼女は拒絶しない。 相手を理解し、適切な対応で見事にその場を鎮めてしまう阿良ヶ木は、いわば珍獣の世話をする飼育係といったところか。
そんな彼女だからこそ、子守から相談話を持ちかけられる事も少なくなかった。
まったく変わったやつばかりで……っと、珍獣達の異質な存在について、度々呆れかえる子守だったが、阿良々木から見れば、子守もその珍獣の中に含まれている事を、本人は自覚していないのだ。
「またあいつは……」
その珍獣の子守が、ヘルメットに自転車という変態と化して、猛スピードで後方から迫って来ていた。阿良々木には自分の正体がバレていないと思っている子守は、そのまま彼女を追い抜いて、学校へと向かおうと考えていた。バレた所で、今よりもずっと変人扱いされるに決まっている。ある程度の常識を兼ね備えた阿良々木なら尚更の事だ。
そう自分の趣味に理解を示さない生徒に対しむくれながらも、子守は早々と前方を歩いている阿良々木を追い越してしまおうと自転車の速度を上げた。
しかし、すれ違う直前、不意に阿良々木がこちらの方へと振り返ると、
「今日も元気だね、先生」
と、なんか思いっきり手を振りながら挨拶してきた。
「エェ……!?」
驚きのあまり自転車の操作を誤りそうになる子守。
子守が乗っている自転車が危なげに傾く様子を見て、阿良々木はクスッと笑うのだった。
「さぁて、今日も頑張りますか!」
そう、阿良々木が両腕を上に伸ばしながら、快活に言う。
ああ、今日も珍獣の世話で忙しい。