8話 女神と魔王の同居暮らし
「おや、あれは八雲幸一(笑)君と……裂条?」
休日を謳歌すべく街中を出歩いていた子守の視界に、珍妙な光景が飛び込んでくる。
自らの名前とは対極に位置する不幸体質な少年、八雲と、怒ると憤怒の魔王に豹変するお嬢様、裂条が、何やら談笑しながら街中を闊歩していたのだ。二人の仲をよく把握していなかった子守が、目を細めて目の先にいる二人の男女を凝視するが、ほぼ毎日顔を合わせている自分のクラスの生徒の事を見間違える事など断じてないはずだ。子守はそう自分に言い聞かせながらも、心の中にうっすらと滲み出た疑問を吐露するように呟いた。
「あの二人、あんなに仲良かったっけか?」
そう、実際に八雲と裂条の間には親密な関係など一切築かれていなかった。強いて言えば事務的な会話を何度か交わしたくらいで、日常的な雑談を交えた事は一度もない。
そんな少し前まで接点を殆ど持っていなかった八雲と裂条だったが、数日前に起きたとある小さな騒動によって、二人の関係は強制的に結び付けられる事となったのだ。
時は、今から数日前に遡り――――
一人の不幸な少年が、とあるお嬢様によって不良少年達から助け出された後の事である。(5,6話参照)
「ま、待ってください裂条さん!」
つい今し方、不良少年達の横暴から救い出してくれた一人の少女を、全力で追走してきた八雲が呼び止めた。一度別れた裂条を再び呼び止めた理由の一つとして、助けてくれたお礼をきちんと言いたかったという事が挙げられるが、彼にとっての一番の原動力はこれまた別の少女の『頼みごと』である。
その少女は何故か今回の騒動を機に八雲と裂条が親密な関係となる事を望んでおり、それができなければ八雲の『不幸な出来事』を他人に曝け出すという脅し文句を切り出してきた。数多くの不幸に巻き込まれてきた八雲であったが、中には『他人に知られたら色々とマズイ』不幸な出来事も幾つか存在する。そんな不幸な少年に目を付けた腹黒少女は、八雲の方へと常に目を配る事(それが具体的にどういう行為なのかは聞かない方が良い)で彼の弱味をどんどんと握っていったのだ。
「あ、あのまだお礼をちゃんと言ってなくて……」
「まぁ、気にしなくてもよろしいですわ。それよりもこれからはお気を付けになって。あの殿方達が今後も貴方に危害を加えないという保証はありませんので」
そう言いながらニッコリと笑う裂条を見て、八雲は安堵感を覚えると共に一抹の恐怖を感じ取る。こんなに優しい人が、なんであんな魔王に……っと思わず口から零しそうになった八雲は、緊張と焦りからか急いで本題を切り出した。
「あ、あのぉ!お礼を兼ねて今度食事でもどうですかぁ!」
「……まぁ」
(シマッタァァァァァァ!)
突然食事の誘いを申し出た八雲を対し、驚きの表情を浮かべる裂条。
流石にいくらなんでも直球すぎる。仲良くなる過程をすっ飛ばしていきなり何いってんだ俺はバカバカバカァッー!っといくら嘆いた所で前言が撤回される事にはならず。顔を赤くして俯いていた八雲が恐る恐る視線を起こすと、そこには溜息を吐いている裂条がいた。
(やっぱり呆れられてるよな……俺は馬鹿じゃねぇのか……)
っと己の失態を中傷する八雲だったが、裂条の返答は予想の斜め上を行くものだった。
「綾小路……あの女狐ですわね」
「ふぉう!」
いきなりバレた。この言動の裏にはあの腹黒お嬢様、綾小路が潜んでいる事に。
「あの女が何を考えているのかわかりませんけど、貴方がどの様な経緯で私を食事に誘う『ハメ』になったのかはだいたい想像できましたわ」
「いやぁ……あの……」
綾小路が関わっている事がわかると同時に、裂条の表情が次第に曇っていくのがわかる。
そして、自分の行いを振り返り、次第に八雲の中で自責の念が積み上げられていく。
(つーか、なんて失礼な事を俺は……)
お礼が言いたいなどと言っておきながら、結局は自分の保身の為だけに裂条という一人の少女と関係を持とうとした。裂条という自分を助けてくれた少女を畏怖の対象と捉え、同じ目線に立つ人間としてさえ見ていなかったくせに、下心に塗れた人間関係を築き上げようとしていた事に、八雲は自分自身に対して憤りを感じ始めていた。
「……すいません、最低でしたね、俺」
自分は、この人と仲良くなる資格はない。不幸な出来事を体験し過ぎてきたせいかネガティブ思考に陥りやすい八雲は、そのまま踵を返し裂条の元から立ち去ろうとした。
だが、あ、もしかしたら一発殴られるかもな、と破れかぶれの思考を巡らせ始めた八雲に対し、裂条は優しく言葉を紡ぎ、悠然と微笑みかける。
「お食事、今週の休日でよろしいですの?それで事が丸く収まるのなら、喜んでご一緒しますわ」
「……えっ?」
まさかの返答に、ドンッ!と心臓を殴られた様な衝撃が八雲を襲う。と同時に、目の前で笑顔を浮かべている少女は見て、散々自身の事を責め抜いた八雲は思う。
(女神……!なんだこの人は!身体の内に女神と魔王を両方宿しているというのかーッ!)
っとそんな感激の中に余計な単語が含まれている事に気付いていない八雲だったが、こうして二人は街中へと繰り出していったのだった。
そして、今回の件で、八雲がしみじみと感じた事が一つある。それは
(裂条さんって、滅茶苦茶良い人だなぁ……魔王にならなければ)