転生した悪役令嬢ですが、D・カーネギーの『人を動かす』で断罪イベントを回避いたしますわ!
「エリザベス・アシュフォード嬢、貴殿には婚約の破棄を宣言する」
目の前にいた王太子のジュリアンが高らかに告げた。
夜も更け、舞踏会も終盤の出来事だった。
王室主催の舞踏会は、上から下まで国中の貴族が集う場。世代を問わず、着飾った面々が驚きでざわめき、周りにいた友人も私から距離を取ろうとする。
私、エリザベス・アシュフォードは、ぽつりと人だかりの中心に浮いていた。
それは後の妃となるべく選ばれていた婚約者として、屈辱に余る宣言だった。
味方のいない、孤立無援。
努めて冷静に私は問いかける。
「婚約破棄……なぜそのようなお考えに?」
「私には真に愛する者ができた。こちらのアナベル嬢だ」
ジュリアンの隣に控えている地味な顔立ちの女が、腕を組んでこちらをにらんでいる。普段は人畜無害に見えるというのに、こういった場ではなぜか邪悪そのものだ。
「聞くところによれば、貴殿はアナベル嬢に卑怯な手を使って嫌がらせをしていたようだな。未来の妃だからといって、許されぬ行為だ」
冷たい顔をするジュリアンは、私がやったという嫌がらせを列挙する。
アナベルのドレスにペンキをぶちまけた。
アナベルを階段から突き落とそうとした。
ジュリアンの出席するパーティーの招待状が届かないよう細工し、恋の道の邪魔をした。
遠巻きに見る貴族方が、ひそひそと話しながら眉をひそめていた。
「これらの行為は目に余る。夫婦として関係を構築するにはもはや不可能だ。よって婚約破棄が妥当と判断した」
人だかりをかき分けて、複数の衛兵がこちらにやってくる。
縄のようなものを手にしていた。
「そして、未来の妃となるアナベルに危害を加えたとして、裁きを受けてもらう。貴殿は今から牢獄行きだ」
「……」
ばかばかしい。
いくらなんでもやりすぎだと思う。
城の衛兵が近づきつつある中、私は心のうちでため息をついた。
このイベントを見るのは、画面越しのものを加えると実に六回目である。
なんのことはない。ここは乙女ゲームの世界なのだ。
好きで周回しまくったこのゲームに私はなぜか、悪役令嬢エリザベスとして転生してしまった。
もちろん断罪イベントがあるのも知っている。知っているので、元凶となりうるヒロインには近づかなかったのだが、どうやらこの女も転生した誰かさんらしく、自作自演で嘘をでっちあげて、ジュリアンと結ばれようとしているようだった。
邪魔な女エリザベスが去るので、アナベルはさぞ優越感で高揚していることだろう。性格の悪さが顔に滲みまくっている。
哀れエリザベスは、そのまま牢につながれ、一生を惨めな労働へと身を捧げるのであった——。
が。
「お待ちを」
私はさっと片手を上げ、衛兵の接近を制した。
「殿下、婚約の破棄については甘んじて受け入れますわ。しかし私とは幼少の頃からの関係。美しい思い出も多くあるというのに、このような性急な別れは哀しいものです」
懐にあった扇子を取り出し、私は口元を覆って優雅に笑う。
「あまりに惜しい別れですので、最後の頼みとして、哀れな私にお話の機会を五分ほどいただけますか?」
さすがにそのような言葉を、ジュリアンは予想していなかったらしい。
それはそうだ。ゲームでもエリザベスは淑女であることを忘れて取り乱すのだから。
彼は若干狼狽えたようなそぶりを見せた。
「な、なんだ。五分だと?」
「ええ。それくらいのお時間なら、さほどお手間は取りませんわ」
アナベルが戸惑うように、王太子の顔を見上げていた。
心変わりするかもしれない、とでも思っているのだろうか。それとも悪事がばれるとでも?
「……わかった。許可しよう」
「ありがとうございます、殿下」
「しかし、別にそれで婚約破棄が覆るわけでもないぞ。わかっているのか」
「もちろん理解しておりますわ」
私は微笑みながら、頭の中をフル回転させた。
「寛大なご判断、感謝いたします。五分お話いただけたら、心の整理もつきますから……」
なにも危険な賭けに出たわけではない。
私にはとっておきの秘策があった。
伊達に十年、社会にもまれたわけではない。こちとら順調に会社で出世してきたバリキャリだ。
たかが十八の世間知らずの若造に、負ける気がしなかった。
とくに、D・カーネギーの『人を動かす』を死ぬほど研修期間に読まされた身にとっては。
* * *
断罪イベントを避けられないとわかり、私はとにかくいろんな情報をあの手この手でかき集めた。
入念かつしつこい情報収集の末、ついにアナベルを陥れるための情報も握った。彼女を糾弾して、逆に牢獄行きにするのも、おそらく不可能ではない。
だが、私は別の方法でこの断罪イベントを回避することにした。
最も安全で、かつ効果の高い方法で。
「殿下、私は深い感動を覚えましたわ」
ジュリアンは面食らったように顔をしかめる。
「私とあなたは、国王陛下による計らいにより結ばれた仲。政治的判断を含め、最良とされた決断の上で成り立っていた関係です」
余裕を見せるように、私はゆっくりと扇子で仰いだ。
髪に結ばれたピンクのサテンリボンの先が、蝶の尾のようにゆらりと舞う。
「しかし、いくら幼少の頃からの婚約とはいえ、それはあくまでレールの上に敷かれたもの。望んでいない関係だったかもしれません。私もまだ幼かったゆえ、そのようなお心を理解できなかったことは、力及ばず申し訳なかったと思っております」
「い、いや、そう言うわけでは」
「ですが、」
私はにこりと笑う。
「あなたはご自身の意思で、この関係に否を唱えた。大変喜ばしいことですわ」
「……え」
ジュリアンはなんとも無防備な面をさらしていた。
「あなたはお父上である国王陛下に、いつも従順でございました。しかし従順さというのは諸刃の剣。臣下であるなら素質のひとつですが、君主には時に不用のものです。あなたは今回の婚約破棄でその従順さを捨て、ご自身の意見を貫いた。素晴らしいことです」
周囲の貴族方はぽかんとしていたが、口を挟む者はいなかった。
「私は少しですが歴史を学んだ身です。優柔不断な王を戴いた国が、臣下の傀儡となり荒れ果てた例をいくつか知っております。このような悲劇は繰り返してはなりません。
けれど、あなたには譲れないものがあった。勝ち取るために、身内だけでなく公平な場で意見を述べた。私は確信いたしました。この国の未来は明るいと。
自分の人生をご自身で決められる、責任のあるお人でなければ、この国の命運など任せられませんわ」
本音を言えば、これっぽっちもそうは思っていない。
婚約破棄は身勝手なものだし、たかが小娘一人の口聞きで、高位貴族の娘を牢にぶち込もうとしているのだから、かんしゃくを起こしたお子ちゃまと同じだ。くそ。ゲームに熱中していた思春期は素敵に見えたというのに、大人になるとこんなことが見えてしまうからつらい。
ただ、切り口を変えて見方を変えれば、こんなろくでなしも善人に見せられる。
ジュリアンには、人生の伴侶を選ぶという点で他人任せにはせず、真に適任となる未来の妃を選び直した。責任感のある男である。
狙い通り、そう思わせることに成功したらしく、見守る貴族の中には「ほう」と感嘆する声が聞こえた。
「あー、その、エリザベス」
ジュリアンは気まずそうである。
「君がそう思っていたとは知らなかった。私はそこまで評価される者ではないが、その言葉は素直に嬉しい……」
かかった。
私はニヤニヤ笑い、ではなく、社畜生活で磨き上げたビジネススマイルで受け入れる。
相手を説得する上で大事なことが二つある、とカーネギーは言った。
ひとつは議論をしてはいけないこと。
そして間違いを指摘してはいけないこと。
要するに、「ざまあ」をしてはならないのだ。
「ざまあ」をするのは非常に気持ちがいいが、相手を正論で言い負かすのは、説得の失敗を意味する。相手に反発が残り、次に何をしでかすのかわからない。「ざまあ」によって私がタコ部屋行きを防ぐのは至難のわざなのだ。
しかし、あえて間違いを指摘せず、相手の意見に敬意を払って耳を傾けば、相手の態度は軟化しやすい。
もっといえば、こちらの間違いを認めれば、相手も自分の誤りに気づくのだ。
「人を説得する十二原則」の合わせ技である。
「殿下のご評判は城に詰めている私の父からも聞いておりますわ。近頃は夜遅くまで公務に励まれているとか」
そうなの? とアナベルが小声で言っている。あれだけべたべたするほど親しいのに知らないとは。
「国王陛下は以前病から回復したとはいえ、今晩の不在を鑑みるに、やはり芳しくはない様子。詳しい内容は存じ上げませんが、あなたが代わりにいくつかの公務を行っているのでは?」
ジュリアンは驚いたように目を見開き、顔を逸らした。
「違う、そんなことはしていない……」
「ふふ。そういうことにしておきましょう」
一応本当である。ここはゲームで履修済みだ。
攻略キャラは育ってきた環境がアレでも、たいてい根がいい。
なので「人を動かす」も効くだろうと踏んだのだ。
「あなたのことを『王太子として頼りない』という声を耳にしたこともございますが、私にはそう見ませんわ。ほんの子どもの頃から、誰よりも努力なさっているのを知っています」
アナベルの手に力がこもったのか、腕を回しているジュリアンの服のシワが深くなる。
「私はお近くにいたからこそ、殿下のことがわかります。困っている方がいれば見過ごせないとよくおっしゃっておりましたもの。公務もきっとその思いで乗り越えてきたのでしょう」
「……そんなつまらないことを覚えていたのか。おまえ」
「ええ。あなたを理解しようと私はずっと必死でしたもの」
もちろん、攻略のためにね。
ジュリアンルートでどれだけ選択肢選んできたと思ってんだか。かっこいい、大好き、と無邪気に喜んでいた私を返してくれ。
「それも、今となっては無駄に終わってしまいましたが……」
憂いのある顔で目を伏せると、ジュリアンも若干の罪悪感を覚えたらしい。
これだけ情を持って接してきた相手をすげなくするというのは、さすがに難しいところだろう。見ているご婦人方も、ジュリアンに若干厳しい目を向けている。
「人を動かす」というのは、相手に媚びることではない。相手に気持ちよく動いてもらうために、ポジティブな言い方をし、行動を起こすのだ。
九十年以上も前に書かれているにもかかわらず、ずっと売れている理由である。
時代を超えても、このとおり異世界でも通用してしまうのだから、カーネギーさまさまだ。
「ちょっと待ってよ!」
金切り声が和やかになった空気を切り裂いた。
「この女はわたしにひどいことをしたのよ! 忘れたのジュリアン!」
「いや、それは」
たじろぐ王太子にアナベルは「だいたい」と畳み掛ける。
「約束の五分はとっくに過ぎているわ! さっさと連れていけばいいのに思い出話なんてはじめて、ただの悪あがきよ!」
大正解。
五分なんてぜんぜん守る気ありませんでした。宿題集めるのを忘れてた学校の先生にわざわざ「忘れてます」って言ってクラスのひんしゅく買ってたタイプだなお前。
きっとジュリアンの知らない一面を私が知っていることに焦っているんだろう。一周まわってかわいく見えてきた。
とはいえ、油断はできない。
ジュリアンは正直、純粋なのですぐになんとかなると思っていたが、この女はどう出るのかわからない。
本当の勝負はここからかもしれない。
「早く連れ出してよ! この人わたしに不敬を働いたのよ!」
衛兵は戸惑ったままだ。
それはそうだろう。現婚約者とは言え、アナベルはぽっと出の下級貴族令嬢。正式な認定もされていない彼女に従っては指揮系統がめちゃくちゃになる。衛兵の一人がどうするべきかとジュリアンのほうを見るも、彼は難しい顔で迷っている様子だった。
仕方ない。こちらから勝負に出るとしよう。
「アナベル・ランチェスター様」
「なによ、くそ女。さっさとシナリオ通りに泣いてみっともない姿をさらしなさいよ!」
「この度は数々の無礼、誠に申し訳ございませんでした」
息巻いていたアナベルに、動揺が走ったのがわかった。
当たり前だろう。私ことエリザベスは何もしていないのに非礼を詫びてきたのだから。
「っ!? な、なにをいまさら……」
「殿下が選んだということは、アナベル様は素晴らしい方であるという証左です。実は以前から、あなたの評判をジュリアンから聞いておりました。
しかし、私は知ってしまったのです。その折にあなた方が想い合っていることを」
「……」
思っていた展開と違うせいか、不可解そうにアナベルがこちらを見ている。
「私は非常に悩みました。いくら陛下が選ぶ相手といえど、妃としての素質があるのかどうか。私はそれなりの教育を受けてきた身ゆえ、テストをして見極めようとしたのです」
「は? テスト?」
「ええ。国を背負えるかどうか、気になったのです」
「そうか、そういうことか!」
ジュリアンが急に割り入ってきた。
「今までアナベルにしてきたのは、妃として相応しいかを確かめるため……」
よしよしできた生徒だ。
しかし会話の途中で入ってくるのはお利口ではないな。これだから頼りないとか言われるんだぞお前。
「ええ。そのとおり」
私はにこりと微笑む。
「妃になるというのは苦難の道のりを歩むということ。ドレスにペンキや招待状の妨害などはかわいいものです。国のために断頭台に立つことももしかすると……あるかもしれませんし」
何気なしに言った内容だが、アナベルの顔がひきつるのが見えた。
「はあ? そんなこと乙女ゲームで起きるはずないじゃない——」
「あら? ゲームが終わってからも生活は続くのよ? シナリオにないことが起きても普通ではなくて?」
さっきから何を言っているんだ、とジュリアンの声を私はあえてシカトする。
「あなた、この人のバッドエンドはご存知でしょう。あの後ヒロインがどうなるかは大人の事情でぼかされていたけど、かなりひどい目に遭うわ」
「え……」
「女として、死んだ方がマシと言えるような目に遭う、と言えばわかるかしら」
「なにそれ……そんなの知らない……だって漢字難しくて」
全年齢なので、直接な物言いは避けられていたが、他国に拉致されたヒロインは、国母の定めとして辱めを受ける。
これはまあ、大人になってから知ったやつだ。当時の私だって初見はわからなかったし。
「そんなの卑怯よ……不登校で学校行けてないんだから、知らなくて普通じゃない……」
アナベルの顔から血の気が引いていく。
これから何不自由ない贅沢な生活が手に入るとでも思っていたのだろうか。王族への仲間入りなんて、攻撃の矢面に立つようなものなのに、考えが及ばないほど子どもだったとは。
「ともかく、責任を負うお立場になられたのは変わりありません。私はこの二人を祝福するとともに、一国民として、そして貴族の一員として忠誠を誓いますわ」
ドレスのスカートをそっと広げて、優雅なカーテシーをお見舞いする。
「アナベル様の言うとおり、話が長引いてしまいました。では殿下、ご命令に従い、私は地下の牢へと参ります」
さあどうぞ。と私は手首を衛兵に差し出した。
衛兵は逡巡の末に縄を回しはじめたが、指が震えていた。
「皆さま、ご歓談中にお騒がせして申し訳ございませんでした」
私はぐるりと見渡しながら、声を張り上げる。
「殿下が寛大な処置をしてくれると期待しておりますので、近いうちに我が侯爵家での夕食会で埋め合わせさせていただきます。
それと紳士の皆さま、婚約が無効となりましたので、ぜひ私と仲良くしてくださいまし」
なんとも言えない空気が漂いはじめていた。
紳士淑女の目線は、ジュリアンとアナベルに集まっている。
その目は一様に、こう言っていた。
なあ王太子さんよ。おまえこんなに器の大きい令嬢を断罪するつもりか。
責任感がある、王としての素質があると言わせておきながら、どうみても善人の彼女を無責任に閉じ込めるのか。
アナベルという女は無礼な言葉遣いをしていたが、敬語で接し続けたエリザベスのほうが、よっぽど大人ではないのか。
一気に強い圧力がかかったせいか、互いに顔が真っ青だった。
「では殿下、ごきげんよう——」
「ま、待て!」
背を向けたところで、ジュリアンが慌てて止めに入った。アナベルを振り払って、こちらまで来たようだ。
「すまないエリザベス。私はその、もしかするととんでもない思い違いをしていたかもしれない」
私は不思議そうな顔をしてみせる。
「しかし殿下、婚約を破棄するほど私が不快なのでしょう?」
「いや違う! 牢獄行きはやりすぎだったと反省しているんだ」
彼もバカではなかったらしい。
いや、無言の圧力に屈しただけか。小さい男だ。
「今思うと、アナベルの証言も怪しい部分があった。少し他の人間に調べてもらう必要がある、と思う……」
おいおい、後ろにいるアナベルが泣きそうになっているぞ。かわいそうに。
「……それなら、私は家に帰ってもよろしいのですか?」
「あ、ああ。しばらくの待機を命じる。大丈夫だ。調査が終わるまでの話だから」
なだめるような言い草に、「そう」と私は釈然としないように言う。
「じゃあ、これ以上はお邪魔になりますので、ここで失礼しますわ」
大広間の出口に向かって歩み始めると、人ごみがすぐさま横に割れて、道ができた。
そうして、エリザベス・アシュフォードは勝利のうちに断罪イベントを回避したのだった。
やはり空気。人は空気に弱い。
いいイメージがつくられると、当人はそれを崩したくなくなる。正しい人だと他人から言われれば、それを守りたくなるのだ。
「あー疲れた。まじ疲れた」
馬車に乗って一人になったところで、私は淑女ではなくアラサー限界社畜の口調に戻った。
「あのクソガキども……どこかで痛い目見ないかしら」
「人を動かす」には唯一の欠点がある。
とにかく忍耐を試されるところだ。どんなにイライラしてぶん殴りたくなっても、にこにこしていないといけない。
なぜなら最終的な目的は、社会的により良い関係を築いてウィンウィンになることだからだ。
まあ、あの調子だと誰かが代わりにぶん殴ってくれそうな気もするが。
今日は暖かいベッドで寝られたらいい。私は大あくびをした。
後日、アナベルの不正があきらかになり、彼女は無事婚約を破棄され、逆に裁判を受ける羽目になった。だが、妃でなくなることにほっとしたらしい。
ジュリアンはあの手この手で私との婚約を復活させようとしたが、もう遅かった。
あの大立ち回りを見ていた紳士の一人といい感じの仲になったので、彼と結婚するつもりである。ちなみにジュリアンと違って大変頼りになる男だ。私は大満足だった。
ざまあをしない、ざまあな話。




