第49話 ホワイトハウス、戦時体制
深夜、あるいは未明のワシントンD.C.。
アメリカ合衆国の中枢であるホワイトハウスは、もはや「大統領の公邸」としての優雅な顔を完全に喪失し、不気味なほどの機能美と殺気に満ちた『最前線の要塞』へとその姿を変貌させていた。
重厚な絨毯が敷かれた廊下には、普段のスーツ姿の官僚たちに代わり、迷彩服に身を包んだ将官たちや、完全武装のシークレットサービス、そしてNSC(国家安全保障会議)の実働部隊が、絶え間なく早足で行き交っている。
次々と運び込まれる軍用の暗号通信機材。壁際に等間隔で立ち尽くす、アサルトライフルを構えた無言の警備兵たち。
シチュエーション・ルームの巨大なモニターには、平時ではあり得ない『終末のデータ』が所狭しと展開されていた。
ワシントンD.C.周辺の完全な飛行禁止空域の制定状況。
米本土全域に敷かれた、最高警戒レベルの防空網のレーダー波形。
ロシアと中国の主要な軍港・商港の衛星監視映像。
世界中の貴金属・レアアース取引の不審なマネーフロー。
東部戦線における、ロシア軍の異常な部隊再編の兆候。
そして――アメリカの対中全面制裁発表を受けて、文字通り滝のように急降下を続ける、ニューヨーク・ダウと世界各国の市場暴落の真っ赤な指数グラフ。
誰もが、血走った目でコンソールを叩き、怒鳴り、受話器越しに絶叫している。
机の上には冷めきったコーヒーの紙コップと、空になった栄養ドリンクの小瓶、そして齧りかけのサンドイッチが、機密書類の山の中に無造作に散乱している。
連日の徹夜。仮眠をとる時間すら惜しんで情報を処理し続けるホワイトハウスの職員たちは、全員が極度の疲労に顔を歪ませていた。
ここ数日で、この建物は完全に別の次元(戦時下)へと切り替わってしまったのだ。
「……大統領」
大統領首席補佐官が、分厚いファイルの束を抱え、早足で執務室のドアを開けた。
デスクの向こう側。
キャサリン・ヘイズ大統領は、ここ数日間、文字通り一睡もしていなかった。
化粧は薄く、目の下にはどす黒い隈が張り付き、かつての「知的で好感度の高い民主主義のリーダー」としての輝きは完全に削ぎ落とされていた。
だが、その背筋は定規を当てたように真っ直ぐに伸び、ペンを走らせる手には一片の震えもなく、そして何より……その瞳だけが、疲労の限界を超えて異常なまでに冴え渡り、ギラギラとした【ガンギマリ状態】の光を放っていた。
「中国およびロシアへの、包括的な二次的制裁の即時発動を受けて。……国内外の経済界、同盟国、そして議会から、かつてない規模の抗議と陳情の電話が殺到しています」
首席補佐官は、震える声で報告した。
「ホワイトハウスの電話回線は、文字通りパンク状態です。……全員が、『大統領は気が狂ったのか』と」
「……順番に、処理するわ」
キャサリンは、顔を上げることもなく、手元の書類に『制裁承認』のサインを書き殴りながら、氷のように冷たく、そして異常なほど明瞭な声で答えた。
もはや、メディアの顔色を窺い、世論に阿るような「普通の政治」の時代は、完全に終わったのだ。
***
「……大統領! お願いです、どうかご再考を!」
数十分後。執務室に通された、全米でもトップクラスの規模を誇る多国籍ハイテク企業のCEOが、文字通りキャサリンのデスクにすがりつくようにして泣きついていた。
「突然、我が社の中国における主要なサプライチェーンの取引先が『制裁対象』に指定されました! このままでは、我が社のスマートデバイスの生産ラインが完全にストップします! 工場は閉鎖に追い込まれ、何万人というアメリカ人の従業員が、明日から路頭に迷うことになるんですよ!」
「……」
キャサリンは、冷徹な目で、喚き散らすCEOを見下ろした。
「国家の決定で、一民間企業をここまで叩き潰す権限がどこにあるんです! 私はあなたの選挙戦の時、大口の献金を……」
「黙りなさい」
キャサリンの、低く、しかし絶対的な冷気を持った一言に、CEOの言葉がピタリと止まった。
「あなたの会社が中国から仕入れている『特定のレアメタル部品』。……それが、中国のダミー会社を経由して、最終的に【ロシアの軍需工場(サイボーグ量産ライン)】へと横流しされているという確たる証拠を、CIAが掴んでいるわ」
キャサリンは、手元のタブレットをCEOの方へと滑らせた。
「知らなかった、現場の判断だった、とは言わせない」
「そ、それは……! 我々はただ、正規のルートで取引を……!」
「いいこと?」
キャサリンは、デスクに両肘をつき、震えるCEOの顔を真っ直ぐに睨み据えた。
「今、ロシアと中国に『資源』を流すことは……ワシントンD.C.に向けて、直接ミサイルの発射ボタンを押すのと同じ【反逆行為】よ」
その言葉の圧倒的な重みに、CEOは息を呑んだ。
「……一度目は、許すわ」
キャサリンは、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「あなたの言う通り、何万人ものアメリカ国民の雇用を、私の一存で一瞬にして奪うことは忍びない。……今回に限り、あなたの会社への制裁は解除し、猶予を与える」
「ほ、本当ですか! ありがとうございます、大統領!」
CEOが、歓喜の表情で頭を下げる。
「ただし。……あなたの会社と、あなたの個人資産は、今日からNSAの完全な『監視下』に置くわ」
キャサリンの目は、全く笑っていなかった。
「直ちに、中国との当該取引を完全に停止しなさい。……もし。二度目(迂回取引)があったら」
キャサリンは、ペンを机に置き、死刑宣告を下す裁判長のように冷酷に告げた。
「あなたの海外口座を完全に凍結し、政府調達から永久に排除し……企業そのものを、国家反逆罪で【物理的に解体(潰す)】わ」
「……っ!」
「祖国の存亡か、目先の利益か。……今のうちに、選びなさい。退出を」
キャサリンは、顎でドアをしゃくった。
CEOは、もはや反論する気力すら失い、幽鬼のような顔で執務室から逃げ出していった。
彼は悟ったのだ。目の前に座っているのは、もはや「話の分かる政治家」ではなく、国家の生存のためなら自国の経済の心臓すら冷酷に抉り取る【国家の番人(怪物)】なのだと。
この日、キャサリンは、同様の陳情に訪れた何十人もの企業トップや金融マン、ロビイストたちに対し、一切の容赦なく「一度目は許す。だが、二度目はない」と、冷酷な踏み絵を踏ませ続けた。
中には、警告を無視して第三国経由での迂回取引(裏切り)を画策しようとした有力な実業家や、友好国の元高官すらいたが。キャサリンは彼らに対しても、諜報機関の証拠が固まるや否や、即座に【個人資産の完全凍結】と【渡航禁止措置】という、極刑に等しい制裁を次々と打ち出していった。
メディアは、「ホワイトハウスが完全に狂った」「独裁者だ」と書きたてたが。大統領は、一歩も引くことはなかった。
***
「……CIA、NSA、および財務省の共同監視チームからの報告です」
状況室の円卓で、情報機関のトップたちが、世界地図のホログラムを前に、次々と絶望的な報告を上げていく。
「中国に対する直接的な制裁網は機能していますが……やはり、第三国(中東、中央アジア、アフリカ)を経由した【迂回取引】の兆候が、無数に確認されています」
CIA長官が、赤いポインターで地図上のダミー会社の位置を指し示す。
「表向きは『農業機械の部品』や『医療用スキャナー』として輸出された機材が、香港、ドバイ、そしてカザフスタンの複数のシェルカンパニーを経由し……最終的に、モスクワ郊外の『第17中央科学研究所』へと向かっているルートが特定されました」
「見逃すな。すべて潰しなさい」
キャサリンは、腕を組み、冷徹に命じた。
「第三国を使えば、アメリカの目から逃げられると思っているのなら、大きな誤りよ。……迂回ルートごと、根こそぎ焼き払いなさい」
「しかし大統領。第三国の港湾業者や金融機関まで無差別に制裁対象に含めれば、対象国との外交関係が完全に……」
「ロシアにレアアース、貴金属、あるいは精製技術を流した国家や企業は。……すべて、ロシア本体と同等の【敵国】として扱うわ」
キャサリンの決断は、あまりにも早く、そして暴力的だった。
「警告を発しなさい。必要ならば、彼らを世界の『ドル決済網(SWIFT)』から完全に切り離す。……友好国であろうと、中立国であろうと、例外は一切認めない」
もはや、状況室の会議で「裏切り者」という単語が、他国に対しても、自国民に対しても、普通に飛び交うようになっていた。
ホワイトハウスが対外的な影響(反発)を一切顧みず、次々と強権的な制裁を乱発していくその速度に、実務を担う官僚や補佐官たちの方が、完全に処理能力をオーバーして悲鳴を上げかけていた。
***
「大統領は、一体何を考えているんだ!!」
その日の午後。連邦議会議事堂は、キャサリン・ヘイズ大統領が独断で発動した【対中全面制裁(世界経済への宣戦布告)】の知らせを受け、文字通り蜂の巣をつついたような大炎上状態に陥っていた。
上下両院の議場では、野党の議員たちが顔を真っ赤にして怒号を飛ばし、与党(大統領の身内)の議員たちでさえ、地元産業からの猛烈な突き上げに耐えきれず、完全に動揺して右往左往している。
「世界経済を人質に取る気か! 中国市場を完全に切り捨てれば、我が国のサプライチェーンは明日にも崩壊するぞ!」
野党の重鎮議員が、マイクを握りしめて議会で吠え立てた。
「ロシアのサイボーグ兵だと!? バカバカしい、いつからアメリカ合衆国政府は、三流のSF映画の脚本で動くようになったんだ! 証拠を出せ! 議会の承認も経ずに戦時措置(緊急大統領令)を濫用するなど、明らかな憲法違反の独裁行為だ!」
大統領首席補佐官や政務担当のスタッフたちが、議会工作(根回し)のために走り回り、必死に火消しを行っていたが。極秘のインテリジェンスである『ヴォストークの真の性能』を議会にすべて開示できるはずもなく、議員たちの怒りは収まるどころか加熱する一方だった。
「うちの州の輸入業者が、明日には数千人規模で首を括ることになるんだぞ!」
「自動車産業が止まる! 医療機器の部品が入ってこない!」
「なぜ、ロシアの制裁のために中国まで敵に回して、アメリカ経済の首を絞める必要があるんだ!」
企業献金と地元の票(有権者の怒り)に突き動かされた議員たちが、次々とホワイトハウスへの非難決議を準備し始めた。
だが。
議会幹部たちとの直通のオンライン緊急会議に臨んだキャサリン・ヘイズ大統領の態度は、彼らの怒号と脅しを前にしても、文字通り『氷の壁』のように一歩も引くことはなかった。
『……説明責任は果たすわ。いずれ、適切なタイミングでね』
キャサリンは、画面越しの怒り狂う議員たちを、感情の一切ない、冷めきった瞳で見据えた。
『だが、今ここであなたたちを説得するために、立ち止まっている(時間を浪費する)余裕は一秒もないの』
「大統領! あなたは自分が何をしているか分かっているのか! このままでは次の選挙で……!」
『ワシントンが、たった【三時間】で陥落して灰になる可能性があるという時に。……支持率や選挙の話をしている余裕は、私にはありません』
キャサリンは、議員の怒鳴り声を冷酷に遮った。
『何度も言わせないで。……私は、市場(株価)を守るためにここに座っているのではない。国家そのものを守るために、この制裁のサインをしたのよ』
支持率、選挙、経済の安定。
平時の政治家たちが命より重んじるそれらの「常識」を、キャサリンは完全に切り捨てていた。
激怒し、顔を紫にして怒鳴り散らす議員たちを画面越しに見つめながら、彼女は自らが『政治家として永遠に嫌われる(歴史に汚名を残す)覚悟』が、すでに完全に固まりきっていることを、深く自覚していた。
***
「……通常のテロ対策や、現行の首都防衛(対空・対地)システムでは、全く意味をなしません」
状況室の空気が、再び軍事的な緊張で張り詰める。
円卓には、統合参謀本部の将官たちに加え、北方軍(NORTHCOM)司令官、国土安全保障省(DHS)長官、首都警備隊トップ、そして大統領の命を直接守るシークレットサービスの長官までがずらりと顔を揃えていた。
ホワイトハウスは今や、完全に軍人たちの『作戦指令本部』と化している。
メインスクリーンには、ワシントンD.C.の市街図と、地下に張り巡らされた避難経路、そして核戦争時に備えた政府高官の「継承順位(COG)移送計画」のルートが、真っ赤なラインで表示されていた。
「ケンドール博士の算出した、ロシアのサイボーグ兵のスペックを前提とした場合」
首都警備を担う将官が、苦渋に満ちた表情で報告した。
「人間大のサイズでありながら、戦車並みの装甲と火力、そして戦闘機並みの機動力(反応速度)を持つ敵が、大隊規模で市街地に浸透した場合。……我々の首都防衛線は、文字通り『数分』で完全に崩壊し得ます。ホワイトハウスの強固なゲートも、彼らの人工筋繊維の暴力の前には、紙切れ同然に引き裂かれるでしょう」
将官たちは、見えない化け物の群れを想像し、冷や汗を流した。
「化学兵器や毒ガス、通常の小火器による弾幕も、彼らの最適化された生体パーツには無効化される可能性が高い。……我々は、対サイボーグ(超人)用の、全く新しい近接戦闘部隊の再編成と、対物兵器(重機関銃や電磁パルス兵器)の市街地配備を急ぐ必要があります」
「それと同時に、政府の『継続性』を確保するための、極端な分散退避が必要です」
シークレットサービスの長官が進言した。
「大統領。ホワイトハウスを要塞化して守り抜くことは、現行の戦力では不可能です。……万が一の事態に備え、重要閣僚と大統領継承順位を持つ者たちを、今夜から複数の地下シェルター(レイブン・ロックやマウント・ウェザー等)へ、極秘裏に分散して移送する準備に入ります」
「……ええ。それで構わないわ」
キャサリンは、自らの『家』を放棄する提案に対し、一切の未練を見せずに即答した。
「ホワイトハウス(この建物)を守る必要はない。……【政府(国家の意思決定機能)】を生かしなさい」
キャサリンは、円卓の軍人たちを真っ直ぐに見つめた。
「首都の地上という『象徴』が落ちても構わない。国家を継続させ、反撃の指示を出せる頭脳を残すことが最優先よ。……継承順位の生存率を最大化するために、地上のメンツではなく、地下の機能を守り抜きなさい」
その、国家のトップとしての極めて冷徹で合理的な【生存の論理】に。
軍人たちは、一斉に深く頷き、敬礼を返した。
彼女は軍事の専門家ではない。だが、国家が生き残るために「何を切り捨てるべきか」を直感的に理解し、決断できる、本物の『戦時指導者』へと変貌を遂げていたのだ。
「デフコン(防衛準備態勢)レベルの引き上げに伴う、非常措置の確認を」
統合参謀議長が、重々しく告げる。
「戦略爆撃機、原子力潜水艦、及び大陸間弾道ミサイル(核戦力)は、直接サイボーグの歩兵部隊に対して使用するものではありませんが。……ロシア本体に対する『絶対的な抑止力』として、即時発射可能な待機状態へと移行させます」
「……核保有国が、たった数百の『人間サイズの敵』に脅かされ、首都の放棄まで議論しなければならない時代が来るとはな」
国防長官が、誰にともなく、苦く、絶望的な言葉を吐き捨てた。
***
「……これは制裁などという生易しいものではありません。……アメリカ経済の、いや、世界経済の供給網に対する、【戦略爆撃(自爆攻撃)】です」
別の会議室では、財務長官、商務長官、エネルギー長官、そしてFRB(連邦準備制度理事会)のトップたちが集結し、キャサリンが発動した【対中制裁・経済総力戦】の恐るべきダメージ計算(被害報告)を行っていた。
モニターには、目を覆いたくなるような絶望的な数字が並んでいる。
ニューヨーク市場の株価の歴史的な大暴落。西海岸と東海岸の港湾物流の完全な機能停止(麻痺)。半導体、医療機器、精密電子部品の致命的な不足。バッテリー素材となるレアアースの枯渇による、原材料価格の天文学的な高騰。
そして何より、中国市場とのデカップリング(切り離し)と、関連企業への二次制裁によって予測される、数百万から数千万人規模の【失業者の急増予測】。
「大統領。すべての産業を救うことは、物理的にも財政的にも不可能です」
商務長官が、悲鳴を上げるように言った。
「我々は、今すぐ国家として『何を守り、何を捨てるか』の優先順位をつけなければなりません。……このままでは、兵士が戦う前に、アメリカの市民社会が内側から餓死します」
「……分かっているわ」
キャサリンは、目の下に濃い隈を作りながら、冷酷な【選別】の指示を下した。
「軍需産業、半導体、通信インフラ、首都機能、そして電力網。これらを【最優先】で保護し、連邦政府の補助金と資源を全振りしなさい。……家電、一般消費財、嗜好品などの民需産業は、すべて後回し(切り捨て)で構わない」
「一部の州では、大規模な失業と企業の連鎖倒産が不可避になりますが……!」
「市場を救うな。国家を救え」
キャサリンは、財務長官の抗議を、一言で氷のように冷たく遮った。
「知ってるわ。経済は深く傷つく。無数の国民が職を失い、私を恨むでしょうね。……だが、ワシントンが陥落してアメリカという国家そのものが消滅するよりは、遥かに『軽い』傷よ」
キャサリンは、一切の感情を交えずに、戦時大統領としての冷酷な論理を突きつけた。
「国家という首(心臓)を守るために、指を何本か切り落とすことはある。……数字(失業率やGDP)は、後でいくらでも埋めればいいわ。……国が、残っていればの話だけどね」
一同は、完全に沈黙した。
大統領の口から、もはや平時の「雇用を守る」という綺麗事は完全に消え失せていた。
戦時生産法(DPA)の発動。連邦政府による物資の優先割当権の行使。中国への金融制裁と、ドル決済圏からの完全な遮断。第三国を経由した迂回ルートの物理的な海上封鎖(差し止め)。
ホワイトハウスは、もはや政治の舞台ではなく、国家を一つの巨大な【生存装置(戦時経済の司令塔)】として回すための、冷酷な計算機へと変貌していた。
***
「……ケンドール博士。ロシアの技術的限界(アキレス腱)について、再度確認を」
また別の会議室。
今度は、CIA、国防総省の特殊作戦軍(SOCOM)、そしてアルファとケンドール博士が集まり、表には絶対に出せない【ロシア無力化・秘密工作会議】が開かれていた。
いかにして、ロシアのサイボーグ量産を、物理的に、そして非合法に止めるか。
「……はい」
ケンドール博士は、すっかり意気消沈した様子で、しかし科学者としての正確な分析を述べた。
「ロシアの技術は、質的には間違いなく人類を凌駕する絶対的な脅威です。……しかし、すでにアルファ司令官が指摘した通り、彼らは『無尽蔵』ではない」
ケンドールは、ホログラムでモロゾフ大佐のサイボーグ脚の構造図を展開した。
「100名分程度なら、発掘時に付随していた初期資源で短期的に最適化(量産)が可能でしょう。しかし、その先の大隊規模の生産ラインを維持するためには、高純度のチタン合金や、特定のレアメタル、そして特殊な精製プラントが不可欠です。……資源の調達ルートと、製造(最適化)の工程そのものを断ち切れば、彼らの量産は物理的に『止まる(詰む)』はずです」
そのケンドールの言葉を受け、アルファが、極めて冷徹で、血も涙もない【破壊工作】の提案を行った。
「……まともに、ロシアのサイボーグ軍(完成品)と正面から撃ち合って倒す必要はありません」
アルファは、円卓の将官たちを冷たい目で見回した。
「我々がやるべきは、供給の鎖を物理的に断ち切ることだ。……兵(完成品)を殺すな。それを生み出す【炉(工場と資源)】を殺すんだ」
アルファの提案は、アメリカの裏の力を総動員した、極めて暴力的なものだった。
「ロシア国内のレアメタル鉱山、精製プラント、輸送用の鉄道路線、そして最適化に関わる研究者(人員)。……それらすべてを標的とする。必要ならば、CIAの工作員と特殊部隊を使って、破壊工作(爆破)、情報戦によるシステムの攪乱、経済封鎖、偽装事故、そしてロシア国内の反体制派を扇動した内戦の誘発まで、ありとあらゆる非合法手段を投入する」
軍人たちすら、そのあまりにも冷たく、倫理を完全に無視したアルファの『国家転覆計画』に、一瞬背筋を凍らせた。
だが、今はそれ(裏の戦争)が必要不可欠なのだと、全員が痛いほど理解していた。
「問題は、すでに完成しつつある初期の『百人(歩く戦車)』の投入先だ」
アルファは、ウクライナの戦況図を指差した。
「もし彼らが、実戦テストを兼ねて、サイボーグ兵をウクライナの東部戦線に投入した場合。……防衛線は一瞬で突破され、後方攪乱、そしてキーウの首都への奇襲によって、戦線は数日で完全に崩壊する」
「……それを防ぐために、ウクライナ軍への『対サイボーグ戦術』の緊急支援を検討しています」
国防総省の幹部が、苦渋の顔で答える。
「電磁パルス(EMP)兵器の大量供与。サイボーグの装甲を貫通し得る大口径の対物ライフル、対戦車地雷原の敷設、自爆型ドローン群による飽和攻撃、そして電子戦による通信の遮断。……我々の特殊部隊も非公式に連携させます」
だが、幹部の顔には自信はなかった。
「しかし……相手は、人類の常識が全く通用しない『未知の敵』です。これらの通常兵器と戦術が、彼らの最適化された装甲と反応速度に、どこまで通用するか……完全に未知数です」
誰もが、「間に合うのか」という、焦燥と絶望を抱えていた。
***
一方、大西洋を挟んだ欧州(EU・NATO)との連携も、ギリギリの綱渡りで行われていた。
アメリカは、同盟国に対して「ロシアのサイボーグ兵のウクライナ投入の危機」と、「対中国への経済制裁強化」の情報を共有し、共同歩調を強く求めた。
一部の同盟国は、アメリカのあまりにも強硬な制裁(世界経済の道連れ)に怯み、経済悪化に青ざめていたが。
驚くべきことに、EU内部では、あの狂信的な【ヘルメス協会】の影響(サイボーグ化への宗教的嫌悪)が強く働き、思いのほか積極的に、ロシアのサイボーグ化を『悪魔の所業(文明の穢れ)』として非難し、アメリカの制裁網に同調する動きを見せていた。
追加の防空システムの供与、偵察衛星データの共有、機甲戦力の増援。欧州もまた、自らの聖域を守るために、狂ったように軍備を前線へと送り込み始めていた。
***
「……大統領が、気が狂ったぞ!」
「ロシアのサイボーグ兵だと? そんな作り話で、中国との戦争(経済封鎖)を始めて、アメリカの経済を殺すつもりか!」
アメリカ国内の秩序も、崩壊の一途を辿っていた。
中国制裁の発表と同時に、港湾の物流は完全に停滞し、ガソリンや電子部品、医療品に至るまで、「物不足」の予兆が全米を覆った。
株価の歴史的暴落にパニックを起こした一般市民たちは、スーパーマーケットに殺到して物資を買い占め、各地でデモや暴動の兆候が火を吹き始めている。SNSやテレビのニュースでは、「ドルが死ぬ」「ホワイトハウスの陰謀だ」という陰謀論と怒号が飛び交い、社会は完全に大混乱に陥っていた。
「FEMA(連邦緊急事態管理庁)および国土安全保障省の権限で、重要物資の優先配給統制を開始しろ」
キャサリンは、国内の混乱に対しても、一切の情けを容赦しなかった。
「各州の知事に、州兵の出動準備を命じなさい。……暴動や略奪は、徹底的に鎮圧する。港湾、鉄道、空港の優先使用命令を下し、発電所や通信、水道施設といった重要インフラの警備を最高レベルに引き上げなさい。……これは、国家緊急事態よ」
キャサリンは、近日のうちに予定されている『国民向け演説』の草稿に、自らペンで厳しい修正を入れていた。
内容は、「安心してください」といった平時の慰めの言葉ではない。
『国家は今、未曾有の危機にある』。
『国民には、耐え難い苦痛と協力を要求する』。
『買い占めや転売による市場の混乱は、国家への反逆とみなす。裏切りや迂回取引を行う者は、国賊として容赦なく裁く』。
この頃には、キャサリン大統領の語彙から、民主主義国家の指導者としての「平時の婉曲表現」は、完全に削ぎ落とされ、消滅していた。
***
日付が変わっても。朝になっても。
ホワイトハウスは、もはや眠ることを許されていなかった。
ほぼ連日連夜の徹夜。
同じ顔ぶれの閣僚と将官たちが、会議室から会議室へとゾンビのように移動し続け、絶え間なく降り注ぐ絶望的な情報を処理し続ける。
机の上には、冷めきったコーヒーのシミと、食べかけのサンドイッチ、そして機密扱いの制裁リストと防衛計画書の山が散乱している。補佐官の一人が、壁際の椅子で気絶したようにうたた寝をしているが、誰もそれを責める気力すらない。
「……大統領。十五分だけ、次の会議まで時間があります。少し、奥のソファでお休みを……」
側近の秘書官が、キャサリンの異常な顔色(死人のような蒼白さ)を見て、涙ぐみながら休息を促した。
「……いいえ」
だが、キャサリンは、ペンを握ったまま、血走った目で首を横に振った。
「いま私が眠って、目を閉じている十五分の間に。……ウクライナの戦線が崩壊して、この国が内側から壊れるかもしれないのよ」
キャサリンは、執務机に向かったまま、ほんの数分間だけ腕に額を乗せて仮眠をとる(気絶する)程度のことしか、自分に許さなかった。
そして、数分後に顔を上げた時。彼女の瞳は、徹夜続きで肉体が限界を超えているはずなのに、逆に神経のタガが完全に外れたような、異様なまでに冴え渡った『ガンギマリ』の光を放っていた。
側近たちは、その「怪物と戦うために、自らも怪物になりつつある」大統領の姿に、圧倒され、そして深い畏怖を抱いていた。
「……報告します」
ふと、執務室のドアが開き、アルファが静かに入室してきた。
彼もまた、連日の破壊工作の指揮と、欧州やヘルメス協会との裏の調整で、極度に疲弊し、頬がこけていた。だが、キャサリンの前では、決してその弱さ(余裕のなさ)を表面には出さず、完璧な冷徹さを保ち続けていた。
「中国経由の資源流通の遮断状況、およびロシア国内の精製プラントへのサボタージュの進捗。……そして、EU(ヘルメス協会)との裏の共同戦線の調整結果です」
アルファは、手元のタブレットをキャサリンに差し出した。
「……ご苦労様」
キャサリンは、その報告書を受け取り、血走った目でアルファを見上げた。
「……まだ、やれるわね? アルファ」
「はい、大統領」
アルファは、微かに口角を上げ、静かに頷いた。
かつては、人間的な情と冷酷な合理性で、水と油のように反発し合っていた二人の間に。
今や、この狂った世界で共に血まみれになって国家を生存させるための、極めて強烈で、そして異質な【共犯関係(戦友としての絆)】のようなものが、確かに産声を上げていた。
***
深夜のホワイトハウス。
会議と会議の合間の、ほんの一瞬だけの、短い静けさ。
執務室で一人きりになったキャサリンは、ペンを置き、分厚い防弾ガラスの窓の外……暗闇に沈むホワイトハウスの庭園と、遠くに見えるワシントン記念塔の灯りを、静かに見つめていた。
窓の外の景色は、いつもと変わらず静かだった。
しかし、彼女が背負っているこの建物の中では、今この瞬間も、無数の人間たちが血を吐くような思いで動き続けている。
机の上に山積みになった、中国制裁によって職を失う何百万という国民の悲鳴。
一度目は許し、二度目は許さないと、自らの手で冷酷に切り捨て、個人資産を凍結させた実業家や元高官たちの怨嗟の声。
反発し、大統領を独裁者と罵る議会とメディア。
そして……海の向こうで産声を上げた、ロシアの『歩く戦車(サイボーグ兵)』という絶望的な現実。
(……この国は、もう、元には戻らないかもしれないわね)
キャサリンは、これほどの強大な権力を、これほど暴力的に振るうことの『重み』に、魂が押し潰されそうになるのを感じていた。
自分が下した決断が、アメリカを、世界を、取り返しのつかない狂気の泥沼へと引きずり込んでいるのではないかという、終わりのない自問自答。
だが。それでも、やるしかないのだ。
彼女は、あの地下の会議室で、自ら『最後の一線を越える』と決断したのだから。
「大統領。……次の、国家存続性(COG)に関する会議のお時間です」
ドアの向こうから、側近の控えめな声が響いた。
「……ええ」
キャサリンは、窓ガラスに映る、酷く疲れ果て、しかし決して折れることのない『戦時指導者』としての自分の顔を見つめ返し。
小さく、しかし力強く頷いた。
「行きましょう」
キャサリンは、再び執務室のドアを開け、怒号と絶望が渦巻く、終わりのない『戦場』へと歩み出していった。
その夜、ホワイトハウスの窓の灯りは、一つも消えることはなかった。
中国への経済制裁によって、アメリカは世界経済を敵に回した。だが、ロシアのサイボーグ化と、それを支える中国の支援を許せば、それ以上の破滅(首都の陥落)が確実にやってくる。
キャサリン・ヘイズ大統領は、もはや平時の、支持率を気にする心優しい指導者ではなかった。
ホワイトハウスは徹夜で動き続け。
企業を制裁し、個人資産を凍結し、裏切り者を炙り出し、議会を敵に回し、首都防衛を再編し……アメリカという巨大な国家を、生き残るための『一つの無慈悲な生存装置』へと変えつつあった。
もはやこの国に、平時は存在しなかった。
国家は眠らず、そして国家を率いる女もまた、眠ることを許されなかった。
戦争は、まだ始まっていない。だが、ホワイトハウスはすでに、血みどろの最前線(戦場)だったのである。
最後までお付き合いいただき感謝します。
もし「続きが読みたい」と思われた方は、ページ下部よりブックマークと評価をお願いします。




