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第142話 クソ、本物かよ

 ニューメキシコ州、サンタ・ミラージュ。

 ジェイク・ミラーの家の玄関先に、重苦しい沈黙が落ちていた。


 網戸の向こう側に立っているのは、カーキ色の制服を着た地元の保安官、デイビスである。五十代の半ばに差し掛かる彼は、元軍警察上がりの頑固な男で、普段はスピード違反の切符切りや酔っ払いの喧嘩の仲裁といった退屈な仕事しかしていない。

 だが、今の彼の眼光は、まるで紛争地の検問所に立つ兵士のように鋭く、完全に『有事のモード』に入っていた。


「ジェイク。……昨夜、お前たちが機材を持って町外れの線路のほうへ向かっていたという話を、ダイナーの連中から聞いた」

 デイビスは、声を潜めて告げた。


「……」

 ジェイクの顔面から、一瞬にしてすべての血の気が引いた。


「嘘をつくなよ」

 デイビスは、玄関のドアの隙間からジェイクの目を真っ直ぐに見据えた。

「あそこは数十年使われてない廃線だ。にもかかわらず、脱線事故の現場のすぐ近くの岩陰に……新鮮なタイヤの跡が残っていた。お前の親父の乗ってる、あの古いピックアップトラックと全く同じトレッドパターンのな」


 ジェイクは、言い訳の言葉を完全に失った。


 その時。

「……ジェイク? 誰か来てるのか?」

 リビングの奥から、父親のいらだった声が聞こえてきた。「こんな朝早くから、何の騒ぎだ」


 ジェイクがパニックになりかけた瞬間、デイビス保安官は即座に機転を利かせた。


「おはようございます、ミラーさん」

 デイビスは、父親に向けて、いつもの愛想のいい地元の保安官の声を作った。

「昨夜の事故現場近くに、地元の若者のグループが肝試しに入り込んでいたという目撃情報がありましてね。ジェイクたちにも念のため確認に回っているところです」


「事故の確認? うちのバカ息子がそんなとこに行くわけないだろ」

 父親が、不審そうに顔を出す。


「ええ、もちろん。ただの形式的な確認です」

 デイビスは、少しだけ声を落とし、重々しく付け加えた。

「……公式には『危険な化学物質の流出事故』ということになっていますからね。万が一、空気に触れていたら大変です。お父さんは、念のためリビングの窓を閉めて、そのまま待機していてください」


「危険物質……?」

 父親の顔が強張る。


「ええ。公式には、そういうことになっています」

 デイビスは、『公式には』という言葉を強調し、含みを持たせた。


 父親は、得体の知れない事態の重さに気圧され、黙って頷いてリビングへ戻っていった。


 父親の姿が見えなくなったのを確認すると、デイビスは再び鋭い目になり、ジェイクの肩をガシッと掴んで小声で言った。


「……ガレージだな?」


 ジェイクの心臓が跳ね上がった。「どうして……」


「お前、昔から隠し事をする時、嘘が下手すぎるんだよ」

 デイビスは、ため息をついた。


 ***


 ジェイクの家のガレージの中は、まさにパニックのるつぼと化していた。


「終わった! 終わった! 完全に終わった!! 地元権力(ポリ公)が来た!!」

 トビーが、頭を抱えて廃タイヤの周りをグルグルと回り回る。


「黙ってトビー! 外に聞こえるでしょ!」

 ミアが、青ざめた顔でトビーを蹴り飛ばす。


「やっぱり、俺たちから通報するべきだったんだよ! 隠してるのがバレたら共犯者だぞ!」

 サムが、床に這いつくばって泣き言を言う。


「今さら言っても遅いわよ!」

 リリーが、震える手でスマートフォンの画面を握りしめる。


 その混乱の中。

 ブルーシートを被った逃走個体――リオは、一番奥の薄暗い壁際に立ち、微動だにせず、外から近づいてくる『足音』の主を分析していた。


「……成人個体。武装あり。……地域権限保持者ローカル・オーソリティ

 リオは、低い声で淡々と分類する。


「何でそんな分析が早いのよ」

 ミアが、恐怖と呆れが混じった声で突っ込む。


 ガチャリ。

 ガレージの裏口の扉が、ゆっくりと開かれた。


 デイビス保安官が、ジェイクを伴って中へ入ってくる。

 彼は、ミアたち四人が青ざめた顔で固まっているのを見て、「やはりな」という顔をした。


「お前ら、こんな非常時に何を集まって……」


 デイビスが言いかけた、その時。


 一番奥の暗がりから。

 金色の縦長の瞳が、デイビスを真っ直ぐに見据えた。


 ピタリと。

 デイビスの動きが、完璧に凍りついた。


 十秒近い、完全な沈黙がガレージを支配する。


 デイビスの右手が、無意識に腰のホルスターの拳銃グロックへと伸びかけた。

 だが、彼はその銃を抜かなかった。

 リオもまた、攻撃の意思を見せず、ただ静かにデイビスの目を見つめ返していた。


 やがて。

 デイビスは、ホルスターから手を離し、帽子を脱いで、絞り出すように言った。


「……クソ」

 デイビスは、深く、深い深呼吸をして、天を仰いだ。


「……本物かよ」


「だから、俺が言った通りじゃないですか」

 トビーが、空気を読まずに得意げに言う。


「トビー。今それ以上喋ったら、俺はお前をあの黒服どもの前に放り出すぞ」

 デイビスは、凄まじい眼力でトビーを黙らせた。


 ***


 デイビスは、混乱する頭を強引に切り替え、軍隊時代に培った現場のクライシスマネジメント・モードへと入った。


「全員、座れ」

 デイビスは、子供たちに床に座るよう指示した。

「……そいつもだ。いや、そいつの体型に、人間の椅子は合うのか?」


 リオは、デイビスの言葉に少しだけ首を傾げ、音もなくコンクリートの床にしゃがみ込んだ。


「よし。まず確認だ」

 デイビスは、指を折って数える。

「誰か怪我は? 噛まれた奴は? 変な緑色の液体に直接触った奴はいるか? 熱、吐き気、幻覚、皮膚の変色などの異常は?」


「……保安官、SF映画じゃないんですから。ゾンビみたいに感染なんかしてませんよ」

 サムが、弱々しく突っ込む。


「映画なら、俺は今すぐ回れ右して家に帰ってビール飲んで寝てる」

 デイビスは真顔で返した。「いいから早く答えろ」


「みんな無事です。怪我もありません」

 ミアが、冷静に代表して答えた。


「よし。じゃあ、状況を簡潔に説明しろ。何から何まで、全部だ」


 ミアは、深呼吸をして、昨夜からの出来事を手短に、しかし正確に伝えた。

 自主映画を撮っていたこと。軍用列車が通り、脱線事故が起きたこと。ポッドを見たこと。動画を撮って逃げたこと。

 その動画が、誰か(おそらくCicada 3301)によって不正アクセスされ、勝手に世界中に流出してしまったこと。

 そして、この逃走個体――リオが、ジェイクの家のガレージに逃げ込み、英語を覚え始めたこと。


 デイビスは、ミアの説明を聞きながら、何度も頭を抱え、こめかみを強く揉んだ。


「……待て。少しストップだ」

 デイビスは、もう限界だというように手を挙げる。

「一つずつ言え。……いや、やっぱり全部聞きたくない。なんでお前ら、たった一晩でそんな国家反逆レベルのトラブルのフルコースみたいなものを全部引き当ててるんだよ」


 デイビスは、深くため息をつき、そして、静かに座っているリオの方へと向き直った。


「……お前は、俺の言葉が分かるのか?」


「ある程度」

 リオは、掠れた、しかし明確な英語で答えた。


「数時間で英語を覚えたって聞いたが?」


「音声、文字、対応規則、映像記録。……基本構造の学習には、それで十分だった」

 リオは淡々と答える。


「……うちの町の高校の英語教師が聞いたら、泣いて辞表を出すぞ」

 デイビスがぼやく。


「教師個体の『涙』は、言語学習の効率に関係するのか?」

 リオが、真剣な顔で首を傾げる。


「……冗談だ」


「理解した。冗談ジョーク。……集団内の『社会的緊張緩和』を目的とした、非論理的な発話形式」


 デイビスは、再び頭を抱えた。

「……こいつ、絶対に俺より頭が良いな」


「人類の代表として、完全に負けてますね」

 トビーが突っ込む。


「お前は黙れ」

 デイビスは、トビーの頭を軽く小突いた。


 ***


 デイビスは、表情を引き締め、リオを真っ直ぐに見据えた。

「……お前は、この町の人間おれたちに、危害を加えるつもりがあるか?」


「ない」

 リオは、即答した。


「嘘をついている可能性は?」


「私の発話が虚偽(嘘)である可能性は、現在の君たちの観測技術では検証不能だ」

 リオは、極めて論理的に事実を述べた。


 全員が、沈黙した。


「……正直すぎて、逆に困るな」

 デイビスが苦笑する。


「だが、今の私に、この集落を害する物理的な能力は極めて限定的だ」

 リオは、自分の鱗の腕を見つめて言った。

「未完了。環境適応が不完全。記憶の欠損。……そして、追跡されるリスクがある」


「未完了ってのは?」

 デイビスが問う。


「目覚める手順が、事故によって強制的に中断された」

 リオは、金色の瞳を細める。「役割、記憶の完全な解凍、身体の最終調整が、終わっていない」


「……役割?」

 デイビスが、その単語に引っかかる。


 リオは、少しだけ沈黙し、そして首を横に振った。

「……まだ、言語化しない方がよい情報だ」


「言語化しない方がいいようなヤバいことを、俺の管轄の町でやるな」

 デイビスは、忌々しげに吐き捨てた。


 ジェイクが、すがるような目でデイビスを見た。

「……保安官。俺たち、どうしたらいいんですか?」


 デイビスは、即答できなかった。

「俺に聞かれてもなぁ……」


 彼は帽子を脱ぎ、ガレージの油まみれの作業台の上に置いた。

「いいか。俺はただの、田舎町の保安官だ。交通違反の切符を切り、酔っ払いの喧嘩を仲裁し、牧場の牛が逃げたのを手伝う。たまにドラッグの密売人を捕まえる。……そういうのが、俺の仕事だ」

 デイビスは、深くため息をついた。

「ワシントンの連邦機関の人間でもなきゃ、宇宙人の専門家でもない。

 『自分の町のガレージにレプティリアンが隠れている時のマニュアル』なんざ、保安官学校アカデミーのどこを探しても書いてないんだよ」


「レプティリアンって言った!」

 トビーが嬉しそうに指摘する。


「仮称だ、仮称。便宜上な」

 デイビスが顔をしかめる。


「君たちは、私をそう呼ぶ傾向が極めて高いな」

 リオが、不思議そうに呟く。


「本人まで、その名前を受け入れ始めないで!」

 ミアが悲鳴を上げた。


 ***


 デイビスは、しばらく腕を組んで考え込み、そして、決意を固めたように子供たちを見回した。


「……いいか。これは、お前たちと俺だけの『秘密』だ」

 デイビスの言葉に、子供たちは一瞬、ホッとした表情を浮かべた。

「今すぐ、連邦の黒服どもに通報したりはしない」


「本当ですか!?」

 ジェイクが身を乗り出す。


「だが、勘違いするなよ」

 デイビスは、極めて厳しい声で釘を刺した。

「俺は、映画に出てくるような無敵の正義のヒーローじゃない。俺一人で、あの最新装備の黒いSUVの連中に、真正面から撃ち合いで突っ込むような自殺行為バカなまねは絶対にしない。

 ……俺が消されたら、次はお前らだからな」


 ガレージの空気が、再び重く、冷たくなる。


「消されるって……」

 サムが震える。


「俺が、アイツらを人殺しの悪党だと決めてかかっているわけじゃない」

 デイビスは、現実的な大人の視点で語る。

「だが、あの手のアノニマスな連中は、『そういう物語(国のために目撃者を消した)』に見えるような状況を作った時点で、俺たちの負けなんだ。

 今の世界には、Cicada 3301がいる。あいつらは、政府が一番見られたくない最悪の編集で、映像を世界にばら撒く。政府の部隊は、それを恐れて、さらに強硬な隠蔽手段に出る……。最悪の悪循環だ」


「だから……黒服にも、Cicadaにも、渡さない?」

 リリーが、情報管理の観点から問う。


「そうだ」

 デイビスは頷いた。「少なくとも、今すぐにはな」


 デイビスは、ガレージの壁に立てかけられていた古い段ボールを引っ張り出し、油性マーカーで大きく『選択肢』を書き出した。


「いいか、状況を整理するぞ。今の俺たちに取れる行動は限られている」


『選択肢A:黒服に引き渡す』

「メリット:町の封鎖解除が早まるかもしれない。こいつ(リオ)の追跡が止まり、お前たちへの危険が減る。

 デメリット:こいつがどう扱われるか分からない。旧軍の亡霊みたいな部隊なら、解剖、封印、あるいは再実験もあり得る。そして、お前たちも『世界の真実を知る証拠』として、一生国家の監視下に置かれるか、最悪の場合拘束される。

 ……現時点では、この選択肢は却下だ。相手の『所属(指揮系統)』が分からなすぎる」


『選択肢B:セレスティアル・ウォッチに直接連絡する』

「メリット:アーティファクトの専門機関として、まともに管理できる可能性が一番高い。ヘイズ大統領系の直轄なら、あんな黒服よりも人道的な対応が期待できる。

 デメリット:連絡先が分からない。外にいる黒服がセレスティアル系なのか旧軍系なのかも判別不能。下手に動けば、途中で情報を横取りされる。

 ……これが一番マシな着地点だが、俺の電話帳に“宇宙秘密機関”の番号は入ってない」


『選択肢C:メディアに顔と名前を出して暴露する』

「メリット:世界中に知られることで、逆に口封じされにくくなる。

 デメリット:町が完全に終わる。狂信者、カルト、武装民兵が押し寄せる。こいつの安全は消え、お前たちの『普通の人生』も完全に終わる。

 ……これは、本当に殺されそうになった時の『最後の切り札(自爆スイッチ)』だ。最初の手じゃない」


『選択肢D:Cicada 3301に頼る』


「なし!!」

 高校生四人が、一斉に拒絶した。


「蝉は、情報を保護しない。……ただ周囲を燃焼させるだけだ」

 リオも、冷徹に言い切る。


「……今の一言、うちの町の標語ポスターにしたいな」

 デイビスが苦笑する。


『選択肢E:一時的に隠し、信頼できるルートを探す』

「結論だ。……こいつを短時間ここに隠し、俺が保安官として外の捜索状況と黒服の動きを探る。

 リリーはネットの状況を監視。ミアは町の封鎖情報を整理。トビーは絶対にSNSに余計な投稿をするな。サムはパニックを起こして泣き叫ぶな。ジェイクはこいつのそばにいろ」

 デイビスは、マーカーを置いた。

「……これが一番マシだ。マシなだけで、綱渡りのクソみたいな選択肢だがな」


 ***


 その時。

 ずっと静かに話を聞いていたリオが、ゆっくりと口を開いた。


「……最終手段は、私が自ら、政府の部隊へと戻ることだ」


 全員の視線が、リオに集中した。


「だめだ!」

 ジェイクが、即座に叫んだ。


「私『一体』の移動で、君たち群れの危険が排除されるのであれば、それは極めて合理的な選択だ」

 リオは、一切の感情を交えずに、ただの計算結果として告げた。


「でも、あなたが向こうでどう扱われるか分からないじゃない!」

 ミアが、心配そうに反論する。


「それは、私が気にするべき重要事項ではない」


「重要だよ!」

 ジェイクは、リオの前に立ち塞がるようにして言った。


 リオは、金色の瞳でジェイクを見つめた。

「……なぜ?」


 ジェイクは、一瞬だけ言葉に詰まった。

 なぜ、出会ったばかりの、世界の理を壊すようなエイリアンを、自分がここまで必死に守ろうとしているのか。


「……水を、渡したから」

 ジェイクは、絞り出すように答えた。


 全員が、黙った。


「あの時。僕は君を、ただの荷物とか、政府の証拠品だと思わなかった」

 ジェイクは、昨夜の暗闇の中で見た、怯えた目を思い出して言った。

「君は、迷子みたいに震えて、僕の水を飲んだ。

 ……だから、今さら『自分のことは重要じゃない』なんて、言わないでくれ」


 リオは、少しの間、沈黙した。


「……理解困難」

 やがて、リオは小さく首を傾げた。「だが……その情報処理のパターンは、記録セーブしておく」


 デイビスは、そのジェイクの真っ直ぐな言葉を聞いて、フッと小さく笑った。

「……いいぞ、ジェイク。

 馬鹿だが、とても『いい馬鹿』だ」


 ***


 デイビスは、腰の無線機を取り出し、署の周波数を合わせた。

「デイビスだ。町の巡回状況を報告しろ。黒いSUVの部隊は、今どこまで来てる? 住宅街の聞き込みは始まったか?」


『……保安官。黒服の部隊は、事故現場周辺から町の中へと捜索範囲を広げています』

 副保安官の切羽詰まった声が返ってくる。

『公式には“危険物質に触れた可能性のある住民の健康確認”と言っていますが、実際には昨夜外出していた若者を血眼になって探しているようです。

 町の出口は全封鎖。メディアと陰謀論者が封鎖線の外に集まり始めていて、州警察も対応に戸惑っています。……連邦部隊の指揮系統が、全く不明なんです』


 デイビスは、忌々しげに舌打ちをした。

「指揮系統不明、ってのが一番嫌いだ」


「どういう意味ですか?」

 ミアが問う。


「誰が責任者トップか分からない組織は。……責任を取らずに、平気で人を消すからだ」

 デイビスの言葉に、ガレージの空気が一層重くなる。


 デイビスは、子供たちを厳しい目で睨みつけた。

「いいか、ここからは映画や遊びじゃない。絶対にルールを守れ。

 誰にも投稿しない。誰にも電話で話さない。親にも余計なことを言わない。

 こいつ(リオ)を一人にしない。こいつの映像をこれ以上撮らない。外の黒服と絶対に接触しない。

 ……そして、俺が戻らなければ、メディアに出る準備をしろ。

 最悪の時だけ、『オリジナルの高画質動画』を、世界へ向けて出すんだ」


「オリジナル動画、まだあります」

 リリーが、スマホを握りしめて言う。「クラウドに流出したのは、圧縮された画質の荒いデータです。完全なデータは、ジェイクのカメラの中だけです」


「それが、お前たちの最大の『保険(命綱)』になる」

 デイビスは、低く言った。「と同時に、お前たちの首を絞める最大の『首輪』にもなる。……扱いを間違えるなよ」


 リオが、そのデイビスの的確な指示を聞いて、静かに言った。


「あなたは、この集落の『防衛個体』として、極めて合理的だ」


「……褒められてるのか、それ」

 デイビスが顔をしかめる。


「おそらく」


「保安官、ついにレプティリアンに認められましたよ!」

 トビーが嬉しそうに言う。


「だからお前は黙れって言ってるだろ」


「あなたは、私をすぐに引き渡すこともしない。……だが、私を完全に信頼することもしない」

 リオの金色の瞳が、デイビスを見透かす。

「……適切コレクトだ」


「そりゃどうも」

 デイビスは、鼻で嗤った。「俺も、お前が本当に無害なのか信じたいところだが……この町の安全と子供たちの命を賭けてまで、丸ごとお前を信じ切るほど、お人好しじゃないんでな」


「それでよい」

 リオは、微かに頷いた。


 この会話によって、リオが単なる感情的な存在ではなく、『大人の不信感と合理性』を正確に理解し、評価できる高度な知性体であることが証明された。


 ***


 終盤。

 その緊迫した均衡を破るように、外の通りから、ゆっくりとタイヤが砂利を踏む音が聞こえてきた。


 黒いSUVが、ジェイクの家の前をゆっくりと通り過ぎようとしている。

 全員が息を止め、微動だにしない。


 SUVは、一度通り過ぎかけた。

 しかし……角のところで、ブレーキランプを点灯させてピタリと止まった。


 黒服の男が二人、車から降りてくる。

 一人は、手に特殊な形状の端末を持っている。何らかの残響スキャンか、電磁波の痕跡を追っているのだ。


 リオが、極めて低く、警告音のような声を出した。

「……近い。ポッドの残響シグナルを、正確に追っている」


「どれくらいでここに来る?」

 デイビスが問う。


「早い」


「クソッ」

 デイビスが悪態をついた、まさにその瞬間だった。


「……保安官? 外の黒い車の連中、うちに何か用があるのか?」

 リビングから、ジェイクの父親の不審そうな声が、玄関に向かって響いた。


「俺が出る」

 デイビスは、即座に決断した。

「お前らは、リオを奥へ隠せ! 地下室は!?」


「ないよ!」

 ジェイクが慌てて答える。


「アメリカの田舎の一軒家のくせに、なんで地下室がないんだよ!」


「砂地だから掘れないんだよ!」


「奥の工具倉庫なら隠せます!」

 ミアが、機転を利かせて奥の扉を指差す。


 子供たちはリオを工具倉庫に押し込み、ブルーシートや段ボールで必死にカモフラージュする。

 デイビスは、帽子を深く被り直し、玄関へと向かった。


 玄関のドアを開けると、ポーチの前に、無表情な黒服の責任者が立っていた。


「保安官デイビスですね」

 黒服の男は、身分証も出さずに冷酷に告げた。

「この家に、昨夜の事故現場付近にいた可能性のある『未成年者』がいると聞いています」


「この町の未成年者は、ほぼ全員が昨夜から一歩も外に出てないことになってるぞ」

 デイビスは、玄関の前に立ち塞がり、余裕の笑みを浮かべて返した。

「どこの親も、化学物質の事故と聞いてビビって震えてるんでな」


「確認が必要です。中へ入らせてもらいます」

 黒服が一歩、前へ出る。


「令状は?」

 デイビスは、一歩も退かなかった。


「国家安全保障上の、緊急事態です。令状は事後処理します」


「悪いが、俺の管轄するこの町では……緊急事態だろうが大統領の親戚だろうが、他人の家の玄関を跨ぐには、法的な理由ルールがいるんだよ」

 デイビスは、腰の拳銃にそっと手を添え、強烈な殺気を込めて黒服を睨み返した。


 極度の緊張が、玄関先に走る。


 その時。

 黒服の男の耳元のインカムから、微かな通信音が漏れた。

『……別地点で、微弱な残響反応あり。北側の区画へ移動せよ』


 黒服の男は、舌打ちをするように目を細め、一旦引き下がる姿勢を見せた。

 だが、去り際にデイビスを振り返り、氷のように冷たい声で警告した。


「……保安官。

 この町で、我々の目から『何かを隠し通せる』と……決して思わないことです」


 デイビスは、鼻で嗤って返した。


「そっちこそ。

 ……この町で、地元の子供に手を出して、無事に済むと思うなよ」


 ***


 黒服たちが去り、デイビスがガレージへ戻ってきた時。

 子供たちは全員、恐怖で完全に硬直していた。


「……時間を稼いだだけだ」

 デイビスは、額の汗を拭いながら重々しく言った。「長くは持たんぞ」


「同意」

 工具倉庫から出てきたリオが、短く答える。


「次はどうするんですか?」

 ミアが、切実な声で問う。


「本物の『セレスティアル・ウォッチ』のラインに繋ぐ」

 デイビスは、決意を固めて言った。

「旧軍の亡霊みたいな黒服でもない。……ヘイズ大統領の直轄に近い、まともな連邦の危機管理ルートだ」


「どうやって?」

 リリーが驚く。


「田舎の保安官にも、古い知り合いの一人くらいはいるんだよ」

 デイビスは、ポケットから古い携帯電話――スマホではなく、長年使っていない緊急連絡用のガラケーを取り出した。

「昔、俺が州警察にいた頃の元上司が、今は連邦の危機管理部門でそれなりの地位にいる。

 ……あいつが、今の狂った政府の中で信用できる相手かどうかは分からん。だが、あの黒服どもよりは、百万倍マシだ」


「不確定要素だ」

 リオが、リスクを計算して指摘する。


「人生ってのは、だいたい不確定要素でできてるんだよ」

 デイビスは、不敵に笑って、番号を押した。


「頼む……。まだ心臓発作で死なずに、生きててくれよ、マクナリー」


 数回の長いコール音。

 やがて、相手が出た。


「……俺だ。サンタ・ミラージュのデイビスだ」

 デイビスは、低く、しかし絶対に切らせない声で言った。

「昔の貸しを、今すぐ返してもらうぞ。

 俺の町で、連邦の指揮系統不明の黒い部隊が、何の説明もなく地元の子供を追い回している」


 相手が、何かを答える。


「それと……これは、信じなくていいが」

 デイビスは、ガレージの奥で黄金の瞳を光らせているリオを見つめて、言った。


「たぶん……今世界中がネットで“レプティリアン”って呼んで大騒ぎしてるやつが。

 ……今、俺の目の前にいる」


 受話器の向こう側が、完全に沈黙した。


「……クソみたいな冗談なら、どんなに良かったかと思うんだがな」


 保安官デイビスは、その日、五十年の人生で初めて。

 自らの経験と職務規程マニュアルが、完全に役に立たない絶望的な状況へと放り込まれた。


 ガレージには、世界中がレプティリアンと呼び始めた未知の存在。

 その周囲には、昨夜までただのB級映画を撮って喜んでいた高校生たち。

 町の外には、狂気に満ちたメディアと陰謀論者の群れ。

 そして町の中には、子供たちを消そうとする指揮系統不明の黒い部隊。


 正解など、どこにもなかった。

 政府の黒服に渡せば、町は安全になるかもしれない。だが、子供たちの人生は闇に消える。

 メディアに出れば、世界が彼らを守ってくれるかもしれない。だが、町ごと狂気の祭りに飲み込まれ、破滅する。

 Cicadaに頼れば、真実は世界に広がるかもしれない。だが、それは火薬庫に直接火を投げ込むだけのテロ行為だ。


 だから。

 デイビスは、田舎町の保安官として、最も単純で、最も泥臭いことを選んだ。


 まず、この町の子供たちを守る。

 そして、ガレージの暗闇で静かに息を潜めている、あの『迷子』のような未知の存在を……決して、ただの化物として政府に差し出しはしない。


 それが、世界の危機管理上、正しいことなのかどうかは分からない。

 だが少なくとも、彼はその夜。

 自分の守る町で、理不尽な理由で子供が消されるような結末だけは、絶対に許さないと決めていたのである。



最後までお付き合いいただき感謝します。


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― 新着の感想 ―
80年代ハリウッド映画ぁ〜、
やっぱり保安官はヒーローですよね。
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