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第113話 仙人会議と、混元一気宝珠

 中国、北京。

 中南海の地下深部に位置する、通常の軍事防衛室や危機管理センターとは完全に切り離された『奥の間』。


 この部屋には、現代の電子機器や大画面モニターが並ぶ一方で、ぎょくで設えられた巨大な円卓が中央に鎮座し、部屋の四隅には気を整えるための香炉が静かに煙を上げ、壁面には古代の文字が刻まれた重厚な屏風が立て巡らされていた。

 さらには、部屋全体を包み込むように不可視の【仙術の結界】が張られており、天井の巨大な投影機からは、現代の世界地図と古代の星図が複雑に重なり合った三次元のホログラムが展開されている。


 近代国家の最高中枢と、古代の神仙思想が完全に融合した、極めて異質な空間。

 ここに、中国の現指導部であり、全員がすでに『仙人化』という人智を超えた変異を遂げている四十六人の男たちが集結していた。


 彼らの視線は、現在、円卓の上のホログラムで繰り返し再生されている【極東の島国での事象】に釘付けになっていた。


 黒く染まりゆく東京スカイツリー。

 空を海のように歪ませて出現した、巨大な黒鯨。

 そして――天空から唐突に降り注いだ、一億の【光の柱】。

 光の乱舞が黒鯨の巨体を無慈悲に空間ごと斬り刻み、怪物が消滅した後、スカイツリーは再び元の白い姿を取り戻し、東京には何事もなかったかのように青空が広がった。


「……あり得ん」

 軍出身の仙人幹部が、まるで信じられない悪夢を見たかのように、低く呻いた。

「あの出力なら、都市一つを消し飛ばすどころではない……。なぜ、東京の街が丸ごと残っているのだ?」


「熱でも、爆発でもないからです」

 科学技術系の仙人が、手元の解析端末から目を離さずに答えた。

「あの光は、対象(黒鯨)だけを完全に選んで、空間から消去しています。……アメリカのセレスティアル・ウォッチも、恐らくこれを『概念兵器』の類と推定して、パニックに陥っているはずです」


 李天明リー・ティエンミン国家主席は、円卓の最上座で両手を強く組み、重く、沈んだ声で言った。

「……日本は、また隠していたか」


 万象器の騒動の際、「所有しない」と理知的な判断を下し、世界から賞賛されたあの国が。

 その裏では、自国の首都を脅かす怪物を一瞬で消し去るほどの、絶対的な破壊の光を隠し持っていたのだ。


「欺瞞だ。連中は、我々を出し抜く機会をずっと窺っていたに違いない」

 国家安全系の仙人が、ギリッと奥歯を噛み鳴らす。


 だが。

 この部屋の彼らは、単なる「兵器の威力を恐れる政治家」ではない。

 彼ら自身もまた、人間の限界を超えた『仙人』である。

 その変異によって、彼らはかつての人間の時には見えなかった「気配」や「格」、あるいは世界を巡るエネルギーの【本質】を、ある程度読み取る能力を獲得していた。


「……あの光は、科学の兵器ではない」

 一人の長老格の仙人が、目を閉じ、ホログラムから放射される目に見えない波長を感じ取るように言った。

「あれは……神話のものだ。我々の言葉で言えば……【宝貝パオペイ】に、極めて近い」


 宝貝。

 神仙が操る、天地の理そのものを捻じ曲げる奇跡の道具。


 その言葉が出た瞬間、部屋の空気が、さらに一段階重く、張り詰めたものへと変わった。


「日ノ本が、神話の宝貝を持っていると……?」

 軍系の仙人が、焦燥感を隠せずに立ち上がりかけた、その時だった。


 スゥッ……。

 部屋の四隅に置かれた香炉の煙が、突如として不自然に渦を巻き始めた。

 空調の風ではない。部屋を満たしていた『気』の流れが、急激に一点へと収束していく。


 そして。

 結界の中央、玉の円卓のすぐ傍らの虚空に。

 ゆったりとした道着を纏った、一人の仙人がふらりと姿を現した。


 相変わらず、どこか面倒くさそうで、昼寝を邪魔されたような顔つきだが。

 その眼光には、俗世の権力闘争など一顧だにしない、絶対的な上位者としての冷ややかな、そして少しだけ楽しげな光が宿っていた。


「……太乙たいいつ様」


 李天明国家主席を含む、中国指導部の四十六人の仙人たちが。

 一斉に席を立ち、深く、恭しく礼を取った。


 中国の背後に立つ上位存在、仙人・太乙。


 太乙は、恭しく頭を下げる国家指導部たちには目もくれず、円卓の上に投影されている『東京の光の柱』の映像を見て、軽く鼻を鳴らした。


「……騒がしいと思えば、これか」

 太乙は、まるで近所の子供の喧嘩でも見るような口調で言った。

「日ノ本も、ようやく【古い物】を抜いたようだな」


 その言葉に、李天明がハッとして顔を上げる。

「太乙様。……あの光の柱の正体を、ご存じなのですか?」


 太乙は、面倒くさそうに頭を掻き、そして、さらりと言ってのけた。


「……あの国には、あの【剣】がある」


 会議室が、水を打ったように静まり返った。


「剣……でございますか?」

 李天明が、信じられないというように反復する。


「剣だ」

 太乙は頷いた。「ただし、お前たちが腰に下げるような、鉄の棒ではないぞ。神話兵器だな。この国風に言えば、【宝貝】と言った方が分かりやすかろう」


 科学技術系の仙人が、ゴクリと生唾を飲んだ。

「宝貝……」


「うむ」

 太乙は、ホログラムの光の柱を指差した。

「意味を斬る。境界を裂く。空を割る。怪物を怪物でなくす。……そういう類の、非常に面倒な代物だ」


 李天明の顔面から、スッと血の気が引いていく。

「……それほどの、世界を滅ぼしかねない宝貝を。……日本が、所有していると?」


 太乙は、その李天明の怯え(あるいは嫉妬)を見て、軽く笑った。

「日本が持っている、というより。……日本の【古いもの】が、必要な時に起きたのだ。

 人間どもが『持った、持たぬ』で騒ぐには、あれは少し……古すぎる」


 太乙の言葉は、日本の剣が、国家の兵器庫に仕舞えるような安易な代物ではなく、土地や神話と深く結びついた、人間の手に負えない災害に近いものであることを示唆していた。


 だが、指導部の仙人たちの頭には、すぐにアメリカと同じ「現実的な疑問」が浮上した。


「……あれほどの威力です」

 李天明が、神妙な顔つきで問う。

「何らかの【代償】は、必要だと思われます。使用者の命、寿命、土地の気、あるいは国家の運……そうしたものを消費して、あの光を放っているのでは?」


 彼らもまた、仙術の世界に足を踏み入れた者たちだ。

 だからこそ、強大な術や宝貝の行使には、必ずそれに相応する「因果の支払い(代償)」が伴うと信じていた。アメリカの合理的な疑いよりも、さらに一歩踏み込んだ、仙道としての当然の帰結である。


 だが。

 太乙は、その質問を聞いて、あっさりと、無慈悲に否定した。


「……代償?」

 太乙は、鼻で嗤った。

「ふん。代償など、矮小な人類が考えた都合の良い取引(概念)に過ぎん」


 場が、完全に凍りつく。


「あの剣に、代償などない」

 太乙は、冷酷な事実を突きつけた。

「強いて言えば、剣そのものが使用者の頭の中に囁くくらいだ。……『もっと使え』『もっと斬れ』『もっと遠くまで届くぞ』、とな」


「……それは、それで危険なのですが」

 李天明が、震える声で言う。


「だから、危険なのだ」

 太乙の目が、鋭く細められる。

「命を削る宝貝なら、命が尽きれば止まる。気を消耗する宝貝なら、気が枯れれば止まる。

 ……だが、あの剣は違う。振る者の【意志】が残る限り、刃は際限なく伸びようとする。人間の恐怖、怒り、正義、誇り。……そのどれもが、刃の餌になる」


 太乙は、イギリスの公認魔女と全く同じ、剣の真の恐ろしさを語った。


「ゆえに、あれを持つ者に必要なのは、力ではない。……【臆病さ】だ」

 太乙は、東京の空に消えていく光の柱の映像を見つめながら言った。

「斬れると知りながら、斬らぬことを選べる臆病さ。……日ノ本の役人どもは、その点では、なかなか悪くない」


 ここで、中国指導部の仙人たちは、日本政府への評価を少しだけ改めざるを得なかった。

 あれほどの破壊力を持ちながら、自国を巻き込まず、必要最低限の怪物の排除のみに留めた日本の「自制心」。それは、太乙が言うように、力に溺れぬための極限の『臆病さ(理性)』の賜物だったのだ。


 だが。

 それでも、彼らは一国の指導者である。

 自国に向けられたかもしれない圧倒的な脅威を前にして、ただ「日本は理性的だ」と安心しているわけにはいかなかった。


「……太乙様」

 国防系の仙人が、決意を固めて前に進み出た。

「日本がそのような宝貝を有するならば。……我が国にも、対抗する宝貝が必要です。国土と人民を守るためにも、我々に【攻撃的宝貝】を――」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに。

 太乙の目が、温度の一切ない、冷たい氷のような視線となって国防系の仙人を射抜いた。


「……お前たちに?」


 たった一言で。部屋の空気が完全に凍結し、四十六人の仙人たちが息を呑んだ。


「お前たちに、攻撃的な宝貝を渡すのは。……心配だ」


 李天明たちは、言葉を失った。


 太乙は、まるで駄々をこねる子供を諭すように、容赦なく彼らの『本性』を指摘した。

「仙人になったからといって、心まで完全に仙人になったわけではない。

 ……お前たちはまだ、国家の面子、軍の威信、党の優越、国境線、報復、威嚇。そういう人間のドロドロとした欲望を、捨てられておらん」


「それは……我々が国家を背負う者として……」

 国防系の仙人が反論しようとするが、太乙は聞く耳を持たない。


「そんな者に、攻撃宝貝を渡せば。……いずれ必ず、振る」

 太乙は、冷酷に断言した。

「振る理由など、後からいくらでも作るだろう。南の海、東の島、北の国境、遠い西の大陸。……人間という生き物は、宝貝(力)を持てば、必ずそれを試すための【敵】を探すものだ」


 李天明は、深く沈黙した。

 怒りたい。自国の指導部としてのプライドが傷つけられた。しかし……否定できなかった。もし自分が天を裂く剣を持っていれば、アメリカの軍事基地や、周辺国への威嚇のために、間違いなくそれを見せびらかし、あるいは使っていたかもしれない。


「……だから、攻撃的な宝貝は、やれん」

 太乙は、きっぱりと言い渡した。


 国防系の仙人は、明らかに落胆し、肩を落とした。

 これで日本とのアーティファクト格差が開いたままになる。国家の防衛戦略に、致命的な穴が空く。


 だが。

 太乙は、ゆっくりと自分の道着の袖の中に手を入れ。

 そこから、一つの【小さなたま】を取り出した。


 それは、淡い金色と青白い光を内側に宿した、ゴルフボールほどの大きさの宝珠だった。

 太乙がそれを取り出した瞬間、部屋の澱んでいた空気が一瞬にして澄み渡り、心地よい、生命力に溢れた『気』の波動が円卓を包み込んだ。


「……だが。これをやろう」


 太乙が、宝珠を円卓の中央へとコトリと置いた。

 部屋中の仙人たちが、その圧倒的な気配に息を呑み、魅入られたように宝珠を見つめる。


「これは……」

 李天明が、震える声で問う。


「【混元一気宝珠こんげんいっきほうじゅ】」

 太乙は、少しだけ懐かしそうな顔で言った。

「我が師が、かつて使っていた宝貝でな」


 伝説の仙人が使っていた宝貝。

 その言葉の重みに、指導部たちが身を乗り出す。


「混元とは、天地が分かれる前の一。一気とは、生命を巡らせる根源の気だ」

 太乙は、宝珠の機能を語り始めた。

「この珠は、生命の気そのものを、極限まで活性化させる。……己の肉体が本来持つ『治る力』を、物理法則の壁を越えて引き出すのだ。

 末期癌、臓腑の崩れ、骨髄の衰え、外傷、猛毒、老いによる機能低下。

 ……それらを、肉体がまだ“生きたい”と望む限り、完全に押し戻す」


 指導部仙人たちが、どよめいた。


「ま、末期癌も、癒やせるのですか……?」

 科学技術系の仙人が、信じられないというように問う。


「癒やせる」

 太乙は、短く肯定した。

「ただし、不死にするものではない。死んだ者を冥界から戻すものでもない。……生きている者の気を、強く巡らせるだけだ。本人の生命が完全に尽きていれば無理だ。

 だが……末期程度なら、まあ、大抵は元に戻る」


 李天明国家主席は、その効果の凄まじさに、言葉を失った。

「……それは……凄まじい宝貝です」


 これは、ある意味で兵器よりも恐ろしい力だ。インドの『ソーマの雫』が環境を癒やすものなら、こちらは直接『個人の命』を救う究極の治癒装置。


 だが、太乙は鼻で嗤った。

「攻撃宝貝を欲しがるより、こちらの方が、今のお前たちには向いておる。……しばらく、これで遊べ」


「遊べ、でございますか」

 李天明が、その軽い言い回しに怪訝な顔をする。


「これも【修行】だ」

 太乙の目が、初めて、指導部たちに対する『師』としての厳しい光を帯びた。

「人を斬る宝貝を扱う前に、人を癒やす宝貝を扱え。

 気を巡らせるとは何か。

 命を見るとは何か。

 ……民を救うとは、何か。

 それを、この珠で学べ」


 太乙は、宝珠の使用条件を淡々と説明した。


 一、仙人化した者しか扱えない。

 二、宝珠を患者の胸元、または額近くに置く。

 三、使用者が自分の気を宝珠へ通す。

 四、宝珠が患者の生命の気を増幅・整流し、病変部を再構築させる。

 五、患者本人の「生きたい」という気が弱いと効果が落ちる。

 六、……使用者側は、猛烈に疲労する。


「一人の仙人が、一日に何人も治療するのは危険だ」

 太乙は警告した。「慣れるまでは、一日一人が限界だろうな」


 李天明が、即座に頭の中で計算する。

「……つまり。我々四十六人が扱えば……」


「一日四十六人が、目安だな」

 太乙が答える。


 指導部仙人たちが、顔を見合わせた。


 中国、十四億人。

 その途方もない人口に対して、一日四十六人。

 国家規模の医療政策(救済)としては、あまりにも、あまりにも少なすぎる数字だった。

 だが、その四十六人にとっては、間違いなく「奇跡」なのだ。


 太乙は、彼らの複雑な表情を見て、フッと笑った。


「少ないと思ったか?」

 太乙は、彼らの心を見透かすように問う。

「それとも、多いと思ったか?

 ……その迷いも、修行だ」


 李天明は、沈黙した。


「誰を救うか。

 なぜ、その者を救うか。

 救わなかった者に、どう向き合うか」


 太乙は、仙人という存在の本当の重さを、彼らに突きつけた。

「仙人とは、力を持つ者ではない。……【選ばねばならぬ者】だ」


 それは、インドがソーマの雫で直面している「救済の順番問題」と同じ、究極の倫理のテストであった。

 ただし、中国版は、国家指導部自身が、自分の肉体と気を削って、毎日一人ずつ直接治療を行わなければならないという点で、より生々しく、重い試練だった。


「では、余は戻る」

 太乙は、身を翻した。

「……修行を、怠るなよ」


 李天明が、深く、深く礼をする。

「太乙様。……この宝珠、必ず民のために使います」


 太乙は、少しだけ目を細め、最後に言った。


「言葉ではなく、気で示せ。

 お前たちの気が濁れば、珠は曇る。お前たちが権力維持のためにこれを使えば、治るものも治らぬ。

 ……民を、数として見るな。

 一つ一つの【命】として見よ」


 その言葉を残し、太乙は煙とともに姿を消した。


 残されたのは、円卓の上の混元一気宝珠と。

 四十六人の、仙人化した中国指導部だけだった。


「……試しましょう」

 李天明が、宝珠を見つめて言った。


「軍の負傷兵からですか?」

 国防系の仙人が、すぐに軍の利益を優先して問う。


「党の長老や、幹部の重病者を優先すべきでは?」

 科学技術系の仙人も、政治的な安定を考慮して提案する。


 だが、李天明は、ゆっくりと首を横に振った。


「違う」


 李天明は、太乙の最後の言葉を噛み締めながら言った。


「最初は……【民】だ」


 翌日。


 北京の最高級総合病院。

 ただし、その日厳重な警備が敷かれたのは、高官専用のVIP病棟ではなく……一般市民が入院する、大部屋が並ぶ一般病棟の一角であった。


 表向きには、「政府主導による新型高度治療プロジェクトの臨床試験」として処理されている。


 最初の患者として選ばれたのは、地方から北京へ紹介されてきた、ごく普通の市民だった。

 名前は、王麗華ワン・リーファ。五十代の女性。

 末期の肺癌であり、すでに多数の臓器に転移し、既存の治療法はすべて限界を迎えていた。治療費で家族は疲弊しきっており、ベッドの脇では、夫と若い娘が、ただ静かに彼女の最期の時を待っていた。

 本人は痛みで衰弱しきっているが、それでも、家族を残して死にたくないという「生きたい」という意思だけは、微かに残っていた。


 担当の医師たちは、最初は極めて懐疑的だった。

「主席自らが、直接治療を?」

「仙人化した指導部の気功治療だと?……馬鹿な。ただの政治的パフォーマンス(宣伝)ではないのか?」

「末期癌が気功で治るなら、我々の医学は必要ない」


 しかし、病室の扉が開き、李天明国家主席と数名の指導部仙人が入ってきた時。

 医師たちは、その異様な気迫に言葉を失った。


 彼らは、いつものような「人民の前に立つ政治家としての威圧感」を纏っていなかった。

 どこか、緊張している。初めての手術に臨む新米医師のように、自らの手のひらを見つめ、真剣な顔をしている。


 李天明が、ベッドに横たわる患者に静かに声をかけた。


「王麗華同志」

 李天明は、彼女の細い手を握った。

「苦しかったでしょう。……今日は、我々に少しだけ、力を貸してください」


 患者は、国家主席が目の前にいることに驚きながらも、弱々しい声で答えた。

「私は……治るのですか……?」


 李天明は、即答できなかった。

 初めて使う宝貝だ。必ず治ると、無責任に断言することはできない。


 だが。彼は混元一気宝珠を手に取り、決意を込めて言った。


「……治すために、来ました」


 李天明が、宝珠を患者の胸元にそっと置いた。

 他の仙人たちが周囲に立ち、外部からの干渉を防ぐための結界を張る。


「モニターを確認します」

 医師団が、心拍、血圧、血中酸素濃度、脳波のデータに目を凝らす。


 李天明が、目を閉じ、自らの気を宝珠へと通し始めた。


 最初は、何も起きなかった。

「……失敗か?」

 見守る国防系の仙人が、焦りの声を漏らす。


 李天明の額に、脂汗が浮かぶ。

 自分の命のエネルギー(気)を他者に流し込むという行為は、想像以上の苦痛と抵抗を伴っていた。


 だが、数分後。

 宝珠が、淡く、脈打つように光り始めた。


「あっ……」

 患者の呼吸が、急に深くなった。


 次の瞬間。

 病室いっぱいに、目を開けていられないほどの、柔らかく、温かい【金色の光】が広がった。


「血圧が安定しています!」

 医師の一人が、モニターを見て叫んだ。

「血中酸素飽和度、急上昇! 痛みの反応(脳波)が消えました!」

「腫瘍マーカーの数値が……あり得ない! 代謝が異常な速度で変化しています!」


 宝珠の光が、患者の全身を優しく包み込む。

 その光の中で、奇跡は物理的な現象として現れた。


 患者の土気色だった顔色が、みるみるうちに血色を取り戻していく。

 こけていた頬に生気が宿り、荒く浅かった呼吸が、静かで力強いものに変わる。

 体の奥深くにあった痛みが消え去り、彼女の表情から苦悶が完全に消え去った。


 ベッドの脇で見ていた娘が、信じられないというように両手で顔を覆い、泣き出した。


「お母さん……?」


 患者が、ゆっくりと目を開けた。


「……痛く、ない」


 医師団は、完全に凍りついた。

 数時間後の精密スキャンで、彼らはさらに絶望的なまでの医学の敗北(奇跡)を目の当たりにすることになる。


 腫瘍が、劇的に縮小している。

 転移巣が消失傾向にある。

 機能不全に陥っていた内臓機能が回復し、免疫値が異常なほどに正常化している。


 医学的には、全く説明不能。

 だが、患者は生きている。それどころか、数時間後には自力で身を起こし、水を飲み、そして……家族に向かって、笑ったのだ。


「……ッ」

 李天明は、その笑顔を見た瞬間。

 ガクンと膝の力が抜け、用意されていた椅子に崩れ落ちた。


 顔色は青ざめ、滝のような汗が止まらず、指先が微かに震えている。


「主席!」

 医師が慌てて駆け寄る。


 李天明は、震える手を上げてそれを制止した。

「……問題ない。少し……気を使いすぎただけだ」


 太乙の言った通りだった。

 使用者側は、一人の命を呼び戻すために、猛烈な疲労と気の消耗を強いられる。


 他の仙人たちは、椅子に崩れ落ちる主席を見て、初めて理解した。

 これは、ボタンを押せば患者が治る便利な医療装置アーティファクトではない。

 自分たちの命(気)を削り、患者の生命へ直接流し込むという、過酷な【修行】なのだ。


「……これは、楽な宝貝ではないな」

 一人の長老仙人が、重い声で呟いた。


「だが」

 別の仙人が、ベッドで涙を流して抱き合う家族を見つめながら言った。


「……民が、治った」


 国防系の仙人は、完全に言葉を失っていた。

 彼は、数時間前まで、日本を焼き払うための軍事宝貝を欲しがっていた。

 だが、今、目の前で……自分たちの手によって、一人の市民の命が救われた。


 それは、敵を焼き払うことよりも、遥かに重く、そして深く胸に突き刺さる経験だった。


 患者の夫と娘が、床に膝をつき、李天明に向かって泣きながら礼を言った。

「ありがとうございます……! ありがとうございます、主席……!」

「妻が、母が、戻ってきました……!」


 李天明は、最初、どう返していいか分からなかった。


 いつもなら、人民からの感謝は、政治的な演出として、威厳を持って受け取るのが彼の仕事だった。

 だが、今回は違う。

 カメラも回っていない。報道陣もいない。

 ただ、自分の気を削り、宝珠を通し、一人の命が戻ってきた。

 その「命の重み」が、彼の中に直接、温かい塊として入ってきたのだ。


 李天明は、震える手で顔を覆い、ポツリと呟いた。


「……我々が、仙人になったのは」

 李天明の声は、静かだったが、部屋の仙人たち全員の耳に届いた。

「民を、癒やすためだったのかもしれないな」


 周囲の仙人たちが、一斉に押し黙った。

 権力のためでも、長寿のためでも、他国を支配するためでもない。

 この一言が、中国指導部の精神性に、決定的な変化をもたらした瞬間だった。


 科学技術系の仙人が、涙をこらえるようにして、しかし力強く言った。


「主席。……次の患者を選定しましょう」


 国防系の仙人も、ゆっくりと深く頷いた。


「軍の幹部ではない。民からだ」

 国防系の仙人が、以前の冷酷な軍人とは違う、温かみのある口調で言う。

「末期の者。幼い者。働き手を失いかけた家庭。地方で十分な治療を受けられない者。……基準を作りましょう」


 ここで、彼らは初めて、権力闘争の道具としてではなく、「どうすれば民を救えるか」という純粋な政治(医療制度)を本気で考え始めた。


 数日後。

 北京、上海、広州、成都、西安、ハルビンの大病院で、極秘の治療が開始された。


 中国指導部仙人四十六人は、分担して患者の治療に当たった。


 末期癌の老人。

 白血病の少年。

 事故で重傷を負った工場労働者。

 農村から来た少女。

 難病の若い母親。

 火傷を負った消防士。


 それぞれ、一人ずつ。

 治療の後、仙人たちは例外なく激しく疲労し、数時間は動けなくなった。

 だが、患者が笑う。家族が泣いて感謝する。医師が奇跡に震える。

 そのたび、仙人たちは、これまでの人生で味わったことのない、妙な充足感(魂の震え)を覚えていた。


「敵の派閥を倒した時より……ずっと気分が良いな」

 長老仙人が、汗を拭いながら笑う。


「権力闘争に勝った時より、胸が軽い」

 別の仙人も、ベッドの患者を見て微笑む。


「民を守るとは、こういうことだったか」

 国防系の仙人が、自らの手のひらを見つめて呟く。


 完全な善人になったわけではない。中国政府は依然として権威主義国家であり、強権的な支配体制は変わっていない。

 だが、国家のトップ層が「民を癒やすことの手触り」を、自らの肉体を削って覚えた。

 その精神的な浄化(変化)は、今後の中国のあり方を確実に変えていくことになる。


 翌朝。


 北京の病院。

 高級車の車列が横付けされるが、いつもの政治視察の重々しい空気はない。

 彼らは演説をしに行くのではない。写真撮影のためでもない。

 一人の患者を治すために、ここにいる。


 李天明国家主席は、二人目の患者の病室へ入った。

 今度は、白血病の少年だった。


 少年は、痩せ細った腕で、李天明の手にある光る宝珠を見つめた。


「おじさん、仙人なの?」

 少年が、無邪気に問う。


 李天明は、少し困ったように眉を下げ、それから、優しく笑った。

「……まだ、修行中だ」


「じゃあ、僕も治る?」


 李天明は、混元一気宝珠を、少年の小さな胸元にそっと置いた。


「治すために、来た」


 宝珠が、淡く金色の光を放ち始める。

 李天明の額に汗が滲む。

 けれど、彼の表情は昨日よりも少しだけ穏やかで、迷いがなかった。


 その日から、中国の仙人たちは、毎日一人ずつ、民の命と正面から向き合うことになった。


 日本が天を裂く剣で怪物を退け、世界に圧倒的な恐怖と力を見せつけた一方で。

 中国は、混元一気宝珠によって、ようやく自らの民を見るという、為政者としての本当の修行を始めたのである。



最後までお付き合いいただき感謝します。


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― 新着の感想 ―
綺麗な中国共産党爆誕。
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