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第90話 古い血と、太陽の心臓

 アーティファクトの存在が世界を揺るがし、ネット上で《ゾンネンヘルツ計画》という言葉が都市伝説としてバズり始めてから数日後。

 アメリカ合衆国の首都、ワシントンD.C.に本社を構える大手メディア『ワシントン・クロニクル』紙の国際報道部デスクに、一通の奇妙なメールが届いた。


 差出人は不明。件名は空欄。

 メールの本文には、非常に強固な暗号化が施されたデータパッケージへのリンクと、復号用のパスワードだけが記載されていた。


「……また陰謀論者のタレコミか?」

 国際部の担当記者は、眉をひそめながらも、セキュリティ部門の協力でサンドボックス(隔離環境)上の端末を使ってそのパッケージを開封した。

 最近は、この手の「うちの裏山にエイリアンの基地がある」といった類の情報提供が山のように届いている。通常であれば即座にゴミ箱行きだ。


 だが。

 展開されたファイル群を目にした瞬間、担当記者の顔色が変わった。

 彼が呼び寄せた国際部長とベテランの調査報道記者たちも、モニターの前に集まり、完全に言葉を失った。


 そこには、手書きのメモや捏造されたような粗い画像は一つもなかった。


 高解像度でスキャンされた、黄ばんだ古いドイツ語の公式文書。

 ハーケンクロイツのスタンプが押された、不気味な医療器具と人間の胸郭を切り開いた手術の写真。

 終戦直前、1945年4月の日付が入った、Uボートへの積み込みリスト。

 戦後の南米アルゼンチンへ渡った元ナチス高官や科学者の移住者名簿。

 アルゼンチン軍の施設を示す古い手書きの地図。

 そして……その古い地図の座標と完全に一致する、現代の軍事管理区域らしき施設の、極めて鮮明な最新の衛星画像。


「……おい、これ……」

 ベテラン記者が、震える手でマウスを操作する。

「このドイツ語の報告書にある暗号印字。……ただの素人が作れるレベルのフェイクじゃないぞ。使われているタイプライターのインクの滲み方まで、当時のゲシュタポの公文書の特徴と完全に一致している」


 編集部は最初、極めて高度な悪戯ディープフェイクを疑った。

 だが、彼らが独自に持つ情報源や、公文書館の公開データと照らし合わせるにつれ……資料の一部が、完全に『本物』の記録と一致し始めたのだ。


 そして、その膨大なリークデータの中に添えられていた、英文の短い『告発文』の骨子が、クロニクルの編集部を完全に凍りつかせた。


 《ゾンネンヘルツ計画は実在した。

 ナチス末期、同計画は南米由来の儀式型アーティファクトを用いた『人体強化』を目的としていた。

 敗戦直前、計画のコア資料、祭壇の欠片、被験体の記録、そして未分類の物品が南米へ移送された。

 戦後、その一部はアルゼンチン政府により秘密裏に回収・秘匿された。

 ……現在も、同政府は旧ナチス由来のアーティファクトを軍の施設で保管している。

 研究は、完全には停止していない》


「…………」

 国際部長は、画面のテキストを読み終え、深い、深い沈黙に陥った。


 これは、単なる「ナチスの残党が南米に逃げた」という古い歴史の焼き直し(オカルト記事)ではない。

 現代のアルゼンチン政府が、地球外テクノロジー(しかもナチスの人体実験由来の呪われたアーティファクト)を現在進行形で秘匿し、研究しているという、【国家間の安全保障問題(爆弾)】の告発だ。


「……部長。これ、裏が取れたらピューリッツァー賞ものですよ」

 若手記者が興奮気味に言う。


「馬鹿を言うな」

 国際部長は、血の気の引いた顔で若手記者を怒鳴りつけた。

「これをこのまま掲載すれば、ピューリッツァー賞をもらう前に、アルゼンチンとの外交問題になるどころか……アメリカ政府が軍隊を動かすぞ。世界中のインテリジェンスと暗殺者が南米に集結する。

 ……これは、我々民間メディアが単独で火をつけていい爆弾のサイズを超えている」


 部長は、決断を下した。

「……いきなり掲載スクープはしない。まずは、ワシントンに『照会』をかける」


 ナチス。アルゼンチン政府。アーティファクト。人体実験。国家安全保障。

 この五つのキーワードが絡む以上、政府の『公式見解』、あるいは『警告ストップ』なしに世に出すことは、国家に対する反逆行為に等しかったからだ。


 ワシントン・クロニクルの編集長は、自らの署名で、ホワイトハウスの報道担当および国家安全保障会議(NSC)のホットラインへ、非公式な照会メールを送信した。


『――弊紙は、《ゾンネンヘルツ計画》およびアルゼンチン政府による旧ナチス由来アーティファクト秘匿疑惑に関する、極めて信憑性の高い資料を入手しました。

 国家安全保障上の重大性を考慮し、掲載前に政府の公式見解、および安全保障上の指針を求めます』


 この一通のメールが、ホワイトハウスのサーバーへ到達した瞬間。

 ワシントンD.C.の空気が、完全に変わった。


 ***


 ホワイトハウス地下、極秘危機対応室。

 キャサリン・ヘイズ大統領は、執務室での束の間の休息を破られ、再びこの地下の密室へと呼び出されていた。


「……今度は何?」

 ヘイズ大統領は、不機嫌さを隠そうともせず、円卓の席についた。

「ロシアのサイボーグ、中国の仙人、日本の海底遺跡。……これ以上、私の睡眠時間を削るような新しい怪物が、地球上のどこかで発掘されたとでも言うの?」


 だが、彼女を呼び出したCIA長官の表情は、いつもの冷静なインテリジェンス・トップのそれではなく、まるで『絶対に開けてはいけない棺桶』を開けてしまったかのような、重く沈痛なものだった。


「大統領。……ワシントン・クロニクル紙から、政府に対する非公式な照会が入りました」

 CIA長官は、手元のファイルをヘイズの前に押しやった。

「彼らは……旧ナチス由来のアーティファクト疑惑に関するリークデータを、何者かから入手したとのことです」


 ヘイズの表情が、ピタリと固まる。

「旧ナチス?」


「はい」

 CIA長官が、重々しく頷く。

「計画名は……《ゾンネンヘルツ計画》」


「太陽の心臓計画です」


 その、不吉なドイツ語の響きに。

 国防長官が、眉をひそめて怪訝な顔をした。

「太陽の心臓……?」


「人体実験計画だった可能性があります」

 CIA長官は、クロニクル紙から送られてきたリークデータの概要を読み上げ始めた。

「ナチス末期、彼らは中南米由来の儀式型アーティファクトを使用し……被験者の『心臓摘出』、そして霊的、あるいはアーティファクト由来の『代替心臓(太陽炉)への置換』による、兵士強化を試みていたと」

 長官は、一拍置いて、最も致命的な部分を口にした。

「そして……敗戦時、そのアーティファクトと実験データは、Uボートによって南米アルゼンチンへと移送された。……彼らはそう主張しています」


「……マジで?」


 ヘイズ大統領の口から、およそ一国の最高権力者らしからぬ、素の、完全に間抜けな声が漏れた。

 会議室が、水を打ったように静まり返る。


 ヘイズは、両手で額を押さえ、深く、深いため息をついた。

「……ライトセーバーの次が、ナチスの心臓儀式?」


「表現としては最悪ですが、概ねその疑惑です」

 司法長官が、同情するような、しかし全く笑えない顔で同意した。


「……信憑性は?」

 ヘイズは、どうにか大統領としての理性を取り戻し、CIA長官を睨んだ。

「ただの三流オカルト雑誌のネタじゃなくて? クロニクル紙がわざわざ政府に照会してくるってことは、それなりの『裏付け』があるんでしょうね?」


 CIA長官は、手元の端末を操作し、メインモニターにCIAの独自調査(初期分析)の結果を展開した。


「リークデータを受け取ってから数時間、我々のアーカイブと照合しました」

 CIA長官が、冷徹に報告する。

「……《ゾンネンヘルツ計画》という名称は、ペーパークリップ作戦(戦後のナチス科学者接収計画)の際に我々が回収した、いくつかの断片的な過去資料の中に、確かに『存在』しています」


 モニターに、黒塗りだらけの古いアメリカ軍の報告書が映し出される。


「戦時末期のドイツ側医療・儀式研究記録に、関連するキーワードが散見されます。そして、終戦直前、ドイツの港から南米方面へ向けて出港したUボートの中に、積載内容が『完全不明』の極秘貨物が存在した記録も、残っています」

 長官は、さらに現代の衛星写真を表示した。

「加えて。……リーク情報にある、アルゼンチン国内の『戦後、旧ナチス関係者が関与したとされる閉鎖施設』。これは現在もアルゼンチン軍の管理区域内に存在しています。……そして、我々の偵察衛星のデータによれば、ここ数週間、その施設周辺で『異常な夜間警備の増強』と、不自然な電力消費のスパイクが確認されています」


「……」

 国防長官が、息を呑む。

 過去のオカルト話が、現代のアルゼンチン軍の不審な動きと、完璧にリンクしてしまったのだ。


「結論として」

 CIA長官は、重く締めくくった。

「このリーク全体を、100パーセント真実だと断定することはできません。……しかし、完全な捏造フェイクとも言えません」

 長官の目が、鋭く光る。

「少なくとも……あそこには、『何か』があります」


「……人体強化技術の可能性は?」

 国防長官が、軍事的な脅威の観点から即座に切り込んだ。


「不明です」

 CIA長官は首を横に振る。

「ただし、もしその計画が『成功』し、あるいは現代のアルゼンチン政府の手によって実用化に近づいているのだとすれば。……それは、ロシアの機械的なサイボーグ兵とも、中国の精神的な仙人とも違う、全く別系統の『強化兵士体系(アーティファクト由来のミュータント)』となります」


「欲しがる国は、いくらでもあるわね」

 ヘイズ大統領は、冷たい目で世界地図を睨んだ。

「ロシアは自国のサイボーグのパーツの代わりに欲しがるでしょうし、中国は異端の術として封じ込めるか奪うかする。……どのみち、世界中のインテリジェンスが南米に殺到するわ」


 その時。

 量子暗号通信のモニター越しに会議に参加していた、セレスティアル・ウォッチのオブザーバー・アルファが、静かに口を開いた。


『……ナチスは、アーティファクトの本質を理解していなかった可能性が高い』


 アルファのその冷静な指摘に、ヘイズ大統領が眉をひそめた。

「なぜそう思うの?」


『彼らの残した記録の断片は、未知の儀式システムを、無理やり近代工業や外科手術の枠組みに落とし込もうとした「暴力的な模倣」の痕跡に見えます』

 アルファは、冷徹に分析する。

『だが、アーティファクト由来の霊的心臓置換(システムの移植)が実在するなら、それは単なる心臓移植という外科手術ではない。……強引な切開、強制的な量産、そして使い捨ての人体実験というナチスのアプローチとは、根本的に相性が悪い(システムが拒絶する)はずです』


『ええ。アルファの言う通りです』

 ケンドール博士も、科学者としての嫌悪感を隠さずに同調した。

『ナチスがやっていたのは、研究ではなく、ただの冒涜と【無知な人体実験ブルートフォース】でしょう。……おそらく、アルゼンチンに運ばれたのは、成功例などではなく、おぞましい【失敗記録の山】です』


 ケンドールは、忌々しげに吐き捨てた。

『そんなものを掘り返したところで、まともな兵器になるとは思えません』


 だが。


「失敗記録でも、価値はある」


 国防長官が、軍事戦略家としての冷酷な真理を突いた。


「失敗のデータは、『何をしてはいけないか』という重要なリバースエンジニアリングの足がかりになる。……我々が欲しがらなくとも、他国は絶対にそのデータ(とアーティファクトの現物)を欲しがる」


 ケンドール博士は、その言葉に反論できず、不快そうに口を噤んだ。


 ヘイズ大統領は、テーブルの上に広げられた情報を脳内で高速処理し、アメリカ政府として直面している【五つの懸念】を明確に整理した。


「問題は山積みね」

 ヘイズは、指を一本ずつ折りながら確認する。


「懸念その一。本物なら、新たな超人化技術(第三の強化兵士ルート)の出現。

 懸念その二。ナチスの人体実験が失敗していたとしても、封印された『失敗体』や、暴走した異常生命体がアルゼンチンの地下に残っている可能性。

 懸念その三。アルゼンチンという現代の主権国家が、旧ナチス由来の人体実験データを秘匿・利用していたという、国際的な大問題(倫理的・外交的爆弾)。

 懸念その四。ロシア、中国、民間軍事企業、カルト組織、そして旧ナチス信奉者ネオナチ……あらゆる勢力が、これを狙って一斉に南米へ群がる地政学的リスク」


 そして、ヘイズは最後に、最も切迫した【最大の懸念】を口にした。


「……懸念その五。

 新聞社メディアが、この情報を握っていることよ」


 情報統制の崩壊。

 クロニクル紙がこの照会を「政府が回答を拒否した(あるいは隠蔽しようとした)」としてそのままスクープとして掲載すれば、世界中の視線が一瞬にしてアルゼンチンに集中する。

 パニック、陰謀論の爆発、そして各国の軍事行動の正当化。

 アメリカが先手を打ってコントロールする時間が、完全に失われるのだ。


「……大統領。決断を」

 国家安全保障担当補佐官が、重苦しい声で促した。


 ヘイズ大統領は、深く息を吐き出し、そして、冷徹な戦時指導者の顔へと切り替わった。


「……まず、ワシントン・クロニクル紙の編集長に、直ちに『掲載延期の要請』を出しなさい」


「大統領」

 司法長官が、即座に法的なブレーキをかける。

「強制はできません。合衆国憲法修正第一条(言論の自由)があります」


「分かってる。だから『要請』よ」

 ヘイズは、鋭い視線で司法長官を睨みつけた。

「国家安全保障の最高機密に抵触する恐れがあるとして、一時的な協力をお願いするの。……彼らも、ただのゴシップ紙じゃない。事の重大さを理解すれば、数日間の猶予はくれるはずよ」


「次に」

 ヘイズは外務担当へ向く。

「アルゼンチン政府へ、非公式の『照会ジャブ』を入れなさい」


「疑惑の内容(ゾンネンヘルツ計画)を、ストレートにぶつけますか?」

 外務担当が確認する。


「最初から全部のカードは出さないわ」

 ヘイズは冷酷に言った。

「あくまで『旧ナチス由来の資料に関する情報共有(あるいは協力)』という名目で、相手の反応を探るの。彼らがシラを切るか、焦るか、それとも交渉に乗ってくるか。……その初動で、彼らの腹の底を測るわよ」


「CIAは、現地の情報網を最大出力で動かします」

 CIA長官が、自らのタスクを宣言する。

「あの軍管理区域の施設内部で、今何が起きているのか。……外部の目ではなく、内部からの映像(証拠)を抜いてきます」


「ええ。すぐにやってちょうだい」


「軍事的な準備は、どうしますか?」

 国防長官が、作戦行動の許可を求める。


「まだ表には出さない」

 ヘイズ大統領は、安易な武力介入には慎重だった。

「アルゼンチンは主権国家よ。確証もないまま軍を動かせば、それこそ国際社会から我々が『強盗』扱いされる。

 ……でも」


 ヘイズの目が、危険な光を帯びる。


「もし、その地下施設に、制御不能な『失敗体』や、世界を脅かす危険物(アーティファクトの暴走)が存在するのだとしたら。……その時は、我々の手で回収、あるいは【完全に封じ込める(破壊する)】必要が生じるわね」


『推奨します』

 画面越しのアルファが、一切の感情を交えずに、その強硬手段の準備を支持した。


 ヘイズ大統領は、円卓の全員を、そしてモニターの中のアルファを真っ直ぐに見据え、最後の一言を力強く言い放った。


「……それと」


 ヘイズの声が、かつてないほどの闘争心と、超大国のトップとしてのプライドに満ちて響く。


「この件は……ロシアと中国に、絶対に先を越されるわけにはいかないわ」


 会議室の空気が、ピシッと音を立てるように引き締まった。


 ナチスの亡霊が遺した、血塗られたアーティファクトの実験データ。

 これがもし中露の手に渡れば、彼らの怪物(サイボーグや仙人)は、さらに恐ろしい進化を遂げるかもしれない。

 アメリカは、何としてもこれを最初に押さえ、解析し、そして必要ならば自らの手で葬り去らなければならない。


「全機関、即時行動開始アクション・ナウよ」


 ヘイズ大統領の号令とともに、アメリカという巨大な国家機構が、南米のジャングルの奥深くへと、その冷たく強大な手を伸ばし始めた。


 世界はまだ知らない。

 ネット上の無邪気なオカルト考察が、今まさに、現実のジャングルの中で、血と硝煙にまみれた新しい『戦争』の引き金を引いてしまったことを。

 過去の狂気は、決して死んではいなかった。それはただ、誰かが再びスイッチを入れてくれるのを、南米の土の底でじっと待ち続けていたのだ。




最後までお付き合いいただき感謝します。


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アルゼンチンか。裏庭で好き勝手させる訳にはいかないと。
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