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第9話 アメリカが本物だと言った夜

 東京、永田町。

 日付が変わり、都市の喧騒が泥のような静寂に沈み込んだ午前二時。


 首相官邸の地下三十メートルに位置する「危機管理センター」のさらに奥、特定の権限を持つ者しかその存在すら知らされていない極秘通信室は、無機質なLED照明とサーバー群の低い駆動音だけが支配する、冷え切った空間だった。


 空気清浄機が吐き出す微かなオゾンの匂いの中、分厚い防爆扉が音もなくスライドする。

 現れた日本国首相、矢崎薫やざき かおるの姿には、深夜の緊急呼び出しを受けた者特有の狼狽も、寝起きの気怠さも一切見られなかった。完璧にプレスされたダークネイビーのスーツを纏い、背筋を伸ばして歩を進める彼女の足音だけが、硬質な床を規則正しく叩く。


 彼女を迎え入れたのは、既に召集されていた内閣官房長官、内閣情報調査室(内調)室長、防衛省の安全保障担当審議官、そして科学技術政策担当顧問という、現政権の中枢を担う四人の側近たちだった。

 彼らの顔には一様に、唐突に投げ込まれた「理解不能な爆弾」に対する困惑と、見えない意図を探ろうとする強い警戒感が張り付いている。


「……総理。深夜に申し訳ありません」


 官房長官が、額に滲んだ脂汗をハンカチで押さえながら重苦しい沈黙を破った。彼の視線は、部屋の中央に鎮座する、通常は決して使用されることのない黒い通信コンソールに向けられていた。


「この優先度クリアランスで、アメリカ側から直接シグナルが入るのは極めて異例です。通常の手続きを全てすっ飛ばして、ホワイトハウスの深部から直接、総理のパーソナルな暗号鍵を求めてきました」


 それは、同盟国間の定例的な情報交換や、事務レベルの事前調整を経たホットラインではない。

 大統領自身が、あるいはそれに準ずる最高権力者が、システム上の全てのフェンスを蹴り破ってでも今すぐ伝えなければならない「何か」を投下するための、極限のバックドアだった。


 矢崎は、コンソールの前で足を止め、モニターに明滅する複雑な暗号化キーの羅列を静かに見下ろした。彼女の表情の筋肉はピクリとも動かない。


「異例、ではありませんよ、長官」


 矢崎の低く、よく通る声が、通信室の冷たい空気をさらに一段階引き締めた。


「『初動を絶対に間違えられない』、でしょう。キャサリン・ヘイズが、この時間に、この回線を叩き起こしてまで寄こした情報です。事前の根回しも、官僚の作文も差し挟む余裕がない。……雑談や、単なる外交の駆け引きであるはずがありません」


 矢崎は、ヘイズ大統領と検事時代から個人的な親交がある。彼女がどれほど論理的で、無駄を嫌い、そして「情報」という武器を慎重に扱う人間かを知り尽くしていた。その彼女が、これほど乱暴な手段に出た。

 それはつまり、情報の発信元であるアメリカ自身が、制御しきれない何かに直面し、火の粉が降りかかる前に「警告したという事実」を作りたがっているということだ。


「開示しなさい」


 矢崎の短い命令を受け、内調室長が震える指でコンソールに最終パスコードを入力した。


 メインモニターに、幾重もの復号プロセスを経て、ホワイトハウスから送信されたテキストデータのサマリーが浮かび上がった。

 文章量は驚くほど少ない。だが、そこに並んだ単語の羅列は、日本国政府の最高エリートたちの長年の常識と論理を、真っ向から嘲笑うかのような内容だった。


『事象:地球の既存技術の延長線上にはない可能性が高い兵器事象の発生』

『分類:未知の高出力指向性エネルギー兵器の可能性』

『現状:非国家主体ブラックマーケットへの技術流出の痕跡を確認』

『対応:現物オリジナルは合衆国が確保。技術的詳細は現時点で全面共有不可』

『特記:太平洋地域における特別な同盟国として、当該事実と警告のみを共有する』


 数秒間の、完全な空白。

 その直後、通信室の空気は、恐怖や緊張ではなく、純粋で混じり気のない「は?」という、苛立ちを伴う当惑で満たされた。


「……何かの、冗談ですか?」


 最初に口火を切ったのは、科学技術政策担当顧問だった。彼は、自身のアイデンティティである「科学」を愚弄されたかのように眉間に深い皺を寄せ、タブレットを乱暴に叩いた。


「『既存技術の延長線上にはない』? そんな曖昧な文学的表現を、軍事・安全保障の文脈で使われても評価のしようがありません。原理も、出力のパラメーターも、設計思想も示さずに、指向性エネルギー兵器だと言い張る。要するに、何も教える気がないということでしょう」


「その通りです。ただの責任転嫁の布石にしか見えませんね」


 内調室長が、冷ややかに、そして強い不快感を込めて同意した。彼にとって、出所も根拠も示されない情報は、ノイズ以下のゴミでしかない。


「『詳しいことは言えないが、得体の知れない危ないものが流出しているから、そっちも気をつけろ』……と。随分と都合のいい共有だ。仮に国内で不測の事態が起きた際、『我々は事前に警告した。対応できなかった日本の責任だ』と逃げるための、卑劣なアリバイ作りですよ」


 防衛省の安全保障担当審議官も、腕を組みながら厳しい表情で追従する。彼が懸念するのは、常に周辺諸国との地政学的なパワーバランスだ。


「対中牽制のための、高度な情報心理戦サイオプという線が最も濃厚です。米国国内のブラックプロジェクトで起きた開発事故を誤魔化すために、同盟国に薄く情報を分散させて『世界的な脅威』をでっち上げているのでは? そういえば、最近ネットの深層で『東欧の工場が紫のガスで吹き飛んだ』だのといった与太話がミーム化していますが、まさかあの手の都市伝説を、あとから都合よく利用しているわけではないでしょうね」


 官僚たちの言葉の裏にある本心は明確だった。

『こんなバカげた情報で動かされてたまるか』。

 オカルトじみた情報に踊らされて無駄なリソースを割き、万が一それが外部に漏れれば、政権の、そして自分たちの致命的なスキャンダルになる。「何もしない理由」を探すための、極めて真っ当な自己防衛本能だった。


 矢崎は、彼らの猛烈な反発と疑心暗鬼を、一切表情を変えずに黙って聞いていた。

 彼女自身も、モニターに表示された「地球の既存技術の延長ではない」という文字列を、額面通りに受け取っているわけではない。


「……私は、まだ何一つ信じていないわ」


 矢崎の、氷のように冷たく、しかし静かな声が、沸騰しかけていた部屋の空気を一瞬で凍りつかせた。

 四人の側近たちは口を噤み、総理の次の言葉を待った。


「アメリカが何かを隠しているのは明らか。覇権国家の常套手段よ。情報を小出しにして、こちらを都合よく動かそうとしている側面はあるでしょう」


 矢崎は、ゆっくりとモニターから視線を外し、側近たちを順番に見据えた。


「でもね。キャサリン・ヘイズが、この『最優先暗号回線』を使ってまで寄こした事実を、あなたたちは軽く見過ぎている」


「総理、しかし……」


 防衛担当が食い下がろうとするのを、矢崎は鋭い視線で制した。


「ブラフかもしれない。国内事故の隠蔽かもしれないわ。でも、考えてみなさい。大統領の直接承認が必要なこの回線に、意図的に『偽情報』や『都市伝説レベルの誇張』を流し込むことが、アメリカにとってどれほどの外交的リスクを伴うか」


 矢崎の指摘に、内調室長がハッとしたように息を呑んだ。


「一度でもこの回線を『狼少年の遊び』に使えば、同盟国間の究極の信頼担保は崩壊する。ヘイズ大統領は、そのコストとリスクを天秤にかけた上で、それでも『今、日本にこの事実だけは伝えておかなければ、将来アメリカ自身が取り返しのつかない非難を浴びる』と計算した。だから、現物は見せないという狡猾さを残しつつも、事実の断片だけを送りつけてきたのよ」


 矢崎は、テーブルの上で両手を組み、その言葉に最も強い力を込めた。


「問題は、この荒唐無稽な話が真実かどうかを今ここで判定することではないわ。国家として、この警告を『完全に無視してよい案件か』ということ。……そして私の答えは、ノーよ。日本が無知のままで平穏を貪っていられる段階は、今夜終わったの」


 総理の決定的な言葉に、部屋は重い沈黙に包まれた。

 誰もが、この不気味な情報が、単なる机上の空論から、国家として対処せざるを得ない「現実の脅威」へと変質したことを理解した。


「……しかし、総理」


 科学技術顧問が、苦渋に満ちた声で沈黙を破った。


「対応すると仰っても、この曖昧な情報だけでは動きようがありません。通常の兵器研究機関や防衛省の技術部門に分析させれば、彼らは自分たちの知見の範囲内で、間違いなく『既存のレーザー兵器の変種』や『プラズマ技術の応用』といった、常識的な枠組み(パラダイム)の中に無理やり押し込めて解釈しようとします。逆に、外部の有識者に丸投げすれば、ただの陰謀論やオカルトへと飛躍し、現実の安全保障政策としては一切使い物にならなくなります。今、この情報を正しく値踏みし、国家としての次の行動指針を導き出すには……」


「ええ、分かっているわ」


 矢崎は、科学顧問の言葉を引き取るように言った。


「既存のモノサシしか持たない官僚や学者では、この『規格外の情報』を正確に計ることはできない。必要なのは、ありとあらゆる『くだらない話』や『荒唐無稽な事象』を日常的に浴び続けながら、決してそれに呑み込まれず、その中から“本物の匂い”だけを嗅ぎ分けられる人間よ」


 矢崎は、内調室長に向かって、静かに、しかし有無を言わせぬ圧力で尋ねた。


「いるの? 心当たりが」


 内調室長は、一瞬だけ躊躇し、顔をしかめた。それは、国家の最高機密を扱う場に、本来であれば絶対に立ち入らせてはならない「異物」の名前を出すことへの、官僚としての強烈な生理的嫌悪感だった。

 だが、彼はプロフェッショナルとして、総理の要求に合致する唯一のカードを切らざるを得なかった。


「……一人だけ、おります。厳密には、安全保障の専門家でも、科学者でもありません。しかし、世界中で語られる『理解不能な事象』に関する異常なまでの情報網と、膨大なノイズの中から真実の糸を引く嗅覚だけは、我々情報機関の人間すら舌を巻くレベルの男です」


「名前は?」


「月刊『ムー』の編集長……三神みかみ、という男です」


 その名前が放たれた瞬間、極秘通信室の重苦しい空気は、再び「は?」という強烈な拒絶反応によって弾け飛びそうになった。


「正気ですか、室長!」


 官房長官が、信じられないものを見るような目で声を荒げた。


「週刊誌の延長、いや、それ以下のオカルト雑誌の編集長ですよ!? この、国家の命運を左右するかもしれない最高機密の場に、UFOや超能力を飯の種にしている人間を呼ぶなど……狂気の沙汰だ。万が一、この情報が彼を通じて世間に漏れでもしたら、内閣は一発で吹き飛びますぞ!」


「もっとまともな、例えば理論物理学の権威や、国際政治の裏面に通じた学者を当たるべきです」


 防衛担当も、忌々しそうに吐き捨てた。


 彼らの拒絶は、全くもって正しい。国家の危機管理において、オカルト関係者に助言を求めるなど、手続き上も倫理的にもあり得ない選択だ。


 だが、矢崎は彼らの猛烈な反発を、氷のような視線で一掃した。


「まともな学者ね。長官、審議官。あなたたちが言う『まともな学者』は、『まともな前提』の中でしか思考できないのよ。今、アメリカが突きつけてきたこの情報は、『地球の既存技術の延長にはない』という、彼らの拠って立つ前提そのものを破壊する内容なの。彼らに分析させれば、未知のものを既知の枠に無理やり当てはめ、結果として重大な脅威を見落とすことになる」


 矢崎の言葉は、冷徹な論理で官僚たちの常識を切り裂いた。


「私たちは今、地図にない暗闇の中を歩き出さなければならないの。その時に必要なのは、綺麗なコンパスを持った学者じゃない。暗闇の中で長年泥水を啜り、本物の化物と見せかけの影を見分ける術を知っている『野犬』よ」


 彼女は、内調室長に向き直った。


「その三神という男、今すぐここへ連れてきなさい。秘密保持の誓約は内調の最高レベルで縛ること。……彼の『嗅覚』が本物かどうか、私が直接見極めるわ」


 深夜の首相官邸地下。

 常識という名の鎧を脱ぎ捨て、未知の領域へと踏み出すための、異端の招集が下された。

 それは、日本政府が初めて、既存の科学と政治の枠組みを超えた「何か」に対峙しようと決断した、決定的な瞬間だった。


 深夜二時四十分。

 首相官邸のさらに奥底、有事の際にのみ使用される極秘通信室の重厚な電子ロックが、鈍い駆動音と共に解除された。


 二名の屈強なSPセキュリティポリスに前後を挟まれるようにして、その男は現れた。

 官邸地下の、チリ一つ落ちていない無機質で冷徹な空間には、あまりにも不釣り合いな風体だった。

 肩の落ちたよれよれのコーデュロイのジャケット。無精髭がうっすらと生えた顎。手入れされているとは言い難いボサボサの髪。そして、彼から微かに漂う、安物の缶コーヒーと古紙、そして紫煙の入り混じったような独特の匂いが、高度に空調管理された通信室の空気を一瞬にして異化させた。


 月刊『ムー』編集長、三神みかみ


 日本のオカルト・超常現象界隈において知らぬ者はいないその男は、国家の最高機密を扱うこの場に引きずり出されてもなお、全く悪びれる様子がなかった。

 それどころか、周囲を囲む防衛省や内閣情報調査室のトップたちを、まるで珍しい深海魚でも観察するかのように、飄々とした、それでいて射抜くような鋭い瞳で見回した。


「いやあ、深夜に黒塗りの車でお迎えとは恐縮です」


 三神の第一声は、極度の緊張で張り詰めていた部屋の空気を、あえて脱臼させるような軽さを持っていた。

 彼はジャケットのポケットに両手を突っ込んだまま、周囲の計器群を興味深そうに眺めた。


「ムー編集部は官邸地下にも配本されているんですね。嬉しい限りです。また誌面の記事内容についてのクレームか、あるいは防衛省さんからの『少し記事のトーンを落としてくれ』という非公式な監修の相談かと思ったら……随分と重苦しい場所に呼ばれましたね」


 内閣官房長官が、露骨に顔をしかめた。

 彼にとって、この男の存在そのものが、国家の意思決定の場に対する耐え難い侮辱に思えたのだ。


「……君ね、自分が今どこに立っているのか、分かっているのか?」


 官房長官が低い声で威圧する。


「ここは君のような人間が、面白半分で立ち入れる場所ではない。もしこの部屋で見聞きしたことを一言でも外部に漏らせば、君の人生は……」


「ええ、分かっていますよ」


 三神は、官房長官の脅しをひらりと躱し、薄く笑った。


「国家の心臓部。おそらく、通常の法律が及ばない『情報の終着点』でしょう? だからこそ、あらかじめ申し上げておきますが……私は魔法使いではありませんよ。手から火を出して見せたり、宇宙人を召喚したりはできません。私が持っているのは、世界中から集まってくる『くだらない話』のインデックスだけです」


 防衛省の安全保障担当審議官が、忌々しそうに舌打ちをした。

 オカルト屋にありがちな、「自分は特別な力を持っている」という過剰な自己演出がない分、この男の態度は逆に不気味ですらあった。底が見えないのだ。


 だが、上座に座る日本国首相、矢崎薫だけは、三神のふざけた態度の奥にあるものを見極めようと、静かに目を細めていた。

 彼女は、三神を最初から盲信しているわけではない。だが、この男が部屋に入ってきた瞬間から、部屋の空気の「圧」に一切呑まれていないことを正確に評価していた。

 狂気と隣り合わせの、異常なまでの冷静さ。

 今、アメリカから突きつけられた「既存技術の延長にない兵器」という理解不能な情報を咀嚼するには、まさにその狂気スレスレの冷静さが必要だった。


「単刀直入に聞くわ。確認します」


 矢崎は、側近たちの不満を視線だけで制し、三神を真っ直ぐに見据えて尋ねた。

 彼女の口から放たれた言葉は、官僚たちが最も口にしたがらない、そして最も非科学的な単語を含んでいた。


「あなたは、『地球外テクノロジー』について、何か知っているの?」


 その直截すぎる問いに、部屋が一瞬ざわついた。

 内調室長が「総理、いくら何でも誘導が過ぎます」と身を乗り出そうとした。防衛審議官も「我々はアメリカのブラフを検証している段階で……」と口を挟もうとした。


 だが、三神は少しも慌てることなく、ゆっくりと、まるでパズルの最後のピースがはまったことを喜ぶかのように微笑んだ。


 そして、部屋の空気を一気にひっくり返す、決定的な一言を放った。


「……なるほど。このタイミングで、その単語を出して私をここへ呼んだということは……『アポロンの矢』の件ですね?」


 部屋の空気が、文字通り完全に凍りついた。

 官房長官が息を呑み、内調室長が目を剥いて絶句し、科学技術顧問が信じられないものを見るように顔を強張らせた。

 サーバーの低い駆動音と、空調の僅かな風切り音だけが、耳障りなほど大きく響く。


 それは、あり得ないことだった。

 アメリカ大統領キャサリン・ヘイズから、ホワイトハウスの最高機密回線バックドアを通じてこの情報がもたらされたのは、つい数十分前のことだ。

 情報の存在を知るのは、この地球上で、アメリカのトップ層と、今この部屋にいる五人の日本政府首脳陣だけのはずだった。

 なぜ、市井のオカルト雑誌の編集長が、その兵器の「コードネーム」めいたものを、いとも容易く口にできるのか。


 矢崎だけが、微動だにせず、鋭い視線で三神を貫いていた。


「……ほう」


 矢崎は、感情を完全に押し殺した声で促した。


「続けて」


 三神は、驚愕に固まる政府高官たちをよそに、まるでカフェで世間話でもするかのように、淡々と語り始めた。


「数週間前からですよ。世界の裏社会――ディープウェブのさらに深い階層、武器商人や非合法な技術ブローカーたちが集うネットワークの一部で、『粗悪な設計図』が天文学的な高値で流れているという話は、私の耳にも入っていました」


 三神は、無精髭を撫でながら、虚空を見つめるように目を細めた。


「彼らが探していたのは、現行の軍事技術を少しばかりアップデートしたような、ありふれた兵器の横流し情報ではありませんでした。どうやら『地球外テクノロジーの断片らしい』というところまでも、界隈ではもっぱらの噂でした。彼らはそれを、畏敬と欲望を込めて『アポロンの矢』、あるいは『ヘリオスの欠片』と呼んでいた」


「ば、馬鹿な……!」


 防衛審議官が、たまらず声を荒げた。


「ただの裏社会の与太話だ! 兵器密造の詐欺に引っかかったテロリストどもの妄言を、アメリカが都合よく利用して……!」


「与太話にしては、人が死にすぎていましたよ、審議官」


 三神の言葉が、冷たい刃のように防衛審議官の反論を切り裂いた。


「東欧の放棄された軍事施設での原因不明の工場爆発。中東の非合法拠点で起きた局地的な電磁障害(EMP)と、それに伴う所属不明者の大量死。表向きは『古い化学兵器の処理中の事故』や『過激派の自爆』として処理されていますが、全て同じ『矢』の模造品を造ろうとした連中の、制御不能な自爆です。……物理法則を無視した熱量と、既存の兵器ではあり得ない特異な痕跡が、現場には残っていたはずだ」


 三神の指摘に、内調室長の顔から血の気が引いた。

 東欧の爆発事故については、内閣情報調査室も「異常なエネルギー波形を伴うテロ事案」としてマークはしていた。だが、それを「地球外テクノロジーの模倣による自爆」という文脈で結びつけることなど、常識に縛られた情報機関には不可能だった。


 矢崎は、三神の言葉が、単なるオカルトの枠を完全に超え、アメリカからの極秘情報――『未知の高出力指向性エネルギー兵器』『非国家主体への流出』――と、恐ろしいほどの精度でリンクしていることを悟った。


 彼女は、この男の認識をさらに一段階、国家レベルの「現実」へと引き上げるため、そしてアメリカの情報の真偽を確定させるため、手札をもう一枚だけ切った。


「……三神さん。アメリカは、その『現物オリジナル』を確保したと言っているわ」


 その瞬間、三神の表情から、それまでの飄々とした「オカルト編集長」の仮面が剥がれ落ちた。

 彼の瞳孔が微かに収縮し、思考の歯車が猛烈な勢いで回転する音が聞こえるようだった。


 彼は、顎に手を当て、深く、深く考え込んだ。

 そして、数秒の静寂の後、ゆっくりと、確信に満ちた声で呟いた。


「……なるほど。アメリカが、オリジナルを確保したんですね……」


 彼は、大きく一つ頷いた。


「それなら、この話は本物リアルと見ていいでしょう」


 その言葉が落ちた瞬間、政府首脳陣の空気が、決定的に、そして不可逆的に変わった。

 彼らの頭の中で、バラバラだった情報が恐ろしい音を立てて結びついていく。


 ネットの与太話。陰謀論。ミームとして消費されていた「紫のガス爆発」や「アポロンの矢」という単語。

 それらが急に、血と肉と熱を持った、国家の安全保障を根底から脅かす「リアルな脅威」としての顔を持ち始めたのだ。


 アメリカは、ブラフを張っていたわけではなかった。

 大統領が直通の裏回線を叩き起こしてまで日本に警告してきたのは、対中牽制でも、事故の責任分散でもない。

 アメリカ自身が、その「神の雷霆」の現物を確保する過程で、あるいは確保した兵器の解析過程で、それが冗談抜きで「地球の既存技術の延長にない」ことを骨の髄まで理解し、心底恐怖したからだ。

 だからこそ、「特別な同盟国」にだけは、最低限の警告を発しておかなければ、後々取り返しのつかないことになると判断したのだ。


 官僚たちは今、「は?」という当惑と拒絶の段階から、「無視できない」という恐怖と確信の段階へと、強制的に引きずり込まれていた。


「……おおよそ、事の顛末が見えました」


 三神は、蒼白になる政府高官たちを見渡し、彼らの認識の転換を見透かしたように、情報を整理し始めた。


「数週間前から裏社会で『設計図』が出回り、それに群がった連中が粗悪なコピーを作り、各地で暴発事故を起こしていた。彼らはそれを兵器として使ったというより、構造も原理も理解できないものを無理やり起動させて、勝手に自滅したという方が近いでしょう」


 彼は、さらに一歩踏み込んで、その異常性の核心を突いた。


「そもそも、裏社会で“設計図”と呼ばれていたものが、本当に完全な設計図だったかは怪しいですね。焼け焦げた事故の痕跡や、破損した兵器の観察メモ、あるいは誤った配線図のようなものを、連中は『神の設計図』だと思い込んで、ありがたがって再現しようとしていたのかもしれません。……安全装置が壊れた時限爆弾の作り方を、わざわざ忠実に真似ていたようなものです」


 その推理は、奇しくもセレスティアル・ウォッチのスパイマスターが下した冷酷な真実と、一言一句違わぬほどに見事に一致していた。


「……そ、それでは」


 科学技術顧問が、震える声で口を開いた。彼の科学者としての世界観は、今まさに崩壊の危機に瀕していた。


「他にもあると言うんですか? その『アポロンの矢』以外にも、世界には、いや、この日本国内にも、同様の地球外テクノロジーの遺物が存在していると? あなたは、一体どこまでこの事態を把握しているんだ!?」


 内調室長も、血走った目で三神に詰め寄ろうとした。


「情報を全て出しなさい! これは国家の安全保障に関わる事態だ。あなたが知っている未確認事象のリストを全て……!」


 だが、三神はそこで、すっと右手を上げて彼らの制止した。

 彼の眼差しは、先ほどまでの協力的な態度から一転して、冷たく、底知れない拒絶の色を帯びていた。

 彼は、全てを知っているわけではない。だが、知っていても「ここで言うべきではない」ことの線引きを、極めて正確に理解していた。


「ストップです」


 三神は、静かに、しかし断固として言った。


「今ここで皆さんが議論すべきなのは、『他に何があるかもしれないか』という不確かな可能性の羅列ではありません。『何があり得るかを、国家の前提として認めるかどうか』です」


 彼は、興奮する官僚たちを冷ややかに見据えた。


「場を広げすぎると、必ず判断が雑になります。陰謀論やオカルトの海に溺れたくなければ、まず目の前の一件を、確固たる『一件の事実』として扱える体制を作ることが先決です。私は検索エンジンではありません。情報の優先順位を間違えれば、国ごと狂気に呑まれますよ」


 その一言で、三神は単なる「都合の良い事情通」から、「話す順番と人間の心理の限界を熟知している、得体の知れない水先案内人」として、この場に確固たる位置を占めた。


 矢崎は、三神のその態度に、微かな称賛の念を抱いた。

 本物の詐欺師や狂人であれば、ここで持論を嬉々として展開し、パニックを煽って自己顕示欲を満たそうとするだろう。だがこの男は、自らブレーキをかけ、国家の思考を現実的なラインに押し留めたのだ。


「……分かりました」


 矢崎の凛とした声が、深夜の通信室に静かに響き渡った。

 彼女の表情から、一切の迷いが消え去っていた。彼女は、三神の言葉と、アメリカの限定的な共有を受け、政治家としての腹を完全に決めたのだ。


「少なくとも、これは『笑って済ませる種類の話』ではない。アメリカの話の細部が真実かどうかは、これから時間をかけて確かめればいいことよ」


 矢崎は、側近たちを一人ずつ、真っ直ぐに見据えた。


「でも、日本が無知のままで平穏を貪っていられる段階は、終わったわ」


 そして、日本という国家の歴史において、極めて異例で、重大な決定を下した。


「国内も含めて、地球外テクノロジーの存在可能性を、国家案件として公式に探ります」


 それは、日本政府が初めて、「既存の現実」の外側へ足を踏み出すことを決断した瞬間だった。


「内閣官房直轄で、極秘のセルを立ち上げなさい」


 矢崎の矢継ぎ早の指示に、官房長官と内調室長は弾かれたように姿勢を正した。


「名称は……『既存技術外事象評価セル』。任務は、米国からの共有情報の信頼性評価、海外の異常事故の継続的な監視、そして、国内で過去に観測されながらも『説明不能』として棚上げにされてきた未整理情報の再点検よ。関連し得る人材と資料の洗い出しも急務ね。日米間の限定チャネルの受け皿も、当面はこのセルが担うわ」


「はっ……直ちに人選と体制構築に入ります」


 内調室長が、深く頭を下げた。


「三神さん」


 矢崎は、帰り支度を始めようとしていた三神に声をかけた。


「あなたには、このセルの非公式助言者アドバイザーとして、引き続き知恵を借りるわよ。正式メンバーにはしないけれど」


「それがいいでしょう。私はあくまで、しがないオカルト雑誌の編集長ですから。表舞台には立ちたくありません」


 三神は飄々と笑い、ジャケットの襟を直した。

 そして、防爆扉に向かって歩き出す間際、立ち止まって矢崎を振り返った。


「首相」


 三神は、意味深長に目を細めた。その瞳の奥には、彼がこれまで覗き込んできた数多の深淵の影が揺らめいているようだった。


「本物のオカルトというのは、最初はだいたい、“くだらない与太話”の顔をして現れるものです」


 彼は、官僚たちを一瞥してから、最後に矢崎へと言葉を残した。


「危ないのは、荒唐無稽な話をすぐに信じ込んでしまうことじゃありません。『こんなものは信じる価値もない』と、自分の常識の範囲内で先に決めてしまうことです。……良い夜明けを」


 三神が去った後、防爆扉が重々しい音を立てて閉まった。

 矢崎は、通信コンソールに向かい、ホワイトハウスのヘイズ大統領へ向けた、ごく短い返答のテキストを入力した。


『情報は受領した。こちらでも限定的な評価体制に入る。追加共有を求める可能性がある』


 数分後、ヘイズからの暗号化された返信が、短い電子音と共に届いた。


『ありがとう。あなたなら、パニックにならずに情報の重さだけを見ると信じていたわ』


 矢崎は、冷ややかに、しかし同盟国のトップとしての長年の友情と敬意を込めて、最後の返信を打ち込んだ。


『あなたがこの形式ルートで送ってきた時点で、軽く扱える話ではないと分かっただけよ』


 友情はある。だが、国家の命運を懸けた判断において、甘さはない。それが、覇権国家と向き合う同盟国の指導者の流儀だった。


 深夜。

 官邸地下の極秘サーバー端末に、新しい案件のディレクトリが立ち上がった。

 件名:既存技術外事象/初期探索開始。


 内調のオペレーターたちが、静かに、しかし確実な熱量を持ってキーボードを叩き始める。誰もまだ、これから何が見つかるのかは知らない。だが、動き出した歯車はもう止まらない。


 矢崎は一人、分厚い防弾ガラスの向こう側に広がる、眠らない東京の夜景を静かに見下ろしていた。

 無数の光が瞬く地上では、何千万という人々が、明日も今日と同じ常識の延長線上の朝が来ると信じて眠りについている。

 だが、今夜から日本政府は、まだ誰も見たことのない、見えない地図を探し始めたのだ。

最後までお付き合いいただき感謝します。


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