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魔法学院編 第六話

 その日の屋上は風が強かった。

 校舎の上に立つと、学院全体がひとつの模型のように見える。演習場の白線は寸分違わず引かれ、体育館の屋根は夕方の光を均一に弾いている。整然としすぎているその光景は大人にとって眩しすぎた。

 篠宮はフェンス際に立ち、煙草を一本取り出した。風向きを確認し、手でライターを覆いながら火をつける。

 魔法式を道具に組み込む、通称”魔導具”は魔法とともに進化を重ねてきた。燃料資源が貴重な今日においてオイル式のライターは高級品だ。しかし、篠宮は魔導具で火をつけるよりも味のあるオイル式ライターを好んでいた。

 背後で、屋上に続く扉が開く音がした。

「まだ吸っていたんですね」

 声の主は篠宮の横に並び、フェンスに凭れる。

「辞めるタイミングを見失ってな。減らしてはいるんだが。」

 篠宮は振り返らずに答え、煙を吐いた。白い線は風に引き裂かれ、数秒も経たずに消えていく。

「身体に良くありませんよ。」

「お前も元喫煙者だろう。一本いるか?」

「誘われては断れませんね。いただいてもいいですか?」

 篠宮は煙草をもう一本取り出し、その男――中条貢に手渡す。

 中条も篠宮と同じように慣れた手つきで火をつけた。

「いつまでその喋り方を続けるつもりだ?」

「もう染み付いてしまいましてね。戻す方が難しいですよ。」

「昔のお前はもっと荒ぶっていたんだがな。」

「勘弁してください。若気の至りです。」

 煙を吐きながら中条は苦笑した。煙草の香りが漂う中、二人の間に沈黙が流れる。

 だが、そこに気まずさは感じられない。同じ時間を、空間を共有してきた者達の独特な空気に満ちていた。

 軍の新人だった頃、同じ配属先にいた時間は長くない。それでも、最初に叩き込まれた緊張感や、死と隣り合わせだった環境の感触は今も身体のどこかに残っている。二人はそんな当時の懐かしさを思い出すかのように煙草を嗜んでいた。

 篠宮は煙草を指で挟んだまま、視線を校舎の向こうへ移す。

「……今年の一年生、どう見る」

 中条はすぐには答えなかった。

 校舎の下を歩く院生たちから目を離さず、わずかに息を吐く。

「全体的に優秀ではないですか?」

「優秀か。」

「ええ。入学成績を見ても、昨年度を僅かに上回っています。全体的な水準は高めだと言って良いでしょう。…ただ。」

 そこで中条は一度言葉を切る。目を閉じ、少し間を空けて再び話し始める。

「学院生、と一括りに出来ない者も混ざっていますね。」

 その言葉に篠宮は短く溜息を吐く。

「毎年のことだろう?」

「それはそうなのですが、今年はなんと言うか…物騒な感じがします。例年に比べると。」

 二人の間に先程とは違った重い沈黙が流れる。思い出されるのは三年前の悪夢。

「また、起こると思うか?」

「分かりません。ですが今回こそは我々が止めなければ。あんな思いをするのは二度とごめんです。」

「五大宗家…厄介なものだ。」

「本当ですね。それに加え、()ですよ。」

「本題はそれだろう?」

 2人の脳裏に浮かぶのは先日の光景。分家の天才、鷲宮玲司。そして彼の右腕である鴉羽晃平。その両名を真正面から制圧した生徒の戦いぶり。

 魔法の使用を禁じていたとはいえ、同世代で群を抜いて格闘戦に長けている二人に勝る者がいるとは予想もしていなかったことだ。

「中条――お前はどう感じた、あの戦い。」

 篠宮は煙草の灰を落としながら話しかける。

「実戦慣れし過ぎています。間合いの取り方、踏み込むタイミング…全てが完璧でした。」

「やはりそう思うか。前に出ず、下がりもしない。あの戦い方は訓練じゃ身につかない。いや、現場に出ていても1日2日でできるようになるものではない。」

 中条は何も言わなかった。即ち、無言の肯定。中条はあの場で、自分と同じ匂いを嗅ぎ取っていたからだ。

「ですが、危険かと言われるとそうではない気がします。暴れる気配はありません。素行にも特に問題なさそうです。」

 篠宮は煙草の火を消し、中条の方を向く。

「――数値が綺麗すぎるんだ、あいつは。」

 その言葉に中条は眉を顰める。

「綺麗すぎる、ですか」

 中条は篠宮を言葉を反芻するように呟いた。

 「入学前の測定項目のことだ。魔力量、出力の立ち上がり、干渉域の収束、反応遅延。どの項目も、教科書通りの曲線で収まっている。」

 「優秀な生徒なら何処か尖りますし、逆に問題があれば何処かが歪んでいるはずです。」

 中条は篠宮の言葉でさらに表情を険しくする。

 「まあ、強いて言うならそれぞれが平均よりやや下振れているんだが…。」

 「その程度些細なことでしょう。というか、その程度で第五にいる方が変ですね。」

 篠宮はオイルライターを弄び、蓋を開け閉めする。金属音が短く鳴るたび、三年前の悪夢が脳裏をかすめた。あの時も、最初は数字が“問題ない”と報告されていた。問題があると判明したのは、壊れてからだ。

「測定機器の不調、という線は?」

 中条が訊く。

「ない。あの装置は診断性能もログも完璧だ。問題があればもっと乱れ、誤差として出る」

 篠宮は視線を外さない。

「あいつのデータは、誤差すら計算されたみたいに整ってる。」

 中条も篠宮の方を向き直る。

「“測られること”を前提に、整えられている……ということですか?」

 篠宮は肯定も否定もしなかった。沈黙が答えの代わりになり、中条はその沈黙で理解する。

「とはいえ――」

 中条が先に沈黙を破る。

「彼は暴れない。規則も破らない。周囲とも衝突していない。今この段階で教師が踏み込むことはできませんよ。」

「分かっている。」

 篠宮は短く返す。

「だから踏み込まない。」

 篠宮はそう言いながら上着の内ポケットから、小型の端末を取り出した。学院支給のものではない。軍で使っていた旧式に近いモデルだ。余計な通信機能を削ぎ落とし、最低限の回線だけを残した代物。

 中条の視線が一瞬、端末に向く。

「…それで何をするつもりですか?」

「照合だ。杞憂であればそれで良い。」

 篠宮は答え、操作を始めた。入力するのは名前ではない。個人識別に使われるはずのない、断片的な条件だけだ。


 ――反応はすぐに起こった。

 端末が甲高い警告音を発するより先に、画面が一瞬だけ白く飛ぶ。次の瞬間、表示されたのは見慣れない文字列だった。


 《UNAUTHORIZED ACCESS》

 《TRACE INITIATED》


「…ッ!!」

 篠宮が端末が手を離すよりほんの僅かに早く、内部で何かが弾ける音がした。

 篠宮は床に落とした端末を拾い上げて電源を入れようと試みたが、二度と画面が点くことは無かった。

 中条と篠宮は顔を見合わせる。

「検索した“瞬間”でアウトだ。照合どころか、存在確認すら許されていないみたいだな。」 

 風が吹き抜け、フェンスが低く鳴った。中条は無意識に周囲を見回す。誰かが見ている気配はない。それでも空気が変わったのが分かった。

「……つまり」

「ああ」

 篠宮は頷く。

「学院にいること自体が例外だ。軍は触れられる前提で置いていない。」

 篠宮は端末を床に放り投げ、踵を落として粉砕する。

「だから余計な詮索はしない。だが、見張りでもない“目”は必要になる。」

 その言葉に中条は目を細める。

「評議会と保安委員会ですか。」

「学院は学院のやり方で生徒を守る。軍が学院に干渉するのは許さん。」

「篠宮先生…もし、万が一にでも…」

「その時は止むを得ん。俺が出る。」

 中条は苦笑する。新人の頃、篠宮が特殊部隊へ引き抜かれる直前に吐いた台詞を思い出した。あの時もこうだった。決断は速いのに踏み出す足は慎重。だが、昔と違うのは踏み出すまでに余裕を感じられるところだろう。

「……昔より、丸くなりましたね。」

「お前に言われたくはないな。すっかり敬語で話すようになって…。」

 篠宮の言葉に中条は肩を竦めた。風がまた強くなり、フェンスが低く鳴る。二人の眼下では放課後の院生が笑いながら走っていた。

「面倒な年になりそうですね。」

「全くだ。」

 篠宮と中条は校舎へ続く扉へと歩き出す。

「我々も久しぶりに模擬戦でもしますか?」

 中条の提案を篠宮は笑いながら返す。

「その発言、後悔するなよ?」

 二人はそのまま他愛の無い話をしながら校舎へと入っていく。

 

 その様子を確認し、一人の院生が給水タンクの影から姿を現す。

 それはこの学院に通っていれば誰もが知っている人物――九条御影だった。

 


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