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魔法学院編 第五話

「次。第一クラス、鷲宮玲司くん。第五クラス、九条澪さん。両者前へ。」


 中条貢の声が体育館に落ちる。2人の名前が呼ばれただけで、空気が一段階引き締まった。

 鷲宮玲司が一歩前に出る。姿勢は正しい。呼吸は澄んでいる。徒手格闘としては、ほぼ理想的な構えだ。

 だが、その足取りには、ほんのわずかな慎重さが混じっていた。

 対する九条澪は、硬い表情のまま中央へ進む。徒手格闘――魔法を使えない戦い。

 彼女にとって、最も不利な領域だ。

 周囲の視線が集まる。第五クラスの生徒たちは息を呑み、第一クラスの生徒たちは静かに見守る。そして、体育館にいる誰もが意識している。

 ――五大宗家の一角、九条家の直系と新入生総代。どちらが勝っても平和には終わらない。

 それは当人達も当然理解している。それぞれが背負う肩書きは栄誉であると同時に想像を絶するほどの重圧となっていた。

「両者、魔法の使用は禁止です。全力で制圧してください。――礼。」

 鷲宮と澪は向かい合い、礼をする。

「……よろしく、お願いします」

 澪の声は小さい。

「こちらこそ」

 鷲宮の返答は丁寧だった。だが、心理的な距離の遠さも垣間見える。

「――始め!」

 合図と同時に、澪が動いた。踏み込みは浅いが、十分な加速。直線的な突進ではなく、左右に揺さぶりをかける足運び。

 澪は殴り合いに持ち込む気はない。

 (触れさせない!)

 それが彼女の戦い方だ。

 玲司は一歩下がる。

 (――下がった。)

 拳が届く距離ではない。そして攻めに転じる距離でもない。

 澪の拳が伸びる。玲司はそれを弾くが、反撃に移る様子はない。

 そして澪は蹴りを繰り出す。脛を狙った実践的な蹴りだ。

 玲司は脚を引き、体勢を整える。そしてそこから踏み込まない。ここまでの一連の流れを見て周囲は感じ始めていた。

 

 ――鷲宮は攻める気がない。

 

 澪は歯を食いしばっていた。自分が”弱い”からでは無い。相手が”躊躇”しているからだ。

 五大宗家という肩書きの重さは澪自身が一番理解しているつもりだ。だが、その肩書きのせいで遠ざけられてきたこれまでの人生。それは少女にとって耐え難い苦痛となっていた。

 碌に友達も出来ず、ずっと浮いていた。そんな生活から脱するために国立皇央魔法学院に来たというのに、ここでもそれが続くのかと思うと悔しくて堪らなかった。

 

 踏み込み、連打。

 拳、肘、膝。


 澪はできる限りのことをしている。

 だが、玲司は常に半歩後ろにいる。


 反撃しない。

 倒しに行かない。

 

 ――怖いのだ。

 五大宗家。九条澪。

 もしここで、誤って大きな怪我を負わせたら。

 もし将来に影響が出たら。


 頭の片隅にその思考がよぎるたび、玲司は踏み込むことができなくなってしまう。

 鷹司家の分家、鷲宮家に生まれた彼は幼少期から期待されて生きてきた。天才と持て囃され、分家の期待を一身に背負いながら努力を重ね、新入生総代になった。そして何よりも玲司の成功を喜んでくれた家族の反応が嬉しかった。

 しかし万が一にもここで怪我を負わせるようなことがあれば、家族全員が()()()()可能性がある。最悪の場合、五大宗家同士の争いにまで発展してしまうかもしれない。

 

 様々な最悪の可能性を考えた結果、玲司の防御は一瞬、ほんの一瞬崩れてしまう。

 その一瞬を澪は見逃さない。

 

 渾身の踏み込み。

 肩からぶつかり、体勢を崩しにかかる。

 玲司は受け止めた。

 だが――受け止めただけだ。

 反転し、投げに行けた。関節を極める角度にも入れた。

 それでも、やらない。

 結果、澪の膝は勢いに耐えきれず、床に崩れ落ちる。

 玲司はそこで更に迷う。この状況、確実に決めきれる。だがそうしていいものだろうか。

 

 その瞬間、体育館に篠宮の声が響いた。

 「そこまでだ。」

 少し離れて見ていた篠宮は2人の方へ歩み寄る。

 澪は床に膝をついたまま、動けない。

 唇を噛み、拳を握り締める。

 負けたのではない。

 戦ってもらえなかった。


 体育館に、重い沈黙が落ちる。

 

「この試合、無効とする。」 

「――ッ!」

「本来であれば、鷲宮の勝利だ。しかし鷲宮は最初の指示に――手加減するなという指示に従わなかった。よって両者敗北、無効試合になる。」

 「すみませんでした。」

 

 体育館にいる全員が――澪も玲司もほっとしていた。明確に勝敗がつかなかったことに。緊迫した空気が解れていく…かと思われた。

 

 「籠目」

 篠宮が隼人の名を呼ぶ。その瞬間、全員の目が白髪の青年に向けられた。

 「出ろ。鷲宮、籠目と再戦だ。先程のように手を抜く事は絶対に許さん。もし次も同じことをすれば然るべき処罰を下す。」

 鷲宮の表情が変わる。

 澪が顔を上げる。

 鴉羽晃平が、わずかに目を細める。

 そんな中、当の隼人は何も言わず、中央へ歩いていく。

 

「鷲宮くん、連戦ですが休息は必要ですか?」

 中条が玲司に優しく声をかける。

「問題ありません。先程は大変申し訳ございませんでした。汚名返上のチャンスを下さり、ありがとうございます。――籠目くんも。」

 玲司は2人の教員と澪、そして隼人に深々と頭を下げる。

 それに対して隼人は軽く頷いただけだった。

 玲司と隼人は向かい合う。

 玲司は深呼吸し、目を閉じた。

 相手は五大宗家ではない。守るべき肩書きも、気にすべき将来もない。

 だからこそ、全力で向き合わなければならない。

 目を開けた玲司の顔つきは、先程までとは大きく異なっていた。


「2人とも、準備は良いですね?では――始め!」

 

 中条の合図とともに、玲司は踏み込む。迷いを捨て、距離を潰すために一直線に。

 玲司の拳が飛ぶ。速く、正確な一撃。

 隼人は前腕で正面から受けて衝撃を殺す。だが、そこで止まらない。

 返す拳で玲司の肩口を打ち抜く。

 玲司は歯を食いしばり、すぐに二発目を叩き込む。

 

 拳、肘、膝。


 玲司も今回は止まらない。一切の手加減がない連続した制圧の流れ。

 隼人は下がらない。だが、正面にも立たない。

 一歩、斜めに。

 半歩、内側に。

 拳を受け、肩で殺し、体をずらす。決定打となり得る最悪の軌道だけを消していく。

 玲司は納得する。

 (なるほど、晃平が負けるわけだ。籠目くん、()()()()()だね。)

 玲司は距離を詰め、膝蹴りを狙う。

 それを隼人は脛で受ける。

 衝撃を逃がしながら、重心を低くする。

 その瞬間、隼人の肘が入った。短いが、深い。

 玲司の息が一瞬詰まる。

 (この距離は危険だ。籠目くんの得意な領域に引きずり込まれている。)

 

 玲司は勢いよく距離を取り、再び踏み込んで拳を振るう。

 隼人は、正面から拳を合わせた。

 拳と拳がぶつかる乾いた音が体育館に響く。

 力比べではなく、角度と重心の勝負。晃平と隼人の試合を見ていた玲司は、決定打となったそのカウンターを既に分析していた。

 ずらされた重心を元に戻すべく、逆足を前に出して踏ん張る。

 その反応に隼人は一瞬目を細めた。

 (一度見ただけで対応したか。流石は鷲宮玲司、分家の天才。)

 隼人は冷静に次の一手を構築していく。とは言っても彼にとってこれは思考するほどのことではない。呼吸と同じく、本能的なものだ。

 幼少期から培われた、兵士としての本能。それが彼の動きを最適解へと導いていく。

 

 隼人が踏み込んだ。

 速く、鋭い足払い。

 人間がこなせるとは思えない程の体勢変化。それをいとも容易くやってのける。

 玲司は跳んで避けるが、完全には逃げきれない。脚を掠め、体勢が崩れる。

 隼人は追わない。だが、逃がさない位置にいる。

 玲司は焦っていた。

 (さっきよりも動きが鋭い。まさか、これでも本気を出していないのか?)

 しかし、激しい戦闘を繰り返したことにより玲司の方に残された余力はあと僅か。

 (この一撃で決めるしかない…!)

 そう決意し、踏み込む。放った拳の初速は今まで同じ。だが、そこから全体重を乗せて凄まじい勢いで加速させる。

 隼人は下がらない。放たれた拳の勢いを殺すべく身体を回しながら掠めさせる。 

 玲司の重心が完全に前に乗る。その瞬間に隼人の腕が絡んだ。

 

 腕、首、肩。

 回転の勢いを利用して脚を薙ぎ、玲司を床に叩きつける。

 玲司の喉元に、隼人の腕が入った。相手を微動だにさせない完璧な制圧体勢。

 

「そこまで!」

 中条が終了を告げる。

 玲司は、仰向けのまま息を吐いた。

 (――負けた。)

 だが、不思議と悔しさはなかった。

 隼人が手を差し出す。玲司はその手を取って立ち上がった。その姿に周囲からは拍手が巻き起こった。

 

「思った通り、強いね。」

「そっちもな。どっちが勝ってもおかしくなかった。」 

 その言葉に玲司は目を瞬かせ、吹き出す。

「フフッ、籠目くんは結構お堅い人かと思っていたけど冗談も言うんだね。」

「冗談ではないんだが…」

 隼人の困り顔に玲司はまたも笑う。

「籠目くんの事、気になってきたよ。今度晃平と一緒にお昼でも食べながら話したいな。」

「俺も2人のことは気になっていた。是非行かせてもらおう。」

 2人は中央でがっしりと握手を交わした。体育館は最初のような殺伐とした雰囲気とはうって変わり、全体的に和やかな雰囲気になっている。

 だがその中には第五クラスの人間が鷲宮玲司に勝利したという事実を面白く無く思う者も少なくない。第一クラスの中にも、第五クラスの中にも。 

 ただ一人、澪だけは他とは違った思いを抱いて俯いていた。

 

 

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