新しい出会い
ちょっとしたいざこざもあり、少し遠回りすることになったけど、俺は昼食に立ち寄った食事処の店主に、無事宿を紹介してもらった。「民宿」とだけ書かれた看板が目印のその宿は、年季は入っているけど外観まで手入れの行き届いている。迷うことなく薦めるのも納得だ。入口はすりガラスのドアで中は見えない。中は入ってからのお楽しみってわけだ。
軽く挨拶をしながら中に入ると、外の空気とはまた違った匂いが鼻をくすぐった。古い木造建築独特のいい香りだ。鉄筋なんて入っていない完全な木造の建物は、師匠の家と同じ感じがして落ち着く……。
「って、留守か?」
軽い挨拶の返事は無かった。人の気配がない。そう思ってもっと中の方に入ろうとした時、後ろのドアが大きな鈴音を鳴らして開いた。
「ご、ごめんなさい!ちょうど買い出しに行って…て……!」
無理向いた先には、息絶え絶えの少女が片手に手提げ袋を持って立っていた。朱色の髪を上の方でまとめた、優しい目をしたエメラルドグリーンの眼の女の子。歳は十代半ばくらいか。
「もしかして、俺が入るのを見て走って来ました?」
「お客さんを待たせるなんて宿屋の恥だからね。あと、外出中の札をかけ忘れてたのを思い出して……」
確かに外出中と書かれた札が、ドアの裏側につるされてある。刻印魔術による施錠の魔術が施された札だ。中からは出られても、外からは契約者以外立ち入れなくなる類の術だろう。
「えっと……お一人様でよろしい?」
俺がお願いしますと返事をすると、彼女は玄関近くのカウンターに入り、宿泊名簿のようなものを取り出した。紙を後入れするタイプの奴だ。
「ここに記入お願いね。一泊ご――…三千リアン、朝晩食事付きで三千四百だよ」
「じゃあ、一泊食事付きでお願いします」
食事の値段と宿代を見るに、ほとんどゲームと変わらない。ベースが日本円なのも助かる。これも神様が日本人だったおかげだな。
「えっと、部屋は……どこがいい?今ならより取り見取りだけど」
それは暗に俺以外の客がいないという事を指している……彼女に聞くと完全に目を逸らした。ボロボロでお客が入らないというのは古宿特有の悪所だけど、この宿は奇麗だし物見遊山で来られるくらいに、立派な古宿だ。ただ、町はずれという事が唯一の難点というところだろう。
「ほんの五年前くらいまでは繁盛してたんだよ~あはは…。そんなことより部屋はどうするの?」
「東側の部屋が良いんですけど、一番朝日が当たるところってどこですか?」
「二階の角部屋かな。でもそこは今私が使ってるから、その隣が一番おすすめ」
より取り見取りではなかった。というか、客室を使っているのは如何なものか……。店主の少女は前払いした宿代を、無防備にカウンターに置いたまま、俺を部屋のある二階へと案内する――…セキュリティが危ういのは黙っていた方がいいのか…?
案内された部屋は六畳そこらの広さで、ベットが一つと椅子と机がワンセットだけ置かれている。洗面台はあるけど、風呂、シャワーは付いてないみたいだ。
「思ったよりいい部屋ですね」
「思ったよりって……失礼な小僧め」
「すみません。口が滑りました」
少女は頬を膨らませながら設備の説明を始めた。一泊しかしないというのにそこまでする必要はないんだけど……妙に楽しそうな彼女を見ていると、なんだか見守りたいという気持ちになってきた。これが保護欲というものか。
「――それで、これが暖房のスイッチね……あれ?つかないな。もしかしたら魔力切れかも、ちょっと他の部屋から魔石持ってくるね!」
そう言ってそくささと部屋を出て行った。「魔石」この世界のインフラの要だ。魔力が貯蓄できるそれを、簡単な魔術を刻印した魔道具と呼ばれるものに干渉させると、魔術が起動する。この暖房もそうだし、洗面台の水も魔道具によるものだ。洗面台の蛇口を捻ると水が出るところを見ると、それぞれ別の魔石で起動させている感じか。
……魔石といい、ガバガバなセキュリティといい……なんだか心配になってきたな…。大丈夫かこの宿。
魔石への魔力供給は師匠のところで死ぬほどやったから自分でもできるけど、この世界でそれを行うには資格がいる。そうしなければいけないくらいに危険な行為として認知されている。
それに、元の世界に電力会社があるように、この世界でも魔力供給を生業としている人が一定数いる。自分の分をやるくらいならまだしも、赤の他人の家出それをするのは、仕事を奪う行為だ。師匠のように便利道具にされても困るし、安易に手を出したくはない。
しばらくして、忙しない足音が俺の部屋を通りすぎて行った。それからすぐ、隣の部屋でドタバタとなんやらしている音が聞こえて、少女が俺の宿泊する部屋に戻ってきた。
「ごめんね~おまたせ!」
「大丈夫ですよ。荷物の片付けにちょうどいい時間でした」
紳士だねーという少女は拳大の魔石を持っている。”どこか”から代替えとして持ってきた魔石だ。
「いや~魔力供給のお願いを忘れててさ。焦った焦った!ちょうどいい魔石残っててよかったよ~」
そう言いながら、彼女は魔石の交換をして、額の汗を拭った。もう肌寒いというのにどれだけ走ったのやら……とそこで疑問が生まれた。
「この宿、一人で切り盛りしてるんですか?」
「そうだよーお客さんも滅多に来ないからさ。人を雇う余裕もないんだよね~。でも前はいたんだよ!」
色々と合点がいった。ガバガバなセキュリティも、魔力供給がされてない魔石も……。そもそもここは宿として機能していない。宿とは名ばかりの、彼女の家だ。何故、宿として開放しているのかは、全くの謎だけど、彼女には何か事情があるんだろう。
「それじゃ、晩御飯は十九時だから!ゆっくりしていって。あ、外出するなら人声かけてね」
わかりましたと返事してすぐ、彼女は部屋を後にした。
さて、俺がまず最初にすべきは……コートを脱いで全力のベットダイブだ。
「そりゃ!」
少し触ったからわかってはいたけど、結構柔らかい。いい素材を使ってる。それにしっかりと日干しされたいい匂いがする。宿として機能していないといったけど、彼女は自分の出来る範囲で尽力しているんだ。それがわかるように、この部屋にはチリひとつない。
「ただし、魔力供給は疎かと」
この宿はあからさまに経営難。魔力供給の相場がわからないから、今の資金がどれだけなのかもわからない。でも、宿全体に行き渡っていないという事は結構高額なんだろう。ここはプレイヤーがいない世界……時代にそぐわないオーバーテクノロジ―は存在しない。魔力供給を忘れていたという事は、それが人力であることの証明だ。ゲームでは半ば無理やり電力会社ならぬ魔力会社を立ち上げて、半自動的な魔力供給を成し遂げたけど、それは何度も生き返ることが前提の話だ。現実世界だと数千人の犠牲は下らないだろう。
「現実より酷く、死は不平等に……まさしく悪魔の所業だな」
重ね合わせていると気が滅入ってきた。少し散歩でもして気を紛らわせよう。
少女がつけっぱなしにしていた暖房を切り、コートを片手に外に出ると、息が白くなるほどの冷たい空気がなだれ込んできた。コートを着ていたからわからなかったけど、日が暮れるとかなり冷え込むこの地域は、感じたことの無いくらい寒暖差も激しいみたいだ。オベルクさんとの手合わせの時は結構興奮してたから、あまり寒さを感じなかったのか……。
……この寒さの中で汗をかくくらい走り回ったって……どれだけ探したんだ。
「そういえば、名前聞いてなかったな……まあ、明日になればおさらばだし、いっか」
ロビーに下りてドアを見ると、外出中の札が消えていた。察するに俺の分の食材を買いに行ったのか、もしくは魔力供給を頼みに行ったのか……どちらにせよ、外出するときは声をかけてくれと言われたから散歩には出れなくなった。
「探検でもするか」
現在時刻は十七時。晩御飯まであと二時間と少しくらい。この宿全体を見るくらいの時間はたっぷりある。一応客だし、あまりにも常識はずれなことをしなければ追い出されたりしないだろ。
探検と言っても、この宿はそこまで大きくない。部屋数は合わせて十。ロビーは食事場も兼ねているから、その分場所を取ってない。あとは一階にトイレが三つと厨房。カウンター後ろの管理人室らしき場所――普通住むならここじゃないか?
「あとは大浴場か……小さい宿にしては大袈裟な謳い文句だな」
釣り看板が下げられた、宿の奥の方に歩いていくと男女に分かれたドアがあった。男側のドアを開いた先には二十畳近い脱衣所が広がっていた。
「はは、大袈裟じゃねえな……こっちが本命ってわけだ」
宿の外からだと、他の建物に紛れて見えなかった部分だ。まさか、裏側がここまで広いとは思わなかった。嬉々として浴場の扉を開くと驚くべき光景が広がっていた。
「湯がはられてねえ……こりゃ自分ではるしかないか。魔石に手を付けるってわけでもないし、ちょっとくらいはいいだろ」
大浴場であって、ここは別に温泉ってわけじゃない。湯が沸いて出るのではなく、湯を沸かすタイプの風呂だ。そして、一部屋分の魔石を調達するのに苦労するこの宿に、湯を沸かせるほどの魔力が残っているはずもなかった。
幸い浴場の管理は行き届いている。湯が張られていないことを除けば完璧だ。新築のように奇麗にしてある。彼女がこの宿にかける想いがそこら中から見て取れる。客足が無いのが残念過ぎる。立地が良ければ客もある程度入るだろうに……ここは町の中心から二キロは離れてるし、主要都市への街道がある方から対極に位置している。可哀そうではあるけど、こればっかりはどうしようもないな。
浴場を見終えてロビーに戻ると、ちょうど彼女が帰ってきたところだった。両手に食材の入ったカバンを持っている。
「あれ、何してたの?」
「宿の探検です。浴場が思ったより広くてびっくりしました」
「あはは。でもごめんね~ちょっと今は使えなくて……」
「魔石が無いからですか?」
俺の言葉は強烈だったようで、彼女から腹にいいパンチが入ったような声が出た。
「大丈夫ですよ。俺、非正規ですけど魔術の心得はあるので。風呂の湯くらい自分で張れま――」
「ホント!!!?」
目にもとまらぬ速さで俺に突進してきた彼女に、両手をがっちりホールドされた。振りほどけそうにもない……。
「あ、ご、ごめんね。驚かせちゃったよね……ちょっと舞い上がっちゃって」
「い、いえ。大丈夫です」
申し訳なさそうにする彼女に、俺の心は何故か締め付けられた。……キュンと来たわけでは決してない。…多分。
だって仕方ないだろう?ここ十二年、感情の有無すらわからないロボットみたいな人物としか接触していなかったんだ。免疫力の低下は必然ではないか?そうだろ!
……っ!!?今なんか背中に鋭利な物を感じたのは気のせいか?
「……あのさ。少し頼みたいことがあるんだけど、いいかな。お客さんにいう事でもないんだけど……」
「女湯の方も張りますか?」
「やった!お願い!!」
彼女は飛び上がって拳をグッと握った。いささか大袈裟に見えるけど、まあ風呂は全人類共通の癒しだからな。それにこの喜び方、長い間ろくに湯船につかってなさそうだ。入れもしない風呂を徹底的に磨く彼女自身が報われないなんて、そんなひどい話があってたまるか。
でも、このやり取りで心に何かが引っかかった。最初から思っていたことで、俺にはどうでもいいことだ。他人事で、今日あったばかりの、ほとんど話して無いこの少女に、俺はどうしても聞きたいことが、聞かなければいけないことが出来たような気がした。
「一つ聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「ん、なに?あ、もしかしてお湯代?あーえっと宿代、返すってとこでいいかな?」
「それは気にしないでください。俺が自分のためにすることですから」
「じゃあ、なに?」
「どうして、自分の余裕もないのに宿を開いているんですか?」
部屋の暖房をつけるための魔石を探すために必死になるほど、この宿は切迫している。にもかかわらず宿を閉めることなく、誰がいつ来てもいいように、隅々まで完璧なほどに手入れされている。
それに、俺の部屋に持ってきた魔石はおそらく彼女の部屋のものだろう。そこまでして何故、俺という客を迎え入れたのか……。一人で切り盛りしている、宿泊部屋を住居にしている、その点を鑑みれば、この宿の所有者は彼女かその親類。ただの家として使う事だってできる。普通に働いた方がこんな切羽詰まった生活をせずにはずだ。
彼女は床に置いてあったカバンを持ち上げて答えた。
「んー……まあ、いいじゃない。人には人の事情ってものがあるでしょ?そういうのに踏み込むのはあんまり良くないよ?」
「……そうですね。すみません。取り消します」
「よろしい!それじゃお風呂お願いね!」
気になったことを何も気にせず聞いてしまうのは俺の悪い癖だ。自分でもよくわかっている。だけど、踏み込まずにはいられなかった。彼女から感じる違和感の正体を暴きたい。暴かなければならない。そういう想いが、心の底から溢れて止まらない。
自己犠牲を強いてまで、宿の維持という無茶な信念を貫こうとする、彼女の精神性……。
「――待てよ。ああ、そっか。なるほどな、道理で気になるわけだ」
答えは簡単だった。
俺がこの世界に来る前――元の世界に一つだけあった心残り。どうやら俺は彼女に、幼いながらに感じたあの人と同じ雰囲気を重ね合わせてしまったみたいだ。




