095話 選ぶ権利 ― 銀の女帝が肯定するもの
――灰港連絡都市・中層区。
夜。
雨は降っていない。
だが、街は濡れていた。
港の灯りがアスファルトに反射し、
人の影がゆっくりと伸びては消える。
ノアは、拠点のバルコニーに立っていた。
昼よりも静かで、
夜よりも生々しい時間。
◆◆◆
「……考え込んでる顔ね」
背後から、ソフィアの声。
ノアは振り返らない。
ただ、街を見たまま答えた。
「はい」
否定もしない。
誤魔化しもしない。
ソフィアは隣に立つ。
距離は近いが、干渉しない。
「灰港はどう?」
彼女は軽く聞いた。
ノアは少し考える。
「……前に見てきた戦場とは、違います」
「そう」
ソフィアは短く答えた。
◆◆◆
しばらく、二人とも黙っていた。
遠くで、
トラックが通り、
誰かが笑い、
シャッターが閉まる音がする。
ノアは、静かに口を開いた。
「俺は、何も残らないほうが正しいと思ってました」
ソフィアは、驚かない。
もう、分かっていたからだ。
「記録も、意味も、名前も」
「全部消えれば、
次に使われない」
それは、
彼が“生き残るために選び続けてきた答え”。
「でも……」
ノアは街を見る。
「ここは、
残ってるから、
壊しにくくなってる」
◆◆◆
ソフィアは、ゆっくり息を吐いた。
「それに気づいたなら」
視線を前に向けたまま、言う。
「あなたは、もう《空白》だけじゃない」
ノアが、わずかに目を見開く。
「……それは、否定ですか?」
ソフィアは、首を振った。
「肯定よ」
はっきりと。
◆◆◆
「ノア」
ソフィアは、初めて彼の名を呼ぶ。
「戦場を消す力は、確かに必要だった」
「あなたが関わった戦場が、
記録も残さず終わったからこそ、
救われた場所もある」
ノアは黙って聞く。
「でもね」
ソフィアは続ける。
「それは“選択肢の一つ”でしかない」
◆◆◆
ソフィアは、街の明かりを指差す。
「都市を潤すこと」
「流れを作ること」
「人が“守りたい”と思う状態を残すこと」
「それもまた、
戦争を防ぐやり方よ」
ノアは、静かに言う。
「……俺が、変わったと思いますか?」
ソフィアは、少しだけ微笑んだ。
「いいえ」
即答だった。
「あなたは変わってない」
「“選べるようになった”だけ」
◆◆◆
ノアは、その言葉を反芻する。
選ぶ――
ということは、
正解が一つじゃない世界に立つということ。
「前は、
終わらせるしかなかった」
ノアが言う。
「今は?」
ソフィアは、彼を見る。
ノアは、少し間を置いて答えた。
「……終わらせるか、
続かせるか、
決められる」
◆◆◆
ソフィアは、その答えに満足した。
「それが、ゼロバレットにいる意味よ」
彼女の声は、静かだが揺るがない。
「私たちは、
戦争を売ってきた」
「だからこそ、
戦場を選ぶ責任がある」
ノアは、初めてソフィアの方を見る。
「……俺が、
この先も、
街を潤す選択をしたら」
少し、躊躇いながら。
「それでも、
ゼロバレットにいていいですか?」
◆◆◆
ソフィアは、即答した。
「もちろんよ」
そして、少しだけ声を低くする。
「むしろ――」
「それが出来る人間が、
ここには必要」
◆◆◆
街の灯りが、また一つ増える。
ノアは、ゆっくりと頷いた。
「……じゃあ」
小さく、しかし確かに。
「俺は、
もう“何も残さない”だけの人間じゃありませんね」
ソフィアは、穏やかに笑った。
「ええ」
「あなたは、
“残すかどうかを選べる人間”よ」
◆◆◆
その夜。
灰港は、まだ危険な街だ。
明日も、争いは起きるだろう。
だが――
この街は、
今日より少しだけ、
“壊しにくい街”になった。
それを選んだのは、
誰かを撃った者ではない。
何も撃たず、
何も奪わず、
それでも“残す”ことを選び始めた少年だった。
そして、
その選択は――
銀の女帝によって、確かに肯定された。
――次回更新:2月23日17:30公開予定
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『ゼロバレット』続編、096話「歪む静寂 ― 選ばれなかった者たち」――
をお楽しみに!




