05話 山の拠点と透き通る湖
――チュン……チュン……。
夜が明けた。
砂丘の向こうから朝陽が昇り、
乾いた世界をゆっくりと金色に染めていく。
焚き火の残り火がくすぶり、
灰の中でまだ赤い火種が**パチ……パチ……**と音を立てた。
ノアはゆっくりと目を開ける。
黒猫が胸の上に丸まって眠っていた。
その小さな重みが、妙に心地よい。
「……朝か」
ぼそりと呟くと、隣のネロが寝返りを打った。
「うるせぇ……もうちょい寝かせろ……」
「はいはい、起きるわよ二人とも」
ソフィアの声が静かに響く。
白いリネンシャツの袖をまくり上げ、湯を沸かしている。
カサンドラは地図を広げ、出発準備を整えていた。
――ザザッ。
猫たちが焚き火の灰を踏みながら、
尻尾を立てて歩き回る。
「おはよう、みんな」
ソフィアが優しく笑い、黒猫を抱き上げる。
「もうすぐ着くわよ。ゼロバレットの“家”に」
ノアはその言葉を反芻した。
“家”――
自分にとって、ずっと縁のなかった言葉だ。
正午前、ジープは再び走り出した。
道は徐々に傾斜を増し、
草の色が濃くなる。
木々の葉が風にざわめき、
鳥の鳴き声が遠くで響いた。
「空気が変わった……」
ノアが呟く。
砂の匂いが薄れ、代わりに湿った森の匂いが鼻をくすぐる。
「標高が上がってるのよ。山の空気ね」
ソフィアが微笑む。
「この辺りは、昔は“聖域”と呼ばれていた場所なの」
「今は……」
「ゼロバレットの拠点」
ネロが欠伸交じりに言った。
「ま、静かだし、戦争の匂いもしねぇ。最高の隠れ家だ」
――ゴウン……ゴウン……。
岩肌を削るようにジープが登る。
エンジンの熱がこもり、車内に焦げた油の匂いが漂った。
しばらく進むと、木々の隙間から光が差し込み、
一面に青い輝きが広がった。
「見て」
ソフィアが指を伸ばした。
そこには、
底まで見えるほど透き通った湖があった。
太陽の光が水面を揺らし、鏡のように空を映している。
風が吹くたび、波紋がゆるやかに広がり、
その音が静かな鼓動のように響いた。
「……きれい」
ノアが小さく呟いた。
その声には、戦場では見せなかった“人の温度”があった。
「この湖の水は、拠点の命脈なのよ」
ソフィアが車を止め、降りる。
「ここから汲んだ水で食事を作るし、怪我の治療にも使う。
この澄んだ水があるから、みんなここで生きられるの」
ノアは湖面を覗き込み、
手を伸ばして水を掬った。
ひんやりとして、指の間から透明な雫がこぼれ落ちる。
「冷たい……」
その瞬間、
三毛猫がぴょんっと飛び降り、湖辺を駆け回った。
白猫は水面を覗き込み、黒猫は砂を掘り始める。
「こらこら、湖で遊ばないの!」
ソフィアが笑う。
けれど、その笑顔にはどこか安堵が滲んでいた。
――この場所は、“血の匂い”がしない。
それだけで、十分に救いだった。
湖の奥、森の向こうに、
鉄とコンクリートで作られた複合施設が見えてきた。
広い中庭、整備された射撃場、訓練棟、医務室、研究ラボ――
その全てが木々に囲まれ、自然と調和するように作られている。
「ここが、ゼロバレットの拠点」
ソフィアが誇らしげに言った。
「これからあなたが暮らす“もう一つの戦場”よ」
「……戦わなくても、いい場所もあるのか」
ノアが問うと、
ネロは肩をすくめて笑った。
「戦うために生きてる連中ばっかだが――まぁ、居心地は悪くねぇさ」
カサンドラがジープを降り、髪を結い直す。
「みんな、今夜は歓迎会よ。ソフィアが張り切ってるわ」
「ふふっ、当然でしょ。久しぶりの新人だもの」
ソフィアの声が明るく響く。
湖面を渡る風が、彼女の髪をそっと揺らした。
ノアはその光景を目に焼きつけた。
――戦場では決して見られない“生の光景”。
彼はゆっくりと息を吸い、
胸の奥に広がる新しい空気を感じた。
「……ここで、俺は――」
小さく呟いた言葉は、風に溶け、
湖の水面に波紋を残して消えた。
こうして、
“空白”と呼ばれた少年ノアの、新たな居場所が始まる。
――次回更新:明日17:30公開予定
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『ゼロバレット』続編、06話「星を映す湖の夜」――
をお楽しみに。