046話 無音の夜 ― ノア視点①
――ガリレア砂漠戦線・中央走廊。
時刻 20時59分。
“音”が消えてから、まだ六分しか経っていない。
だが、六分で戦場は“地獄”に変わった。
爆風は上がり、車両が吹き飛び、敵兵が宙を舞う。
それなのに――まったくの無音。
まるで、世界が息を止めたようだった。
ノアは砂煙の中を、静かに歩いていた。
護衛も、支援もいない。
背後には、誰の足音も付いてこない。
(……この感じ。思い出すな。)
彼は、胸の左上を軽く触れた。
そこにはまだ、ゼロバレットの刻印はない。
ただ、薄い布越しに、強く脈打つ心臓だけがある。
(この静寂。
俺の“心”が揺れている。)
ノアは足を止めた。
砂嵐の向こうで、
敵突撃部隊の前衛が迫っている。
歩兵500名以上。
背後には軽装甲車両、戦術車両、
そして中央には、指揮官用の防護車がゆっくり進んでいた。
だが“音がない”。
爆裂音も轟音も、衝撃音もない。
あるのは――
震える空気と、ノアの呼吸だけ。
ノアは刃を抜くこともなく、
ただ前へ歩いた。
敵兵の一人がノアを見つけ、
口を開く。
だが声は聞こえない。
その兵が銃を構え――
唐突に吹き飛んだ。
ノアは、まだ一歩も踏み出していない。
その瞬間、
――空気が揺れた。
敵は、ノアの動きを“目で見えていない”。
ノアの視界だけが、
世界と別の速度で動いていた。
(……視線の揺れが遅い。)
ノアは無音の戦場を、
まるで“ゆっくり流れる川”のように感じていた。
次の瞬間、ノアは前に消えた。
光が一筋、砂煙の中を走る。
その直後――
敵前衛の10名が、同時に崩れ落ちた。
刃を抜く音すらない。
響く音は、倒れた死体の砂を叩く音だけ。
(……遅い。)
ノアは表情ひとつ動かさず、
次の敵へ歩いていく。
敵の一団が包囲し、
一斉射撃が行われる。
しかし弾丸は、
ノアに触れる“前に”逸れていく。
照準の揺れ、
引き金を引く筋の震え、
呼吸の波――
そのすべてが、ノアには“高速で見えている”。
(銃弾が遅く見える。)
ノアは敵兵の胸元にまで歩き、
その喉を、横へ丁寧に裂いた。
返り血が飛ぶ。
だが音はない。
敵兵の一人が、恐怖に顔を歪めた。
声を上げているが、聞こえない。
ノアはその顔を見つめた。
(……こういう顔を見ると、
あの時の俺を思い出すな。)
幼い頃、戦場孤児として拾われたころ、
敵に囲まれて震えていた自分。
その頃のノアと今のノアは、
もう同じではない。
“均衡”を取るために戦う男になった。
ノアは敵兵の銃を奪い、
迷いなく、その頭を撃ち抜いた。
――光だけが走る。
倒れる音は、無音の世界に吸われていった。
(……あと、400人。)
ノアが再び走り出したそのとき――
遠く、砂丘の上で閃光が三つ弾けた。
(……あれは。)
ノアの目は強く細められる。
スコープの反射。
敵狙撃手の破壊。
そして――もう一度、別の角度で閃光。
(撃ち方が……綺麗だな。)
ノアは理解した。
(あの距離で、
しかも無音で、
このタイミング……)
狙撃主は“天性の呼吸”で撃っている。
ノアの脳裏に、
ある“最強の狙撃手”が浮かんだ。
戦況報告書にもほとんど載らない、
だが成果だけを残していく謎の狙撃班。
(……あれが、あいつか。)
このときノアは、
まだ“名前”を知らない。
だがその狙撃手が、
同じ戦場で彼の命を救っていることを――
無意識に感じていた。
(あそこに、俺と同じ戦場を歩む奴がいる。)
ノアは微かに笑った。
その刹那――
砂丘の向こうから、敵の重火力車両が出現。
砲口がノアを狙う。
(砲撃か。厄介だな。)
無音の砲撃は避けづらい。
音がないぶん、衝撃でしか判断できない。
砲口が光を帯びた瞬間――
ノアの右足が砂を蹴った。
同時に砲撃が炸裂する。
光と砂煙が爆発し、
ノアの影が空中へ舞う。
(……見えた。)
ノアは空中で刃を抜く。
砂塵の中、敵砲兵の姿がはっきりと見えた。
ノアの瞳孔が収縮する。
そして――落下と同時に、
彼は敵砲兵の首を斬り落とした。
影が砂漠に沈み、
血が静かに染みた。
ノアは息を整えながら呟く。
(あとは……後衛の指揮官部隊が残ってる。)
そのとき――
砂丘の頂点に、人影が動いた。
月光で一瞬だけ照らされたその輪郭。
ライフルを肩に担ぎ、
砂丘の上からこちらを観察している。
遠くて顔は見えない。
だが、その“構えの癖”に、ノアは見覚えを感じた。
静かに息を吐きながら、
規則正しいリズムで銃を構える。
無音の世界で、
その動きだけが美しいほど精密だった。
(やっぱり……あの狙撃手だ。)
ノアは血に染まった刃を軽く振るい、
その狙撃手へわずかに手を挙げた。
もちろん相手に見えるかどうかは分からない。
無音の戦場では、合図すら伝わらない。
だが――
砂丘の上の狙撃手もまた、
微かにライフルを下げた。
まるで「見ている」と言うように。
――アシュレイ・ケイン。
その名前をノアが知るのは、
二年半後、ゼロバレットのヘリの中。
でも、この夜。
確かに二人は共闘していた。
互いに気づかず、
互いの死角を自然に埋め合い、
この“無音の夜”の戦局を――たった二人でひっくり返していく。
(……悪くないな。)
ノアは刃を握り直し、走りだした。
音のない夜の中で、
彼の足音だけが、世界を揺らしていた。
――次回更新:12月11日17:30公開予定
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『ゼロバレット』続編、047話「無音の夜 ― ノア視点② ヴァルキリー8」――
をお楽しみに!




