02話 銀の護衛と白の秤
――バチッ。
風が焼け焦げた弾丸を転がし、血の匂いを運んだ。
湿った夜気の中に、金属と硝煙の味が重く漂う。
夥しい死体が転がる戦場の中央。
ノアとソフィアの短い邂逅は、ひとまず幕を閉じようとしていた。
だがそのとき、背後の廃墟から――
カツン、カツン……。
足音が響く。硬質で、迷いのない歩み。
銀髪を夜明けの月光に反射させる青年が、瓦礫の影から姿を現した。
彼の名は――エンデン・ネロ。
白のリネンシャツの第三ボタンまでを外し、風に裾をなびかせている。
無造作で怠惰そうな姿。
だが、その瞳は眠る獣のように冷たく、光を捕らえた瞬間、空気がビリリと震えた。
「……戦場の空気が変わったと思ったら。
ソフィア、また妙な拾い物をしてきたな」
低く乾いた声が、静寂を裂いた。
ノアに向けられた視線は鋭く、冷たい刃のよう。
肌に刺さるような覇気に、少年は息を詰める。
だが、その眼差しから逃げなかった。
「あぁ……いい目だ。子供にしては、ずいぶん肝が据わってる」
ネロは口角を上げ、わずかに笑う。
その直後、
コツ、コツ、コツ……。
ヒールの音が近づいた。
月明かりの中に、白いスーツの女が現れる。
天秤のペンダントが胸元で光を反射し、淡く瞬いた。
――カサンドラ。
「また拾ってきたの? ソフィア」
「ええ。放っておけなかったのよ」
ソフィアは微笑み、肩に乗った黒猫の頭を撫でる。
ネロは半眼のまま、ため息をついた。
「……お前の“拾い癖”は、いつか命取りになるぞ」
「そうかしら? 命を拾うのも、悪くないわ」
ソフィアの声には、戦場ではあり得ないほどの柔らかさがあった。
カサンドラは、ノアを見下ろして口を開く。
「私はカサンドラ。“白き天秤”。裏切りと不正を秤にかけ、重い方を沈める女。
覚えておきなさい――私に嫌われれば、あなたはここで生き残れない」
ノアは一瞬も目を逸らさずに答える。
「……嫌われないようにする」
カサンドラの唇がわずかに釣り上がる。
「言うじゃない」
ソフィアが手を叩く。パンッ。
「さて。立ち話もなんだし、ここを離れましょう。迎えを用意してあるわ」
ドドドドド……!
廃墟の奥から、風圧とともにローター音が響く。
砂煙が巻き上がり、真っ黒な軍用ヘリがゆっくりと降下してきた。
金属の羽音が夜を切り裂き、風が三人の髪を乱す。
ノアは目を細め、その轟音の中を一歩踏み出した。
――
夜明け。
ヘリが**キィィ……**と油の焼ける音を立てて着陸する。
降り立った先は、戦場とはまるで違う世界。
朝の街は人の声と、パンを焼く香ばしい匂いで満ちていた。
露店から立ち上る湯気、行き交う笑い声。
ノアは思わず立ち止まり、目を細めた。
「……にぎやか」
「そうね。戦場しか知らないあなたには、眩しいでしょう?」
ソフィアは黒猫を抱き直し、少し笑う。
ネロは辺りを警戒しながら、低く言った。
「買い物は手短に済ませろ。俺たちは目立つ」
カサンドラは肩をすくめ、ヒールを鳴らす。
「どうせ拠点まで二日かかるんでしょ? 少しくらい寄り道してもいいじゃない」
「……はぁ。女どもはこれだから」
ネロの呟きは風にかき消された。
市場のざわめきの中を歩く彼らの背後で、
ソフィアはふと立ち止まった。
ミャァ……。
かすかな鳴き声。
足元の影に、古びた木箱が置かれていた。
その中で、白猫と三毛猫の子猫が身を寄せ合い、震えている。
「まぁ……あなたたちも行くあてがないのね」
ソフィアはしゃがみ込み、迷いなく二匹を抱き上げた。
子猫たちは小さく**キュウ……**と鳴き、彼女の胸に顔を埋めた。
ネロ:「……またかよ」
ソフィア:「うちの子たちは、賑やかな方がいいの」
カサンドラ:「これで猫、三匹目ね?」
ソフィア:「ええ、でもたぶん、まだ増えるわ」
ノアは、その光景を無言で見つめていた。
血と煙に覆われた戦場しか知らなかった少年にとって、
その小さな命を抱く手の温もりは――初めて見る“人の優しさ”だった。
風が通りを抜け、パンの香りと油の匂いを運ぶ。
ソフィアは微笑み、猫たちを撫でながら言った。
「さ、行きましょう。人の世界も、悪くないでしょ?」
ガチャリ……。
その直後、どこかで金属が擦れる音。
安全装置の外れる小さな音が、雑踏のざわめきに溶けた。
ノアがわずかに目を細める。
“気配”が――動いた。
このとき、彼らの背後で幾つもの銃口が、静かに狙いを定めていた。
まだ誰も知らない。
それが、ゼロ・バレットの物語の“最初の引き金”になることを――。
――次回更新:明日17:30公開予定
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『ゼロバレット』続編、03話「白き影と金の刃」――
をお楽しみに。