第一話 転生者は目覚めたい!!
「ゴボッ」
体が重たい。
動かない。
いや、それも当然か。だって動こうとしていないのだから。脳から命令を送っていないのなら、体が動くはずもない。つまるところ───ボクは動く気がないのだ。
落ち着く。
暖かい布団に包まって休日にのんびりと過ごすあの感覚だ。何故だが知らないが落ち着く。一説には人間は産まれる前のことを何処かで覚えていて、こうして何かに包まれると母親の胎にいると錯覚してしまうのだという。
でも不思議だ。
何故、母親の胎の中ではなく試験管の中で産まれたボクにもその感覚があるだろうか?
「────、───」
フスー、フスーと空気が抜ける音がする。きっとうまく呼吸ができていないのだろう。
動かない体、暖かい感覚、酸欠。
この三つが揃えば眠くなるのも当然か。何も考えたくない。このまま寝てしまおう。だって仕方がない、生理現象なのだから。
瞼を閉じ……元々閉じていたね。
それでも瞼を動かすように命令を送ったボクの脳は、眠かったのが原因なのか瞼を「どうする」のかを伝え忘れていたみたいだ。
「瞼を動かせ」。マトモに回らない脳みそから送られてきた電気信号を受信した瞼は、とにかく命令を果たさんと閉じた瞼を動かす。───そう、閉じているなら開けなくては。命令に愚直に従った瞼はゆっくりと開き始める。
「────」
目の前に広がるのは一筋の光だ。眩い、文明の灯火。人々が夜の闇に逆らって生きるための文明の力。時折、影が光を遮る。
視覚が機能を回復するにつれて、聴覚やその他の機能も回復し始める。やがて溢れ出る情報を処理しきった脳は、ボクの体をもう一度しっかりと掌握する。
「──ゲボッ!」
脳から送られた命令に従い、ボクの喉は回復した触覚で感知した異物を吐き出す。
ベチャッ、という音が聞こえる。ボクの目はその異物の正体を視界に収める。
「ァ゙──ガァ゙──」
赤。視界を埋め尽くすその情報にボクの口は思わずそう言葉を紡ぐ。なんだコレ。脳は疑問に答えるべく記憶を掘り起こす。
「───、──ね」
「──!そ───い──」
「よ────け──」
記憶を漁る間、今度はボクの耳が音を捉える。何処か弾んだ、明るい声。男か女か、あるいは老人か若者か。よく分からないけど楽しそう───そういう気持ちは伝わってくる。
嗚呼、羨ましい。
ボクは脳に記憶の掘り起こしを辞めさせ、体へと一つの命令を送らせる。
───動け、ただ光のほうへ。ほんの少しでも。
命令を受けた体はその身の奥に宿るほんの僅かな力を抽出し、ゆっくり這うように動き始める。
右腕の筋肉に力を込め、目の前に置く。
グニュッ、先ほどボクが吐き出したモノを手のひらで潰す感触が伝わってくる。
左腕の筋肉に力を込め、更に右腕の向こうに置く。
体は前に倒れ、全体重を受けたボクの両腕はその衝撃で折れそうになる。
もう一度、右腕の筋肉に力を込め───動かない。どうやらこれが限界のようだ。もう僅かにも前に進むことなどできないだろう。
ならばせめて、あの光をもっと見たい。両腕を体の前についた状態で、ボクは光へ───真っ暗な路地裏から見える光り輝く通りをじっと見つめる。
じっと見つめる。
じっと───。
じっと。
じ──。
─。
。
「────」
最期に聴こえたのは何だったのだろう。
冬の寒い日、夜の刻。そこら中にある真っ暗な路地裏の一つで。
胸を血で真っ赤に染め上げた彼は静かに死んだ。
ここではない世界で。
産まれた世界で。
ボクは死んだ。
§ § §
PiPiPi……PiPiPi……PiPiカチッ!!
……。
「────」
夢を、観ていた気がする。懐かしい夢。昔に実際に体験した夢。
包まっていると、とても落ち着く暖かい布団をめくる。
めくった瞬間、冷気が肌を撫でる。思わず身震いしながら、ボクは上体を起こし、先ほどボクを夢から醒めさせたブツ───目覚まし時計に目を向ける。
時間は───8時15分。
日付は───1月16日土曜日。
気温は───2度。
カーテンが閉め切られ、真っ暗な部屋の中で画面が光り輝く目覚まし時計を見たボクは、今度は手で暗闇を弄りカーテンを探る。
ガサッ、という音ともにボクの手に当たったカーテンが揺れ動き、外から入ってこようとする太陽の光を部屋の中にチラつかせる。
ボクは手に当たった部分からカーテンの割れ目を探し、両手でシャッっと勢いよく両側に開ける。
「おはよう」
太陽の光が部屋全体を照らす中で、ボクは誰にともなくそう呟いた。
「おはよう」
「おはよう!!おねえちゃん!!」
「おはよ〜さん」
「おお、おはよう」
休日特有ののんびりとした動きで、自室がある二階から降りたボクは一階のリビングにいる三人の人間───家族に朝の挨拶をする。
キッチンの向かいに位置する食卓には色とりどりの食事が並んでいる。牛乳、ヨーグルト、パン、スクランブルエッグ、ソーセージ、サラダ……。キッチンの方からは仄かなコーヒーの匂いも漂ってくる。
「ご飯は準備してるから顔洗って食べなさい」
洗濯かごを持ちながら洗面所から出てきた女性───ボクのお母さんはそう言うと、洗濯物で一杯のかごを抱えてボクとすれ違うようにして二階への階段を登っていく。
「ごちそうさま!!」
食卓に座って先ほどまで食事を摂っていた少年───ボクの弟はそう言うと、自分の使ったお皿とコップを持ってキッチンの流しへ向かう。
「早く準備しなさい。車で送ってあげるから」
リビングのソファに座りながらテレビを観ていた男性───ボクのお父さんはそう言うとリモコンを操作してテレビを消し、ボクのほうを見る。
「おはよう。天気予報では今日は1日晴れるそうだ。どうだ?何か予定があるならお前も送ってやるぞ───アオイ」
アオイ───ボクの名前を呼んでお父さんはじっとこちらを見つめてくる。ボクのお父さんは警察官だ。前に聞いたことがあるが、けいしせい?と言う役職を持っているようだった。正直この国の司法制度をいまいち理解してないので、それがどれだけ偉いのかは分からない。
でも、その長い経験が積み上げてきたモノは確かに根付いているのだろう。仕事柄だろうか、お父さんの視線からはあらゆる情報を逃さんとする気配を感じる。ボクはこの視線が少し苦手だ。昔、ボクを指揮していた監督官を思い出す。あの人もこうして探るような目で実際に色々な情報を入手する術を持っていた。……っと、視線に怯んでいつまでも黙ってる訳にはいかない。
「大丈夫、今日は家にいるよ」
首を左右に振ってボクは答える。
ドダバダドダバダ。
恐らく弟が着替えているのだろう、洗面所から聞こえてくる足音を耳に入れながらボクは尋ねた。
「お父さんは今日も仕事?」
「そうだ。少々面倒な事件を追っててな。スグルをサッカーの練習に送ったらそのまま仕事だ。もしかしたら終わるまで帰ってこれないかもな」
「そうなんだ。気を付けてね体調とか」
スグル───ボクの弟はサッカーをしている。確かポジションはゴールキーパーだったような?流石のボクもサッカーのルールぐらいは分かる。ゴールキーパーは中々大事な役割のようだ。
しかしなるほど、スグルはサッカー、お父さんは仕事、お母さんは……たぶん家だろう。もしかしたら買い物に出かけるかもしれないが。
「その事件って──「お父さん準備できた~〜!!行こ〜〜!!」──……」
聞こうと思ったことがスグルに遮られてしまった。お父さんもボクが何か聞こうとしたことに気付かなかったのか、そのまま玄関に向かってしまう。ああ……。
……でもまあ、これくらいは言うべきだろう。
「行ってらっしゃい」