聖女ミレイユ登場! 無職、信仰国家の聖女に絡まれる
宰相が姿を消した後も、広場にはまだざわめきが残っていた。
兵士たちは顔を見合わせ、民衆は「無職ばんざい」と叫ぶ者と「異端かも……」と不安げに呟く者に割れている。
そんな中――鐘の音が響いた。
清らかで透き通るような音色に、場の空気が一気に変わる。
白い衣をまとった少女が、ゆっくりと門から姿を現した。
淡い金髪が光を受けてきらめき、青い瞳は迷いなく真っ直ぐ前を見据えている。
その足取りに合わせ、民衆は次々と膝をついた。
「……あれは……」
セレーネが驚きに目を見開いた。
「クロニカの聖女――ミレイユ……!」
聖女は俺の前に立ち止まり、微笑みを浮かべる。
「あなたが……無職の英雄ユウマですね?」
「……いや、無職だけでいいんだけど」
思わず即答してしまう。
すると聖女はくすりと笑った。
「無職でありながら未来を救う……まるで神の奇跡のようです」
「奇跡っていうか、便所掃除と草むしりなんだけどな」
俺が肩をすくめると、周囲からくすくす笑い声が漏れた。
しかしミレイユの瞳は真剣そのものだった。
「どうか……このクロニカで、あなたの力を見せてください。
記録の秩序を乱すのか、それとも救うのか……私自身の目で確かめたいのです」
聖女ミレイユの言葉に、民衆はどよめいた。
「聖女様が無職を試すのか……?」
「でも英雄だって聞いたのに……」
期待と不安が入り混じった視線が、一斉に俺に注がれる。
「……試練って言ったな」
俺は鍬を肩に担ぎ直し、眉をひそめた。
「便所掃除競争とかじゃねぇだろうな」
「ふふ、それも面白そうですが……」
ミレイユは小さく笑い、両手を胸の前で組んだ。
「私が望むのは、“記録に残らぬ行い”を見せていただくことです」
「記録に残らねぇ……?」
聖女は広場の端を指さした。
そこでは、貧しい服を着た母子が倒れた荷車の前で困り果てていた。
中には食料が山ほど詰まっている。
兵士たちは見て見ぬふりをし、誰も助けようとしない。
「彼らは記録に名を残さぬ庶民。
だからこそ、誰も助けません。
もしあなたが本当に“記録を超える者”なら――記録に刻まれぬその行いを示してください」
ざわっ、と民衆が揺れた。
「記録に残らぬ行い……」「それは無駄では……」
兵士たちも怪訝そうにこちらを見ている。
俺は鼻で笑った。
「はん。そんなの、俺の仕事じゃねぇか」
セレーネが目を丸くし、リオンが苦笑する。
「やっぱり雑用魂だな」
俺は鍬を握りしめ、倒れた荷車へと歩き出した。
荷車のそばに近づくと、母親が必死に子供をかばいながら、必死に食料袋を抱えていた。
「だ、大丈夫ですか?」
「……すみません……でも兵士様に頼んでも、記録に残らぬ庶民は助けられぬと……」
その言葉に、俺は思わず眉をひそめた。
「記録に残らなきゃ助けねぇ? ふざけんな」
鍬を構え、荷車の下に差し込む。
「せーのっ!」
ギギギ、と木材がきしみ、荷車が持ち上がった。
母親と子供を抱え出すと、民衆から息を呑む声が広がった。
「すごい……! 無職なのに……」
「いや、無職だからこそ、か……?」
俺は荷車の中の袋をひょいと持ち上げ、整えてやった。
「ほら、これでまた食えるだろ。……落とさねぇように気をつけな」
母親は涙を流し、深々と頭を下げる。
「……ありがとう、ございます……!」
その瞬間、胸にじんわりと温もりが広がった。
これはどんな記録にも残らない。
けど確かに、誰かの中に刻まれる“ありがとう”だ。
俺は振り返り、聖女を見据えた。
「どうだよ。記録なんかにならなくても、人は助けられるし、感謝は残るんだ」
民衆がざわざわと揺れ始めた。
「……記録に残らぬ英雄……」
「ありがとうを残す無職……?」
聖女ミレイユの瞳が強く輝き、俺をまっすぐに見つめていた。
「……見事です、ユウマ殿」
聖女ミレイユが静かに口を開いた。
その声は澄み切っていて、広場にいる全員の耳に自然と届いた。
「記録に残らぬ行いで、確かに人を救い、感謝を刻んだ……。
まさにあなたの言う通り、“ありがとう”は未来を照らす力なのでしょう」
彼女は微笑みながらも、ふっとその笑みを消した。
「ですが……」
民衆が息をのむ。
「記録と記憶が常に同じ道を歩むとは限りません。
記録は冷徹に事実を刻み、記憶は人の心で揺らぐ。
あなたの力が記録を超えるのなら、いずれ――その矛盾が、大きな災厄を呼ぶでしょう」
空気が一瞬で重くなった。
「……また災厄かよ」
俺は頭をかき、苦笑する。
「便所掃除してりゃ、だいたい水路が詰まるんだよ。
なら、詰まったらまた掃除すりゃいいだけだろ」
リオンが吹き出し、セレーネも小さく微笑んだ。
民衆からも、張り詰めていた空気がほぐれるように笑い声が広がっていく。
聖女はそんな俺を見つめ、再び微笑んだ。
「……ええ。あなたはきっと、そうやって掃除を続けるのでしょうね。
その姿を、このクロニカで見届けさせていただきます」
そう宣言した瞬間、民衆から大きな拍手が巻き起こった。
「無職の英雄だ!」
「記録より強い、ありがとうの人だ!」
――こうして俺は、クロニカ王国に正式に迎え入れられることになった。
だが同時に、“記録と記憶の矛盾”という新たな不穏の種が蒔かれたのだった。




