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GRSI-01 サファイア・エクスプレス号の影  作者: やた


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22.深淵なる記憶の病

 ミリアムの突飛な発言から得られた「多重人格」という仮説。カケルはそれに一縷の望みをかけ、ノアにエドワード・ヴァンスの過去の医療記録を徹底的に調べるよう指示した。ラウンジには重い沈黙が満ち、チームYの面々は、それぞれの持ち場で新たな手がかりを探し続けていた。


 数分後、ノアの鋭い声が響いた。端末の画面に表示されたデータは、彼の論理的な思考を揺さぶるほど衝撃的なものだった。


「カケル、見つけた。エドワード・ヴァンスの医療記録だ。彼の主張は、嘘ではなかった」


 カケルはノアの元へ駆け寄った。ミリアム、イヴァンとエミリーも、緊張した面持ちで画面を覗き込む。


「エドワード・ヴァンスは、過去数ヶ月間、定期的に特定の医療機関を受診していた。その医療機関は、精神神経科を専門とし、特に解離性障害、記憶障害、そして人格障害の治療に特化した、銀河でも有数の評判を持つ施設だ」


 ノアは、データを示しながら説明した。


「つまり、本当に記憶に問題があったってことか?」


 イヴァンが驚いたように言った。


「ああ。記録によると、彼は『解離性同一性障害(DID)の疑い』という診断を受けていた」ノアは続けた。


「しかし、あくまで『疑い』であって、断定はされていない。彼の病状は複雑で、定期的な診察と治療を受けていた形跡がある」


 カケルの表情が固まる。多重人格。ミリアムの直感が、まさかここまで核心を突いていたとは。


「なぜ、そんな診断を受けていたんだ?原因は?」エミリーが冷静に問いかけた。


「具体的な病名や治療内容は秘匿されており、医療記録からは読み取れない。高度なセキュリティプロトコルによって保護されている」ノアは悔しそうに言った。


「ハッキングを試みたが、非常に強固だ。通常の手段では突破できない。ただ、彼の幼少期のトラウマ、特にヴァロリアの悲劇がその発症の一因である可能性が高いと示唆されている」


 その瞬間、ラウンジに重苦しい空気が漂った。ヴァロリアの悲劇。家族を失い、復興の中で育ったエドワード。彼の心には、表面からは見えない深い闇が潜んでいたのかもしれない。


「ということは、彼の『記憶の欠落』は、本当に別の、殺し屋の人格が引き起こしたものだと?」


 イヴァンが信じられないといった様子で言った。


「その可能性が極めて高い。表の人格は事件とは無関係だと信じ込んでいるが、裏の人格がクレイン議員に毒の種を注入した。そして、その間の記憶を表の人格から消去した、とすれば、これまでの全ての矛盾が解消される」エミリーが論理的に整理した。


 カケルは、その仮説の恐ろしさに、背筋が凍る思いがした。もしそうだとすれば、彼らは、単なる殺人犯ではなく、人間の精神の深淵に隠された闇と対峙していることになる。


 しかし、ノアの報告は、さらに続く。彼の目は、新たな、そしてより危険な真実を映し出していた。


「さらに、エドワード・ヴァンスについて深く調べた結果、彼の『裏の顔』について、ある恐ろしい情報が浮上してきた」


 ノアの声には、普段の冷静さとは異なる、わずかな緊張が混じっていた。


「どういうことだ?」カケルが問い詰めた。


「エドワード・ヴァンスは、表向きは貿易会社のビジネスマンだが……銀河の裏社会に詳しい情報筋が、彼のことを『影の職人シャドウ・アーチザン』と呼んでいる記録があった」


 イヴァンが息をのんだ。「影の職人……?」


「裏社会では、特定の依頼を完璧にこなす、正体不明の殺し屋を指す隠語だ。ターゲットを、まるで『事故』や『病死』に見せかけて始末する手口で、極めて痕跡を残さないことで知られている。その手口は、今回のクレイン議員の事件と酷似している。特に、毒物の巧妙な使用方法や、事件から時間を置いて発症させる手法は、『影の職人』の特徴的なものとして語り継がれている」


 ノアの説明に、ラウンジは再び沈黙した。多重人格のビジネスマンが、裏社会で名高い殺し屋?その事実は、彼らがこれまで遭遇してきたどんな事件よりも、異質で、そして恐ろしいものだった。


「そんな馬鹿な……」ミリアムが青ざめた顔で呟いた。「あのエドワードさんが、殺し屋なんて……」


「その可能性がある以上、無視はできない」エミリーが冷静に言った。


「『影の職人』であれば、ごく僅かな時間で毒物を注入する技術を持っていてもおかしくない。彼の表の人格の記憶にないのは、裏の人格が実行したから。そして、それが彼の病によるものならば、彼自身を逮捕しても、殺し屋の人格が再び現れる可能性も否定できない」


「つまり、我々は今、多重人格の殺し屋と密室で対峙している、ということか……」


 イヴァンが、額に汗を滲ませた。彼の屈強な肉体を持つイヴァンでさえ、見えない敵の正体に、本能的な恐怖を感じていた。


 カケルの表情は、いつになく険しかった。これまでの事件で培ってきた彼の冷静な判断力も、この異常な事態には、一時的に動揺を隠せない。多重人格である可能性。そして、それが裏社会で知られた殺し屋の人格である可能性。この二つの情報が結びついた時、事件は一気に解決へと向かう糸口を見出したかに思えた。


 しかし、同時に、それは大きな絶望をチームYにもたらした。エドワード・ヴァンスは、彼らがこれまでの捜査で追い詰めてきた『犯人』とは全く異なる存在だ。彼を逮捕したところで、事件は本当に解決するのか?彼の病は、どうすれば治療できるのか?そして、彼の中に潜む『殺し屋』の人格は、再び現れないと言い切れるのか?


「まだ、『影の職人』の正体がエドワード・ヴァンスであるという確固たる証拠はない。そして、彼が多重人格であるという診断も、あくまで『疑い』だ」ノアが冷静に付け加えた。


「だが、この状況を説明できる唯一の仮説であることは間違いない」


 カケルは、ラウンジの中央に立ち尽くした。彼らは、今、見えない敵と戦っている。彼の心臓は、重く、そして速く鼓動していた。この密室で、彼らは真実を暴き、そして、この恐るべき殺人鬼を止めなければならない。だが、その方法は、彼らがこれまで経験したことのない、新たな挑戦となるだろう。

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