18.CEOの証言
ライラ・ハディッドの個室を出た主任車掌姿のカケルは、廊下を歩きながら、今回の尋問で得られた情報を頭の中で整理していた。ライラが監視カメラを妨害したのは事実だが、殺意は否定している。彼女の言葉が真実だとすれば、犯人はライラの行動を逆手に取り、自分の犯行の目くらましに使ったことになる。この事件は、彼が想像していた以上に、深く、そして複雑に絡み合っていた。
その時、インカムが短い電子音を鳴らした。エミリーからだ。
「カケル、緊急報告よ」
エミリーの声には、わずかな興奮と緊張が混じっていた。
「どうした、エミリー?」
カケルは足を止めた。
「ラウンジ内を、特殊な高感度センサーで毒物反応を探っていたの。クレイン氏の席からは、もちろん彼の体内から検出されたものと同じ毒物反応が強く出た。でも、それだけじゃない」
エミリーは一呼吸置いた。
「ヴェラ・シモンズが座っていた席の周辺からも、毒物反応が出たわ。ただし、クレイン氏に使用された毒物とは、別の種類の毒物反応よ」
カケルの眉間に皺が寄った。別の毒物反応?なぜヴェラの席から?
「詳細を報告しろ」
「ええ。クレイン氏の体内から検出されたのは神経毒だった。でも、ヴェラの席から検出されたのは、より即効性の高い、接触型の麻痺毒の反応よ。ごく微量だけど、確かに反応があった」
「麻痺毒……ヴェラが、何を企んでいたのか」
カケルは呟いた。
「ヴェラ・シモンズの現在の位置は?」
「個室で待機中よ」
エミリーが答える。
「よし。このまま、ヴェラ・シモンズの個室へ向かう。イヴァンは引き続きラウンジ内を。ノアは列車の全てのデータと、特にヴェラ・シモンズの過去の情報を徹底的に洗い出せ」
カケルは指示を出し終えると、足早にヴェラの個室へと向かった。ヴェラ・シモンズ。銀河最大の資源採掘企業『ギガ・マイン』の若きCEO。彼女がクレイン氏の政策によって、多額の損失を被る可能性があったことは、すでに把握している。だが、別の毒物……それが意味するものは何なのか?
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ヴェラ・シモンズの個室のドアをノックすると、すぐに中から「どうぞ」という冷たい声が返ってきた。室内には、ヴェラが一人、ソファに深々と座っていた。彼女は書類端末を操作していたが、カケルが入ってくると、それを静かにテーブルに置いた。その表情には、一切の動揺が見られない。
「シモンズ様、夜分遅くに申し訳ありません。主任車掌のラウル・ベネットです。再度、お話を伺いに参りました」
カケルは、あくまで丁寧な口調で切り出した。
ヴェラは、冷淡な視線をカケルに向けた。
「また私に何か?尋問はもう終わったはずですが」
「はい。ですが、新たな事実が判明しました。先ほどの捜査で、貴方の座っていた席の周辺から、特定の毒物反応が検出されました」
ヴェラの表情に、ピクリとも変化はない。まるで、予期していたかのように、彼女は片眉を上げただけだった。
「毒物、ですって?一体、どのような?」
「クレイン議員の体内から検出されたものとは別の、即効性の麻痺毒の反応です。ごく微量ですが、確かに検出されました」
ベネット車掌は、彼女の反応を注意深く観察した。
ヴェラは、そこで初めて、口元に微かな笑みを浮かべた。それは嘲笑とも、諦めともとれるような、不思議な笑みだった。
「これのことかしら?」
そう言うと、ヴェラはゆっくりと右手をハンドバッグに差し入れた。カケルの緊張がわずかに高まる。しかし、ヴェラが取り出したのは、ごくごく普通の、しかし洗練されたデザインの一本のペンだった。彼女は、それを指先で器用に弄びながら、カケルに向けて差し出した。
「どうかしら?私にとっては、ただの仕事道具ですが」
カケルは、ドロイド警備員に目配せをした。ドロイドはすぐにペンに近づき、小型のスキャナーで分析を開始する。
「分析結果:このペンは、内部に液体を充填できる改造が施されており、先端は極めて細い針状になっています。通常の筆記機能も有していますが、特殊な圧力によって、内部の液体を射出することが可能。先ほどの毒物反応と一致する麻痺毒の残渣が検出されました」
ドロイドの無機質な報告が、部屋に響き渡る。ヴェラは、涼しい顔でその報告を聞いていた。
「これは護身用のペンよ」
ヴェラは、挑発するように言った。
「護身用、ですか?」
カケルは問い返した。
「私の仕事は、ギガ・マインのCEOとして、常に危険と隣り合わせなの。巨大な利権が絡むこともあれば、ライバル企業からの妨害、あるいは、私の決定によって不利益を被る者からの報復。命を狙われる可能性は、決して低くないわ。だから、常に最低限の護身手段は持ち歩いている。このペンに仕込んであるのは、確かに麻痺毒よ。だが、それはあくまで、万が一の事態に備えてのもの」
彼女の言葉には、確かな説得力があった。銀河社会の裏側では、企業のトップが命を狙われることは珍しいことではない。
「では、その毒を、クレイン議員には使用してないんですか?」
ベネット車掌は核心を突いたが、ヴェラは、くすりと笑った。
「まさか。私は、彼にこのペンを使った覚えは一切ないわ。彼の死は、私にとっても寝耳に水よ。それに、もし私が彼を殺すなら、こんな安っぽい方法ではやらないわ」
彼女の言葉には、強い自信と、ある種の傲慢さが含まれていた。しかし、その冷淡さが、かえって彼女への疑念を深める。
「では、なぜ、それが貴方の席で反応したのですか?」
「おそらく、持ち歩いているうちに、微量の薬剤が滲み出て、私の席の周囲に付着したのでしょう」
ヴェラは、淡々と答えた。
「クレイン議員の件は、全くの偶然よ。彼が倒れた時、私はこのペンを握りしめていたけれど、彼に近づことさえしなかったわ」
彼女の言葉には、依然として動揺が見られない。その冷静さは、嘘をついているようには見えないが、同時に、あまりにも割り切りすぎているようにも感じられた。
「貴方の企業『ギガ・マイン』は、クレイン議員が推し進める和平政策によって、多大な損失を被る可能性があったと伺っています。その件については?」
ベネット車掌は、核心を突く質問を投げかけた。
「ええ、その通りよ。彼の理想主義的な政策が、現実の経済に与える影響を私は危惧していた。私の会社にとって、クレイン議員の政策は、確かに大きな打撃になるものだったわ」
ヴェラは、一切隠すことなく認めた。
「だけど、それが理由で彼を殺す?馬鹿げているわ。政治家なんて、星の数ほどいるのよ。一人が死んだところで、法案の行方が劇的に変わるとでも?それに、私は、常に会社の長期的な利益を考えているわ。短期的な損失はあっても、長期的には新しい市場や技術で補填できる。むしろ、彼の死で銀河経済が混乱すれば、私のビジネスにとってもマイナスでしかない」
ヴェラの言葉には、ビジネスマンとしての合理性が感じられた。彼女の言う通り、一人の政治家の死が、巨大企業の命運を決定的に変えることは少ないだろう。だが、その冷徹な論理が、彼女の持つ「冷酷さ」を際立たせていた。
彼女の口調は、あくまでも論理的で、ビジネスライクだった。彼女にとって、クレインの死は、感情的な問題ではなく、あくまで経済的な損得勘定の対象でしかなかったのだ。その冷酷なまでに合理的な思考は、逆に彼女の言葉に真実味を与えているようにも思えた。
ベネット車掌は、唸った。彼女の供述は、完璧なまでに理論武装されていた。護身用のペンという説明も、もっともらしい。そして、動機についても、殺害によってむしろ不利益が生じると主張している。ドロイド警備員の分析でも、ヴェラの生体反応は、嘘をついている時のそれとは異なっていた。
「そのペンは、どこで入手しましたか?」
「企業秘密よ」ヴェラは、口元を緩めた。
「私の身を守るためのもの。それ以上は言えないわ」
「分かりました。貴方の証言は記録しました。引き続き、個室での待機をお願いします」
カケルは、ヴェラの個室を後にした。廊下を歩きながら、彼は頭の中で状況を整理する。ライラの供述、そしてヴェラの供述。どちらも、それぞれの行動の動機を説明しているが、クレイン殺害の直接的な動機や実行犯とは結びつかない。むしろ、彼らの行動が、真犯人によって利用された可能性さえ見えてきた。
この密室殺人事件は、想像以上に深く、そして巧妙に仕組まれている。真犯人は、一体誰なのか。そして、その裏に隠された真の目的は何なのか。




