17.ジャーナリストの告白
エドワード・ヴァンスの個室を出て、ベネット車掌は重い足取りでメインラウンジへと戻った。彼の顔には、尋問の疲労と、深まる謎への困惑が色濃く浮かんでいる。
ドロイド警備員を伴い、封鎖されたラウンジのシャッターを解錠すると、そこにはすでに、カケル以外のチームYのメンバーが、それぞれの捜査報告を待つかのように集まっていた。イヴァンはクレイン氏の遺体の周囲の最終確認を終え、エミリーはラウンジ全体を見渡すように立っている。ミリアムは、休憩室で見つけた通信妨害装置を手に、ノアと何やら話し込んでいた。
ベネット車掌は、彼らの前まで歩み寄ると、おもむろに自身の顔に手を触れた。その指先が頬を撫でるように滑ると、驚くべきことに、彼の顔の皮膚がまるで水面のように揺らぎ、見る見るうちに別の顔へと変化していく。主任車掌ラウル・ベネットの顔は薄れ、その下から現れたのは、チームYのリーダー、カケルの冷静な顔だった。
「ベネット車掌、ご協力感謝します。これで捜査状況の共有を始められます」
カケルは、ベネット車掌の変装を解除しながら、傍らのドロイド警備員に視線を送った。ドロイドは、無言でカケルたちの捜査をサポートするよう、列車AIからプログラムされている。
その奥ではベネット車掌が車掌室から遠隔で様子を見ていたが、カケルの変装技術に驚いていたようだ。
「エドワード・ヴァンスの尋問結果を共有する」
カケルは、チームメンバーに簡潔に語り始めた。
「彼は通路でクレイン氏と接触したことは認めた。しかし、殺害への関与は強く否定している」
イヴァンが腕を組んだ。
「やっぱりシラを切ったか。あいつの挙動不審な態度からして、何か知ってるのは間違いない」
「問題は、直接的な証拠がないことだ」
カケルは続けた。
「彼は、最近、記憶が曖昧になることがあると証言している。特定の期間の記憶がないと。確かに、尋問中の生体反応は動揺を示していたが、それが嘘をついているのか、本当に記憶の混乱によるものなのかは判別できなかった」
「それに、毒物の作用時間との矛盾もある」
エミリーが付け加える。
「もし例の接触で毒物を注入したなら、数時間後に発症するのは不自然だ。何らかの理由で発症しなかったにしても、一発で死に至る毒物を注入されて、それまでの長い間、クレイン氏に異常がなかったのは不可解だ」
「つまり、現時点では、エドワード・ヴァンスを犯人と断定し、逮捕することはできない、ということだな」
イヴァンが結論づけた。
カケルは頷いた。
「彼への疑惑は残るが、決定打に欠ける。他の可能性も視野に入れなければならない」
その時、ノアが手元の端末を操作しながら声を上げた。
「カケル、みんな、これを見てくれ。ミリアムが休憩室で見つけた監視カメラの妨害装置から、DNAサンプルが検出された。解析した結果……ライラ・ハディッドのDNAとほぼ一致する」
ミリアムが驚いた顔でノアを見た。
「え!?ライラさん、あの記者さん?なんで!?」
「監視カメラの妨害は、間違いなく意図的なものだった。それがライラ・ハディッドの仕業だとしたら、彼女には何か隠したいこと、あるいは殺害に関わる動機があったと考えるのが自然だ」
エミリーの表情が険しくなる。
「あのジャーナリストが?クレイン氏の批判記事を書いていたのは知っているが、まさか殺人に関わるとは……」
イヴァンも驚きを隠せない。
カケルは、ノアの端末に表示されたDNA解析結果を確認した。確かに、ライラ・ハディッドのプロファイルと一致している。
「よし」カケルは、再び変装システムを起動させた。
「再度、ベネット車掌に変装する。今度はライラ・ハディッドの事情聴取に向かう」
ベネット車掌に変装したカケルの顔は、再び冷静な表情を取り戻していた。
「ノアは引き続き、列車AIの全てのデータを解析し、特にクレイン氏の行動履歴と接触者の詳細な動きを洗い出せ。ミリアム、エミリーとイヴァンは、引き続きラウンジ内の捜査。特に、毒物の注入方法に関して、何か手がかりがないか、もう一度洗い直してくれ。微細な痕跡も見落とすな」
「了解」
ノアが素早く返事をする。
「任せとけ、カケル」
イヴァンも力強く頷いた。
「毒物の痕跡と、注入方法。それがこの密室殺人の鍵を握っている」
エミリーは、すでに新たな視点からラウンジを見つめ直していた。
「こっちは任せて!カケルも気をつけてね」
ミリアムは屈託のない笑顔で見送った。
カケルは、一呼吸置いた。彼らがこの列車に搭乗したのは、銀河鉄道の治安維持という任務のためだった。
しかし、目の前で起こっているのは、想像を絶するほど複雑で、巧妙に仕組まれた殺人事件だ。容疑者は複数おり、それぞれが隠れた動機と不審な行動を抱えている。そして、ライラ・ハディッドが監視カメラを妨害した事実が、事態をさらに混迷させる。
メインラウンジの重いシャッターが、再び静かに開かれた。ベネット車掌に変装したカケルは、ドロイド警備員を伴い、ライラ・ハディッドの個室へと向かう。
「ライラ・ハディッド……君は一体、何を隠しているんだ」
カケルの心中で、疑惑の炎が燃え上がった。この列車の中には、まだ見ぬ真実が隠されている。そして、その真実にたどり着くためには、全ての可能性を探り、全ての嘘を見破らなければならない。彼らの捜査は、今、新たな局面へと突入した。
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主任車掌ラウル・ベネットに扮したカケルは、ドロイド警備員を伴い、ライラ・ハディッドの個室のドアをノックした。室内で待機していたライラは、ドアが開くと、その顔にわずかな緊張の色を浮かべた。彼女は記者として修羅場をくぐり抜けてきたはずだが、密室となった列車内での容疑者という立場は、彼女の冷静さを揺るがしているようだった。
「ハディッド様、大変申し訳ありませんが、再度、お話を伺わせていただきます」
ベネット車掌の声は、落ち着いているが、その瞳はライラの内心を見透かすかのように鋭かった。ドロイド警備員は、静かに部屋の隅に立ち、光学センサーをライラに向けている。
ライラは、ソファに座るよう促され、少し身をこわばらせながら着席した。彼女の手元には、先ほどまで握りしめていたノート端末はない。列車全体の通信がモニタリングされている今、無意味だと判断したのだろう。
「今回の事件に関して、貴方にいくつか確認したいことがあります。特に、メインラウンジの監視カメラの妨害についてです」
ベネット車掌は、単刀直入に切り出した。
ライラの顔色が、一瞬にして青ざめた。彼女は視線を泳がせ、唇を固く結んだ。
「その妨害装置から、貴方のDNAが検出されました」
ベネット車掌は、証拠を提示するかのように、はっきりと告げた。
「反論の余地はありません。貴方が、あの装置をラウンジに持ち込み、起動した。そうですね?」
ライラは、大きく息を吸い込んだ。そして、観念したように、力なく頷いた。
「……はい。私が、あの装置を設置しました」
彼女の告白に、ベネット車掌の表情は変わらない。しかし、ドロイド警備員の光学センサーが、わずかに赤く点滅した。
「では、伺います。なぜ、そのようなことを?」
ライラは、顔を上げた。その瞳には、恐怖と後悔、そして、どこか割り切ったような決意が入り混じっていた。
「私は、クレイン議員を殺すつもりなど、全くありませんでした。決して!」
彼女は声を震わせながら訴えた。
「ただ、彼のスキャンダルを掴みたかったんです。ジャーナリストとして、彼の裏の顔を暴きたかった。それだけです」
「スキャンダル、ですか。具体的に、どのような?」
「クレイン議員は、表向きは清廉潔白な和平推進派の政治家として知られています。ですが、私は、彼が関わる特定の政治資金の流れに不透明な点があると睨んでいました。彼の掲げる理想主義の裏に、別の思惑があるのではないかと……」
ライラは、早口で説明を始めた。まるで、そうすることで、自身の罪が軽減されるとでも信じているかのように。
「そこで、私は、彼がこのサファイア・エクスプレス号に乗車するという情報を掴みました。こんな豪華な列車なら、彼はきっと気を緩めるはずだと。メインラウンジであれば、彼の護衛も比較的少ない時間があるだろうと予測しました」
「それで、監視カメラを妨害し、盗聴器を仕掛けようと?」
ベネット車掌が確認した。
「はい。あの装置は、特定の周波数帯域の通信を遮断するものです。ラウンジの監視カメラの映像通信に使われる帯域をピンポイントで妨害するよう設定しました。そして、その隙に、超小型の盗聴器をクレイン議員の衣服に仕掛けようとしました」
ライラは、その時の状況を詳細に語った。
「私がクレイン議員の席に近づいたのは、彼がギャルソンから『星屑のキス』を受け取った直後でした。ほんの一瞬、護衛の視線が外れた隙を狙って、手早く盗聴器を仕込み、同時に装置を起動させようと……」
彼女は、その時の情景を思い出すかのように、遠い目をした。
「しかし、私が装置を起動させ、盗聴器を仕掛けようとしたその瞬間、クレイン議員が急に苦しみ出して……!私は、あまりの事態に驚いて、そのまま装置を隠し、その場を離れてしまいました。まさか、彼が毒殺されるなんて、夢にも思っていませんでした!」
ライラは、両手で顔を覆った。彼女の肩が、小刻みに震えている。その様子は、殺人犯というよりは、事件に巻き込まれた被害者、あるいは不運な目撃者のそれに近かった。
「貴方は、クレイン議員の体内から検出された毒物、あるいはその『種』となる物質について、何か知っていますか?あるいは、その物質をクレイン議員に与えたことは?」
ベネット車掌の鋭い問いに、ライラは強く首を横に振った。
「いいえ!全く知りません!私は、毒物とは一切関わっていません。盗聴器と通信妨害装置しか持っていませんでした。信じてください!私はジャーナリストです。人を殺すことなど、私の仕事ではありません!」
彼女は、まるで自分の尊厳を守るかのように、必死に訴えた。ドロイド警備員は、ライラの生体反応を解析し続けている。彼女が殺意を否定する言葉は、嘘をついている時の反応とは異なっていた。彼女が通信妨害装置を設置したのは事実だが、殺害の意図があったようには見えない。
ベネット車掌は、じっとライラの顔を見つめた。彼女の供述は、監視カメラの妨害の謎を解き明かしたが、同時に事件をさらに複雑にした。もし彼女に殺意がなかったとすれば、真犯人は他にいることになる。そして、犯人はライラの行動を逆手に取り、自分の犯行の目くらましに使った可能性も浮上する。
「分かりました。貴方の証言は記録しました。しかし、貴方が列車AIの監視カメラを妨害した事実は、重大な規律違反です。今後、然るべき処分が下されることになります。それまで、引き続き個室で待機してください」
ベネット車掌は、そう告げて立ち上がった。ライラは、沈痛な面持ちでそれを受け入れた。
個室のドアが閉まり、再び静寂が訪れる。ベネット車掌は、廊下を歩きながら、今回の尋問で得られた情報を頭の中で整理していた。ライラの告白は、確かに監視カメラの謎を解いた。しかし、それは同時に、事件の真犯人が、彼女の行動を計算に入れた上で犯行に及んだ可能性を示唆している。
巧妙なトリック。見せかけの動機。そして、隠された真実。この事件は、彼が想像していた以上に、深く、そして複雑に絡み合っていた。真の犯人は、一体誰なのか。そして、その裏には、どんな恐ろしい動機が隠されているのか。
捜査は、さらに深淵へと向かっていく。




