12.列車封鎖とGRSIの始動
事情聴取が終わり、メインラウンジは重苦しい静寂に包まれた。ベネット車掌は、疲労困憊の表情で乗客たちを見回し、そして、苦渋の決断を下した。
「皆さま、ご協力ありがとうございました。ここサファイア・エクスプレス号で、このような事態が発生したことは、誠に遺憾です。しかし、捜査が完了するまで、全てのお客様に、個室での待機をお願いいたします」
彼の言葉に、乗客たちから小さなざわめきが起こった。個室への軟禁。それは、容疑者であるか否かに関わらず、全ての人間に課せられる不自由な時間だ。だが、この密室殺人という異常事態においては、致し方ない措置だった。
「列車AIのセキュリティレベルは最高ランクに引き上げられました。全ての共用部に設置された監視カメラは、休眠中のものも含め、完全に稼働しています。また、外部との通信は全てモニタリングされます。どうか、ご協力をお願いいたします」
ベネット車掌が、淡々とした声で状況を告げる。それは、列車全体が、巨大な監獄と化したことを意味していた。乗客たちは、うなだれたり、不満げな表情を浮かべたりしながら、指示に従い、各自の個室へと散っていく。
ヴェラ・シモンズは、唇を噛み締めながら、ライラ・ハディッドは、怯えた様子で、ドミニク・カーターは、諦めたように、そしてエドワード・ヴァンスは、青白い顔のまま、それぞれが与えられた部屋へと戻っていった。
カケルたちGRSIチームYもまた、他の乗客に紛れて、自分たちの個室へと向かった。彼らの顔には、一般の乗客と同じような困惑と疲労の色が浮かんでいる。誰一人として、彼らがこの事件の解決に当たる特殊捜査官であるとは夢にも思わないだろう。彼らは、個室に入るとすぐに今後の方針について話し合った。
「状況は最悪だな」
イヴァンが吐き捨てるように言った。
「密室。決定的な目撃情報なし。毒物の特定もできてない。監視カメラも一部妨害されてるって、まるで手品みてぇな犯行だ」
「巧妙だとは思うけどね、イヴァン」
ミリアムの声が、少しだけ沈んで聞こえた。
「ラウンジの雰囲気、なんか変な感じだったよね。ピリピリしてて、嫌な感じ」
ミリアムの言葉に、カケルは頷いた。彼もまた、漠然とした何かの予感を感じてはいる。だが、それはあくまで直感であり、具体的な証拠を伴わない。彼らの主な役割は、あくまで客観的な事実に基づいた捜査にある。
「ベネット車掌の報告を聞いた限りでは、ギャルソンは潔白。飲み物からも毒物は検出されなかった。そして、遺体からは消化管を経由しない毒物摂取の可能性が示唆された。これは、従来の毒殺の手口とは異なる」
エミリーが冷静に分析する。彼女の頭の中では、既に犯行方法の可能性が次々とリストアップされていた。
「そして、監視カメラの妨害。これは犯人が事前にラウンジのシステム構造を把握していた証拠だ」
ノアが続ける。
「銀河鉄道の列車AIのセキュリティは、通常の乗客がアクセスできるレベルではない。かなりの技術を持ったハッカーか、内部の人間だ」
「となると、容疑者は複数の可能性もあるのか」
イヴァンが言う。
「ヴェラ・シモンズ、ライラ・ハディッド、ドミニク・カーター、そしてエドワード・ヴァンス……、特にこの4人はクレイン氏と何らかの接点がある。特にエドワード・ヴァンスの証言は曖昧だったし、さらにエレイン・ハドソン秘書の態度も少し不自然だった」
カケルが、これまでの情報を整理する。
「よし」
カケルは、一度深呼吸をした。
「ノア、ベネット車掌にコンタクトを取って、我々の身分を明かす。正規の手順を踏んで、GRSIとして捜査に介入する」
「了解」
ノアの指が、端末を操作し始めた。
「主任車掌ラウル・ベネットの銀河鉄道関係者専用回線に正規ルートでアクセス中……認証開始……完了。接続確立」
カケルは、耳元のインカムがベネット車掌の回線に繋がったのを確認した。
「ラウル・ベネット車掌。こちら、GRSI、チームYのカケル・カツラギです。緊急事態につき、列車AIの制御回線を一時的に貸与し、我々の捜査に全面協力をお願いしたい」
インカムの向こうで、ベネット車掌の驚きと困惑の声が聞こえてくる。
「GRSI……!?なぜ貴方たちがこのような場所に……しかし、私はそのような指示は受けておりません」
「状況は緊急を要します。我々は、銀河鉄道の治安維持を目的に定例の警乗をしていました。ですが、この事件は、銀河鉄道の信頼性、ひいては銀河社会の安定そのものを脅かすものです」
カケルは、アラン局長から言われた言葉をそのまま引用し、状況の重大性を強調した。
「我々の身分は、他の乗客には決して悟られないようにしてください。あなた方通常の警備員と連携し、事件の真相を究明したい」
しばらくの沈黙の後、ベネット車掌の重い返事が返ってきた。
「……分かりました。銀河鉄道の安全のためならば、協力いたします。しかし、もし偽りであれば、ただでは済みませんよ」
「ご心配なく。我々は結果でお見せします」
カケルは、確信のこもった声で答えた。
「では、まずメインラウンジのセキュリティロックを解除してください。我々はそこから捜査を開始します」
「ベネット車掌の認証が通った」
ノアが、個室の扉を自動解除しながら報告する。
「よし。行くぞ」
カケルが促すと、5人は素早く個室を出た。
廊下には、ベネット車掌と、一台のドロイド警備員が待機していた。ベネット車掌の顔には、まだ戸惑いの色が残っているが、彼の瞳には、GRSIという未知の存在への警戒心と、しかし、この状況を打開できるかもしれないというかすかな希望が入り混じっていた。
「では、ベネット車掌。我々はラウンジへ向かいます。乗客に悟られないよう、手際よく、我々を内部へと入れてください」
カケルが指示を出す。
「承知いたしました。他の乗客に見つからぬよう、細心の注意を払います」
ベネット車掌は頷いた。彼の操作により、メインラウンジのシャッターが、再び静かに開かれた。ラウンジ内は、先ほどまでの混乱が嘘のように静まり返っていた。クレイン氏の遺体は、まだ現場保全ドームの中に横たわっている。血痕と、散乱したグラスの破片が、痛ましい事件の痕跡を生々しく物語っていた。
チームYのメンバーは、慣れた様子でラウンジへと足を踏み入れた。彼らの表情からは、もはや一般の乗客としての顔は消え、GRSIの精鋭エージェントとしての鋭い眼差しが宿っていた。
「ノア、列車AIの全システムに、我々のアクセス権限を統合。共用部の監視カメラの映像を全てリアルタイムで我々の端末に転送し、バックアップサーバーも完全に掌握する」
カケルが指示を出す。
「承知。列車AIにGRSIセキュリティコードをインプット中。システム統合開始……完了。今この瞬間から、列車全体のAIは、僕たちの直接的な指示を受ける」
ノアの指がキーボードの上を舞い、彼の端末の画面には、列車全体の俯瞰図と、無数のデータが流れ始めた。ラウンジ内の全てのカメラアングルが、彼の端末にストリーミングされる。
「イヴァン、エミリー。クレイン氏の遺体の周囲の空間を徹底的に調べろ。特に、ドロイド警備員が見落とした微細な証拠がないか確認しろ」
「了解」
イヴァンは、すぐに現場保全ドームに近づき、屈強な体躯をかがめて、遺体の周囲を細かく調べていく。
エミリーは、距離を取りながら、ラウンジ全体の空間、特に死角となりうる場所や、天井、壁面を、鷹のような目で観察していく。彼女の視線は、わずかな不自然さも見逃さない。
「ミリアムは、ラウンジの客室乗務員が普段利用する休憩スペース、あるいは備品室を確認してきてくれるか?今なら無人のはずだ。不審な物がないか確認してほしい」
「うん、分かった!行ってくるね!」
ミリアムは快活に返事をすると、足音を立てずにラウンジの奥へと向かった。
カケルは、ベネット車掌に近づいた。
「ベネット車掌、これまでの捜査で得られた全ての情報を提供してください。そして、乗客に行った事情聴取のうち……ヴェラ・シモンズ、ライラ・ハディッド、ドミニク・カーター、エドワード・ヴァンス、エレイン・ハドソン秘書。彼らの詳細な証言内容をノアの端末に転送してください」
「分かりました」
ベネット車掌は、指示された通り、自らの端末を操作し始めた。
真の捜査が、今、始まった。密室と化した豪華列車の中で、GRSIチームYは、銀河の運命を揺るがす闇へと、深く足を踏み入れていく。




