10.密室の捜査:疑惑と困惑
メインラウンジのシャッターが完全に閉鎖されてから、数分が経過していた。重苦しい沈黙の中、乗客たちのざわめきと、時折漏れる嗚咽だけが響いている。そんな中、現場の指揮を執るのは、サファイア・エクスプレス号の主任車掌、ラウル・ベネットだった。
「皆さん、落ち着いてください!私は主任車掌のラウル・ベネットです。只今より、当区画での捜査を開始します。皆さんのご協力をお願いいたします!」
ベネット車掌の声は、普段の丁寧な口調からは想像できないほど、硬く、そして焦燥感がにじんでいた。彼もまた、このような事態は初めてなのだろう。彼の隣には、二体のドロイド警備員が静かに控えている。彼らの光学センサーは、ラウンジ内のあらゆる動きを捉え、分析していた。
「ドロイド警備員、クレイン議員のご遺体の周囲に現場保全ドームを展開。科学捜査を開始せよ」
ベネット車掌の指示に従い、二体のドロイド警備員が同時に動作を開始した。一体が遺体の周囲に半透明の光学ドームを素早く展開し、もう一体は内蔵された多機能分析ツールを展開する。それらのツールが、クレイン氏の遺体、床に落ちたグラス、そして周囲の空間に向けて光線を発し、静かに分析を開始した。
ラウル・ベネット車掌は、まずクレイン氏に飲み物を運んだギャルソンに目を向けた。顔色の悪いギャルソンは、恐怖に震えながら、自身の無実を主張しようとしていた。
「わ、私は……私は何もしていません!ただ、いつものように『星屑のキス』をお出ししただけで……!」
彼が口にした「星屑のキス」とは、銀河鉄道の豪華列車で提供される中でも、特に有名な高級カクテルの名だ。透き通るような青色が特徴で、その繊細な味わいと、宇宙の輝きを閉じ込めたような美しさから、多くの富裕層に愛されている。
「落ち着きなさい!話を聞こう」
ベネット車掌は、ギャルソンの肩に手を置いた。
「クレイン議員に飲み物を出したのは君か?いつものように、とはどういうことだ?」
ギャルソンは、震える声で証言を始めた。
「は、はい……クレイン議員は、いつもこの『星屑のキス』を好んでいらっしゃいました。今夜も、ディナーの前の一杯に、とご注文されたんです。私は、指示通りに、バックヤードの共通ストックから、新品のボトルを取り出して提供しました。特別なボトルではありません」
ベネット車掌は、ドロイド警備員に指示を出す。
「ギャルソンが使用した共通ストックのボトルを確保しろ。それと、バックヤードの監視カメラ映像も全てダウンロードだ」
ドロイド警備員は、即座に行動を開始した。ギャルソンが指し示すバックヤードのバーカウンターへと向かい、使用済みの「星屑のキス」のボトルを慎重に回収する。
その間、ベネット車掌は、ギャルソンの同僚や、その周囲にいた乗客たちにも事情聴取を行っていた。
「彼が何か不審な行動を取るのを見ましたか?」
「いいえ、普段通りでしたよ。彼は真面目な人間です」と、別のギャルソンが証言する。
その時、クレイン氏の護衛の一人としてそばにいた、眼鏡をかけた初老の女性が名乗り出た。彼女はクレイン氏の主席秘書、エレイン・ハドソンだった。
「私が申し上げます、車掌殿。私はクレイン議員の側におり、ギャルソンの動きをずっと見ていました。彼がカクテルを用意し、グラスに注ぎ、クレイン議員に差し出すまで、一切の不審な点は認められませんでした。グラスの取り違えや、誰かが何かを混入させる隙はありませんでした」
エレイン秘書の証言は、冷静かつ明確だった。彼女の視線は、ギャルソンが完全に無実であると告げているかのようだった。
その時、現場保全ドーム内で分析を行っていたドロイド警備員の一体から、音声報告が発せられた。
「分析結果報告。床に落下したグラスの残存液体、およびギャルソンが使用した『星屑のキス』ボトル内液体サンプルから、毒物は一切検出されず」
「続けて、遺体の第一段階分析結果報告。クレイン議員の体内からは、微量の毒物成分を検出。成分解析中。ただし、口腔内および食道からの検出量は極めて少なく、胃からは検出されず。これは、消化管を経由しない、別の方法で毒物が摂取された可能性を示唆します」
その報告に、ベネット車掌の顔には、新たな困惑の色が浮かんだ。飲み物から毒物が出ないどころか、体内からの検出状況も奇妙だ。消化管を経由しない別の方法?一体、どのようにして?
「メインラウンジ内部の監視カメラ映像は?」
ベネット車掌が、壁に設置されたカメラを指さしながら問いかける。
「現在、バックアップサーバーから過去の映像を復元中です。ただし、一部のカメラは、クレイン議員の席付近を写すアングルで、数分間、不審なノイズが入っており、映像が乱れています。これは、意図的な妨害工作の可能性が高いと判断されます。」
ドロイド警備員の報告に、ベネット車掌は苛立ちを隠せない。もし毒物が飲み物から検出されず、監視カメラにも決定的な瞬間が映っていないとなると、捜査は難航する。
ラウンジ内に残る乗客たちは、互いに疑いの目を向け合っていた。ヴェラ・シモンズは腕を組み、冷ややかな視線を周囲に走らせている。ライラ・ハディッドは、震える手でノート端末を操作しようとしていたが、依然として通信は遮断されたままだ。ドミニク・カーターは、相変わらず無表情のまま、ただ静かに状況を観察している。エドワード・ヴァンスは、その表情を強張らせ、自分の手元を何度も見つめているようだった。
ベネット車掌は、深いため息をついた。この密室で、一体誰が、どのようにしてクレイン氏に毒を盛ったのか?そして、なぜ毒物は『星屑のキス』からは検出されないのか?疑問だけが膨らんでいく。
「全乗客の事情聴取を再開する!全員、一人ずつ、事件発生時の状況を詳しく証言してもらいます。そして、身体検査も実施する!」
ベネット車掌の指示が響き渡る。ドロイド警備員が、乗客たちを事情聴取のためのエリアへと誘導し始める。銀河一の豪華列車サファイア・エクスプレス号は、今や、恐ろしい密室の殺人現場と化していた。その中で、真犯人は誰なのか、どのようにして犯行に及んだのか、誰もが疑心暗鬼に陥っていた。




