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第三章 国際宇宙平和利用推進機構

 和服姿の一人の老人に対し、黒服の三人の男たち。その状況は一見すると、多勢に無勢に見える。しかし、その老人は一人の男の腕を逆関節で抑えつつ、二人の男に睨みを利かせていた。老人に手を掴まれている男は、身動きが取れないばかりか、苦痛に顔を歪ませている。先ほど投げ飛ばされた男は、よろけながら立ち上がると、老人に向かって叫ぶ。

「やめろ! 何をやっているのか分かっているのか!」

 老人はまったく意に介さない様子でたたずんでいる。

「なら、ちゃんと説明してもらおう」

 静かに答えるその老人の声は、どこか威厳を感じさせる。

「まずはその手を離していただきたい。そうすれば説明する」

 少し後方にいる、リーダーらしき男が口を開く。

「うむ。いいだろう」

 老人は男に掛けていた技を解く。掴まれていた男はよほど痛かったのか、力なくその場に崩れ落ちる。

「あなたは、あの装置が何か知っているのか?」

 老人の方を向いたまま、その男は落ち着いたトーンで語りかける。

「質問しているのはこちらだ」

「あれは大変危険な装置だ。絶対に作動させてはならない」

「どういうことだ? 詳しく聞かせてもらおう」

 しばらくして、老人の技の被害者もよろけながら立ち上がると、信じられないといった表情で老人の方を見ている。もはや戦意は喪失しているようだ。

「我々は、国際的な危機を回避するためにここにいる」

 リーダー格の男が話を続ける一方、男の一人はしきりに携帯で連絡をとっている。

「あなた方は、あの装置を狙っているのではないのか?」

「それは誤解だ。我々はあの装置が奪われるのを阻止している」

「なんだと? あなた方が奪おうとしているんじゃないのか?」

 老人が眉をひそめながら言うと、男たちは心外だと言わんばかりに顔を見合わせる。

「お互い誤解があるようだが、まずはあの装置が何か知る必要がある。あなたは、あの装置が何かご存知ないのですか?」

「まったく知らん」

 あまりにも立場の違う人間どうしに、やっと一つの共通認識が得られたという空気が流れる。

「そうですか。ではお伝えしますが、あれは空間転移装置というものです」

 男はそれでは仕方ないといった表情で口調を軟化させると、装置の素性を告げた。老人にとっては想定外の言葉だったようで、一瞬だけ困惑した表情を見せる。

「……空間転移……なんだそれは?」

「あの装置は、人や物体を別の空間へ瞬時に移動させることができます」

 男は、あたかもその返答を想定していたかのように話を続ける。

「ほう。よく分らんが、どうしてこんな物騒なことになっている?」

「詳しくはお話しできませんが、あの装置は戦略兵器になりうるものです。それを手に入れようとする組織が現れてもおかしくありません」

「なるほど。それで、あなた方はそれを阻止しいていると?」

「そういうことです」

 理路整然としていて無駄がない男の語り口は、交渉術の心得を感じさせる。

「話は解った。だが、あなた方も狙っているのではないのか?」

「なんだと!」若い男が叫ぶ。

 男はそれを無言で制すと、話を続けた。

「そうお考えになるのも無理はありません。しかし、奪おうと思えば、もっと直接的かつ強引な方法があるのはお判かりになると思いますが」

「うむ。確かに。そうか、そういうことか……」

 老人はしばらく考え込むと、確かめるように口を開く。

「その話が本当だとすると、装置を狙う者たちは他にいて、その者たちは手段を選ばない、ということか?」

「その通りです。彼らは装置を奪うためには手段を選びません。お孫さんのご自宅を荒らしたのもその組織です」

「では、最近、屋敷周りにいたのはその組織の連中か?」

「はい。もちろん、対抗するために我々も人員を配置しておりましたが、手薄になった隙を突かれました」

「なるほど。わしらはそれらを混同しておったようだ。ところで、あなた方は一体なに者なのか、お聞かせ願えないだろうか」

「申し遅れました。安倍様。私は『国際宇宙平和利用推進機構』の新庄と申します」

 と言って、男は名刺を差し出す。

「平和利用だって? その割にいやに物騒な面持ちだな」

 安倍と呼ばれた老人は名刺を受け取ると、いかにも老眼といった仕草で名刺に目を通す。名刺を前後しながら読める距離を見つけると、確認するかのように男たちを一瞥(いちべつ)する。

「特務機関……なるほど」

 納得したのか、男たちから目を離さずに名刺を懐にしまう。

「新庄さん、いずれにせよ、孫の優希が狙われるということだな。であれば、一刻も早く手を打ってもらえないだろうか」

「分かっています。現在、優希様を保護するために追跡しているところです」

 その時、部下と思われる男が近づくと、何やら耳打ちする。

「ちょっと失礼」

 新庄は部下の方へ少し体を向けると、報告に聞き入っている。しかし、次第に困惑した表情に変わって行く。再び、安倍の方へ向き直すと、しばらく言葉を探すように沈黙を挟む。

「……困ったことになりました。先ほど、優希様を保護しようとした際、見事な体術でエージェントの包囲網をかいくぐり、装置を使って空間転移してしまったようです」

「なんだと。あの子は技を使ったのか?」

「はい。我々の訓練されたエージェント二人を投げ飛ばしたそうです」

「そうか。それは愉快だ! ハッハッハッ」

 安倍は、ここぞとばかりに笑う。一方、周りの男たちの表情は硬い。

「あの子にしてやられたか」

「我々が恐れていた事態です」

 それを聞くなり老人は笑うのを止める。

「どういうことだ?」

「実は……いえ、詳しくお話ししたいので、少しお時間をいただけませんか?」

「よかろう。こちらも詳しく話を聞きたい」

 そのタイミングを見計らっていたかのように、黒い大型のミニバンが校舎の手前に到着する。

「それでは、こちらへ」

 その車まで歩いて行くと、男たちに促されるように老人は車に乗り込む。新庄とその部下たちもその後に続く。そして、ドアが閉まると同時に車が走り出す。

「安倍様、これから我々の施設へお連れしますが、場所を特定されるのを避けなければなりません。申し訳ありませんが、目隠しをさせてもらいます」

「承知した」

 男の一人が安倍に目隠しを渡す。それを受け取るなり、さっさと目隠しを着ける。

「実はこれからお連れする場所には、ご子息の晃明様もいらっしゃいます」

「そうか。晃明は無事なんだな」

「もちろんです。身の安全のため、現在、我々の施設に滞在してもらっています」

「そうでしたか。お礼申し上げる」

 と言って頭を下げると、老人の口元が少し安堵したように見えた。


 車は一時間ほど走った後、郊外の地味な外観の施設のゲート前に停車する。その見るからに厳重な自動扉が開くと、建物とは不釣り合いに大きな通信設備のある施設が見える。その建物の裏へ回り、地下駐車場のスロープを下っていくと、コンクリート剥き出しの無味乾燥な空間が広がっている。車はさらにその奥の壁に向かってゆっくり進んでいくと、唐突にコンクリートの壁が左右に開く。そのまま壁の奥に入ると、回転テーブルの中央に停車し、車はエンジンを止めた。「ゴオン」という音とともに大型エレベーターが降下を始めると、回転テーブルもゆっくりと回転を始める。数分が経過したのち、大深度地下に到着したエレベーターは静かに停止した。エレベーターの扉が開くと、地下に似つかわしくない真っ白な通路が現れる。その通路には照明が見当たらず、その代わりに通路全体が発光しており、それが不思議な白さの原因だと理解できる。その平滑な面は明らかに超近代的な施工が施されている。

 車の開かれたスライドドアからは、まるでVIP警護さながらに、流れるような連携の中で安倍は車から降ろされる。

「到着しました。目隠しをお取りください」新庄が告げる。

「うむ」安倍は目隠しを外すと、少し眩しそうに顔をしかめた。

「いや、なんとも不思議なとこですな」

「みなさん驚かれます。どうぞこちらへ」

 案内された通路を進んでいくと、上部が徐々に空のような青さに変わっていき、微風に乗った森の香りと、どこからともなく川のせせらぎまで聞こえる。そこには大深度地下とは思えない規模の施設が広がっていた。唯一、窓がないことが地下施設であることを物語っているが、いたるところに窓をあしらった高精細の大型モニターが美しい自然の風景を映し出している。しばらく通路を進むと、大きなガラス張りのロビーのような場所に通される。

 自動ドアが開くと、そこには熱心にパソコンに向かっている男が、ドアの開閉に気づくことなくキーボードを叩き続けている。見兼ねた新庄が、たった今しまったドアを軽くノックすると、作業を止め、初めて顔を上げる。こちらの方へ視線を向けると、一瞬、意外そうな表情を浮かべて口を開く。

「……親父? なんでここに?」

「晃明、無事だったか」

「まあね。それより、親父まで捕まったのかよ」

「わしが捕まるかよ。それより、詳しく話を聞かせてもらおう」

「いきなりですか。まあ、どこまで聞いているかはさておき、親父はあの装置がなんなのかは知っているんだろ?」

「ああ。それは聞いた」

「じゃあ、俺が開発した装置が原因なのも聞いてるわけだ」

「原因? 一体なんのことだ?」

「あれ、聞いてないですか? 今回の一件のこと。今、ここにいる連中にも話したけど、この偉大な研究の一端でも理解できたとは思えない」

「おまえは何を言っている。わしが聞きたいのは、今、何が起こっているかだ!」

 安倍が語気を強めたのは、会話が噛み合っていないことへの憤りからに違いない。

「なにって、ごく近距離で行った実験は成功したけどね……」

「なるほど。そいうことか」

「ええ。それで装置を奪おうとしている連中がいるって話です。後は、ここの連中に任せるしかない」

「信用できるのか?」

「まあ、少なくとも俺を殺して奪おうとしている連中からは救ってくれたので。ただ、俺を殺したら元も子もないと思うけどね。実は、あの装置の核は空間転移制御プログラムで、本来ならスパコン並みの膨大な演算処理が必要なところを、プログラムによってエッジコンピューティングを可能にしたことなんだ。まあ、装置自体の回路は解析すればコピーはできる。でも、制御プログラムには何重にもプロテクトをかけているから、そう簡単にはコピーはできないはずだ。それとも解除する自信があるのか。他国に渡るくらいなら、俺も含めて装置そのものを闇に葬ろうとしたのかのどちらかだね」

「そうか。いずれにせよ、相手は手段を選ばんということだな」

「そのようで。お陰で久しぶりに明晴流を使ったよ。ハハハ」

「まだ覚えとったか」

 安倍は一瞬だけ嬉しそうな表情を見せる。

「まあね。骨の髄まで染み込んでるよ」

「そうか……」

 少しだけ和んだ空気の余韻を引きずるように、二人はしばらく沈黙した。

「優希ちゃんに預けたのは本当にすまないと思っているんだ……どうもスマホをハッキングされていたらしく、優希ちゃんに預けたことがバレてしまったようなんだ。もちろん、優希ちゃんにはすぐに連絡したけど、もっと早く気づくべきだった……」

「そのことは優希から聞いている。それなりの手は打ったから心配するな」

「それなら良かった」

「それに優希なら大丈夫だ。あの子はそんなにやわじゃない。ああ見えても『明晴陰陽流』の使い手だぞ」

「そうでした。それにしても姉さんの家まで荒らされるとは……」

 そこに黒服の男たちが現れる。

「お話し中、失礼します。お二人ともこちらへどうぞ」

 新庄に案内され、会議室らしき部屋へ通される。

「どうぞ、お掛けください」

 座ると、しばらくしてスーツ姿の女性スタッフが静かに近づく。

「お飲み物は何になさいますか?」

「わしはお茶をもらおう」と安倍。

「じゃ、俺はコーヒーをブラックで」と言うなり、晃明は再びパソコンに向かう。

「かしこまりました」

「さて、大体の状況はご理解いただけたと思います。これからお話したいのは、今後の対応についてです」

「うむ。やつらが手段を選ばないというのであれば、こちらもそれ相応の構えをしないとな」

「その通りです。ただ、まずは優希様の安全が最優先です。我々も今、全力で優希様を保護するために動いています。お願いしたいのは、我々が優希様と接触した際に、装置を我々に預けるように伝えてもらいたいのです」

「分かった。伝えよう」

「それと万が一、我々が優希様に接触できなかった場合は、電話以外の方法で道場の方へ戻るようにお伝え願えないでしょうか?」

「新庄さん、それは、つまり……」

「はい。一言で言えば誘導してもらいたいのです」

「いや、しかし……それは危険ではないか? 道場は見張られているのだろう? いくらなんでもそんなところに優希を来させたら、みすみす囮になるようなものだ」

 安倍は納得がいかない提案に対して声を荒げる。

「あくまでも万が一の話です。ご理解いただきたいのは、いたずらに逃げ回っているだけでは、優希様の安全を確保するのは難しいということです」

「確かにそうだが……」安倍は腕を組んだまま下を向いている。

「しかも今回、優希様は空間転移装置を使ってしまった。今後もまた使うかもしれません。そうなると、ますます保護は難しくなります」

「ちょっと待った! あの子は装置を使ったのか?」

 晃明はパソコンの作業をやめると、突然、会話に割り込む。

「ええ。我々の目の前で。現場からの報告では忽然(こつぜん)と消えたそうです」

「あれほど、電源は入れるなと言ったのに……でも、うまく転移できたんだな」

 晃明は心なしか嬉しそうに確認する。

「ただ、偶発的なものだったと聞いています」

「何回使ったんだ?」

「我々が把握しているのは2回です。どこかに行って、また戻ったようです。観測データとも合致します」

「それなら……きっとエアーズロックだ。冗談で目的地に設定した覚えがある……」

 晃明は一瞬だけ遠くを見るような表情を浮かべると、再びパソコンで作業を始める。

「話は理解した」

「助かります。それに、ご自宅の電話は盗聴されている可能性があります。下手に場所を言えば彼らの思う壺です。電話では優希様の居場所に関するやり取りはしないでいただきたい」

「承知した」安倍はうなずく。

「我々としては、優希様の安全を最優先にしつつ、装置が奪われるだけは、なんとしても阻止したいと考えています」

「優希には、どうにもならない時は道場へ戻るように伝えよう」

 安倍は納得したことを伝えるかのように、組んでいた腕を解く。

「こちらも攻撃に備えて、我々の部隊を配置します」

「部隊だと? つまり、武で対抗すると?」

「はい。彼らは装置を手に入れるためなら手段を選びません」

「渡してしまうという選択肢はないのか?」

「我々の理念に反します。彼らにとって平和利用など論外でしょう」

「あくまでも阻止すると?」

「はい。そこは譲れません」

「……致し方ない。あの子の身の安全を最優先に考えてくれるなら協力しよう」

「もちろんです。ご理解いただけて感謝いたします」

 まるでタイミングを見計らっていたかのように、先ほどの女性スタッフが飲み物を持って来る。

「どうぞお召し上がりください」

「ちょうど喉が渇いていたのでありがたい」

 安倍は、丁寧に湯呑みを手に取ると、しばらく湯呑みを鑑賞したのち、香りを嗅いで少しだけ口に含む。

「ほう。深みのある香り、まろやかな甘味は玉露ですかな。こんなところで、いや失礼。こんな口当たりの玉露を飲めるとは」

「お分かりになりますか? そう言っていただけて光栄です。選りすぐりの素材を、専門の研修を受けたスタッフがご用意しています」

「うん。このコーヒーもとても美味い……」

 晃明も作業を止めてコーヒーを口にする。二人の表情からは単に喉が渇いている以上に満足している様子が伺える。

「我々のお相手する方々は、良くも悪くも特別な方が多いので手が抜けないのです」

「ハハハ、そいつはいい」

 安倍はこの施設へ来て初めて笑い声をあげる。思いがけず上質な味覚を堪能した二人は、しばらく余韻を楽しむかのようにその場に留まる。心地よい余韻がそう長くは続かないのは世の常だが、時待たずして新庄の部下から車の準備が整ったとの報告が入る。

「これからご自宅までお送りいたします。身の安全のため、しばらく護衛を付けさせてもらいますが、よろしいですか?」

「ああ。それは構わんよ」

「それと、こちらのスマホをお持ちください。これなら盗聴される危険はありませんので、我々との連絡用にお使いください」

 いつから持っていたのか、新庄はなんの変哲もないスマホを二人に渡す。

「お預かりする。ただ一つ頼みたいことがある。わしらのことより、孫の、優希の身の安全をくれぐれもよろしく頼む。新庄さん、どうかこの通りだ」

 安倍は新庄に対して深々と頭を下げる。

「優希様のことは最善を尽くします。今、我々の組織が全力で、優希様の安全確保に当たっていますので、どうかご安心ください。それではこちらへ」

 男の一人が出口の方へ促すと、一同はそちらに向かって歩き始めるが、晃明だけはなぜか一人、立ち止まる。

「親父、俺は一度、神先大へ戻ろうと思う」

 その表情には何か気掛かりなことがあるかのような陰が漂っている。

「そうか。分かった」

「ご自宅の前に神奈川先端科学大学へお連れするように」。

 新庄は部下に指示する。一同は、来た道を辿るように、車両用の大型エレベーターへと向かう。到着すると、来た時と同じ車がすでに待機していた。

「ではこちらへ。申し訳ありませんが、また目隠しをさせてもらいます」

「ああ。承知した」

 二人が目隠しをし終えると、間もなくエレベーターが上昇を開始した。

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