第47話 託された剣、継がれる意思
第七騎士団との合同訓練から、数日が過ぎていた。
帝都の一角にある、普段はあまり使われない古い訓練場。
高い石壁に囲まれたその空間は、朝の光を受けて白く霞んでいる。
朝靄が低くたなびき、湿った空気のなかに、わずかに土と汗の匂いが混ざっていた。
静けさの中、ふたりの影が、ゆっくりと向かい合う。
踏みしめる音さえ吸い込まれるような静寂。
訓練場の端に立つフェイと、身体をほぐしながら近づくエヴァ。
その姿だけが、この場に確かな動きを与えていた。
「……そういえば、ヴァーグって今、どこにいるの?」
ふと、エヴァが口を開く。
修練着の袖を手際よく捲りながら、ちらりとフェイを見やる。
朝の光がその横顔を淡く照らし、吐く息はまだ白かった。
「ああ。少し遠出してもらってる」
フェイは簡素な木製の椅子に深く腰をかけ、背もたれに軽く寄りかかったまま、視線だけで応える。
その声は柔らかく、どこか遠い景色を見るような口調だった。
「“七星”のうち、まだひとり──最後の後継者が見つかってないからね。
居場所すら曖昧だから、足をつけないで探れるヴァーグに任せたんだよ」
淡々と語るその裏に、思考の深さが滲んでいる。
それは他者を信頼して託す決意でもあり、自らが動かない理由の裏付けでもあった。
「……そんなに見つけにくいの?」
「うん。心当たりはなくもないんだけど、ちょっと別の大陸かもしれなくてね。
彼と、彼のメンバーなら広い範囲で活動できるし、何より面が割れてないしね」
言葉は穏やかだが、戦略と配慮の末に導き出された選択であることが、エヴァにも伝わっていた。
だからこそ――フェイが言葉を切った、その一瞬の“間”に、静かな緊張が宿る。
「しかも、八魔将の連中の目的を明確にしておきたくてね。そっちの動きも調査してもらってる。
──まぁ、無理はさせない。命が最優先だから、危なくなったらすぐ引いてくるようにとは言ってるけどね」
その語尾に、かすかな重さがあった。
心のどこかで、それが“言葉通りにはいかない”ことを、知っているかのような声音だった。
空気が静かに揺れる。
靄の中、ふたりの距離だけが変わらず、確かにそこにあった。
「さて……話はここまで。今日はしっかり修行するってことかな?」
「ええ、今のうちにできることはやっておきたいから」
エヴァの返答は明快だった。
声には無駄がなく、内に秘めた決意が言葉ににじんでいる。
「了解。じゃあ今日から、修行の“次の段階”に入るよ」
フェイは立ち上がり、手のひらを静かに合わせるような仕草をする。
その所作はどこまでも静謐で、まるで儀式のように一つひとつが丁寧だった。
彼の瞳は、相変わらず優しく、そしてどこまでも深い静かな厳しさを湛えていた。
「前は“芯”だったよね。自分の中心を保ち、揺るがず立つこと。
じゃあ今日は、“芯を支点に動く”練習だ。つまり、どう“崩さず動く”か」
「……わかった」
エヴァはまっすぐに頷いた。
瞳に一片の迷いもない。そのまなざしには、すでに戦う覚悟が宿っていた。
「まずは、呼吸と重心の一致を維持したまま、一歩だけ踏み込んでみて。
斬る動作じゃなくていい。肩の高さ、腰の抜け、全部保ったまま、ね」
フェイの声は穏やかだが、一語一語に濃密な経験の重みがある。
その言葉は、まるで師から弟子への贈り物のようだった。
エヴァはその言葉を胸に刻みながら、そっと身体を動かす。
しかし――その一歩で、わずかに軸がぶれる。
「ん……ちょっと浮いてる。力が流れてるよ」
フェイは手を軽く動かし、宙をなぞるように彼女の足の運びを指摘した。
口調はあくまで柔らかいが、そこには的確な観察と指導の眼差しがある。
「“斬る・突く”って行為は、結局“立ってる形”をどう崩さず維持するか、なんだ。
無理やり力で行くんじゃなくて、構造で動く。……わかる?」
「……まだ、なんとなく」
「それでいい。今日は“なんとなく”が芽になる。
繰り返すうちに、“ああ、これか”ってなるから」
短いやりとりのなかに、信頼と理解が流れている。
エヴァは深く息を吸い、姿勢を整えた。
今度はより丁寧に。
重心を下げ、足の裏に地を感じながら――一歩。さらにもう一歩。
その動きの中に、確かに“芯”が宿りはじめていた。
フェイはそれを黙って見つめ、ふっと目を細める。
その表情には、どこか懐かしさすら混じっていた。
「よし。じゃあ今度は、模擬剣をもって、こっちに向かって」
エヴァが小さくうなずき、鍛錬用の模擬剣を両手に構える。
鋼ではないが、手にした瞬間に重みと重責が加わったような気がした。
そのまま、また一歩。
だが――先ほどより明らかに動きはぎこちない。
剣の存在が、バランスを乱していた。
「思っている以上に大変ね……」
「まぁこの辺は積み重ねだからね。慣れればどうってことないよ」
「(慣れるまで……ね……)」
内心でつぶやく。
どれだけ時間をかければ、それが“自然”になるのか。今のエヴァには想像もつかない。
だが彼女は、呑み込みが早い。
誰よりも、真っすぐに吸収していく。
そして今まさに――ぎこちないながらも、その一端に、確かに触れようとしていた。
「……さすがだね」
フェイの口から、低く、誰にも聞こえないほどの声が漏れる。
その響きには、驚きと称賛、そして――ほんのわずかな、儚さがあった。
まるで、その姿をどこかで見たことがあるかのように。
そして、いつかその背を見送ることになるのを、心のどこかで知っているかのように。




