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第22話 帝都への帰路、森を抜けて

森を出た朝は、まるで緩やかな夢の続きのようだった。

陽差しはやわらかく、鳥たちは枝でさえずり、草の匂いが風に混じっている。


「……空が広いわね」


小高い丘の上に立ったエヴァが、ふとつぶやく。

広がる空に、雲がのんびりと浮かんでいた。


「森から出ると、世界が一気に開く感じがするよね」


フェイが荷を担ぎ直しながら答える。

その隣で、リィがのそのそと土の上を歩いている。巨体に似合わぬ静けさをたたえて。


「なんだか、のんびりしてて不思議……さっきまで、命を削るような場にいたのに」


「だからこそ、いまはこれでいいんだよ。余白って大事。戻る前に、ちょっと“人間”に戻っとかないと」


フェイがふっと笑うと、リィが鼻先で軽くエヴァの肩をつつく。

その仕草はどこか、からかうようでもあり、気遣うようでもあった。


「……何よ」


言いながらも、エヴァの口元が少し緩む。


その後、一行は小川のほとりに腰を下ろす。

清らかな水が陽にきらめき、小魚が影の下をすばやく泳いでいく。


「ほら、これ」


フェイが手を突っ込んで何かをすくい上げる。掌にのったのは、小さな青い実。


「森を抜けたあたりの丘に生えてるんだ。食べると、ちょっとだけ元気が出る」


「……ほんとに?」


エヴァが疑わしそうに見ていると、リィが先に一粒ぺろりと舐めた。

無表情のはずの“顔”が、微妙に満足げに見える。


「ほら、リィが保証してるよ」


「リィ基準ってどうなの……」


それでも一粒を口に含むと、ほのかに甘く、草の香りが口に広がった。

少し驚いたような顔で、エヴァが目を丸くする。


「……意外と美味しい」


「でしょ? 帝都じゃあまり流通してないけど、山道にはよくあるよ。戦場に行くときは、腹に何か入れておかないとって教わったんだ」


「それ、どこの“案内人”の知識よ」


「おいしい案内人だよ」


くすっとエヴァが笑う。リィも一緒に、土の上でごろんと横になった。

その姿はまるで、長旅に疲れた大きな犬のようだった。


さらに進んだ先で、行商人の一団とすれ違う。

荷車には野菜や雑貨、子どもが笑いながら柿をかじっていた。


「あれ、帝都に向かってる?」


「うん、多分。あの荷の感じだと、南門から入って市場通りへ出るね」


「なんでそんなに詳しいの」


「前に似たような荷車を手伝ったことあるんだ。ほら、あの軸の緩み具合が——」


「わかった、はいはい。道中長くなるから、その手の蘊蓄は3分の1でお願い」


笑い合う二人の横を、リィが静かに並走する。

行商人の子どもが、リィの姿に最初は固まったが、フェイの「大丈夫、大人しいよ」という声にほっとしたように笑い、手を振った。


リィは少し戸惑いながらも、ぶん、と腕のようなもので応える。


「……慣れてきたね」


エヴァがぼそりとつぶやく。


「うん。彼も、少しずつ“人の暮らし”に馴染んでるのかも」


「それって……大丈夫なこと?」


「うん。少しだけ、人の温度を覚えるくらいなら、きっと悪くない」


やがて遠く、帝都の尖塔が見え始める。

石造りの城壁が陽を浴びて白く輝き、かすかに鐘の音が風に混ざってきた。


「……帰ってきたわね」


「うん、またこの景色だ」


静かな歩みが、また一歩、帝都という“喧騒”に近づいていく。

その時——


 茂みの中から静かに姿を現した男がいた。

軽やかでありながら、地に溶け込むような気配。黒装束に身を包んだ長身——ヴァーグだった。


「……ご無事で、何よりです」


「おや、久しぶり。ちゃんと道を読んで動いてるんだね」


「“読み”というより、“導かれた”感覚に近い。……帝都からの風が、こちらに向かって流れていましたので」


そう言うヴァーグの目は、静かにエヴァとリィを見やった。


「その存在……すでに接触を果たされたようで」


「うん。これから王に会いに行くところ。報告も山ほどあってさ」


エヴァがため息をつく。ヴァーグは頷き、声をひそめた。


「帝都内部にて、小さな異動がありました。“枢機院”の一部で、奇妙な命令系統の乱れが起きています。表向きには帳簿の調整ですが、どうも一部の予算が“記録外”で動いている」


フェイの目が細くなる。


「……裏で、誰かが何かを仕掛けてる?」


「今のところ“兆し”です。ただ、過去に似た動きがあったときは、必ず“王政の外”からの影が関与していました」


「つまり、何かがまた動き出してる……か」


エヴァが表情を引き締める。


「帝都は平穏に見えて、そうでもないのね」


「はい。ゆえに、これ以上は城内で。必要であれば、私も潜る用意があります」


フェイは微笑みながら、軽く肩をすくめた。


「頼りにしてるよ、ヴァーグ。君の目があれば、僕らじゃ届かないものも拾える」


ヴァーグは一礼すると、すぐにまた風のように森の中へ消えた。


その姿が見えなくなってから、フェイがぽつりと呟く。


「やっぱり、帰る場所に近づくと、面倒も寄ってくるなぁ……」


「王城、無事に入れるといいけど」


「うん、まあ、門前でまた止められるのは覚悟してる」


そう冗談めかして言いながらも、フェイの目はもう、先の都市に向いていた。


風の中に、確かに帝都の匂いが混じっていた。


---


帝都の中心へと続く白壁の内門。

白亜の石畳は真昼の陽光に照らされて眩しく、王城へ向かう道は、華やかさと緊張が同居する空気をまとっていた。


その大通りを、ひときわ異様な三人組が歩いてくる。


先頭を歩くフェイは、片手で軽く首筋をほぐしながらつぶやいた。


「……やっぱり顔パスってわけにはいかないか。帝都ってほんと、融通利かないよね」


背後には、巨体の“白き存在”——リィが、無音のままぬるりと歩を進めている。

周囲の通行人たちは本能的な警戒を抱いたのか、次々と距離をとり、あっという間に彼らの進路にはぽっかりと“無風地帯”が生まれていた。


門の前に立つ衛兵が、警戒を露わにして声を張る。


「止まれ! 通行証を提示せよ!」


フェイはのらりくらりと歩みを止めると、肩をすくめながら言った。


「通行証かぁ……いや、呼ばれてるんだよね、僕。王様に」


「呼ばれた? 何の権限でだ」


「王命。“特任随行”……とか、そんな感じだった気がする」


衛兵の一人が眉をしかめ、もう一人がリィの姿を見て言葉を詰まらせる。


「おい、その……連れている異形の獣は何だ。帝都内での異種持ち込みは許可制だぞ!」


フェイは真顔のままきっぱりと言った。


「彼は獣じゃない。“仲間”だよ。名前はリィ。……ほら、見た目はびっくりだけど、慣れると癖になる愛嬌あるでしょ?」


「ふざけるな! 説明がなければ、今すぐ立ち去ってもらう!」


衛兵の手が剣の柄にかかる、その瞬間——


「はいはい、もうそのへんで止めときなさい」


少し離れた石段の上から、見慣れた足音と共に、鋭い声が届いた。


エヴァが現れたのだった。旅装のままだが、背筋はしっかりと伸びている。


「……またやってるのね、このやりとり。いい加減、帝都もあなたの扱いを学んでほしいわ」


「おかえり、エヴァ」


「ただいま。で、また説明しなきゃいけないのよね……」


彼女は懐から一枚の布製通行証を取り出し、衛兵の前に掲げた。


「特任任務完了報告のため、同行者一名、補助監視対象一名を連れて入城します。事前通達済みの記録を確認して」


衛兵たちは顔を見合わせ、しばらく無線紋の記録石を確認したのち、しぶしぶ頷いた。


「……確かに。対象一致……ただし、規定上、城内での異形の行動は——」


「大丈夫。彼は“おとなしい”の。ね、リィ?」


エヴァが振り返ると、リィはゆっくりと顔らしき突起をぺこりと下げたように見えた。


フェイが笑いながら補足する。


「ほら、礼儀正しいでしょ。衛兵さんたちも、良かったら今度触ってみてよ。けっこう手触りいいよ、モチモチしてて」


「……遠慮しておく」


衛兵が硬い表情のまま門を開ける。


白い石の城壁の影が、ゆっくりと三人の背を呑み込んでいく。


「……まったく。あんた、どこ行っても問題児扱いなのね」


「それが僕の魅力さ」


「誇るな」


そんな軽口を交わしながら、フェイとエヴァ、そしてリィはゆっくりと城内へと足を踏み入れた。

遠く、王城の塔がそびえている。その向こうには、また別の嵐が待っているかのように——。


だが、いまはまだ。


帝都の白壁に抱かれた“日常”の中、三人の影は、少しだけ長く伸びていた。


***


帝都の空は、夕陽を受けて淡い金色に染まりつつあった。

白壁の城が長く影を引き、通りを行き交う人々の足取りも、どこか一日の終わりを思わせる穏やかさを帯びている。


しかし——


「……すごい見られてるわね」


エヴァが苦笑混じりにぼやく。


「まあ、そりゃね。いつ見ても目立つもん、こいつは」


と、フェイが隣を歩く“リィ”を指で弾くようにして言った。


リィ——三メートル超の巨体、白く滑らかな皮膚、山のように盛り上がった“顔”。

目も口もないその無表情の存在が、帝都の中心部を静かに歩いていれば、それだけで通りの視線を一身に集めてしまうのは当然だった。


「……動いてる……あれ、魔獣……?」


「喋らないけど、なんか見てる……」


子どもを抱き寄せた母親が慌てて脇道へ逸れ、商人が物陰からそっと様子をうかがう。

誰も近づこうとはせず、ただ黙って“通り過ぎるのを待っている”——そんな空気だった。


「騒がれないだけ、ありがたいよね。……リィ、あんまりぴったりくっつくなって、目立つから!」


リィがゆっくりとフェイの肩に頭を押し当ててきたのを、彼は困ったように笑って払いのける。

それでもリィは特に気にした様子もなく、のそのそと彼の横を並んで歩き続けていた。


「街に入る前に、少しは対策しようって言ったじゃない」


「いや〜、想像以上に注目されるとは……誤算だったなぁ」


エヴァが盛大に溜め息をついた。


門を抜け、軍属の宿舎区画へと入ると、さすがに人の数は減った。

だが、リィの巨体が落とす影に気づいた若い騎士見習いが、驚きの声を上げて物陰に隠れるのは避けられなかった。


「……悪いね。ちょっとだけ、部屋貸してもらえるかな」


そう言ったフェイに、対応に出た管理官は明らかに動揺しながらも、ぎこちなく鍵を手渡してくる。


「こ、この中庭の隅にある倉庫の一角が、空いておりますので……」


「助かるよ。寝相はいいから、物壊したりしないよ」


(……問題は、そこじゃない気がするけど)


そんな心の声をぐっと堪えながら、エヴァは静かに後ろをついていった。


中庭の奥、小さな物置小屋のような部屋にリィを落ち着かせると、ようやく二人にも一息つく時間が訪れた。


リィは広さも高さも足りない部屋の中に、まるで“入りすぎた猫”のように身を折り、静かにうずくまっていた。

巨体を持て余していながらも、まるで騒がずじっとしている様子に、エヴァはふと口元を緩める。


「……思ったより、いい子ね。吠えたり、暴れたりもしないし」


「うん。もともとそういう奴なんだよ。話はできなくても、通じる部分はある」


「それがまた、あんたらしいっていうか……」


「褒められてる?」


「気のせいよ」


軽口を交わす中、帝都の空はさらに暮れ、空が深い青へと染まっていく。

街のざわめきは遠く、そしてゆるやかに夜へと溶け込んでいった。


——嵐の前の、静かな夜。

その予感に、二人はまだ気づいていなかった。



夜。


帝都の空に星が散り、月が雲間から鈍く光を放っていた。

街のざわめきはすでに遠のき、外には衛兵の巡回靴音と、時折響く犬の遠吠えだけが残っている。


宿舎の一室。


エヴァは窓辺に置かれた木椅子に腰かけ、背もたれに軽くもたれながら、ぼんやりと外を見つめていた。

鎧と剣はすでに外して壁際に整えてあり、肩の力が抜けたその姿からは、戦士としての鋭さとはまた別の、素の気配が漂っている。


部屋の中央、小ぶりなテーブルには、一通の封書が置かれていた。

王宮からの正式な文書。上質な封蝋には王家の印章が刻まれており、開封された紙面には簡潔にこう記されている。


『明朝、第一の鐘の後、王城謁見の間にて参上されたい』


エヴァはその文面を指先でなぞりながら、小さく息をついた。


「……ずいぶん早いわね」


声に出すと、どこか急に現実味が増してくる気がした。


「旅が終わったと思ったら、もう“次”ってこと……」


口元に浮かんだのは、自嘲にも似た苦笑だった。


任務報告と称して王の前に出る。

だが、何をどこまで、どう伝えるべきか——それは明確ではない。


村で起きた異変。

“魔族の気配”。

そして、“白い存在”との再会。


「……どうなるのかしらね」


エヴァは視線を窓の外へ移す。


帝都の夜景は、遠くまばらな灯火に包まれていた。

どこかの家で鳴るグラスの音、遅れて帰る衛兵たちの笑い声。

どれもこれも、平穏な都市の、変わらぬ“日常”。


(でも、あたしたちだけが、ちょっと違う場所を歩いてる)


そんな予感が胸をよぎる。


旅の疲れは身体の芯に残っていたが、それよりも強く心を満たしていたのは、妙な静けさだった。

あの森で感じた異質な気配が、まだどこか自分の背後にくっついている気がする。

でも、それは恐れというよりも、“使命”に近かった。


窓の外の星が一つ、ゆっくりと流れて消えた。


(……もう寝なきゃ)


エヴァは椅子から立ち上がり、蝋燭の火をそっと吹き消す。


闇に包まれた部屋の中、まだ開いたままの文書が、微かに夜風に揺れていた。


その先にある“明日”が、何を告げるのかは——まだ誰にもわからない。

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