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第15話 知られざる道

日の傾き始めた帝都の空の下。

夕刻前の廊下、任務書を片手にしたエヴァが、宿舎の外でフェイに向かって小さく息をついた。


「……明日の朝には出発する。いいわね?」


「いいよ。というか、むしろ今日の夜でもよかったけど?」


「森の中に夜中突っ込む気? 却下」


「は〜い。じゃあ準備は今日中ってことで?」


「当たり前でしょ。夜のうちに荷を整えて、門限までに休んで、明けたらすぐ出るわよ」


「了解」


フェイは軽く手を上げて敬礼の真似をし、相変わらずの飄々とした調子で頷いた。


エヴァは呆れ半分の視線を向けながらも、それ以上は何も言わなかった。

そんなやりとりがあったのが昨日のこと。


──そして


薄曇りの空に、遠く小鳥のさえずりがかすかに混じっていた。

帝都をぐるりと囲む白亜の外壁は朝靄に溶けかけて、まるで夢の中に滲んだ城塞の輪郭のようだ。

その大門のすぐ前――石畳の低い縁に、ひとりの男が背をもたせかけて座り込んでいた。


「ん〜、エヴァ、遅いなぁ。まさかだけど、武具の輝き具合で出発タイミング決めてるとか……?」


フェイ・オーディンは眠たげに片目を細めつつ、首をぐるりと回す。軽く腕を広げて伸びをひとつ。

その身にまとうのは、まるで旅人のような素朴な装束。だが、縫い目や布の落ち感には細やかな品があり、どこか洗練された雰囲気が滲んでいる。


背中には長布にくるまれた刀らしきものを担ぎ、身軽に見えてどこか“備えている者”の匂いを漂わせていた。

口元には、いつもと変わらぬ飄々とした笑み。

だがその眼差しは、帝都の門外へと続く地平を、静かに見据えていた。


そのとき――石畳をテンポよく打つブーツの音が、朝の空気を切るように近づいてきた。


「遅れてごめんなさい。ちなみにだけど、寝坊してたわけじゃないから」


銀髪をきっちりまとめ、襟元まで整った騎士装に身を包んだエヴァ・ムーンカルザが姿を現した。

手には任務書と地図を収めた革封筒。息は少し上がっていたが、目には迷いがなかった。


「ふふ、それならよかった。君でも寝坊するのかと思って、ほんのちょっとだけ期待してたんだけどな」


「……期待するようなことじゃないでしょ、それ」


エヴァはぴしりとした口調のまま、背負った鞄を軽く締め直す。

姿勢はきびきびしているが、昨日までの緊張がほんの少しだけ和らいでいる気がする。


「さて、目的地はどこなの?」


「帝都のちょうど反対側あたりにある森の中だね。名前は……あったけど、あんまり重要じゃなかったかも」


「そう。任務内容は“対象の保護と伴帰”。つまり、また人探しね」


エヴァの眉が微かに動いた。

人探しという任務が、騎士にとってどれほど多くの不確定要素を孕むかを彼女はよく知っている。


「ただの人探しなら、護衛なんて要らないと思うけど?」


「王様がね、ちょっと特別な人らしいって言ってたよ。俺も詳しくは聞いてないけど、まあ森の中で変なことが起きてるらしい」


「……あの人の“ちょっと特別”って、だいたい面倒なことになる気がするんだけど」


エヴァは封筒を抱え直しながら、小さくため息をつく。


するとフェイは立ち上がり、軽く埃を払って彼女の肩をぽんと叩いた。


「まあまあ、肩の力を抜いて。ちょっとした森の散歩だよ。空気は美味いし、たぶん鳥の声とか癒されるし?」


「あなたが気楽なことを言うたびに、逆に警戒が増すのは私だけ?」


「警戒心って大事だよ? でも、同じくらい肩の力を抜くのも大事」


そう言って、フェイはくるりと踵を返す。外壁に背を向け、視線の先に広がるのは草原の彼方。

その後ろ姿はいつものように軽く、風に乗るように前へと進んでいく。


エヴァはその背中を見つめ、少しだけ眉をひそめた。


(……やっぱり、得体が知れない)


けれど同時に、ほんの少しだけ安心もしていた。

この間の手合わせでわかった。フェイの背には、命を任せてもいいだけの“重さ”が確かにある。


「じゃあ、出発といきますか、相棒さん!」


「勝手に相棒扱いしないで」


それでも、エヴァの声に刺はなかった。

彼女は短く息を吐きながら、その後を静かに追いかける。


帝都を包む白の外壁が、ふたりの背後で遠ざかっていく。

旅の始まりの朝、靄の向こうにはまだ知らぬ運命が待っていた。


-----


ヴァレスティア森林の入口付近。

そこには川のせせらぎが絶え間なく響く、小さな村がぽつんと存在していた。


木造の屋根にコケが生え、斜めにかけられた洗濯紐が軒先でぱたぱたと風に揺れている。

川沿いに点在する家々は、まるで自然に抱かれるように並び、石畳には年季の入った轍の跡が刻まれていた。

どこかの民家からは薬草を煎じる匂いが漂い、軒下には束ねられたハーブが干されている。


空にはまだ薄雲が残っていたが、吹き抜ける風は乾いていて涼しく、森の入口とは思えぬほど穏やかな空気が漂っていた。


「ちょっと立ち寄るだけ、って言ってたけど……思ったよりちゃんとした村ね」


エヴァは水袋を手にしながら、井戸の近くで湧き水を汲んでいた。

周囲を見回し、その目に映る光景にわずかに感心した様子を見せる。


「ほら、あの井戸。水質、悪くなさそう。……湧き水ね、これ。深めの層から引いてるわ」


「さすがだね。視線の先が違う」


「当然よ。ここで腹を壊してたら、任務どころじゃないもの」


エヴァはそう言って水袋の口をしっかり縛ると、腰の袋に収める。

その動きは無駄がなく、旅慣れした者のそれだった。


村の中心にある小さな広場では、露店のような簡易の市場が開かれていた。

籠に詰められた野菜、編み込まれた布、瓶詰めの保存食、干された川魚――どれも素朴だが丁寧に手入れされており、村人の暮らしぶりがにじみ出ている。


「乾燥肉はこれで……あとは野菜少々。果物も一応持っていこうか。保存が効くものを優先で」


フェイは木箱を覗き込みながら、手慣れた様子で品を選んでいる。


すると、ちょうど商品を並べていた村の商人が声をかけてきた。


「おや、旅の人かい? このあたりじゃ、よそから人が来ることなんてめっきり減ったもんでねぇ。何か探し物でも?」


「探し物……うーん、まあ、森の中をちょっと散歩にね。軽い準備だけ」


「はは、ずいぶん気軽に言うねぇ。でも、気をつけるんだよ。最近、このあたり、ちょっと妙なんだ」


エヴァが手を止め、フェイも一瞬だけ表情をゆるめる。


「妙?」


「黒い服着て、顔を隠した連中がうろついてるって話さ。道行く馬車を止めて、荷を調べていったとか、物資を尾け回してたとか……。なんというか、盗賊っていうよりも、何か目的があって動いてるような……そんな風に聞いてる」


「殺されたりした人は?」


「そこまでは聞かないけどね……“今のところは”ってやつだ。悪いことしてないとしても、何考えてるか分からない連中がうろついてるってのは、やっぱり気味が悪いもんさ」


エヴァは無言のまま、わずかに顎に指を当てる。


「黒装束で顔を隠す、ね……。確かに、ろくでもない連中が多そう」


その隣で、フェイはあからさまに無関心な様子で乾燥肉を手に取っていた。


「……あなた、今“ふーん”って言いながら明らかに何か思い当たった顔してたでしょ」


「え? そんなことないよ? 気のせい気のせい」


笑いながらごまかすフェイの横顔を、エヴァはじっと見つめた。


だが彼は、手にした果物を軽く弾くようにして籠に落とし、静かに森の方へ目をやる。

その眼差しはさっきまでの軽さとは違い、わずかに空気が張り詰めていた。


(……黒装束。貴族の馬車。物資を追う影。……へぇ、なるほど)


心の中で呟いた言葉は、誰にも聞こえない。


「まさか、これからその“義賊”に会いに行こうとか言い出さないわよね?」


「いやいや。森は一本道だし? 向こうが来たら、偶然ってことで」


「……もう行く気満々ね」


エヴァはあきれたように肩をすくめながらも、剣の柄に触れた指は自然と力がこもっていた。


「せっかく森に来たんだ。寄り道とかトラブルって、まあ旅のスパイスだよ」


「いいえ。今回の任務は“対象の保護”。それ以外は最小限。私の指揮下では、余計なことはしないで」


「はーい。わかってるよ、たぶん」


フェイは悪びれもせず笑ってみせる。


そんな軽口のやり取りの奥に、緊張と予感が静かに潜んでいた。

ふたりは荷を整え、村を抜ける道へと足を向ける。

朝の光が、森の入口をわずかに照らしていた。

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