四話
その後、アロンは奇妙な充実感と共に、森の中を彷徨い続けた。
理性を失い始めていたアロンだったが、今、人里に戻ってしまってはまずいということは分かった。
彼は今までの鬱憤を晴らすかのように、森の中で出会った魔物や獣を切り刻み、それを食して飢えを凌いだ。
けれども、それで彼の心中に溜まりに溜まった復讐心の飢えは消えなかった。
物語が動いたのは、それから三日後だった。
アロンが森の中で獣肉を食している時、彼は何かの気配に気が付いて、ゆっくりと振り返った。
そこに静かに現れたのは、森の中には不釣り合いな、黒のスーツの上にさらにロングコートを羽織った50代ほどの男だった。
整った身なりに、短く整えたオールバック。白髪交じりの髪は彼が社交界の紳士と思わせるが、その鋭い目つきは表側の人間には出せない威圧感を放っていた。
彼は全身に人や獣の返り血を浴びているアロンを見て、低い声で呟いた。
「冒険者ギルドの負け犬か、こいつが?
情報屋め。
いい加減な情報を寄越しやがって」
アロンは紳士の独り言を無視し、威嚇するように彼に剣を向けた。
だが、威嚇をものともせずに、紳士は良く通る声で告げた。
「狂犬じゃねぇかよ、こいつは。
俺はギルド、ブラック・オプスの“カジマ”だ」
ギルドというのは、団体・組合を表す。
湾岸労働者ギルド・冒険者ギルドなど、人々が団結し、協力する為の光のギルドもあれば、表に出ない裏社会で暗躍するための組織もある。
汚れ仕事はその名で体を表す闇ギルドだった。
「アロンと言ったか。
随分派手にやってくれたな。
雇われと言え、俺のとこの若い衆をやったんだ。
金も返さず、この仕打ち、覚悟はできてんだろうな?」
「……俺の借金じゃないッ!」
「んなこと知ってる。
だが、手前が連帯保証人になっちまったんだろう?
素直に自分の運命を受け入れるか、それとも……」
カジマはコートの中から、二本の小刀を取り出した。
そして、それを逆手に構え、腰を落とした。
「来い」
カジマの挑発を合図に、アロンは剣を振り上げた。
気合と共に振り上げた剣は、空を切った。
カジマは50代とは思えない俊敏な動きで、それを避けて見せ、逆にアロンの腹に膝を入れた。
「ぐっ……ちっぃ!」
ならばもと、アロンも蹴りをお見舞いするが、カジマも蹴りで反応し、二人の脚が交錯する。
獣のように歯を食いしばるアロンに対して、カジマは口角を上げていた。
「面倒な仕事だと思ったが、面白いじゃねぇか。
だがな……」
カジマは身を翻し、目にもとまらぬ速さで小刀を振った。
それは驚きに目を見開いたアロンの左目の眉毛を掠った。
右目に続いて、左目も抉ってやろうという意図を感じ、アロンの逆鱗に触れた。
「うあああああっ!」
アロンは怒号と共に、剣を前に突き出し、カジマに猛然と突進した。
彼は笑みを浮かべた。
刃が黒いコートを貫いたからだ。
そして、刃を通して持ち手に肉体を切り裂く感覚が……伝わらなかった。
「!?」
剣の刃先には、串刺しになったコートがひらひらと舞うだけだった。
状況を理解する前に、アロンの視界一杯に小刀の柄が映し出された。
「終わりだ、小僧」
「がはっ!」
アロンは血を吐いて倒れた。
起き上がろうとするも、力が入らない。
そんなアロンを見下すように、カジマが立ちふさがった。
「まさか、俺にコートを脱がすとは。
あれは特注の高級品だったのによ」
カジマは今度こそ、小刀の刃を向ける。
アロンはそれを向けられても、命乞いなどせず、歯を食いしばり、激しく睨みつけていた。
暫く視線が交錯した後、カジマは刃を降ろした。
「死に損ないとは思えん。
なるほど、殺すには惜しいかもしれん。
小僧、チャンスをやる」
「チャンス……?」
「お前の命、預かる
今日から三日後までに、ゲイブとバーバラの命取ってこい。
結果として、あいつらの行為が俺のとこに損害を与えやがった。
舐めた真似をしやがって。
お前が生きる価値のない野良犬なのか、価値のある猟犬なのか、証明して見せろ」
今まで、散々人に騙され続けてきたアロンは簡単に信じまいと、鋭い視線でカジマの目を睨む。
だが、カジマからは小物じみた悪意は感じられず、ただ、大きな威圧感を与えてきた。
チャンス、本当にくれるのか?
最後のチャンスがようやくやってきたというのなら。
「……やる。
やらせてください……!」
「ふん。
あとこんなぼろい剣じゃ、勝てる相手にも勝てねぇよ。
こいつを貸してやる」
カジマは先ほど、アロンを翻弄した二つの小刀を投げ渡した。
それと紙幣の束を渡した。
「そんな泥だらけの浮浪者みたいな恰好で、うちの仕事はやらせられん。
いいか、失敗したら命はないと思え。
だが、成功したら、今渡した額の3倍を払う」
「3倍……!?」
提示された額は、1年は働かなくていいような額だった。
上手く使えば、人生をやり直せるような額だった。
アロンは心中は恐怖と期待の中で揺れ動いた。