三話
アロンは失敗の許されない次の依頼に向けて、意気込んでいた。
しかし、そんな依頼はそもそも存在せず、その日の夜中の内にアロンの人生は動き出した。
その日も、夜遅くまで鷹の爪の雑用をこなし、ふらふらとなって安宿に向かっていたアロンだが、突然、二名の黒服の男に行く手を遮られた。
「え……?」
「鷹の爪のアロンはお前だな?
連帯保証人として、金を返してもらおうか」
「ま、待って!
次の依頼の懸賞金で払うって話だから」
「こいつ、適当な嘘をつきやがって!
いいから、来い!」
男たちはアロンの腕をつかみ、人気のない路地に放り投げた。
「俺たち相手にそんな嘘で騙せると思っているなんて、良い度胸しているぜ」
「本当なんだ! パーティの二人に聞いてくれ!」
「金を払う気があるのか、ないのかどっちなんだ!?」
「分かった、これが僕の全財産だ!」
アロンは安財布を投げ捨てる。
黒服はそれをすぐに拾いあがるが、中を見て、失笑する。
「なんだこれは、ガキの小遣いか!?
もういい、奴隷商に売り飛ばしちまおう」
「ああ。さっさと捕まえて、奴隷商に引き渡そう。
男の奴隷だが、多少は賄えるはずだ」
アロンの言葉なんて、まるで聞くつもりがないらしく、黒服の男たちは鉈を取り出した。
ドラゴンのエングレーブが彫られたその得物は、彼らが裏の人間だという証拠だった。
彼らは躊躇なく、それをアロンに振りかざした。
「!?」
既に倒れていたアロンだが、身を翻して、なんとかそれを避けた。
慌てて、立ち上がり、咄嗟にその場のゴミ箱を蹴飛ばした。
「クソ、小細工を!」
「逃がすな、追え!」
アロンは追っ手が怯んだ隙に、路地から逃げ出した。
彼はぐるぐると頭の中で考えを巡らせる。
ギルドに逃げ込む?
いや、こんな夜中は殆ど人がいないし、リカが遅くまで働いている。彼女を危険にさらすわけにはいかない、
騎士団の詰め所に駆け込む。
いや、黒服から督促状のことを告げられたら、逆に捕らえられ、身柄を引き渡されるかもしれない。
こうして、逃げている間にも、罪のない通行人を巻き込むかもしれない。
「クソ、どうすればいいんだ!?」
アロンは人気のない森の中へと逃げ出した。
◇
「お前は本当に馬鹿で、役立たずなんだな!
人気のない森の中だったら、俺たちも好きなだけ暴れられるってもんよ!」
「ああ、奴隷商に売っても大した額にはならなそうだ。
いっそここは楽しんじまおうじゃねぇか、兄弟!」
しかし、逆にアロンは追い詰められてしまった。
アロンは歯を食いしばりながら、自身の剣を抜く。
少し刃こぼれしているが、しっかり手入れされている古い剣、田舎の村から常に一緒だった相棒だ。
だが、それは黒服たちからの失笑を買った。
「それがゴブリンにへし折られた剣か、こいつは傑作だ!
俺たちはこの仕事で20人は殺してきた。
ゴブリンに負けるような雑魚には何があっても負けねぇ」
「違う、あれは負けたわけじゃ!」
「こっちは調べ上げたんだよ、てめぇのことをよ!」
黒服たちは二手からアロンににじり寄ると、タイミングをずらして襲い掛かってきた。
回避の隙を与えない連携の取れた攻撃、しかも、アロンの片目は見えないので、距離感がつかめない。
それでも、なんとか、アロンは一人目の攻撃を寸で躱して、もう一人の刃を自身の剣で受け流した。
だが、黒服たちも只者ではなく、アロンの後ろを勢いよく駆け抜け、二人で八の字を描くように旋回し、タイミングをずらした攻撃でアロンを翻弄する。
「くそ、しぶとい奴!
B級の実力はあるんじゃないか!?」
「慌てるな、兄弟!
終わっているんだよ、お前なんか!」
次第に追い込まれていく最中、アロンはあの忌まわしいゴブリンとの戦いを思い出していた。
ゴブリンの巣穴に取り残された彼は、一時的に30匹以上のゴブリンに囲まれた。
彼は奮戦し、右目に重傷を負ったものの、20匹以上のゴブリンたちを壊滅させ、何とか逃げ切ってきた。
例えば、「村を守るため、女の子を守るため」等条件が違えば、彼は英雄として知られていたかもしれない。
でも、現実は無鉄砲な馬鹿として人々から嘲笑され、パーティメンバーからは奴隷のような扱いを受け、更には借金の肩代わりをさせられ、今は殺されかけている。
終わっている、本当にその通りだ。
どうやっても、打開が効かない。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
アロンの口から慟哭が叫び出た。
せめて、目だけでも無事だったなら……!
記憶が脳裏にトレースされる。
前から迫ってくるゴブリンに気を取られて、後ろから、迫ってくるゴブリンに気づかなかったのだ。
ああ、こうするべきだった。
まずは前から来るゴブリンの斬撃を、前に踏み込んで躱し、腹に剣を突き付ける。
「ぐぁぁぁ!?」
「兄者!? 畜生よくも!」
前はゴブリンの腹に刺さった剣がうまく抜けず、後頭部を棍棒で殴られた。
ならば――踏み込んでできたスペースを使い、後方に向けて勢いよく回し蹴りを食らわす。
「ぐはっ!?」
得物が地べたに倒れこんで、悶絶している。
アロンは先ほど刺した剣を今度は、慎重に拾い上げた。
「ま、待て! 待てよ、おい!」
そして、残る得物の腹に勢いよく刺した。
ああ、あの時こうすることができれば
――?
アロンの脳裏から過去の記憶が消えた。
そして、視界からフィルターが消えた現実の景色を見ることとなる。
そこには黒服が二人とも倒れており、自分の手は真っ黒に汚れていた。
「え? は? ぼ、僕がやったのか? これ」
アロンは腰を抜かして、倒れこむ。
人を殺してしまった。
だが、次の瞬間、彼の口から乾いた笑い声が漏れる。
「ははは、ははははははは。
やれるじゃないか……!」
奇しくも、この大きな事件により、アロンは自分がやれるということを認識してしまった。
彼の胸中は黒い満足感で埋め尽くされていった。