魔王様のある春の日
その日は陽光の穏やかな春らしい日だった。魔王はつい、いつもより寝すぎてしまって遅めに起きた。魔王城にも暖かい春の日ざしが差し込んでくる。
魔王は、今日は何をしようかと考えながら魔王城の中を歩いた。穏やかな日ざしのせいか何となく、皆、ゆったりと過ごしている。中庭ではドラゴンが木の傍で丸くなって眠っている。グリフォンは遊びに出たようで、今はいなかった。リシャールは自室のとまり木でハヤブサの姿に戻って昼寝をしていた。ジェイドは氷の騎士の部屋にいるようだった。魔術師はというと珍しく屋根の上で寝そべって外を見ていた。
部下たちが思い思いに過ごしているのを見て、魔王はそっとしておいてやろうと思った。どこかへ出かけようと考え、今日はフィルの村へ行ってみようと思った。魔王は魔王城へ戻った後も時折、フィルの村へ遊びに行っていた。魔王城を取り戻す戦いの後、魔王と魔王軍の面々はすっかりフィルの村になじんでいた。魔王は部下たちにフィルの村へ行くことを伝えて出かけた。
フィルの村はいつもと変わらない様子だった。だが、どことなく村の人たちも春の日ざしの中でゆったりと働いている。
魔王はフィルを探した。フィルは宿屋の用をしたり、遊んだりして村の中をいろいろと歩き回っている。自宅の宿屋に行ってみてもいないことが多い。何より宿屋は忙しそうなので、あまり顔を出すのも気がひけた。そこでいつもフィルに会いに行くときは村の中のフィルのいそうな場所を探す。
魔王は村の外れにあるクローバーや薬草が群生している場所へ向かった。ここはフィルと魔王が初めて出会った場所だ。今は春なので野の花が咲いていて、色鮮やかだ。フィルはよくここに薬草を集めに来るので魔王はフィルを探す時、まずここに来る。
思えばここで初めて、フィルと出会ったのは全くの偶然だった。封印が緩み、分身を出してみた地点が魔王城からずれて、ここになっていなければ魔王はフィルと出会わなかったかもしれない。そう思うとフィルと出会えて良かったと思った。
残念なことに、フィルはいなかった。代わりに魔王がよく遊んでやる村の子どもたちがいた。子どもたちは魔王を見つけると、わらわらと集まって来た。魔王は頼むとたいていの遊びに付き合ってくれる。それに、きれいな石や小さな花、四つ葉のクローバーといったものを見つけるのが得意で、そういうものを見せてくれる。なので魔王が来ると、子どもたちはとりあえず集まって来るようになった。
「魔王のおじさんだ」
「どうしたの?」
子どもたちが口々に尋ねてくる。魔王がフィルを探していると伝えると、今日は見かけていないと返事があった。
「おばあちゃんなら知ってるかも」
子どもの一人がそう言った。その子のおばあさんというのは村で最も高齢な物知りのおばあさんだ。村の子どもたちは皆、おばあさんの語る勇者と魔王の伝承の物語を聞いて大きくなる。フィルも例外ではない。長生きで物知りなので、困ったことがあると、村人は誰でもおばあさんに相談する。子どもたちもまず、おばあさんに聞いてみようと考えたのだ。
魔王は子どもたちと一緒におばあさんの元へ向かった。今日は暖かいので外の椅子に腰かけて、ひなたぼっこしているのが目に入った。
「おや、みんなそろってどうしたんだい?」
子どもたちは口々に魔王がフィルを探していることを話した。
「フィルなら朝早くにお父さんと出かけていたよ」
どうやら、宿屋で使う料理の材料を仕入れに遠くの牧場へ出かけたらしい。
「そうか…」
魔王は仕方ないと思ったが残念そうな様子が顔に出ていた。おばあさんは少し気の毒に思い、それから、あることを思いついた。
「フィルは夕方までには帰って来ると思うよ。朝早くに出かけていたから。フィルを待つ間、一つ頼まれてくれるかい」
おばあさんは家に戻るとかごを持って出て来た。ここから少し離れている村に買い物に行ってきてほしいと言う。この村で手に入りにくい日用品はそこで買っているらしい。
「その村にある大きな木は春になるときれいな花を咲かせるんだよ。以前は百花草の精霊様も遊びに行っていたね」
「分かった。すぐに行ってくる」
「そんなに急がなくていいよ。木に花が咲いていたか教えておくれ」
魔王はおばあさんから、かごを受け取ると歩き始めた。魔王が村へやってくる道でもなく北の森へ向かう道でもない、普段なら見落としそうな小道を辿って行くとその村へ着くらしい。村といってもこの村よりも規模はかなり小さい。フィルたちの村と交流があり、お互いに自分たちの村で手には入らないものを買いに行く。
おばあさんに教えてもらった小道を歩いて行くと平原に出た。整備された街道ではなく、昔から使われている小さな道が平原の傍を通っている。途中、小川があって誰が作ったのか木の橋が架かっていた。小川には魚が泳いでいるのが見えた。平原にはところどころ、野の花がかたまって咲いている。のどかな春の景色だ。
やがて平原の途中で林になっている所へと入った。小さな村はその林を抜けた先にあった。ここまでやってくる旅人はあまりいないようで、魔王は一人も旅人と出会わなかった。林の中は鳥の声しか聞こえない。随分と静かな所だ。こういう所もたまにはいいなと思いながら、魔王は小さな村へ入って行った。
確かにおばあさんの言った通り、村はフィルの村よりも小さかった。いくつかの民家と一軒だけお店があるだけだ。魔王が店に近付いて行くと、魔王の持っているかごを見た店員は、すぐにおばあさんの代わりに来たのだと分かってくれた。かごにはリボンが付いていたので、それで見分けたらしい。魔王がおばあさんから預かった注文書を渡すと中から必要な物を持って来てくれた。魔王は預かっていた代金を渡して商品を受け取った。
どうもこの村まで魔王のうわさは届いているらしい。魔王の格好をした旅人がフィルの村にいるといううわさだ。その魔王が買い物に来たので、少なからず村人たちから注目を集めた。店員からはおばあさんと知り合いなのかと尋ねられたくらいだ。ただ、のんびりとした村なので、ある程度話すと後はそっとしておいてくれた。
買い物がすむと、おばあさんが話していた村外れの大きな木を探すことにした。店員に尋ねるとすぐに場所を教えてくれた。
「今は花が見ごろだよ」
そう言われ、少しわくわくしながら木の場所まで向かった。
着いてみると、見上げるほど大きな木があった。その気が薄紅色の花を枝いっぱいにつけていた。魔王は見事に咲き誇る花に思わず見とれた。木の下に入って見上げると、かすかに花の香りがした。大きな木は時折、音もなく、その花びらを散らしていた。
魔王はじっと花を見つめていたが、おばあさんにせめて花びらを持って帰りたいと思った。風に乗って散った花びらをかごで受け止めようと、魔王はかごを持って大木の下を右往左往した。
やがて風が吹いて2~3枚、花びらが散ったので、魔王はその花びらをかごで受け止めた。その時、かすかに花びらに百花草の精霊の力が宿っているのを感じた。百花草の精霊はここにはいないが、今も遊びに来ているのかもしれない。少なくとも、彼女はこの大木を気に入っているようだ。
魔王はかごに花びらが入っているのを確かめると、再び歩き出した。日が傾きかけている。そろそろフィルの村へ戻った方がよさそうだ。
フィルの村へ戻ると夕方になっていた。おばあさんは家の前の椅子に座って待っていてくれた。魔王はおばあさんに買って来た物を渡した。それから、かごから花びらを取り出した。
「あの大きな木は満開になっていた。百花草の精霊の力が宿っていたから彼女は時々、遊びに来ているのだと思う」
「おや、そうかい。それを聞いてほっとしたよ」
おばあさんは魔王にお礼に何か渡そうとしてくれたが、魔王はそれを断った。魔王がフィルに会えなかったことを残念がっていることに気づいたおばあさんが、あの大木の花を見せてあげようと、あえてお使いを頼んだことを分かっていたから。
「もう礼はもらった。あんなに美しい景色を見れたのだ」
おばあさんは魔王が元気になったのを見てほほ笑んだ。
魔王がおばあさんと別れて魔王城へ帰ろうとすると、フィルがこっちへ来るのが見えた。さっき村に帰ってきて、子どもたちから魔王がフィルを探していたと聞いたのだった。
二人は今日、どこへ行ったのかを話した。魔王は大木に咲く美しい花を見たことを話した。
「あまり見事だったので、お前にも見せてやりたかったのだが」
一方、フィルは出かけた牧場でりんごの白い花が咲き誇っていたのを見た。どこまでもりんごの木が並んでいたので、それは壮観な景色だったという。
「魔王にも見せたかったな」
どうやらお互いに同じことを考えていたらしい。二人はひとしきり、お互いの話をした。そして、次は一緒に見に行きたいねと話した。フィルは帰り際、途中まで見送りに来てくれた。
「魔王、何かついてるよ」
フィルが頭を指さしたので、そこに触れてみた。あの薄紅色の花びらがついていた。薄紅色の花びらは風に吹かれて、魔王の手を離れていった。ふと、空を見上げると月が昇りかけていた。
穏やかな春の夜が訪れようとしていた。