グリフォンとお菓子職人
フィルと魔王は久しぶりに城下町へ遊びに行くことにした。城下町には何度か行ったことがあったが、魔王城を取り戻してからは初めてだった。雨がちな季節だったが、晴れ間が見えている間に出かけた。今日はドラゴンが昼寝をしていたので、二人で乗り合い馬車に乗って城下町へ向かった。
フィルはお母さんからお使いも頼まれていた。城下町はフィルの村から遠いので出かけるとなると必ず物資の調達などを頼まれる。その代わりにおこづかいをもらって好きな物も買えるので、フィルはお使いをよく引き受けていた。
魔王はというと久しぶりに城下町に行くのではしゃいでいた。大勢の人が行き交う、この国で最も大きい都市であるだけに見どころも多い。当然、一日ではまわりきれないぐらい広いので魔王は城下町へ来るたびに新しい場所へ行きたがった。
はじめにお使いを済ませようということになり、必要な物を買っていると大雨が降り出した。しかも運悪く買い物を終えて歩き始めてすぐだ。二人はあわてて近くにあった店の軒下に入ったが雨足は強まる一方だった。軒下にいても雨粒が跳ね返ってくる。
「晴れてたのに…」
今日は晴れていたので雨をしのぐ物を持っていなかった。だが、魔王は全く気にする様子はない。それどころか良い考えがあるという。
「私が夜の闇の魔法で頭の上に魔法障壁を作れば、雨に当たらないで済むだろう」
「えっ。でも、それは魔王がすごく大変じゃない? ずっと魔法を使うんでしょ」
「確かに魔力の消費が激しいか」
魔法をずっと展開し続けることになるので、その間はずっと魔力を使うことになる。
「短ければ大丈夫かもしれんな。だから、走ってあそこまで移動するのはどうだ?」
魔王が指さしたのは広い屋根の下に多くの店が集まっている場所だった。あそこに行けば雨に濡れずにすむだろう。ここからは少しばかり距離が離れているが、走れる距離ではある。
「魔王がそれでいいなら、いいけど」
「そうと決まれば、早速、行くぞ」
そう言うと魔王は両手を頭上に掲げ、夜の闇の魔法で半円のような魔法障壁を作った。その下にフィルも入る。確かに雨はよけられているのだが。
「思ったより、きついな」
「ほら、やっぱり!」
「後にはひけん。走るぞ、勇者の末裔!」
かくして魔王とフィルが全力疾走するという絵面ができあがった。何とか屋根の下に滑り込んだが、二人とも息があがっていた。
「何とか入れた…」
「さすがに魔法を使いつつ、全力疾走はきつかったか」
「結局、バテてるんじゃない」
ただ屋根の下に入ったので、もう雨に打たれる心配はない。一息ついて辺りを見回してみると、いろいろな店が並んでいるのが分かった。どの店も雨のせいか客は少ない。
「せっかくだし、見て行こう」
この辺りは魔王は来たことがなかったので物珍しく感じた。二人はぶらぶらしながら店を見てまわった。花屋には、今の季節の花を中心に色とりどりの花々が溢れんばかりに飾られている。その隣は雑貨店で細々としたかわいい雑貨が並んでいる。きれいな細工を施した箱や小さな人形など、フィルにとっては買いたくなりそうな雑貨が並んでいる。
そうと思えば錬金術の材料や魔法使いが使う道具を売るような専門店もある。ショーウインドウから不思議な道具を眺めているのは楽しいが専門店に入ってみる勇気はない。それ以外にパン屋やカフェ、お菓子を売る店もあるし、日用品を売る店もある。一日中いても飽きないだろう。
魔王はここをかなり気に入ったらしく、面白そうな物を見つけると、そちらへフラフラと歩いていっては店の中を見ていた。
「ここはすごいな。こんなに店があるとは」
「そうだよね。大きい街でないと、こういう所はないし」
フィルも城下町以外でここまで大がかりなものは見たことがない。
二人で歩いていると、あるケーキ屋の前で不思議な光景が目に入った。
大きな白い布をかぶった何かがケーキ屋の中をのぞきこもうとしている。白い布の下から獅子の尾と鷲の鍵爪が見えたので、布をかぶっているのがグリフォンだと分かった。城下町にいるのを見たことがなかったので、フィルも魔王も驚いてしまった。
「お前、何をしているんだ?」
「あ、魔王様!」
グリフォンは魔王に出会ったと分かるとほっとしたようだった。話を聞いてみると、グリフォンは友達のお菓子職人のおじさんに会いに来たのだと分かった。以前は小さな村に店を構えていたが、ケーキ作りの腕前が評判になり、夢だった城下町の一角に店を持てるようになったという。
グリフォンは村に店があった頃、時々、夜の閉店間際にケーキを買いに行って仲良くなったらしい。城下町に店が移ってからは人が多いので、なかなか行けなかった。だから雨降りで人どおりの少ない今日に出かけることにしたらしい。それでも人目につくと大騒ぎになるかもしれないので白い布をかぶって隠れていたらしい。
そっちの方が余計、目立つ気もする。
グリフォンは百花草の精霊の一件以来、フィルの村で一番長生きのおばあさんとも友達になっていた。お手伝いをしたら、おこづかいをもらったので思いきって城下町のお店に出かけたのだった。
「そうしたらね、お店がお休みだったの」
定休日ではなかったので心配になり、店の中をのぞいていたという。フィルと魔王も店の中を見てみたが人の気配はない。他にいるところに心当たりがないかグリフォンに魔王が尋ねると、家にいるかもしれないという。ここに引っ越す前におじさんは店の上に家があると教えてくれた。それはグリフォンがいつでも会いに来られるようにという気遣いだった。
「それなら、一緒に行ってみるか」
魔王は店の隣にあった階段を上がった。フィルとグリフォンも慌ててついて行く。階段の上はアパートになっているようで、いくつか部屋があった。グリフォンが誰かに見つかると驚かれそうだったが、幸いなことに誰にも会わなかった。
「多分、ここだと思う」
部屋の表札を見たグリフォンが扉の前で立ち止まった。みんなでノックして待っていると、中から一人の男が現れた。男はグリフォンを見つけると嬉しそうに声をかけた。
「久しぶりだな!」
「約束どおり、遊びに来たよ」
グリフォンとお菓子職人のおじさんは、しばらく嬉しそうにお互いの話をしていた。フィルと魔王は傍でその会話を聞いていた。
「そうか。とうとう魔王様に会えたんだな」
「うん!」
どうやらグリフォンは魔王のことを話していたらしい。ただ、おじさんはグリフォンの言う魔王が伝承の魔王本人だとはあまり思っていないらしい。グリフォンが魔王と呼んでいる誰かぐらいの認識だったようだ。ちらっと魔王を見て、魔王に似た格好をした旅人だと思ったようだ。城下町では勇者と魔王の伝承のファンが詰めかけるので、特段、珍しくもない。ただグリフォンにとって、魔王が大切な人であることは分かっていた。
「おじさん、どうしてお店を休んでいるの?」
「それはな…」
おじさんは困ったようにため息をついた。この店ではケーキや焼き菓子を売っているが、材料にはこだわっている。特に焼き菓子には遠い村の名産のはちみつを使っているらしい。そのはちみちを使って焼き菓子を作ると優しい甘さになる。それがこの店の売りの一つだった。ところが、そのはちみつが届くのが遅れているという。しばらくは在庫で何とかできたが、それも難しくなり、仕方なく休んでいるという。
どうやらその村から城下町まで至る街道の途中の森で濃い霧が出るせいだという。いつまでも霧が晴れず通行しづらいのだ。その道を使って材料を仕入れている店があまり多くないので、影響が出ている店はまだ少ない。
その話を横で聞いていた魔王はつい口を挟んだ。
「話は分かった。この魔王が何とかしてやろう」
「魔王、大丈夫なの?」
「私は魔王だぞ。人の子の悩みを解決するなど朝飯前だ!」
フィルはそうなんだと感心しかけたが、魔王が人の悩みを解決していいのかと首をひねった。
「本当にいいのか?」
おじさんは勢いこんで尋ねた。それほど困っていたので藁をも掴む気持ちだった。
「大丈夫だ。大船に乗ったつもりでいろ」
あまりに自信満々に言うので、おじさんは魔王に頼むことにした。
「魔王様なら、きっと何とかしてくれるよ」
グリフォンもおじさんにそう言ったので、おじさんは安心したらしかった。三人に森の行き方を教えてくれた。
三人が外へ出てみると雨があがっていた。これなら歩いて、森まで行けそうだ。街道の途中にあるという森は少し遠かったが歩けない距離ではなかった。思っているよりも近い所で立ち往生しているのかもしれない。
教えられた森へ入ると、目の前が見えないぐらいの真っ白な霧が立ちこめていた。森の中だけにこれだけの濃い霧が出るというのはおかしい。
「やっぱり魔法の霧なのかな?」
以前、ジェイドが結界の代わりに魔法の霧を作り出していた。しかし、魔王は魔法ではなさそうだという。
「この感じ、水の精霊たちの力だな」
「精霊の力が分かるの?」
「何となくだが、感じる」
精霊に近い種族である月影の民は自然と精霊の気配を感じ取れるという。フィルにはよく分からない。グリフォンもそこまでは、はっきりと感じ取れないようだ。
「なんで霧を出しているのかな?」
グリフォンの疑問はもっともだった。理由があるのかもしれない。
「水の精霊たちに聞いてみよう」
「そんな簡単に…。魔王は精霊の言葉が分かるの?」
「精霊の言葉ぐらい話せる」
当たり前のように言ってくる。魔王から話を聞いてみると、以前、旅をしていた頃にもこういうことがあったらしい。本来、精霊の言葉を学び、交渉する術を持っているのは魔法使いだけだ。魔法使いは精霊の声を聞き、人と精霊の仲介役を務める。そのため、このようなことが起こると魔法使いを呼んで来るのが普通だ。
だが、なかなか魔法使いが見つからないこともある。魔王も長い旅の中で精霊が霧を作っているのに出くわしたことがあった。その時は魔法使いが辺りにいなかった。どうしても困って、試しに月影の民の言葉で精霊に話しかけてみたら通じたという。
「月影の民の言葉は精霊の言葉と似ているようだった。全く同じではないが、通じることは通じたぞ」
それから魔王は旅の中で精霊の言葉を学んだという。精霊たちに教えてもらったり、旅の魔法使いに教わったりした。今では簡単な会話はできるらしい。魔王は長生きなので、いろいろな経験を積んできているのだ。
魔王は水の精霊たちを探して歩き始めた。やがて青い光を宿した花が咲く泉の傍に出た。その青い花は水の精霊の力の宿る花で、清らかな水のある所に咲くという。
「ここから強い水の精霊たちの気配を感じる」
魔王が近づいていくと、小さな水の精霊たちが現れた。強い力を持つ精霊は、はっきりとした姿を取ることができるが、力の弱い小さな精霊はあいまいな姿をしている。
魔王は不思議な響きを持つ言葉で水の精霊たちに話しかけた。フィルの聞いたことのない言葉だ。これが精霊の言葉なのだろう。フィルは魔王が知らない言葉を話しているのを初めて見た。
精霊たちは魔王の周りを漂っているように見えるが、何か言葉を話しているのは聞こえた。魔王も精霊たちの言葉に返事をしている。何気なく、こんなすごいことができるのを見ていると、やっぱり本物の魔王なんだと実感する。
やがて魔王が水の精霊たちの元からフィルとグリフォンの元へ戻ってきた。
「何か分かった?」
「ああ。以前、闇の魔物が暴れていたので霧を作って森を守っていたらしい。魔物はいなくなったが、霧だけが残ってしまったようだ。本来なら風の精霊が吹き飛ばしてくれるようだが、彼らがまだ闇の魔物を恐れて戻って来ていないようだ」
精霊たちからかなり詳しい状況を聞いてくれたらしい。
「それなら、ボクが風を起こしてみる」
グリフォンが元気よくそう言った。グリフォンには風を操る力があるので、風で霧を吹き飛ばすことはできそうだ。
グリフォンは自身の翼を羽ばたかせて風を巻き起こした。グリフォンの起こした風は森の中を吹きすぎて霧を吹き飛ばしていく。
グリフォンは生まれつき、風の流れを感じとることができた。森の中に霧が残らないように何度か翼で風を起こし、森の中に風が行き渡るようにした。少しずつ森の中の霧が晴れていった。
やがて完全に森の中から霧はなくなった。水の精霊たちは魔王に何事か言うと去って行った。
「なんて言ったの?」
「お礼だ。霧を吹き飛ばしてくれたことへの」
霧の晴れた森の中に日の光が差し込み始めた。森の中にある道も見えるようになった。その道から荷車がやって来た。それは遠い村からやって来たはちみつを運ぶ荷車だった。霧が晴れたので城下町へ向かうことができるようになったのだ。
「良かったね」
「うん!」
グリフォンは嬉しそうに返事をした。三人は荷車を見送ると城下町へ戻ることにした。
それから間もなくして城下町のケーキ屋さんは再開した。おじさんはお礼に三人にはちみつを使って焼いたパウンドケーキをプレゼントしてくれた。人気商品の一つで開店と同時に売り切れることもあるらしい。
これをもらって一番喜んだのはグリフォンだった。だけど、それよりも友達のおじさんの悩みが解決したことの方がもっと嬉しかった。