第 8 話
「まじかよ、仕事早すぎだろう、おい。」
リリアたちを置いて庭へと駆け込むと目の前に広がるのは花草に綴られた美しい庭だった。
昨日の殺風景の広場はまるで幻のように消え、綺麗に手入れされた魔法植物たちが日光の下で輝いている。
当然昨日の棺も魔法陣も何もかもが消えていた。
それでも諦めきれずに地面を観察しながら草花の間を漫歩すると。
「誰?」
なんとなく視線を感じ、思わず声に出た。
「あっ。」
わたしの声に驚いたのか、数メートル離れた花壇の影から男の声が聞こえた。
そして慌ただしい足音が石畳の上に響き、遠ざかっていく。
「ええと、こういう時どうすればいいだ?」
正直声が出た瞬間まずいと思った、もし刺客だったどうする?と一瞬脳内を巡ったが、幸い向こうから逃げたのでその心配は無駄に終わったが、今度は追うべきかと悩んでしまう。
そして悩んでるうちに足音が消え、魔法でも使わない限り追跡が難しい距離までに逃げられた。
「はあ、記憶を受け継いでもこういう咄嗟の判断は自然にできるようになるわけではないのね、課題が山積みだ。」
この世界は確かに生活水準や技術レベルは地球と同じかそれ以上なぐらいだが、安全性は完全に地球より劣っている。
魔獣の存在と時々発生する法乱現象があるため、町と町の間は無人区が広がっている。
その無人区に入れば魔獣と遭遇する可能性があるし、さらに法律も機能しなくなるため人間に襲われても不思議ではない。
そのため一般的に町間で移動する時は地上ではなく地下交通施設で移動することが多く、地上の無人区をうろちょろするのは魔獣狩りを生業とする狩人か人間狩りを生業とする強盗ぐらいだ。
ここから逃げるときは地下の公共施設は無論使えるはずもなく、地上からこの国を脱出することになる、その時のためでも戦闘の経験はある程度積んだほうがいいだろう。
そんなチャンスを作れるかどうかは未知数だけど。
「せ、聖女さま、ここにいらしたんですね。」
どんどん増えていく課題に対して頭を抱えているうちに、リリアたちが探してきた。
「どうした?慌てて。」
「先ほどグレンさまから連絡がきました、宝物庫の進入許可が出ましたとのことです。今から向かいますか?」
おう、待ってました。
「もちろん行くが、その前に先ほど侵入者がいたんだが...」
「本当ですか?!聖女さまはご無事ですか?」
さらに慌てふためく二人。
「もちろん無事よ、覗いているのをバラしたら逃げていた、王宮の関係者かもしれないから一応見逃してあげたけど。」
「どんな人だったんですが、もし侵入者だったら衛兵に知らせて捜査してもらいます。」
そんなこと私に聞かれても。
「男の人。」
「はい、男ですね。」
「...」
「ええと、それ以外の特徴とかは...」
「ない!」
「そう、ですか、かしこまりました。衛兵に知らせておきます。」
すまん、リリア。
心の中で魔導器を取り出して連絡をし始めるリリアに謝りつつ、ミューゼに手招きする。
「いかがなさいましたか?聖女さま。」
「ミューゼ、一つ実験付き合ってくれる?」
「実験、ですか?かしこまりました、問題ありません。」
「え、実験内容は聞かなくていいのか?」
二つ返事するミューゼに逆に驚かされるわたし。
「もちろん必要あれば聞きます、ただ実験内容はどうあれ、返答が変わることはございませんのでご安心ください。」
「えええ、死ぬような実験とかだったらどうするの、心配しない?」
怪訝な目で彼女を見たら、とびっきりの最高の笑顔で返された。
「聖女さまの役に立って死ねるのならそれはわたくしにとって至上の喜びです。」
え?ちょ、えええ?怖い。
「聖女さま?怖いですか?なんでですか?」
え、わたし口に出してた?
「ええと、その、実験、そう、実験始めるよ。」
「うー、はい、かしこまりました。」
どうしよう、オーラの件を解決しようとしたけど、今ちょっと怖くなってきた。
助けを求めようと目線をリリアのほうにやるが、まだ連絡の最中だった。
「聖女さま?準備はできてます、いつでも始めてください。」
ミューゼのこっちを見つめる目はキラキラしてて光を宿したようだった。
クソ、もう知るか。
「じゃ、そこで動かないで。」
「はい!」
恐る恐る一メートルぐらい先にいる彼女に近づいていく。
50センチ、30センチ、そして目と鼻の先まで近づく。
ちなみにこの体、聖女カルシアの身長はかなり高く、目測で175センチ以上はあるので、絵面的わたしがおっ、コホン、胸をミューゼの顔に押し付けていってる感じになっている。
「こ、こ、これはどういうことなんですか?せ、聖女さま?」
わたしの胸を目の前にしているミューゼはこっち見上げて激しく動揺しながら聞いてきた。
その瞳は劇しく収縮し、目線がまるで釣り針に引っかかった小魚のように泳ぎ回っている。
「実験だよ、大丈夫?すごく震えているよ。」
「だぃ、じぇ、びでし。」
今でも舌を噛みちぎりそうな勢いで歯を食いしばりながらの「大丈夫」だ。
「これで限界か。」
この言葉を口に出した瞬間、わたしはふっと頭を下げ、彼女の耳元に近づき、「ふう」とその耳に息を吹きかけた。
ぱったん。
まるでトランプタワーのように彼女はその息一つで崩れ落ちた。
さすがにやり過ぎたかあ。
と反省して数歩下がって彼女から距離を取る。
「は、は、は、ひー、ふう。」
「ええと、大丈夫か?」
「ひー、ふう。」
何度か深呼吸を繰り返し、彼女はゆっくりと立ち上がり、服のホコリをすこしはたいたあと、深く頭を下げた。
「大変失礼いたしました、どうかお許しください。」
「謝らなくていいよ、わたしの実験のせいだし。」
「ありがとうございます。」
再び頭をあげたミューゼはすでに冷静さを取り戻し、さっきの動揺ぶりはまるでうそかのようだった。
「で、どんな感じだった?」
「うーん。」
感想を問われた彼女は目を閉じ数秒間考え込んだ。
「欲望と理性の激しい戦いというべきでしょうか。あ、でも先ほどは我慢するのに必死でしたが、今思い返してみると巡りに召されてしまいそうな幸せな気分でした。」
またこの笑顔、うぅ。
「さっきのは、一体、もしかしてまた侵入者ですか?」
ミューゼが倒れ込んだのを見たのか、リリアが駆けつけてきた。
「ちょっとした実験だよ、そういえば、ミューゼ、昨日の着替えの時にさきほどのような反応はなかったよね。刺激の強さ的には昨日のほうが強いように思うが。」
「心の準備、の問題ですかね。昨夜は仕事ですし、暴走しないよういろいろ策を講じることができたんですが、先ほどは不意を突かれましたといいますか。」
「なるほど。」
効果はその時の心理状態にもよるのか。
納得しながら隣でわけがわからない状態のリリアを見て、ふっとある考えが浮かんだ。
「リリア、動くな。」
「はい?」
そう、わたしはリリアがまだ状況が飲み込めてない隙に、彼女にさっきと同じように踏み込んだ。
だけど彼女の反応は全然違った。
彼女はただわたしの命令を忠実に実行した。ぴっくとも動かずに固まっていた。
結果が出たので、ゆっくりと後ろ二歩下がる。
「もう動いていいよ、どんな感じだった?」
「ありがとうございます、すごく奇妙な感じでした、なんといいますか、ひれ伏したい?従わなくてはいけないって感じですね。」
人によって違うのか?それともわたしに対する感情に左右されてる感じなのか?
うーん、この能力かなりの使い方難しそうだな。
「さあて、実験の続きはまた今度にして、まずは着替えに戻ろうか。」
この能力の実験より、もっと大事なことがある。