第 85 話
「お願いです、あの薬がないとうちの母が死んでしまうんです!金はあとで絶対返すからお願いします!」
投げ飛ばされた少年は這いつくばって建物に近づき、その建物から出てきた一人の男に懇願した。
「そっちの事情なんて知るか、うん?いや。」
男はしゃがみ、少年の髪を掴んで顔を上げさせた。
「おかあちゃんが大変だね、薬がないと死んでしまうわね、きっとすっごい心配だよね?」
「あ、はい。」
情けをかけてもらえると思ったのか少年の目に希望の光が宿った。
「なら値段は倍だ、二万ロッド持ってきたら売ってやる。」
だがこの地下街にそんな暖かい話が存在するはずもなく、男の言葉は少年を更なる地獄へと叩き落とした。
「そんな、さっきは...」
「さっきはさっきだ、言っとくけど、ほかの店で買おうなんて考えても無駄だからな、上は戦争で物資が統制されている、ちゃんとした薬師の処方がないと買えやしない、ここの店は...あんたもわかってんだろう?縄張りを超えて商売する度胸あるやつとっくに死に絶えた、さっさと二万ロッドかき集めてくるんだな、おかんがくたばる前にな、ははっひゃ。」
そう言って、男は建物内に戻り、パーンとドアを閉じた。
「そんな...」
少年のおかげで助かったものの、一部始終を見たナディアーナは特に助ける素振りもなく、そのまま歩き出そうとした。
「さて、行こうか。」
「ふ、そうですね。」
「え?ちょ、ちょっと待ってくださいまし!」
まるで何も見てなかったのように進もうとするナディアーナとラフィニアを見て、ローゼシアは我慢できず呼び止めた。
「あの人を助けないんですの?可哀想ですわ。」
「この地下街では面倒事に関わらないほうが賢明かと思います。」
この町を知っているものとして当然な発言だ。
「でも可哀想ですわよ...」
「可哀想な人なんてごまんといるよ、それこそこの地下街でも千、いや、万はくだらないと思う。」
数年間離れてたとはいえ、ここに生まれ育てられたナディアーナそのことをよく知っている、実際庭の子供たちもその中に入っている、そしてその可哀想な人たちが同情を誘って詐欺したり、悪事に染まっていくところもたくさん見てきた。
「でも、今見えましたから、助けないとなんかモヤモヤしますというか...」
「つまり、そのもやもやを消すために助けたいと?」
「はぃ...」
高尚とはいえない自分の動機が恥ずかしいのか、ローゼシアの声はかなり小さかった。
「わかった、ら、ミューゼさん、お願いします。」
「はあ、仕方がないですね。」
そう言って、ラフィニアは少年のほうへ歩き出した。
「え?どうして?」
「師匠から教わったんだ、他人のためとか大義名分を掲げて何かをやる人ほど信用に値しないものはない、そんな人よりはっきり自分のためだと言える人のほうが関係を維持する価値がある、たとえそれがどんな関係であろうと、な。」
「あの方が...」
一方、数歩先の少年のところ。
少年に近づいたラフィニアは四つん這いの少年を助けないところか、逆にナディアーナたちが気づかないようにその肩を足で思い切り蹴った。
「ちょ、いきなりっ。」
少年が声をあげる暇も与えなく、ラフィニアは少年の胸倉を掴んだ。
「貴様、どういうつもりだ?!」
声量は抑えたものの、その口調からして、ラフィニアは本気を出していることがわかる。
「な、何のことかな?」
「それで俺を誤魔化せるとても?」
少年の胸倉を掴んだ手がより一層力が入れられ、ラフィニアの手の甲の圧迫によって少年はすこし息苦しさを感じた。
「悪かった、悪かったから。」
「で?何のためにこんなことを?」
「ちょっとした気まぐれっうっ。」
突然締まる襟首に少年は呼吸出来なくなった。
「ほぉ”んとぉだ、はあ、は、聖女が姿を消した以上、俺たちもすぐこの国を出ることになるから、その前に若聖女の顔を拝んでみようと思って。」
「ならもう満足したろう、帰れ。」
「いや、もうちょっとっ。」
「貴様がどんな手を使って族長を惑わしたかは知らんが、言っとくけど、俺はお前らと協力することに納得してないからな。」
「それは分かってる、でも、女が病気になってたのは本当だ、ちょっと見ない病気だから聖女の知恵借りなれないかな~と。」
「なにバカなことをっ。」
「ミューゼさん!なにかあった?」
すこし長話しすぎたせいか、ナディアーナたちも二人のところへ歩いてきた。
「この子の母親の病状を聞いてただけです!変なことしたらぶっ殺す。」
ナディに返事するついでに小声で少年に警告した。
「わかってる。」
「病状?なにか気になるところあるのか?」
「ええ、彼自身から聞いた方がいいでしょう。」
もちろん、ラフィニアは病状なんて知ってるはずないので、少年に振るしかない。
「ええと、最初は皮膚が乾燥して、亀裂が入るぐらいでした、でもほっといたら血が出て、皮膚が爛れたんです。」
「うーん、他に症状は?」
「あとは髪と歯が抜け落ちたり、痙攣したり、あっ、目の色もなんか変になっている感じです。」
少年の話を聞いて、ナディアーナは手を顎にあて、考え込み始めた。
「なにかわかったですの?」
「うーん、師匠から聞いたことあるような、ないような...」
「どっちなんですの?」
すこし呆れた顔をするローゼシアにナディアーナは軽く首を振った。
「わからない、でもどっちにしろ師匠から面白い話として聞いたくらいなんで、診断方法も治療方法も知らないよ、あとで師匠に聞いてみるよ。」
「こんなことで手を煩わすわけには...」
「大丈夫よ、師匠は研究熱心な人だから、珍しいことがあったら報告した方が喜ぶと思う。」
「そうですか、わかりました、でも今は帰りましょう、でなければ日没に間に合いませんわ。」
「うん、いこう。」
ナディ一行が離れ、少年の視線から消えたあと。
「どうだった?」
さっき少年が追い出された建物の中から一人の青年が出てきた。
「一応うまくいったかな、あとのことはそっち次第だけど。」
「あんたもおせっかいだな。」
少年はさっき蹴られたとこや地面に当たったところの埃をはたきながら立ち上がった。
「一応ここで何年も住んでたからな、これぐらいのことはしてあげないと。」
「ふ、お前のそういうところ、俺は好きだぜ。」
「なにいきなり、俺そういう趣味ないんで、遠慮しとくわ。」
「君の瞳の奥に隠されているその喜び、俺は見抜いてるぜ。」
「はあ。」
諦めたように少年はため息を吐いて青年の言葉を無視して歩き出した。




