第 78 話
「聖女さま、この前は失礼を働いて、大変申し訳ございませんでした。」
この前師匠の前にあれだけ生意気に暴れてた子が今は自分の前に頭を下げている。
その頭を下げる相手が自分ではなく師匠であると理性ではわかっている、それでもナディアーナは心の中から妙な興奮が湧いてくるのを抑えることができなかった。
「き、気にしてないから、謝る必要ないわ。」
その妙な気持ちのせいで、しばらく黙り込んでしまい、通話を通してリリアの別の部屋からの叱責の声を聞こえてきてからやっと気が付いて慌てて返事した。
「そう、そうですか。」
...
長い沈黙、まるで友達がトイレ行ったあとの初対面の友達の友達同士だけが残された地獄の一時のような沈黙が訪れた。
「あ、あのう、せっかく来たし、お茶でも飲む?」
「あ、はい...」
まるで救い言葉を得たように一気に肩の力を抜いた姫とは真逆に、救いの手を差し伸べたナディアーナはめっちゃ怒られている。
「バカですか?!バカですね?!今追い返せば終わりなのに、なんで引き留めちゃうんですか?!」
「つ、つい...」
頭の中から響く怒声にナディアーナは弱々しく呟いた。
「はあ、もうこうなったら仕方がないですわ、あのプライドの高い姫だから、きっとなにか頼み事があるのでしょう、言葉攻めで喋らせないようにしましょう。」
「言葉攻めってなんっすか?」
「あのう~、聖女さま、どうかなさいましたか?」
リリアとの会話に集中しすぎたナディアーナは当然不審がられた。
「あ、なんでもないよ、おいしいか?」
「はい、大変おいしいです、双蓮宮はメイドも一流で羨ましいです。」
「姫に褒めてもらって彼女たちもきっと喜ぶよ、さあ、遠慮しないでどんどん食べて。」
食べ物で口封じする作戦に出たが、残念ながらローゼシアはすでに覚悟が出来てしまったらしく、首を横に振った。
「ううん、ありがたいですが、今日わたくしが参りましたのはお詫び以外にも聖女さまにお願いしたいことがあるからです。」
ダメだったかぁ。
「約束はできないけど、とりあえず言ってみて。」
心の中で嘆きつつも、諦めて話を聞くことにするナディアーナ。
「ありがとうございます、実は先日父上に言われたんです、連邦軍が侵攻を始める前にリック兄さまと共和国に逃げなさいと。」
「なるほど、国王としてごく普通の判断だと思うが、それがいやなのか?」
正直当たり前すぎて勉強不足なナディでも何の驚きもしなかった。
「いいえ、わたくし自身は特に不満はありませんでしたが、リック兄さまはかなり反発してしまって。」
「あの子が?」
国王の指示に反発できるほど気の強い人には見えないんだが...
記憶の片隅からあのいかにも優男の王子さま掘出したナディはすこし驚いた。
「はい、国を捨てて自分だけ逃げるなんてできないとお兄さまはおっしゃいました。」
「なるほど、理性的な判断とは言えないが、その心意気は称賛されるべきと思うよ。」
さっきから古臭い演劇のようなことを言われ続けて、すこし胸焼けしそうなナディだが、精一杯のフォローをした。
「それでお願いしたいというのは?リック王子が一緒に逃げるように説得してほしいとか?」
それぐらいならあらかじめカンペ用意しとけば問題なくやり過ごせる自信があるので、ナディはちょっとほっとした。
「いいえ、そういうわけではありません。」
しかしほっとしたのも束の間、ローゼシアの言葉はナディの体をもう一度引き締めさせた。
「じゃ、お願いというのは一体?」
「わたくしを王宮の外に連れてってほしいのです!」
「はあ?!」「は?」
ナディの驚愕と同時に通信の向こうのリリアも珍しくナディと同じ反応をした。
「どういうこと?」
さっきまでの話から飛躍しすぎて、ナディだけではなくリリアでさえわけのわからない状態である。
「先ほど話した通り、わたくしは父上の指示に特に不満がありません、けどお兄さま違いました、なぜこのような違いが生まれたのでしょうと考えても答えが出ず、お兄さまに聞いたんです。」
「へえ、彼はなんと?」
「昔一度だけ王宮の外に出たことあって、そこでいろいろ見たからではないかなとおっしゃいました。」
またこてこてなっと心の中でつっこもうとした瞬間、ナディはひらめいた。
ああいう劇では王子が下町で庶民の女の子と仲良くなって、悲恋が始めるまでがワンセットなんだが...いや、師匠にデレデレだったし、さすがにね...
「で、君も外に出ていろいろ見たいと?」
「はい、この国の王女として生まれてこのかた、一度も王宮から出たことがなく、自分がこの目で見た王国は聖王山から見下ろしたカルサルだけですので、もしこのまま共和国に逃げたら、わたくしはもう二度とこの国戻ることがないかもしれません、たとえ戻ったとしてもその時はきっとわたくしが今生きているカルサルではなくなっているのでしょう。」
正直孤児院上がりのナディからして、こんな飢えも苦しみも知らずにのうのうと生きてきたお嬢さまの贅沢な悩みなんて聞きたくもないが、雰囲気がすでに出来上がっていて、かなり断りづらい。
どうしょうか悩んでいる時、ずっとノートの様子を気にしているナディが師匠から返信がきたことに気付いた。
「ちょっと待ってて。」
「あ、はい。」
これ幸いにナディは席を立った。
異変に気付いたリリアは通話で聞いたが無視され、隠れている部屋の唯一の出口の先には姫さまがいるので追いかけることもできず、ただ見守るしかできなかった。
面会室から出たナディは外で待機しているラフィニアの目を気にも留めず、そのまま横の空部屋に入って鍵を掛けた。
...
十分後。
「ローゼシア姫。」
「はい!」
面会室に戻り、ナディは着席した途端ローゼシアに声かけた。
「すこし準備は必要だが、君のお願い、叶えよう。」




