第 63 話
ライアン村 宿屋
「うぅー、ここは...」
宿屋の一室で一人の少女が眠りから目覚めた。
覚めきれない目を指で擦り、少女は自分のいる場所を見回した。
ふかふかなベッドに高級な内装、窓から見える趣のある庭、かなりいい部屋である。
「なんでわたくしが...はっ。」
やっと夢から覚めたのか、少女はなにかを思い出したように自分の体をまさぐり始めた。
「あれ、ない!服も変わってる!」
少女は慌ててベッドから立ち上がり、部屋中を探し回ったが、見つかったのはテーブルに置かれている一枚の書き置きのみだった。
そして、それにはこう書かれている。
「すこし出かけるから、帰って来るまで部屋で待っていてほしい、退屈なら魔導ビジョンでも見ていてくれ、料金はすでに支払済なので。」
少女はこれを見てしばらく考え込んだあと、大人しくベッドに戻ったけど、魔導ビジョンをつけることもなくただぼうっとしているだけだった。
しばらくしたあと。
ガチャとドアが開かれた音が静かな部屋に響いた。
「おお、起きたか、魔法ビションは見ないのか?」
野太い声とともに一人のムキムキな男が部屋に入ってきた。
「誰、ですか?」
少女は目の前の人顔を見て戸惑った。
「ふ、わからないってことはつまり起きたのはミューゼかな。」
そう言って男はドアを閉めた、そしてドアが閉められた瞬間、男の姿はまるで泡のように消え、その代わり一人の美女が男のいた場所に立っている。
「偽の聖女さま。」
「ええ、そうよ、それを知っているってことは体を乗っ取られている間のことはしっかり覚えているのね。」
「え?う、ぅん。」
なにを思い出したのか、ミューゼは顔を赤くして俯いた。
「なんかごめん...君の体でその、変なことして。」
ミューゼの考えていることを察して、わたしは謝った。
「あっ、いいえ、その、聖女さまのせいではっ、いや、ちがっ、ええと。」
「エレスだ、エレスって呼んでくれ。」
「エレスさまのせいではありません、むしろ先祖さまがご迷惑をかけして本当に申し訳ございません。」
「それは君が気にすることじゃないよ、君はただの被害者だから。」
「いいえ、わたくしは、そのぉ...」
突然言い淀むミューゼをよそに、わたしはテーブルの横に座り、テーブルに食べ物を並べ始めた。
「まあ、そういうことはあとにして、ごはんにしたらどう?おなか空いているでしょう?」
「あっ、はい、ありがとうございます。」
そう言って、彼女はわたし向かい側に座った。
「全部食べていいよ、自分は外で食べたから。」
しっかし、別人だから当たり前だけど、全然キャラが違うな、前のミューゼズケズケと近づいてくるが、今のはなんかおとなしい、まあ、たぶん実質的に初対面だからという部分もあるんだろうけど。
少しずつ食べ物を口に運んでいるミューゼをぼうっと見て可愛いなと感心しながら。わたしは彼女ずっと俯いていて目を合わせようしてくれないことに気づく。
「あのう、ミューゼちゃんもしかしてわたしのこと嫌い?」
正直そう思われても文句は言えない、一族の主である聖女の体の乗っ取り、その名を騙って、あまつさえ彼女の意思を無視していろいろセクハラ、いやセクハラの度すら超えているようなことをして、嫌われていないほうが不思議だ。
「い、いいえ、決してそんなことは...ただ恥ずかしいといいますか、うーん、わからないんです、自分の気持ちが...」
顔を自分の胸に埋めようとしているのかって思ってしまうぐらい俯いているミューゼを見て、わたしはちょっと申し訳なさを感じたが、残念ながら、状況的にここでゆっくりする時間がない。
「できれば気持ちを整理する時間を与えたいのだが、その前にわたしはこの国から出なければいけない、なので君にはこれから自分のゆく道を選んでもらう。」
そう言ってわたしテーブルにある食べ物をどかし、一枚の地図を広げた。
「わたしはこれからマドレー方面にも向かい、そこでマンティコア原素帯を通って辺境まで駆け抜けるつもりだ、君には少なくともそこまでは付き合ってもらう、でそこから君の道は二つ、一つはわたしと一緒にこの国を出てわたしのメイドとして働く、もしこれを選んだら、念のためにこれをつけてもらう。」
わたしは一つの首輪を取り出した。
「隷獣の輪...」
「それは今の呼び名だね、昔は隷属の輪って名前だ、まあ、見た目的によくないので、少々解除が難しくなるが、これではなく直接体に刻み込むのも問題ない。」
隷属の輪、名前の通り人を奴隷にする魔道具だ、昔ながらのもので、今は基本的に魔獣にしか使わないので隷獣の輪になっているが、人間にもちゃんと効く。
「で、もう一つの道は、わたしが国境を超えたあと、君を解放し、その後君がなにをするのも自由、聖棘に戻るのもよし、どっかの田舎で余生を過ごすのもよし、わたしが君に干渉することもなければ、会うこともない。」
こんな簡単な二択、たとえバカでもなにを選ぶかわかっている、当然...
「一つ目を選びます。」
「え?今なんて?」
「せい、エレスさまについて行きます!」
う、そ、だ、ろ。
落ち着いて、わたし。
ゆっくり深呼吸して、もう一度確認する。
「隷属の輪をつけて、いっっっしょうわたしのしもべとして働くことを選ぶのか?」
「あっ、申し訳ございません、隷獣の輪は付けません。」
「だよねー、ざんっ。」
「直接術式を刻んで欲しいです。」
「えええええ?!」
いやいやいや、なんでだよ。
わたしは思わず頭を抱えた、正直この世界についてまだ全然わからないことだらけなわたしにメイドができたことは大変助かるが、それ以上にミューゼという人間の抱える爆弾が大きすぎる、聖棘組織に聖霊殿に行ったかどうかわからないご先祖様、どれも面倒くさいレベルの代物ではない。
「なんで、なんでそれを選んだんだ?」
「わかません、でもエレスさまに会えなくなるのはいやです、このまま離れ離れになったらわたくし絶対後悔すると思います。」
「それは君の思い込みだ、実際離れたら案外なんともなかったりするぞ。」
わたしの言葉にミューゼはなにも言わずにただこっちを見つめるだけだったが、わたくしは本気だと訴える目だ。
こりゃぁダメだ。
「もうわたしが後悔してるよぅ、なあ、わたしたち実質初対面みたいなもんよね、なんでそこまで?」
「エレスさまにとってはそうかもしれませんが、わたくしは二ヶ月一緒に生活してきたつもりですので。」
「はあー、もう、なるようになれや。」
覚悟を決め、わたしは立ち上がってミューゼを見下ろした。
「ミューゼ、そこで横になれ!」
「はい!」