第 49 話
カゼッタ連邦 パオラトン 連邦安全部第七情報室訓練基地
「はぁ、は、っはぁ」
ランニングマシンの前に田中は四つん這いで俯いていた。
そんな息もままならない田中に突然横からの蹴りが入り、田中は勢いのまま体をぐるっと一周し、床に大の字で寝ころんだ。
「なにをやっている、はやく立て!この軟弱者が!」
罵り声とともに一つの足が寝ころぶ男の胸を踏みつけた。
「う、息が..もう..無理です、死ぬ。」
田中は踏みつけに来た足を持ち上げようと努力するもむなしく、足の主を見上げて命乞いをした。
足で踏みつけると言うとユニーさんの起床サービスを思い出すが、残念ながらこれはそういうご褒美みたいなものではない、正真正銘の男の力の込めた踏みつけだ。
田中を踏みつけた男の名はゼイン、田中が訓練基地に到着したあと当てられた特別訓練官だ。
「お願い、ゆる..して、おねがい、息が、死んでしまう。」
ゼインのまるで山のようなびくともしない足に為すすべもない田中はただただ無様に命乞いをした。
「チ、死ぬならさっさと死ね!このヘタレが!」
田中のヘタレっぷりが面白くなかったのか、ゼインが踏みつけてた足を退かし、そのまま訓練室の外へと向かった。
彼が訓練室のドアノブに手をかけた時、なにかを思い出したように振り返った。
「あとであの女がくるから、休憩室で待ってろ。」
それを聞いた田中はまるで死んだ魚が痙攣するようにぴくっと反応した。
「レイラさんがですか?」
だが彼の問いに返事する声はなく、起き上がると部屋はすでに田中一人しかいなくなった。
「あ、急がないと。」
田中は急いで立ち上がり、ぐたぐたな体を引きずって休憩室に向かおうとした時、ふっとなにかに気づき、自分の体のにおいを嗅ぎだす。
「うーん、さきに汗を流したほうがいいかも。」
そう言いながら、彼は踵を返し、奥の更衣室へと向かった。
廊下
「ゼイン訓練官、ごきげんよう。」
訓練室から出て、自室に向かうゼインは予想外の人物とぱったり遭った。
「レイラ秘書官、まだ予定の時間ではないはずだが。」
レイラ・ホーク、クリンフォード大統領の秘書官だ、誰に対しても笑顔で優しいと評判だが、数多な情報官を育ててきたゼインの目にはそう見えなかった。
だからレイラがこの基地に訪ねてくる度に自室にこもって接触を避けて来たが、生憎訪問時間を早めたレイラと遭遇した。
「前の予定少々早く終わってて、他に用事もありませんので早めに来てしまいました、もしかしてご迷惑でしたか?」
ほどよく前かがみであざと過ぎずに自分の女の武器をアピールしながらも少々首を傾げて上目遣いで見上げてきてあどけなさを表現。
さすがだが、女情報官たちにも指導したことのあるゼインにはまったく効かない。
「いいえ、田中ならすでに休憩室に行くように指示してあるので、ご自由にどうぞ、自分は今から長官のところに行くので、失礼。」
もちろん長官のところに行くのは真っ赤な噓である、ただ単純にこれ以上関わりを持ちたくないとゼインは思っただけだ。
「待ってください!」
しかし、レイラはそう簡単に逃がしてはくれなかった。
「うん?まだ何か?」
「田中さまの訓練状況についてお話聞きたいと思いまして。」
関わりたくないゼインだが、仕事の話となればそうもいかない。
仕方なく止まり、できるだけ短く済ませるように言葉をまとめる。
「体力が少しばかり上がった以外はほとんど進展がない、前に聞いた特別な力とやらも未だ発見されていない。」
報告を聞いたレイラは失望したのか、なにか対策を考えようとしたのか、すこしの間俯いていた。
「田中さまはどんな訓練をされたんですか?」
レイラの言葉を聞いてゼインは顔色を変えた。
上の政治のいざこざも、昇進に興味がないゼインだが、仕事に対するプライドと責任感を強く持っている、レイラの言葉は彼からしたら彼の仕事に対する侮辱にしか聞こえなかった。
「俺の訓練メニューに意見があると?」
ゼインに睨まれ、レイラは慌てて手と首を振りながら否定した。
「いえいえいえ、違います、ええと、参考、そう、参考にしたかっただけです。」
「そう?」
ヘタな言い訳だが、ゼインはそれ以上の追及しなかった、何故ならゼイン自身も田中の訓練状況に不満を覚えているからだ。
異世界人という体質上の違い、特殊能力とやらの情報の少なさ、どれも今までの任務とかけ離れていて、ゼインを苛立たせている。
「訓練メニューならあとで田中からもらえばいい、どこで使うかは知らないが、あんまり期待しない方がいい。」
そう言って、ゼインは離れていき、レイラもこれ以上引き止めることなく、ゼインが廊下の角を曲がるまで見送った。
「やっぱりダメだったか、はあ、期待し過ぎちゃったのかな、もう時間も残り少ないし、最終手段を取るしかないね。」
そうつぶやきながら、レイラは休憩室へと向かった。
「レイラさん!お久しぶりです!」
レイラが休憩室に到着した時、田中はすでに中で待っていた。
「お久しぶりです、勇者さま。」
田中の引くぐらい元気な挨拶にレイラは特に驚くこともなく、ただ微笑みを浮かべながら返した。
「あ、飲み物どうしますか?確か、何があったっけ...」
そう言いながら、田中は席を立とうとしたが、レイラがすぐに呼び止めた。
「大丈夫です、長居はしませんので。」
「えー、そんなに急ぎます?」
明らかに肩を落とした田中を見てレイラは口を開いた。
「残念ながらね、詳しくは言えませんが近々大きな動きがあります、それに備えて勇者さまにも頑張ってほしいですので、簡単的に説明したあと、すぐに出発します。」
「動きって...うん?出発?どこに?誰と?」
レイラの言葉の中の情報量の多さに田中は困惑した。
「それはこれから説明します。」
そう言って彼女はいくつのものを取り出した。
「これはこの前の。」
「はい、この前に使ってた変身セットです、今回はこれもついています。」
「荒野狩猟協同組合?」
渡されたのは一枚の半透明のカードで、上に細かく文字と魔術術式らしき模様が描かれている。
「はい、これはその一級猟師の免許証です。」
「なんのためこれを?」
「勇者さまもそろそろ実戦経験を積んでいかないといけないので、一狩りしてもらおうと思いまして。」
「え?」
驚いた田中が顔を上げたさきに見えたのはいつものレイラの微笑みだが、その目には別のなにかを隠しているように見えた。
田中編です、今回すこしばかり長めになるかもしれません...