第 30 話
翌日
「ゆ...しゃさま、起きてください、もう、起きな、さい!」
お腹への重圧で息が苦しくなった田中は目を覚めた。
「うっ、し、死ぬ。」
開けられた田中の目に映ったのは片足で自分の腹を踏んでいるユニーの姿だった。
ニーハイストッキングに包まれた足が田中のだらしない腹の上にぷよんぷよんと跳ね、その動きに合わせて、ストッキングのゴムに食い込まれたもも肉も波を打ち、田中の視線は思わずその美しい波に吸い込まれ、優雅な曲線を描きながら暗く、深い絶対領域へと落ちていった。
田中の視線を感じたのか、ユニー素早く足を引っ込んだ。
「目覚めたら早く起きてください、だれかさんが来ていますよ。」
ユニーの足指が自分のお腹で掠った感触をゆっくり思い出す暇もなく、田中は一気に目を覚めた。
「え?今何時?レイラさんがもうきているんですか?」
「九時です、じゃ、もう起こしましたから。」
もう最低限の仕事の義務は果たしたからと言わんばかりに、ユニーはまだちゃんと履けてない靴を引きずりながら部屋から出ていた。
十分後
「す、みません、待たせてしまいまして。はっはっ」
最速で支度を済まし、ユニーからレイラが外で待っていると聞いた田中はレイラのところまで走ってきた。
「こっちこそごめんなさい、早く来すぎて、昨日も時間伝え忘れちゃいますし。本当になにやってるんでしょう。」
運動不足すぎて、ちょっと走っただけで両手で膝をついて息を切らす田中にレイラはやさしくその背中をなでた。
「レイラさんは悪くないです、僕が今日を楽しみにしすぎて全然眠れなかっただけですから。」
「うれしいです、レイラもすごく楽しみで早く来てしまいましたから。」
レイラの言葉を聞いて田中は思わず頭を上げた。
そしていつものビシッと決まった大人っぽいビジネスルックと違って、一切余計な飾りもなく、真っ白なワンピース一枚を身に纏い、すらりと佇むレイラの姿が目の前あった。
そんな彼女の姿に見惚れていると彼女から声かけられた。
「勇者さま?大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫です、その、れい、レイラさんの私服姿がすごく似合ってて...」
自分から言いながらも恥ずかしさでどんどん下を向く田中に合わせ、レイラは両手を後ろに回し、体を横に傾き、下から田中の顔を覗き込んだ。
「ありがとう、すごくうれしい。」
「えへへ。」
幸せすぎて空でも飛べそうな田中の腕を掴み、レイラは外へと引っ張った。
「勇者さま、行きましょう。」
田中はもちろん嫌がるはずもなく、引っ張られるがままに建物の外に止まっている車へと乗り込んだ。
間もなくして、車は起動し、農園の広大な土地を走り出した。
「農園の景色も悪くないですね。ここは開放されていないですが、第一農園のほうは開放されていてウーゼンルブの観光名所になっています。」
ウーゼンルブの郊外農園は合計八つあり、第一農園以外はすべて関係者以外立ち入り禁止となっている。街全体の食料を支えている農園は獣害を防ぐために塀で囲われていて、厳重な警備も敷かれている、加えてこの広大な土地、まさに機密なプロジェクトを進めるのに格好な場所だ。
田中を召喚したのもそのうちの一つである。
「確かに悪くないですが、見続けてたらさすがに飽きてきています、それに、ここは地味な農作物ばかりで、第一農園みたいに花とか植えているわけでもありませんし。」
「レイラは地味な農作物の方が好きかな、見た目は確か華やかではないんですけど、命を支えていると言いますか、影の英雄って感じです。」
「意外です。」
そう言って田中は窓外の畑を見て小さな声で呟いた。
「レイラさん自身は華やかなのに。」
「勇者さま、知らないかもしれませんが、車を運転する時って精神力を体外に出してて、感覚が鋭くなっていますので、小声でもちゃんと聞こえますよ。」
指先を自分の耳にあてながら、レイラはいたずらっぽく笑った。
「あっ、す、すみません。」
「ううん、ありがとうございます、でもレイラはそんな大したものではないと思いますよ。」
サラサラな金髪を指先で耳にかけ、いつもの笑顔とは違うすこし悲みを帯びた横顔を見せ、レイラは続いた。
「あたし、孤児院育ちでね、ちっちゃい頃はよくお腹すかせてたの、だからかな、きれいな花より、食べられるもののほうが好き、貧乏性でかっこ悪いよね。」
そう言ってレイラは田中にぎこちない笑顔を見せた。
「そんなことありません!レイラさんは素晴らしい人です、むしろそんなレイラさんにお腹空かせるなんてこの国の孤児院はどうなっていますか?!」
「ふ、うふふ。」
「あっ、すみません、なんか。」
「ううん、怒ってくれてありがとうございます。あ、そろそろ塀に着きますね」
レイラはゆっくりと車を道端に止め、横に置いてあったバッグからなにかを取り出し、田中に渡す。
「はい、今日はこれを持っていてください。」
「これは魔導器、ですか?あと、これは?」
「魔道具です、勇者さまの存在は秘密ですので、この蜃獣の目を使って隠す必要があります、この魔導器にはカモフラージュ用の身分証明が入っていますので、それを沿って見た目を変えてください。」
魔導器を起動させ、目の前に表示されたのは一枚のオンフィアの男の写真だった。
男の顔はこの世界ではよくありそうモブ顔で、決してイケメンとは言えないが、田中の自前の顔よりはそれなりにマシだった。
蜃獣の目を左手で握りしめ、魔力を注入したら、暖かくてドロッとしたような気が魔道具から溢れだし、あっという間に田中を覆った。
田中はそのまま精神力を操作し、ゆっくりと写真の顔に合わせて気の形を変えた。
「こんな感じでいいんですか?」
大丈夫そうと思った田中は変化させた顔をレイラに見せ、意見を求めた。
「うーん、ここをもうちょっと平たくかな。」
レイラは自分の顴骨を指差した。
「こう、ですか?」
「どうかな?」
言われた通りに変えてみたが、どうもレイラの考えているのと違うようだった。
「ちょっと失礼させていただきます。」
「え?」
田中がまだなにを失礼するんだと戸惑っている時、レイラの手はすでに彼の顔に触れた。
「まっ、うっ。」
「動かないでください。」
勝手に動かないないようにレイラは両手で田中の頬を挟むように固定した。
このまるで少女漫画でヒロインがオラオラ系男子に無理矢理キスされるシーンみたいなシチュエーションに田中は思考停止した。
「ここ、ここの突起をすこしずつ削ってください。」
なにも考えられず、言われるがままに精神力を操作する田中。
「はい、ストップ、あとは、ここ、すこし膨らませてください。」
五分後。
「はい、完璧です。」
そう言ってレイラが離れ、ずっと体をこわばっていて息すらろくにできなかった田中は一瞬で力が抜き、はあはあと貪るように空気を吸い込んだ。
「大丈夫ですか、精神力使いすぎてしまいました?本当にすみません、今すぐ引き返します。」
「待て、待ってください、僕は大丈夫ですので。」
「本当に大丈夫ですか?無理してません?」
息を整い、田中は顔をレイラの方に向いた。
「本当に大丈夫です、ほら、魔術も乱れていないでしょう。」
レイラは数秒彼の顔を見つめて確認したあと、頷いた。
「確かに大丈夫そうですね。では、行きましょうか。」




