第 29 話
ユニーが退室し、田中は小さな会議室の中でレイラと二人っきりになった。
「...レイラさん?」
二人になったにもかかわらず、レイラは依然なに喋らずに、今度は田中の顔を見つめ始めた。
そのまっすぐな視線に田中が耐え切れるはずもなく、その頭がどんどん下がり、デーブルにぶつかるか心配になるぐらいだった。
「ねえ、勇者さま、ユニーさんのことどう思いますか?」
「え?ユニーさん...ですか?」
いままでの人生のなかで一度も耳にしたことのない他人に対する思いについての質問に戸惑う田中は答えに迷った。
そして、レイラもまたそれをわかってるように急かしたりせずに彼の答え待つことにした。
「うーん、いい人かな。」
いろいろ考えすぎたか、待ちに待った田中の口から捻出した言葉はいい人だけだった。
「ふーん、なるほどですね、わかりました。」
だが、そんな誰もツッコミたくなるような答えに、レイラはあっさりと納得した。
その態度は逆に田中を戸惑わせた。
「え?こんな答えでいいんですか?」
そんな田中の疑問に、レイラはすこし首をかしげ、可愛く微笑んだ。
「じゃ~、まだほかになにかあるんですか?」
「ないです。」
レイラの微笑みに魅了された田中はすでに思考停止した。
「ならそれでいいんじゃないですか?」
そう言ってレイラは目の前に置いてあるファイルから一枚の書類を取り出した。
「実は勇者さまの新しい、うーん、勤務先?が決まりましたので、知らせに来たんです。」
渡された書類に目を通すと、田中は驚愕した。
「連邦安全部第七情報室訓練基地?これって?」
どう見てもヤバい響きの部署の名前に田中は動揺した。
「ご安心ください、あくまでもちょうど今開けられる訓練施設を選んだだけです、訓練項目も基礎訓練だけになります。」
「そうですか、よかったです。」
いきなりスパイさせられる心配がなくなった田中はほっとしたが、レイラの次の言葉でまたびくっとなった。
「勇者さまが活躍するのは裏ではなく表舞台ですから。」
「表、とは?」
「うーん。」
指先を顎にあてて唸るレイラ。
「戦争...とかですかね。」
「戦争...」
ある程度は田中も予想できていた、勇者と言ったら戦うわけだから、ただ心のどこかでそうならないかもと目を逸らしていた。
そして今その可能性を目の前に突き付けられた田中は恐怖を禁じ得なかった。
「でも僕、いま下級魔術もろくに使えないですし、そんな僕が戦場に出ても足手纏いでは...」
「そんなことありません!勇者さまは勇者さまですから!いつかきっと最強の魔術師になるとレイラは信じてます!」
無理と言いたかった田中だが、レイラの目を見てるとどうしても口に出すことが出来なかった。
「そ、そうですか、でも今は戦争とかしてないし、平和ですよね?」
「確かに今は戦争とかなかったんですが、東の共和国とも南の精霊王国とも小競り合いが続いていて、正直平和とも言い難いんです。」
「で、でもすぐ戦争に発展したりはしない...ですよね。」
わずかに震える声で田中は聞いた、いや、目の前の女性に恐怖を慰める言葉を求めた。
そして、レイラもそれに応えた。
「はい、しないと思います!レイラたちもそうならないように頑張りますので。」
望む通り麻薬を手に入れた田中の顔は一瞬で恐怖から安堵に変わった。
「ええ、戦争なんてしないことに越したことはないんですよね。」
「うん、もう暗い話はよしましょう!どころで勇者さまは明日空いてますか?」
「空いてます!」
ニート同然の田中に空いてない時間なんてありはしないので秒で答えた。
「なら、明日一緒にどこかに出かけませんか?」
「え?」
突如に降りかかる幸福に田中の頭は一瞬で真っ白になった。
「ええと、そのう、明日休暇取れてて、ちょうど勇者さまの引っ越しもまだ時間ありますし、訓練始まったら勇者さまも忙しくなって会える時間少なくなっちゃいますし、だからちょっとぐらいいいのかなって...」
珍しく小声でもじもじするレイラを見て、田中はようやく意識を取り戻した。
こっそり自分の太ももをつねて現実であることを確認し、ようやく口を開く。
「喜んでいきます!」
「ありがとうございます!じゃっ。」
トン、トン
突如響くドアをノックする音がレイラの言葉を遮った。
そして、いつものように返事も待たずにカチャと入ってくるユニー。
いいところを邪魔された田中は今回ほどユニーのこの勝手な行動を嫌ったことがなかった。
「ユニーさん、今度はちゃんと許可をとってから入室してください。」
「は?」
田中からの思わぬ反抗にユニーは目を見開いた。
その表情にせっかく勇気を振り絞ってささやかな抵抗を見せた田中はまたしぼんだ。
「いや、その、よくないというか...」
「勇者さま!」
田中がどもってると、レイラが口を開いた。
「それでは、今日は先に帰ります、明日の朝にまた来ますので、楽しみにしててください。」
そう言って、レイラは最高の笑顔見せ、立ち上がった。
そして、部屋を出ようとドアの近くで立っているユニーとすれ違った時、彼女にも同じく笑顔で会釈をしてから出ていった。
彼女が退室したあと部屋には奇妙な沈黙が訪れた。
「明日、楽しみ?」
沈黙を破ったのはユニーの質問だった。
「うお、これ本当にボルディッシュですか?ユニーさん。」
沈黙に耐え切れずユニーの持ってきた飲み物を口をした田中はその微妙な味に驚愕してユニーの質問が聞こえてなかったのか聞こえないふりしてたのか、逆に質問を投げつけた。
「ネットではすごくおいしいだって聞いたはずなんですが...」
パン!
「うんなことどうでもいいです!明日!楽しみ!はどういうことですか?!」
ユニーの突然の台パンにビックリして、田中は手に持ってた飲み物をこぼし、ズボンを汚したが、濡れたズボンよりユニーの台パンの方が問題だ。
「べ、別になんでもないですよ、あ、明日、街を案内してもらうことになっただけです、というか、なんてユニーさんがそこまで怒るんですか?」
「ふーん、案内?別に怒ってませんよ、ただ予定があるなら教えてくれないとこっちも仕事がしづらくなるだけですので、あ、ボルディッシュ失敗してしまいましたみたいなので下げますね、こぼしたのはこれで拭いてください。」
ポケットからハンカチを取り出し、濡れたところを覆い被さるように放り投げたら、ボルディッシュのコップを持って退室しようとした。
「あ、待って、ユニーさん、これ。」
田中はテーブルに置いて例の書類を彼女の前に出した。
「なんか言わなかったらまた怒りそうですから、言っておきます。」
「ですから怒って...何ですかこれは?連邦、安全?」
「はい、そこで訓練を受けることになりました、あ、このこと機密なのかわからないんですので、教えたこと言わないでくださいね。」
軽い口調で田中は喋ってたが、ユニーはいつになく深刻な顔になっていた。
「じゃ、わたしは?」
「あっ、そういえば聞くのを忘れました。」
田中の言葉を聞いて、ユニーは深く深く、田中を見抜くように田中の目を見つめた、その視線に耐え切れずに田中が目をそらすまで。
「そう、わかりましたわ。」
そう言い残し、ユニーは部屋から出た。
「あのクソビッチがっ」
第一会議室を出てドアを閉めたあと、ユニー歯を軋ませながらそう罵ったあと、足早に会議室を後にした。