第 2 話
まだ生きているのか?わたし。
痛い、かゆい、強烈な痛みとかゆみが全身を襲う。まるで全身あらゆるところでかさぶたができたような感覚だ。あんまりにも強烈な苦痛はこの久しぶりに刺激を感じた魂には耐え難かった。
全身を搔きまくって死のうとさえ思ってしまうが、その願いを叶えるための体は言うことを聞かない。手足がぴくりともしない上に胸が重荷に抑え付けられたように、呼吸もままならない。
まだ死にたくない。
驚くことに自分はまだ生にしがみつく願望があるようだ。
生物の生存本能ってすごいな。
その生存本能に従い、精神崩壊すら起こせる痒みと痛みを耐え、必死に力を振り絞って肺を膨らませ、胸を上げてなんとかほんのちょっとの熱を帯びた空気を吸い込む。
気のせいなのか、その空気が五臓六腑、いや全身の隅々まで染み渡った気がした。
そのおかげで力が湧き、胸の重荷も徐々に軽くなったように感じた、そして、貪るように空気を吸い込んでは吐く、吸い込んでは吐く。
それを繰り返すうちに痛みもかゆみもどんどん引いていって、体の制御も利くようなった。
ゆっくりと目を開けると、目に映るのは青い空だ。
ここは?あの空間から脱出できたのか?わたしは、助かったのか?
両手で体を支えて起き上がると、目の前に三人の男がいた。その真ん中にいる派手な服装をした中年おじさんが一歩前に出て、口を開く。
「聖女カルシアさま、ご降臨ありがとうございます。」
聖女さま?降臨、どういうことだ、っていうかなんだ、この人の言葉?
ラフィラス語とかなり似ている、いや、まって、ラフィラス語ってなんだ、私は誰だ、カルシア?いや、違う、わたしは...わたしの名前はなんだっけ、うっ、思い出せない。
混迷極まる感情の嵐をふり落とすように頭を何回か横に振って、あたりを見渡す。
約一ヘクタールぐらいの大きさの広場の中心に自分がいた。
その広場の地面に巨大な魔法陣のような模様が描かれており、その模様の上に数十人のローブ姿の人が自分の方に向けて跪いて頭を下げているのだ。
一体何が起こっている?
確か自分は暗闇の中で何かとぶつかって、そして意識を失って、起きたらここにいた。
あの時聞いた言葉はどういう?
そしてこいつらが言う聖女とは?
ここに飛ばされてこの聖女とやらに転生したのか?まだ全然状況が整理できていないが、今はとりあえず目の前の状況を何とかしないとだ。
目の前の三人の男に向き直る。私から返事が全然返ってこないからなのか、三人はこちらの顔色を窺うような表情をしている。
まだ完全に状況を把握していないが、いまこの時自分は目の前のこいつらより目上の人だということだけは分かった。
声を低くして冷たく凛とした声を意識して喋る。
「君らは?」
思ったよりすんなりと言葉が出た、習った覚えもない言葉なのに不思議な感じだ。
今回も同じく中年おじさんが対応する。
「わたくしはマルセルと申します、ラフィラス聖王国王家イーノー家の末裔であり、このラスタリア王国の国王でございます。このふたりは、今回の儀式の担当である大魔導士グレンとわたくしの息子のジルです。」
ラフィラス聖王国?ラフィラスって公国じゃ、まただ、自分の頭の中に覚えのない記憶、いや、記憶だから、覚えのないはおかしいか、うぅ、突っ込んでる場合じゃないって。ふう、頭を空っぽにして、頭を空っぽー。
気を取り直し、情報を引き出すことに専念する。
「ラスタリア王国?」
ボロが出ないように口数を少なく、そして相手から聞いた言葉で聞き返す。
「はい、お恥ずかしながら、聖女さまがなくな、いや、聖霊殿へ行かれた後、聖王国は長く持たず、聖女さまのおかげで一度大陸統一をも成し遂げた聖王国は大半の領土を失いました。」
ここまで話し、マルセルはもともと低い姿勢をさらに低くした。
「かつての栄光を取り返そうと先祖たちは何度も奮起したのですが、叶うこともできず、ただただ落ちこぼれていくばかりで、そして二百年前に国の状況に情けなさを感じた先祖はもう聖王国と名乗る資格もないと、ラスタリア王国に改名したのです。」
うーん、この聖女さまってのは少なくとも二百年以上前の昔に死んだ人で、何らかの方法で復活させたってことか?この下に描いてる魔法陣で?
あ、確かにあの白い光の中に人影があったような、もしかしたらその聖女が聖霊殿とやらからここに来ている途中でわたしと出くわしたということなのか?私は彼女の代わりにここへと?
一瞬で思考を巡らせ、またマルセルに問いかける。
「わたしがいなくなってから何年経った?」
「おおよそ千年です」
悲報、わたし、千年も死んだスーパーババアだった。
シワシワになってないよな。いや、もしかしたらゾンビに...うぅ。
ばれないようにちょこっと視線を自分の手のほうに移動して確認する。
あ、良かった、ぴちぴちな肌だ。
ってかそんなババアを生き返らせるなよ、女が寝て起きたらスーパーババアになったらめちゃくちゃ悲しいだろうがよ。
「で、千年も前の老い耄れを呼び出し何の用だ」
その質問を聞いたマルセルは一瞬複雑な表情になったが、すぐに戻し、両手を胸元の位置に重ねて、見たこともない礼をした。
「実はこの度聖女さまにもう一度人の世にご降臨いただいたのはほかでもなく、このラスタリア王国を存続の危機から救うためです。一か月前、西の大国であるカゼッタ連邦が我が同盟国のパライスタ共和国とオークア王国両方を同時に侵攻し始め、本来ならば我々の同盟の最大国であるハイラー共和国が...」
「待て、これ以上はいい。」
いきなりスケールの大きい話に発展しそうなんで、慌てて止めた、もともと混乱してる頭にそんなややこしい話を聞いたらまた頭痛がしそうだ。
ある程度は予想できたが、やっぱりその手の話か、勇者召喚とか英霊召喚とか大抵そういうもんだ、魔王倒せだの、戦争勝たせろだのって勝手すぎる。
はあ、めんどくせー。
とにかく今は先延ばしにするしかない。状況も飲み込めずにこのままこの手の話をされたらズルズルと罠にはめられてしまう。
「部屋は用意してあるのか?」
「え?」
「はい、もちろんです、聖女さまのかつてのお住まいを新しくリフォームして準備させております。」
話の腰を折られては予想外の質問をされてちょっと戸惑ったマルセルの代わりに、となりのグレンが質問に答えた。
「ならその部屋へ案内を頼む、ここ千年の歴史、技術、とにかくわたしが知っておくべきことを資料にまとめてあとで部屋まで送ってくれ。君らの話はその後だ。」
すぐ寝台から降り、案内を催促するようにとなりの宮殿建築群の方向へ歩き出す。
「わかりました、すぐに手配いたします、グレン、案内を」
あんまりの急展開に驚きながらも、マルセルはわたしのこれ以上の話はしないという意思を理解したのか、すかさず命令を下した。そして、命令を受けたグレンも慌ててこちらの前まで走り、案内する。
「聖女さま、こちらへ」
「うん」
ふう、こころの中で一息をつく、異世界もので召喚して奴隷のように扱うパターンもあるから少々冷や冷やもしたが、向こうのやけに卑屈な態度を見て賭けに出たがなんとかなったな。
とりあえず何もしらない状況で話を進められちゃうことだけは免れた。
しっかし、こんなわけのわからない戦争に参加させられるのはごめんだ、なんとかして逃げなきゃ、とりあえず部屋に着いたら状況整理して対策だな。
一方、魔法陣の中心
「これでよろしいですか?父上」
ずっと口を開いていなかったジルは聖女の姿が視界から消えたあとに口を開いた。
「ああ、今日はこれでいいだろう、これ以上粘っても逆効果にしかならん。」
「しかし、あのかしこまった喋り方の父上は初めて見ました、何だかいま複雑な気持ちです。」
小さいころから玉座から臣民を見下ろす国王の姿しか見てこなかったジルは、マルセルの聖女相手の卑屈な態度を見て思うところがあるのか、いつものチャラい表情も消えた。
「ふう、王というのは玉座の上に鎮座して偉そうにするだけでは務まらないぞ、国のために必要ならば傲慢な態度をとるし、卑屈な態度もとる、今回のことは君にとってもいい経験になる、しっかり覚えておきなさい、この国もいずれ君に任せることになるから。」
本当にそう思っているのか、マルセルはジルの肩を軽く叩いたあと、ゆっくりと双蓮宮の門へと歩き出した。
「はい、頑張ります。」
ジルは父の背中に頭を深く下げ、肩を震わせながら、そう答えた。