初恋が手に入るなら、喜んで悪役令嬢になりますわ!
前期のテストも終わり、もうすぐ夏の休暇だという天気のいい日の午後、ランチを終えて食堂でまったりと、友人らとお茶とケーキをいただいていた時にそれは始まったのです。
「ここにいたのか、マリア・ガストン!ちょこまかと逃げおって忌々しい。時間を無駄にしたではないか!!」
食堂の扉をバァンと音を立てて開けて立っていたのはニコル様。ヘミング侯爵家の嫡男である彼は、幼少の頃に親同士の繋がりで結んだ、私の婚約者だ。
お互いに可もなく不可もなくで、幼馴染の延長で付き合っている感じだ。もちろんお互いに初恋もまだだった。
そんな彼がおかしくなったのは三ヶ月前。一人の男爵令嬢が転入してきてからだった。
彼女の名前はエミリア・カートン男爵令嬢。柔らかそうな栗色の髪と青い瞳。小柄で可愛らしい様子に、鼻の下を伸ばす令息も少なくなかった。
噂では市井で生まれ育った男爵の愛人の子供とのことだが、真相はわからない。ただ立ち居振る舞いは平民のそれで、要するにあまりお行儀がよろしくない。
「わたくしに何かご用ですか?」
食堂にいた学生たちが注目する中、立ち上がって自分の所在を知らせると、ニコルはエミリアを腕にぶら下げたままツカツカと側にやって来た。
「ああん、ニコルさまぁ、歩くの早いですぅ」
「すまなかったな、エミ」
ニコルは機嫌を取るようにエミリアの頭をよしよしと撫でた。
「許してあげます。ふふふ」
そうなのだ。三ヶ月前からエミリアと一緒にいる姿をよく見るようになって、現在に至っている。
「マリア・ガストン、貴様はこの優しく可愛らしいエミリアを、散々いじめたらしいな。貴様がやったこと全ては、エミリアから聞いている」
「いじめてなんていませんわ」
「何を、嘘をつくな!」
食堂にいた学生たちは、聞き耳を立てながらこちらを注視している。
何もこんな所で言い出さなくてもいいのにと思いながらも、落ち着いた声で答える。
「それよりも、わたくしもお聞きしたいことがありますの」
「なんだ?」
「この三ヶ月間、わたくしとの約束や夜会のエスコートをドタキャンしたり、それどころかわたくしの悪口をあちこちで吹聴されているようですが、どういうことか説明していただけませんか?」
「ハッ、何を言い出すかと思ったらそんな些細なことを」
「それでは教えてやろう。エミが学園に転入して来てから、生徒会の一員として他のメンバーとともに、学園や町のことを教えてあげていたんだ」
「ニコル様やルーカス様、フレディ様、セオドア様、ジョセフ様、皆様のおかげで、あたし学園やこの町に早く馴染めたんですよぉ!ありがとうございますぅ」
エミリアは嬉しそうに体をくねらせている。ニコルはそれみろと言わんばかりに、偉そうにそり返ってマリアを睨んだ。
マリアと同じテーブルでお茶を楽しんでいた女性の肩が、エミリアが挙げる名前に反応してピクピクと小刻みに揺れている。
「それが何か?そんなものが婚約者を蔑ろにしていい理由にはなりませんわ」
「貴様にはエミのように優しさや配慮といったものがないのか!貴様らが仲間外れやいじめをするから、エミが俺たち生徒会を頼ったんだろうが。それを俺やエミが悪いように言うとは、その汚い根性には虫唾が走るわ」
「まあ、あまりにひどい仰りようですこと!!それが婚約者にかける言葉ですの?」
「ええい、うるさい!貴様がした数々のいじめを挙げ連ねるのも腹立たしい。ただ、階段から突き落とされかけたり植木鉢を落とされそうになったとエミから聞いた。命を脅かす卑劣な行いは許す事ができない。よって貴様との婚約を破棄してやる!!」
「本当によろしいのですね」
「当たり前だ。書類は後から送るから待ってろ」
「わかりましたわ」
「ええい、まだ言うか!ん?なんだって?」
「わかりましたと言ったのです。婚約破棄を受け入れますわ」
ニコルは少し慌てた様子で咳払いをしつつ、隣にいるエミリアの腰を抱いてニヤリと笑った。
「コホンコホン、それならばいい。エミリア、これで障害はなくなった。俺と婚約してくれるな?」
エミリアはニッコリと微笑み頷いた。ニコルはマリアを侮蔑するように一瞥すると、踵を返して食堂を出て行った。
マリアはその場に崩れるように座り込んだ。すると、同じテーブルに座っていた令嬢たちが慰めるようにマリアの手を取り、食堂から外へ連れ出した。
庭園の四阿のベンチに座り、ようやくマリアたちはホッと息をついた。誰からともなく口を開いた。
「ふふふ、上手くいきましたわね」
「ええ、本当に!」
「婚約破棄おめでとうございます、マリア様」
「皆さまありがとうございます。ニコル様は侯爵家の方、私からは破棄できませんもの。どうすれば破棄していただけるか悩みましたわ!」
マリアが頬を上気させ、弾むような声で礼を言った。
そこにエミリアが走ってやって来た。
「マリア様、ありがとうございました。あたしの方も上手くいきましたよ。近々ニコル様と婚約します」
「まあ、エミリア様、おめでとうございます」
「それにしても、利害が一致してよかったですわ。皆さんもご協力感謝しますわ」
マリアとエミリアは皆に向かって頭を下げた。
「それにしても三ヶ月前に偶然、町のカフェでエミリア様と出会えたのは奇跡でしたわ」
「本当に。あたしは男爵様のお役に立ちたくて婚約相手を探していたし、マリア様は婚約破棄したくて悩んでらして」
「ええ。それでストーリーを立てたんですわ」
「あたし、頑張ってニコル様を誘惑しましたよ」
「フフ、そして私たちがマリア様がエミリア様をいじめていたと、ニコル様に伝わるようそれぞれの婚約者に囁きましたのよ」
令嬢たちが声を揃えていった。
「こんなに上手くいくとは思いませんでしたわ」
「フフフフ」
令嬢たちも交えて、可笑しそうに忍び笑いを漏らした。
「それでは皆さま、ごきげんよう」
マリアは淑女の礼をすると四阿を後にした。向かうのは図書館である。
マリアは図書館に着くと、書架から目当ての本を手に取り、窓際のソファに腰掛けてぼんやりと外を眺めた。
しばらくして目の前に誰かが立つ気配に視線を戻すと、そこには長い黒髪を緑のリボンで一つに括り、青い瞳をした優しげな男生徒が立っていた。
「マリア嬢、大丈夫でしたか?」
「あ、アーロン様」
「聞きましたよ。ニコル殿も本当に酷いことをされる」
「いいのです。いつかはこうなると思ってましたもの」
マリアは手元にある本に視線を落とした。アーロンは跪くと、本に置かれていたマリアの手を掬い上げ、その甲にそっと口づけた。
「傷心の貴女に言うつもりはなかったんですが、私の気持ちを伝えることをお許し下さい」
マリアは寂しげに笑うと、慰めの言葉はいりませんわと首を振って答えた。
「慰めではありません。貴女と知り合い、悩みを打ち明けてくださったこの三ヶ月の間、私なりに貴女を側で支えてきたつもりです。こんな結果になってしまいましたが、私にとっては吉報となりました」
「アーロン様、何を?」
「貴女の隣で、貴女の心の痛みを共有するうちに、純粋で健気な貴女のことを愛するようになったのです。マリア・ガストン伯爵令嬢、どうか私と婚約を前提に交際して下さい」
「まあ!アーロン様。わたくし、突然のことでなんと言っていいか」
「もちろんです。すぐに返事を貰おうとは思っていません。ですが、前向きに考えていただければ嬉しいです」
「ええ、ありがとうございます。両親とも話し合ってみますわ、アーロン様」
マリアは儚げに微笑んだ。
「では、私はこれで。この話を進めてもらえるよう両親に話すつもりですので、いい返事を期待していますね」
「わかりましたわ。わたくしはもう少しここで気持ちを落ち着かせてから帰りますわ」
マリアは立ち上がると淑女の礼をした。
「マリア、愛しています」
アーロンはもう一度マリアの手に口付けると、そっと抱きしめて耳元で優しく囁いた。
マリアは真っ赤に頬を染めてアーロンを見上げた。アーロンは優しい微笑みを残して図書室を出て行った。
マリアはドサッとソファに腰掛けると、小さくガッツポーズをして呟いた。
「ウフフフフフフフフフフ。初恋、見事にゲットしましたわ!!」