62_パイルバンカー
一瞬の遅れと共にグレンの腕が動く、だが対応出来たのはレイピアを持っている相手兵士に向かってだった。
相手の突きだすレイピアを紙一重で躱すが、左腕の袖口から肩口までの軍服を切り裂かれる、そしてジュウと何かが焦げる音と匂いが後追いでやってくる。
レイピアは高温なのか、切り裂かれた部分から血は出ていない。
もう一人の兵士は、切り付けた斧が硬く弾力のあるものにぶつかったようにして空中で止まり、そのまま何かに弾かれ、動作が巻き戻されたように振りかぶった際の位置まで斧が戻される。
斧の周辺には何か青い光が半径20cmほどの円として広がり、その光の中から二つの銃弾が地面に落ちる。
グレンを見ると、右腕を左腕の脇下から出し、そこに握られた拳銃から自身の背後に向かって発砲していた。
「なッ、、、!!」
彼らカムデン側のアクションはグレンにとって不意打ちと言って差し支えないものだったろう。
完璧と言えるまでに組み上げられたコンビネーションは、オートライトのフェイントも相まって初見でこれに対応出来る人間はいないはずだった。
でも、グレンは簡単に防いで見せた。
その行動にアズサは見惚れ、相手の指揮官は驚嘆と、恐れの声を上げる。
指揮官の驚きの声は、それでもまだ冷静さを保っていた。
次のフレーム、グレンは強い力で首を振られたように、首を横に倒した。
中距離からの狙撃だ、とアズサすぐに見抜いた。
遅れるようにして、硬い粘土に弾丸を撃ち込んだような鈍い音が響き、それを合図かのように、挟み込んでいた二人が大股のバックステップでグレンから距離を取る。
グレンは首を振ったままだらりと体から力が抜けていき、ワンテンポ一切の動きが止まってしまう。
「今だ、オートライトぉぉおおお!!」
そして間髪なくオートライトが第二射をグレンに向けて放った。
一射目と同様にあたりには砂埃が持ち上がり、地面は抉れ、炎が土を溶かし焦し、噴煙が舞い上がる。
カムデンの指揮官の男は完璧な攻撃だと自負した。
オートライトのフェイント、からのデアランの犬による近距離の不意打ち、そこから動きを封じての狙撃、そして最後にはオートライトによる追撃。
欠けているものは何一つとしてないし、攻撃が命中したことは間違いがない。
指揮官の男は衝撃と同時に耳を手で覆い、伏せたおかげか、感覚器官も問題なく動くようだった。
怪我も無く、先程まで感じていた動けなくなるほどの頭痛もどこか遠くに過ぎ去っている。
砂煙が舞い落ち、視界が確保出来るまでの数秒の間、この場にある期待感は最高潮に達していた。
視界と聴覚を砂埃が覆い、ラジオに流れるノイズののような、ザー、という音が盛大にこだまするが、次第に小さくなっていく。
「―――はは、やった、か・・・」
声はこの場の多くの者のうちなる心を代弁していた。
指揮官の男は立ち上がり、犬と呼んでいたレイピアと、斧を持っていた二人を見て、そして背後を振り返り、それから前に視界を戻して、砂煙の中にいるであろうオートライトを見た。
他の周囲の兵士たちも自身たちが成し遂げたであろうことに徐々に気づき始め、そして小さくない歓声を上げる。
砂埃が完全に落ちきり、視界が開けると、誰しもの声がぴたりと止んだ。
「ば、・・・・・・」
指揮官の男はどこか信じられないという目でオートライトを見据える。
オートライトはカムデンが開発した自力歩行兵器だ。
昆虫の形態を模したこの兵器をこの指揮官の男は仕組みまでは完全に把握出来ていなかった。
それでも今、目の前にある状況は、理解できる。
「う、あ、あああ」
オートライトはまるで錆びれ、そして打ち捨てられた遊具のように砲身が地面を向けられ、足の大半が自重に耐えかねたように後ろの2本を残して折れ曲がっている。
上部は小ぶりな隕石でも落ちたかのようにポッカリと穴が空いていて、上から覗くと、下手な外科手術の末に雑になんらかの臓器を取り出した後のようだった。
砲身のすぐ上、ベッド一枚分のスペースのヘリにグレンは立っていた。
先程直撃したはずの側頭部への狙撃の跡だろうか、血が頭部から垂れているがそれだけで、片目を潰したわけでも、頭部を揺さぶり脳震盪を起こさせたわけでもなかった。
いや、違う、本当なら脳みそをぶちまけて、跡形もなく体ごと吹き飛んでいるはずなのに。
ああ、ただグレンの軍服の上着が先程のレイピアの攻撃で破け至近距離で砲弾を受けたせいだろうか、ボロボロになってところどころ吹き飛び、右の肩章だけが残骸のように残っている。
グレンは右腕で何かを持っていた。
初めそれは小さな猿のように思えた。
手足だけが人間のように発達しているが、長期間陽の光を浴びずに生きていて、ろくに体を動かさなかったのだろう、あらゆる体のパーツが未発達で、体を支えることの出来ないであろう細い脚に、奇妙な腰のくびれ、それに薄い頭髪に、巨大な眼球が目につく。
そのグレンの持っている、猿のようなものは恐らく死んでいるのだろう、体には数種類のケーブルと赤黒いコールタールのような油に塗れていて、表情はピクリともしない。
グレンはそれの首を右手で持って、一度強く握り動かないことを確認してから、ポイ、と地面に投げた。
落ちた時の音が、ぽさっと、どこか拍子抜けした音だった。
それが合図だったかのように、グレンは動いた。
周囲の兵士もハッと、何かに気が付いたかのように銃を向ける。
だが―――、最初の標的はレイピアを持った兵士だった。
あっ、チャージ―――、
という声を発したとき、その兵士の心臓には杭が刺さっていた。
グレンは杭を刺し貫く瞬間、手首を45°から90°回す。
経験上そうするとどうしてだか返り血を浴びるのが少なくて済むのだ。
そのまま杭の先端に刺さった兵士の体を盾がわりにして、来るであろう狙撃に備える。
「あっつっっ、」
予測通り、盾にした兵士の頭が吹き飛び、レイピアを持っていた右腕も吹き飛ぶ。
どうやらこちらの左腕に付けているパイルバンカーを狙ったのだろうが、惜しいな後少しだったのに、という感想が思い浮かぶ。
そのまま盾の横から右手で腰に添えていたグレン専用自動式拳銃【オートマタ】を構える。
姿だけであれば出来損ないのショットガンのような風貌だが、小ぶりなドラム式マガジンが前後に並ぶように二つ付いていて、口径は普通のライフルに比べてやたらと大きい。
それでも片手で持ち上げ操作できるようにと出来る限り銃身は短く、全体は軽く作られている。
ドドドドドッド――――――、、
狙撃手がいるであろう林の中に発砲する。
それはアズサが今まで聞いたことのない、発砲音だった。
幼い男子が、兵隊のごっこ遊びをした時のような、口真似で出した気の抜けたような、そんな音だった。
連続した音の後に、遠くで袋に詰めたペンキが派手に飛び散る音がする。
同時に杭に刺さった兵士を腕を振って振り解くように、体を抜き、杭を自由にする。
グレンはそのまま、視線を斧を持っていた兵士に向ける。
びくりと、兵士が体を硬らせるのがわかる。
兵士は手に持っている斧に力を込めた。
それはグレンにとって分かりやすい反応だった。
先程まで発砲していた銃身を斧の兵士に向ける。
そして発砲した。
だが、
「うああああ、や、―――やらせるかよ!」
声と共に斧の先端に光が灯り、幾重もの銃弾をその光が受け止める。
それは彼の兵士特有のデアランだった。
ある一定の速度に到達したものの動きを止める。
そんな単純な能力だったが、戦場との相性は悪くなかった。それだけで彼女は最前線に投入されては生き残ってきた。
圧倒的な反射神経、長年の薬物投与によってのみ会得出来る人間の業の塊とでも呼べる代物だった。
だがそんな彼女でも、銃弾を止めることで精一杯だったのか、止めた直後に自身の目の前にいるグレンに注意を向けている余裕はなかった。
「う、うそ―――」
デアランはどうしても意識して、発動するまで若干のタイムラグがある。
だが言い換えてしまえば、小便を意識して出す程度の時間だ。
だがその時間はグレンにはあまりにも余裕があり過ぎた。
「―――ごめんね」
そう言って、グレンは目の前の相手に杭を突き刺す。
「パイル、バンカー」
それは青い光の間をすり抜けて突き破り、兵士の体を勢いよく貫いたかと思うと、骨や内臓をバラバラにしながら、身体を数メートル吹き飛ばした。