44_分かれ道
どのくらい歩いただろうか。
洞窟内は陽の光が当たる場所とは時間の流れが違った。
それは30分程かもしれなかったし、一時間以上も経ったのかもしれない。
時折通路の端に設置してある3桁の数字が羅列されている木の板だけが、現在地を教えてくれる。
白いペンキで書かれた数字はどれもが剥げかけていて、時間の経過が手に取るように伺い知れる。
洞窟内に入り、最初に見た数字は【0-03】だった。そこから真っすぐ進み、30m程で【0-04】という看板に突き当たったが、右に折れ、左に曲がるたびに【1-12】や【4-15】など細かく変わっていき、次第にそれらを追うことをアズサは諦めざるえなかった。
ひたすらに右へ、左へと進むたびに胸の中、具体的には肺の中とでも言うべき場所が熱くなっていく。
どこにも逃げ場のない土埃が一息吸うたびに口の中に紛れ込み、舌の上でざらりとした感触に取って代わる。
それを飲み込むわけにもいかず、吐き出しては、時折袖口で口元を拭う。
土臭い細かな粒子が口の中の水分を取り除いていく。
アズサの後ろを歩いているジュールはしきりに水筒に口を付け、数回口の中をゆすいでは吐き出し、何某かのうめき声をあげていた。
おそらく恨みつらみなのだろうが、それに反応する余裕はアズサにはなかった。
坑道内は天井に等間隔で裸電球が吊り下げられており、地面にはところどころトロッコのレールのようなものが敷かれている。
錆付いた金属製のレールは、ライトの頼りない光を反射しては赤黒い土の壁を照らす。
外まで繋がっているはずのレールだが、坑道内はところどころ落盤があったのか、土砂で丸々通路ごと埋まっている。
その埋まっている通路を迂回するように幾重にも細い通路が様々な方向に掘られており、まるで蟻の巣のような有様だ。
本当ならば敷かれているレールを辿れば外に通じているのだろうが、今はミストリが見ている地図を頼りに進まない限り、この迷路のようなトンネルを抜け出ることは難しそうだった。
天井の裸電球には時折小さなネズミが張り付いていて、ミストリが腰のライトで照らすと甲高く気味の悪い声を出してぽとりと地面に落ち、通路の端に小走りで近づくとどこかに走っていった。
自然と一匹のネズミを見つけると他の数匹もライトの光で炙り出され、彼らがそれなりな数でこの坑道内に潜んでいることが伺い知れる。
彼らと遭遇する毎に思わず悲鳴とも言えない声がアズサ、そしてジュールの口から漏れる。
「ここは、大分昔に掘られてるな。隣の山の坑道は入ったことがあったけど――」
ミストリは時折遭遇するネズミを足で追い払いながら、時折止まっては坑道の先を照らしながら、慎重に進んでいく。
慣れているのか、ミストリがネズミに関して何らかの反応を示すことはない。
それに対してアズサもジュールも彼らの姿が視界に入るたびに太ももや背中の筋肉が小さく痙攣するのがわかった。
外では聞こえた砲撃の音が坑道内まで響いてくることはなかったが、忘れた頃に天井から少量の細かい砂が降り注いできては軍服の襟すじに入り込み、首を左右に回すたび徐々に背中の奥へと落ち込んでくる。
アズサの警戒心は自ずと緩まることはなかった。
それは暗闇がそうさせたのか、それとも初めての任務らしい任務だからだろうか、いや、とアズサは思い直した。
きっとこの代わり映えすることのない通路のせいだろうと思った。
時折視界に流れてくる廃棄された坑道を掘るための道具や、何某かの注意を促す看板、それらとネズミの足元を這い回る奇妙な音だけがこの暗い世界の中で生きているような気がアズサにはする。
緊張が自身の背中からいなくなることは、この暗闇から出ない限りないだろうと思った。
それからまたしばらく歩くと、―――多少開けた場所に出た。
広さは十畳程だろうか、【2Hー12】と書かれた木の板が壁に立て掛けられていて、天井は低く、高さは2mと少しあるかどうかだ。
空間の隅っこに錆びた金属のフレームにボロボロに朽ちている木の板を張り合わせたトロッコが廃棄されていた。
周囲は幾重にも木の板(おそらく正式な名称があるのだろうがアズサには見当がつかない)が壁を支えるようにして張り巡らされている。
それはまるで完璧な採寸で作られた家具の骨組みのようだと思った。
広場には小さな金属製のシャベルや、着古しボロボロになった作業着などが散乱し、黒い染みのようなものがそこら中の壁にへばりついている。
さらにアズサたちが進む方向は通路が二手に分かれていた。
二手の通路はどちらも冷え冷えとしていて、奥から風が吹き込んでいるのではないだろうかと思えるほどに身体の芯を冷たくさせる。
ほぼ明度でしか表現されない道はこんなにも視覚的に暴力的なのかと、アズサは気が遠くなった。
片方の通路には、天井に今は灯っていない裸電球が等間隔に連なっているが、もう片方の通路は木の板が入り口に打ち付けられていて、木の表面には【進入禁止】と赤いペンキで書かれている。
「―――少し、休憩しよう」
そう言ってミストリは空間の中程まで進むと、壁に背中をもたれ、腰から金属製の水筒を取り出し、口に持っていった。
被っていたヘルメットを脱ぎ、ひざ元に置く。
それからミストリは懐中時計を軍服の胸ポケットから取り出すと、40分、と言って地図に何かしらのマークを付けた。
アズサとジュールもそれに倣うようにして、ミストリの隣に腰掛け同様に水筒に口をつける。
体全体疲労しているが、普段狩などをしていて、歩き回ることに慣れていることもあり、まだ余裕があるなとアズサ自身思った。
ただ、いつまで歩かなければならないのか、と言う不透明さが精神的な疲労に繋がっている。
位置を示す数字を見る限り、おそらく近づいてはいるのだろうが、ここが目的地に対してどのくらい離れているかが分からない以上、楽観視出来る要素は少ない。
少し前から、ジュールの小言が聞こえなくなっているなと思い、アズサは隣に座っているジュールの方をそれとなく見た。
ジュールは既に疲労がピークに達しているのだろうか、肩で息をして言葉を発するのも辛いと体全体で訴えている。
汗が額にいくつも貼り付き、前髪もそれに伴い額に張り付く。
頬は赤く、何度目かの全力疾走の後のような大袈裟な呼吸だ。
もはや土埃など関係ないかのように全力で息を吸う。
「疲れているのは、初めて通る道だからだよ。それにどれほど歩けばいいか分からないから、メンタルが疲れやすいんだ」
そう言ってミストリは、そんなに時間も経っていないさ、とアズサを見ながら付け加え、それからジュールの方を見た。
「・・・お貴族様もトンネル内では坑夫以下だな」
ミストリがまるで隙を突くようにそう言うと、どこからその力が湧き出たのか分からないがジュールは立ち上がり、膝に手を添えて息を荒げながら、貴様!と怒鳴った。
だがジュールは意に介さないように、水筒を傾け続ける。その顔はアズサが今まで見たミストリとは違い、どこか底意地の悪い子供のように見えた。
「な、なんと言った!」
「なんだよ、それ見れば誰だってそう思うだろ」
水筒の先でミストリはジュールを指さす。
肩で息をしているジュールは堪らず声を出す。
「―――、貴様ごときが、僕を語るか」
ジュールはそう言うと、喉を洗い流すかのように勢いよく水筒に口をつける。
この場の空気は多少不穏だったが、アズサは意図的にそれらを気にしないようにした。
自身が初めての場所に赴くとき、集中するべきは他にある。
だがそれでも、今のこの状況を好転はさせた方が良いことは確かだった。、元来こういったことで喧嘩をしたことのないアズサから見れば、解けるはずのない難問を突き付けられているに等しい。
今はお互いを守れるのはこの三人しかいないのだから。
「ねえ」
アズサは、唐突に空間に向かって声を出した。
視線はどちらにも向けずに、目の前の暗闇に焦点を合わせたまま言葉を発する。
ミストリにジュール、二人の目線がアズサ自身に集中するのを肌で感じる。
「ミストリが戦場に来た理由は知ってるけど、ジュールはどうしてここに来たの?」
そして沈黙が場を支配しないようにわざとらしくライフルのボルトを手でいじっては、無駄に音を立てる。
ジュールは思わず話題を振られたことで、ミストリに向けていた嫌悪を解き放ってアズサの方を向き、あの時、聞いただろ、と声を出した。
それは、どこか震えるような、何か後ろめたい、秘密を告白するような声だった。
それからジュールは軍服の右胸のポケットに手を添えて、そしてそれを小さく握った。




