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38_グレン・ガーフィールド

 ミストリのいるテントに戻ろうと歩いている途中、左右の緑色のテントから様々な人間が出入りしていた。朝になって皆が起き出したのだろう。


 初老の髭の伸び切った兵士から、眠そうな顔をして手元のナイフでリンゴを切りながら齧っている者、数週間は体を洗っていないであろう、身体が黒く汚れ針金のように痩せ細った者まで、枚挙にいとまがない。


 風呂に入った後だからだろうか、気分もすっきりとしていて風呂に行く前とは違い、随分と周囲の状況を認識出来ている気がする。


 テントから外に出た兵士達全ての者がアズサの姿を見ると、数秒動きを止めたのち、しっかりと敬礼を返してくる。


 誰もがその時ばかりはしっかりと、目を真っ直ぐこちらに向けて注視してくる。


 感覚としては10秒に一度のタイミングでそのように敬礼されるので、毎度こちらも敬礼を返す訳にはいかず、軽い会釈だけを返してその場を早足に通り過ぎる。


 自分にそんな敬礼されるような価値があるのだろうか、そんなことを考えると途端に恥ずかしく感じる。だがどこか肺の下、体の内側がゾワゾワと鳥肌が立つかのようにむず痒く、おかしな高揚感が忍び寄ってくる。


 それとなく、胸の下を触りその高揚感を跳ね除ける。


 そしてそれは自身の口角を上げ、かつ歩幅を心なしか大きくする。


 あと少しで自身のテントが見えてくると言うところで、―――アズサは足を止めた。


 一度それとなく周囲を見渡し、それからもう一度真っ直ぐ前を見る。

 それから両足の踵を合わせて、背筋を伸ばし、右手を指先まで真っ直ぐに這わせて、敬礼の姿をとる。


 目の前では一人の黒い軍服を着た兵士、エースの部隊の一員、グレン中尉がこちらに向かって歩いてきていた。


 多少離れた場所からでもアズサには彼と分かった、この司令部の中で唯一黒い軍服を纏っている者たちはやはり目立つのだが、彼はその中でも特異だった。


 朝日が昇り始め、彼の背後に太陽が位置するということで、後光が差している効果もあるのだろう。


 単純に言ってしまえば絵になる、ということなのだが、アズサの今までの人生の中でそのような男性は未だかつて存在しなかった。


 グレンは黒い軍服を胸元の第二ボタンまではだけさせ、多少俯き加減で歩いている。

 だが目の前のアズサに気づくと、背筋を正し同じように敬礼し、それから少し微笑んだ。


 それはどこか母がアズサを見る時のような笑顔だと思った。


 優しく、どこか儚げでそれとなく悲しそうだった。


 だけれど、愛嬌とでも言えばよいのか、なにかしらこちらから挨拶だったり肩に手をかけるだったり、構ってしまいたくなる何かがそこにはあった。


 だがよくよく見れば見慣れている母の笑顔と違った。

 何が、とは言い難いのだが、諦めのような諦観した悲壮感はあまり感じられない。


 どこか独特な雰囲気を持っている人だとアズサは感じた。


「こんにちは、確か、アズサさん、ですよね」


 そう言ってグレンは口を開いた。それから手ぶりで敬礼を解くようにと促される。


「あ、は、はい。アズサ・エンリケス、です」


 敬礼を解き挨拶するが、どうしてだか彼の体の細かなディティールに目が入ってしまう。


 先程まですれ違っていた他の兵士とは、やはり身体の細部まで全てが違っている。


 整い、肉体労働とは縁のないであろう体つき、それに綺麗に切り揃えられている眉毛、髪の毛はサイドは刈り上げられているが、トップは長く前髪は眉毛にかかっている。

 だが指先の爪に目をやると、左手の親指以外過去剥がれたのか、全て黒く、そこだけが異様に映る。


 彼からはどこかアルコールの匂いが漂う。

 酷く匂うとまでは行かず、ほんのりと香る程度だ。


 そして鼻に多少ツンとくるアルコール臭に混じって汗の匂いがする。


 他の兵士達とは違い、その匂いを嗅ぐと少し、胸がざわつく。


 単純に、―――良い匂い、だと思った。


 アズサは左手で耳上の髪を掻き上げた、だけどもう髪は前程は長くないので、どちらかというと耳上の肌を触った、という方が正しいかもしれない。


「―――ここには慣れましたか?」


 グレンはじっとこちらを見て聞いてくる。


 ―――どうしてこの部隊の人たちはジッと、こちらを見てくるのだろう、いや、私が気にしすぎなのだろうか、アズサは一旦考えるのをやめた。


 グレンの目を見ていると、とても兵士には見えない。

 

 どちらかというと御伽噺に出てくるような王子さまだったり、どこかの大きなお屋敷の執事とでも言った方がしっくりくるような気がする


 アズサに強烈な陽の光が体全身に降り注ぎ、エネルギーを一身に浴び、全身の温度を上げていく。


「あ、はい、なんとか、やれてます」


 愛想笑いと、緊張が入り混じった顔で答える。


 その表情を見たグレンの目は、どこか遠くを見る目つきになった。


「―――そう、良かった」


 そう言って、グレンはほんのりと笑う。


 ああ―――と、アズサは思う。


 この人は、幾人もの視線を根絶やしにする、何か、を持っているのだ。

 その力は強烈で、一度でもそれに撫でられれば、そこから逃げ出すことは出来ないのだと、身をもって知る。


 あ、あの、と、少しでも会話を続けたくて、少し疑問に思ったことを振ってみる。


「あの、さっきシンラ少佐たちと会いました。あの、少佐たちは任務でここを離れると伺っていましたが、何か、あったのでしょうか」


 グレンは少し首を傾けて、ああ、そうなんだ、なんだろう、任務が変更になったのかもしれないね、と言って指を口元に持ってきて、指先で数回唇を擦る。


 それから指先を頬に滑らせ、その柔らかいであろう肉の上を同じように擦った。


 グレンは、ごめんね、僕もよく分からないんだ、と言って眉を下げた。


 アズサは急にこの目の前の男が年相応な若者なのだと思った。


 年齢はいくつなのだろう、もしかしたら自分と同じぐらいなのかもしれない、とアズサは頭の片隅で思い描いた。


 グレンは目の前に飛んでいる虫を目で追うように視線を数回周囲に這わせると、ごめんなさい、もう行かなきゃ、と言った。


「何かあれば声をかけて下さい」


 それだけ言ってグレンは通りすぎて行った。


 通り過ぎるときにどうしてだか、グレンがどこか苦しそうな表情をしている気がした。


 いや、苦しそうというのとは違う。


 濃霧の中どこか遠くにある、高い塔の先端を見るような、そんな目つきだった。


 アズサは彼の背中を見つめた。

 彼の綺麗な姿勢が目につく。


 着ているのが貴族がパーティなどで身に着ける正装であれば、ここが戦場には見えないのではないかとアズサはふと思った。

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