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37_湯舟の中のシンラ

「それで、どう、エースの部隊は?もう慣れた?」


 湯船に浸かって一休みしていると、シンラが聞いてきた。


 彼女は目を閉じながら首をドラム缶の縁に預けて、上を向きながら気持ちよさそうに水面を掌で遊び、触れては離しを繰り返している。


 チャッピちゃぴと音が響く。


「あ、は、、い。それなりには、、」


「その様子だと、あんまりだね。これでも配置に関しては1番とっつきやすい部隊を選んだつもりだったんだけど」


 ざばー、とイゾルダが髪を洗い流す音が聞こえる。


「いえ、私がまだ戦場に自体に慣れていないんだと思います。実戦と呼べる実戦は昨日が初めてでしたので」


「……そっか。でも貴族じゃないのに一般兵士からこの部隊に配属されるなんて今までなかったんじゃないかな。そういう意味でエンリケスは優秀だよ。第一候補の貴族を破ってここに入ったんだろう」


 ねえ、そうだよね、とシンラはイゾルダに問いかけた。


 イゾルダはすぐさま、はい、その通りであります、と返答する。


「あの、ジュールは第一候補だったんですか?」


 アズサは髪の毛が湯に浸からないように、慎重に首を湯船に浸からせる。


「うん?ジュールってのは候補の貴族様のことかな?、そうだよ。お貴族様のご両親のコネでね、エースの部隊に配属するようにお願いされていたんだ。まあ―――、ただここは実力主義だから」


 ――――――それに、入らないで良くないのか、良かったのは、どちらとも言えないからね。


 そう言ってシンラは上に向けていた顔をこちらに向け、真っ直ぐアズサを見た。


 その時、アズサはシンラの目を初めて見た気がした。


 ―――綺麗な赤い目だった。


 その赤い目を中心に顔のそれぞれのパーツが完璧とも呼べるバランスで配置されている。


 眉毛すら真一文字に綺麗に生え揃っていて、まつげは触ると弾力で跳ね返ってしまいそうで、ふわふわと宙に浮いている柔らかい別の物質のようだった。


 そして、シンラの視線は、置き場に迷いが無かった。


 物を見るとそれの価値を値踏みするようにジッと見詰め、全てを見通すという強靭な意思を目の奥に秘めている。


 シンラは湯に浸かっている手を出して、前髪をかきあげるとおでこを見せた。


 シンラの体についている湯の雫が、ゆっくりと体のラインに沿って流れていく。


 湯船から少しはみ出ている胸は大きく、そして白い肌にはシミ一つ見受けられない。


 一言彼女に命令されれば自然と背筋が伸びてしまうのも頷ける気がする。


 プロパガンダとして新聞記事になっている彼女しか知らないが、現状彼女のイメージはそれらと全く持って遜色がない。


 ただただ、美しい。


 どこか彫像めいているとも思えるほどに。


「イゾルダは君を選んだ。彼女の目を私は信頼している。だから君にはその資格があったんだ。自信を持ちなさい」


 そう言われ、アズサは胸がどくんと高鳴る気がした。


 それから不思議とシンラの目を真っ直ぐ見ていることが出来なくなり、湯に視線を落とす。


 シンラの声は、語尾が酷くゆっくり聞こえる。


 それがどうして―――、とても艶めかしく感じる。


「あ、あの、ミストリも実は貴族だったりするのでしょうか?」


 沈黙を嫌ってアズサは自分から話題を提供することにした。


 とにかくしゃべることで頭を一杯にしたかったのだ。


「ミストリ?ああ、同じ時期に入ってきた、彼は――――」


 水先案内人よ―――――。


 シンラの代わりにペトラが答えた。


 シンラは少し驚いた顔をしてペトラを見たのち、にっこりと笑って、ペトラに後を任せるとでも言うように黙った。


「ミストリはここら辺の地理に詳しいんで、お願いしたはずやんな。そう―――、彼は部隊所属とは違う、少し特殊な立ち位置なんどす」


 ペトラはキセルを吸い込むと、大きく吐き出し、ドラム缶の縁でキセルの先端を軽く叩くと灰を下に落した。


 金属の触れ合う音が小気味よく、カーン、と周囲に響く。


「そんで、少佐、例の作戦のこと、今言っちゃって良いんでしょうか」


そういってペトラはシンラに何かを促した。


「―――ああ、そうそう、ありがとうねペトラちゃん。―――忘れてたよ。そういえば、きょうの夜から明日の朝にかけてのタイミングで、―――敵への総攻撃があるから」


 そう言ってシンラはイゾルダの方を見た。


 イゾルダはシャンプーと格闘しているのか、髪を泡まみれにしてわしゃわしゃと手を前後左右に動かしている。


 泡が周囲に飛び散り、イゾルダの身体にも否応なく泡が滴っている。


 イゾルダの身体はまだ少女らしく華奢で、女性特有の丸みはまだ見受けられない。


 ただ体のどこにも傷らしい傷はない。


 綺麗な肌で覆われていて、年相応に健康な雰囲気は伝わってくる。


「この総攻撃のことは、部隊内以外には秘密だからね」


 シンラは右手の人差し指を垂直に立てると、それに息を吹きかけるように口元に持っていき、シー、だよ、と言ってアズサの方を見てクスリと笑った。


 シンラたちが先に風呂から上がり、アズサはその場で1人残された。


 アズサはドラム缶の中でしばし放心していた。


 今は何一つ、すぐには考えることが出来ない。


 それが興奮なのか何なのか、アズサ自身も判断が出来ないでいる。


 どうだろう、どこか他人が欲しいと思っていた物を横から奪い取ったような、歪んだ感情に多少近しいのだろうか。


 シンラはこの国で今最も有名かつ人気のある人物だ。


 大陸の中でと言ってもおかしくないだろう。


 少なくとも、ボルビアの新聞では、彼女の一挙手一投足に世界が一喜一憂しているという話だ。


 そんな人物の、なんというか、裸の姿を見れる人間が幾人いると言うのだろうか。


 それだけで家族に自慢出来るのではないだろうかと思う。


 アズサは先日まで、塹壕を掘っていた自分のことを思った。


 そのことがまるで数年も前のことのように思える。


 なんかすごく遠くに来ちゃったなぁ、1人自然と口から声が出る。


 髪を洗うためにドラム缶から出て、簡易的な蛇口に近づきお湯を出そうと捻るが、思いの外固く簡単には回らない。


 多少力を込めると、急に回ったかと思うと、そこから先は蛇口は酷く緩く、途端に勢いよく湯が出始めた。


「あっ!」 


 一滴も無駄にしまいと、桶を下に差し込んで中に溜める。


 桶に溜まったそれを思い切り頭から被る。


 黒なのか灰色なのか、汚れという汚れが頭から洗い流されていく気がする。


 石鹸を手に取り、手で泡立てて、髪を両手で包むように馴染ませていく。


 短く切ったとはいえ、どうしてだか、雑に扱う気にはなれない。


 全体を石鹸で包むと、また桶に湯を溜めて先程と同じように頭から被る。


 それを数度繰り返して、洗い残しをなくす。


 髪はまるで栄養をきちんと吸い取ったように、艶が戻ってきた。


 風呂から上がりテントから出ると、先程と同じように入り口でデヴラがライフルを持って待機していて、まるで何かの彫像のように静止していた。


 ただ、アズサがテントを出ようと隣を通り過ぎようとすると、「気持ち良かった?」とポツリと聞いてきた。


 アズサが、はい、とても!、と答えると、デヴラは視線を真っ直ぐアズサに向けて、そう、それはどちらにもなるわね、とよく分からないことを言ってきた。


 アズサは何と返せば良いか分からず、一先ず軽く敬礼をして、ありがとうございました、と伝えその場を離れた。


 風呂のテントから数十歩のところでチラリと後ろを振り向いた。


 デヴラは先程と同じようにただ前を見据え、彫像のように固まっていた。

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