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36_お風呂と【W】の部隊

 少ししたところでテントの入り口に到着した。


「ねえ、ミストリ」


「ん?」


 アズサは、どうしてだか、今はミストリの顔を見ることが出来なかった。


 だが先ほどより少しだけ、息がしやすくなっているのを感じる。


「いや、ありがと。その、色々―――」


 ミストリは、なんだよ、当たり前だろ、と戯けるように笑うと、まあなんか食べようぜと言って2人してテントに入った。


 そら、さっき救護所でいくつか貰ったんだ、と言ってミストリはビスケットの包み紙を差し出してきた。


 茶色いそれを受け取って、紙を解いて中のビスケットを口に含む。


 大して甘くないビスケットのはずなのに、疲れた体では口の中に強烈な甘みを感じる。


 唾液で溶けて粉状になったそれを舌の上で味わうように転がす。


 ミストリは男の子らしく、ビスケットの塊を一辺に口に含むと、モグモグと大きな音を立てて噛み砕き、ごくんと一飲みで食べてしまった。


 そういえば、女性と正体がバレてから、同じテントに戻るのは初めてだと思った。


 だが今日は酷く疲れていて、少しでも早くベッドに倒れ込みたかった。


 それに、眠る場所を変えて欲しいという願いをグロリアたちに伝える気にもなれなかった。


 こんな戦場でベッドの寝床を与えられるのが、どれほどの贅沢か分かっているからだ。


 その日は、ミストリもアズサもそのことには触れずにベッドに入った。


 ベッドに入ったときミストリから、いいか、何かあれば言えよ、対して役に立てねえけど、話聞くんなら出来るんだからよ、とポツリと言われた。


 シーツからは、どこか甘い匂いがする。


 蜂蜜と柑橘系の果物を混ぜたような匂いを想像する。


 実際には儚いような微量な香りなのだけれど、時間を埋めるためにも必死で思考を巡らせる。


 仰向けになると、二段ベッドの上部の骨組みが見えて、無骨なスプリングが見える。


 金属のバネが幾重にも張り巡らされていて、上にいるミストリが寝返りを打つたびにギシギシと揺れる。


 どれぐらいそうしていただろうか。身体は疲れているはずなのに、意識だけはどうしてか、休もうとしない。


 時間は正確には分からない、だがもう深夜だろうと思った。


 テントの外は満月で、月明かりで辺りが薄暗くほんのりと照らされている。


 時折、敷地内パトロールの兵士だろうか、数人が定期的に歩いている音が響く。


 ―――あの時、自分は撃てたんだろうか。


 アズサは頭の中で何度もルースに銃を向けたシーンを想像する。


 反芻しては、イメージの中の引き金を引く、実際とは違った未来を、イメージする。


 銃は撃つと反動で体全体が震え、銃口が跳ね上がる。


 イメージの中、ルースの体が一瞬後ろにスライドしたかと思うと、そのまま背中から地面に着地して、首が緩く解けたバネのように左右にグルングルンと振られる。


 それから彼女の体の中心から赤い血が、地面から染み出すように溢れ出る。


 自身の手のひらを見る。


 土埃に汚れ、何某かの煤が付いていて、皺がその下で深く黒い筋を作っている。


 物音を立てるほどの気力はなく、目を閉じてはどうにか眠りに付けないかと試してみる。


「―――いいか、銃だけを信頼しすぎるな」


 父の言葉を、それとなく思い出す。


 言葉のディティールはどこかからやってきて、いつの間にか自身に合わせて都合よく改変されているのだと思った。


 だから父が言ったというこの言葉も正確には―――違うのだと思う。


 もっと柔らかく、そして人の命に関わるものだから大切に扱うように、という趣旨の言葉だったのだろう。


 周囲で何某かの生き物の鳴き声が聞こえる。


 何度目か分からないが、目を閉じた。



 次の日は自然と目覚めることが出来た。


 朝は早かったが、昨日グロリア曹長から言われた集合時間まではまだ余裕がある。


 緊張感からだろうと考えた。

 

 体の疲れは全て取れていたわけではなかったからだ。


 ミストリはまだ二段ベッドの上で寝息を立てている。


 ひとまずそのまま起こさないようにして、自身だけで水場に行く事にした。


 戦場に来てから、ほとんど体を洗ったことがない。


 だがこの丘の上の司令部にはエースの部隊があることもあり、大きな水場があると言うことだった。


 昨日司令部のテントを去る際に彼女らの清潔な身体を見て、それとなく聞いてみたのだ。


「あの、皆さん、とても綺麗な髪ですが、どこかで洗っているのでしょうか」


 グロリア曰く、エース部隊専用の風呂兼サウナのような専用テントがあるということだった。


 もしかしたら使えないかもしれないが、せめて顔だけでも洗えればと思い、聞いてみると、二つ返事でOKということだった。


「女性にとってこんな土埃は天敵以外の何者でもないものね」


 グロリアはそう言って笑った。


 装備を持たず、ミストリを起こさないよう忍び足でテントを出る。


 風呂と呼ばれるテントまでには、司令部の中を横断する必要があった。


 アズサたちが寝ているテントとは逆方向にあるのだ。


 歩いている途中歩哨の何人かとすれ違うが、その度に皆アズサの軍服を見ては直立不動で敬礼してくる。


 最初はアズサもそれに応えていたが、次第に面倒臭くなったのか軽い会釈だけで済ませるようになった。


 朝の起きがけで頭があまり回っておらず、返事をするだけでも酷くかったるい。


 目的のテントに行き着くと、入り口の前に置いてある椅子にデヴラが座っていた。


 その姿は傍目から見て一切動かないこともあいまり、まるで銅像のように見える。


 ―――よそよそとデヴラに近づき、ひとまず敬礼する。


 だがデヴラは反応を示さない。


 おはようございます!グロリア曹長からこちらのテントで身体を洗っても良いと伺ったのですが、使用してよろしいでしょうか―――。


 挨拶とここに来た説明を済ませる。


 デヴラはアズサの顔をみると、ペコリと会釈するだけでそれ以上は何も反応を示さず、また前を向いて先程と同じように動かなくなった。


 アズサは、失礼します!、と言って中に入った。


 中には人1人がすっぽりと収まりそうな程大きいドラム缶が三つ並び、反対側には二段ベッド程の大きさの貯水槽が何本もの鎖で空中に釣り上げられている。


 その下には蛇口が横並びに3つほど並んでいる。


 ドラム缶にはそれぞれ2人が中に湯を張って入っていて、鼻歌まじりに目を閉じてその温かい感触に身を委ねていた。


 蛇口では1人がお盆に溜めたお湯に石鹸を浸し、そこに髪をつけて洗髪している。


 アズサはその三人の姿を見て咄嗟に敬礼した。


 ドラム缶に入っているのは、シンラ、それにペトラだった。


 洗髪しているのはイゾルダで、下を向きながら洗っているのもあり、テントに入ってきたアズサに気づいていない。


 敬礼したアズサに気づいたのはシンラだった。


「おや、やあ、確かアズサ、―――エンリケス、だったかな。おはよう」


 そう言って挨拶してくる。


 その声でペトラもアズサに気づいたのか、おはようさんです、と言って声をかけてくれた。


「あ、―――失礼します。その、身体を綺麗に出来ればと思い、こちらにお邪魔させて頂きました」


「ふふっ、我々の特権だな。戦場で身体を洗えるなんて。ここは私の私費で賄われている。好きに使うといいよ」


 そう言うとシンラは目を閉じた。


 それからイゾルダに向かって、あと5分で出るぞ、と告げた。


 それに応えるようにイゾルダが、はっ!、と声を出す。


 ペトラは湯に入りながらも、キセルを吸い、気持ちよさそうな表情で、了解〜、と声を出す。


 アズサはテントの入り口にすぐ横にある、空いているカゴを見つけると、そこに脱いだ服を入れて、裸になった。


 身体を一通り眺める、擦り傷は多少あるが、大きく血が出るなどの怪我はないようだった。


 ペトラがキセルを吸いながら、身体をちゃんと洗う場所はないから、空いてるドラム缶にそのまま入って大丈夫です、ただ髪だけはそっちの蛇口の方で、今のイゾルダみたいに洗えます、と教えてくれた。


 タオルはそこの、入り口のところのやつ使ってええどす、お盆はそこら辺にあるのを適当に使ってくれなんし、と告げてまたキセルを吸うのに戻っていった。


 ―――相変わらず、ペトラの方言には慣れることが出来ない。


 というか、彼女の方言は、方言と言えない。どこか不可思議な音がする。


 タオルは洗濯仕立てなのか、新品のようにふわふわとした柔らかい感触で、汚れているところがなく真っ白だった。


 ドラム缶の隣には同じくらいの高さの木で出来た階段がありそれを、トントンと登る。


 それから湯の温度を確かめるように手を入れると、大体40度前後くらいだろうか、少し熱いが入れない温度ではなさそうだった。


 アズサがタオルを手に、失礼します、と湯に足を入れる。


 足に湯が触れると、ビビっと身体が震えるかのように感じた。


 季節はそろそろ秋も深くなってきたところで、外気はお世辞にも温かいとは言えない、それゆえに寒暖の差がアズサの身体を刺激する。


 右足を膝付近まで入れる。


 するとドラム缶の中にも小さな階段があるのだろう、そこに足がついた。


 その階段を降りて、―――湯の中に身体を埋没させる。


 ドラム缶の中の段差部分に腰掛け、座るような体勢になる。


 ぶくぶくと、仕切りに泡が下方から立ち上り、温かい熱も同時に吐き出されているようだった。


「、、、っ!!!」


 何十日振りかの風呂に全身が歓喜の声をあげたように鳥肌が立つ。


 ―――お風呂って、こんなにも気持ちの良いものだったのだろうか。


 この場所に来てから、こんな単純なことに感動してしまった。


 自身の村でも湯ぶねがある家は稀だ。


 ましてやエンリケスの家ではそこまでの労力を毎日費やすことは出来ないでいた。


 それゆえに身体を洗えるのは一週間に数度のみだ。


 それなのに、この戦場という場所にも関わらず湯船に浸かることが出来る。


 私たちは軍のプロパガンダとしての役割もあるから、身なりは綺麗にしなければならないのよと、シンラが教えてくれた。

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