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33_無意識の権力

 看護婦が戻ってきて、頬の擦り傷の上にガーゼを置いて、その周りを白いノリのようなもので固めてくれる。


 これはそのうち剥がれますから、取れたらまた来て下さい、と看護婦は優しく言った。


 それから、リース!こっちに来てくれ、と看護婦は呼ばれ、はいっ、と大きな声を出して、彼女は呼ばれた方に走って言った。


 声のした方では、塹壕を構築している部隊が運び込まれて来たらしく、周囲が慌ただしくなり始めた。


「そういえば、どうしてミストリは私たちのところに来てくれたの?」


 救護室のベッドはスプリングが硬い。ギシギシと軋む音が大きく響く。


 アズサは疑問に思ったことを聞いてみた。


 あの時、ミストリが来なければどうなっていたか分からなかった。


 ルースとペトラが口裏を合わせれば、私を殺していても誰にもバレることはなかっただろう。


 そう考えると、どこか寒気のする思いだった。


 ミストリは、ああ、と溜息なのか相槌なのかを曖昧に呟くと、あれはデヴラさんの指示なんだよ、と言った。


「デヴラさん?あのライフルを持ってる人?」


「そう、彼女はアズサたちと班が分かれて少し経ったところで、突然、私はここでいいや、って言って小さい物見台に上がっていったんだ。グロリア曹長も特に止めるでもなく当たり前みたいに、お願いねって言って了承してた。それから敵の強襲があったんだけど、こっちでは誰かが怪我するほどの攻撃はなかったんだ。ほとんどがデヴらさんの狙撃とグロリアさんの能力で片が付いてた」


 アズサたちがいる救護所の反対側では、次第に騒がしくなってきている。


「それから、急にグロリアさんから大声で名前呼ばれて、貴方、右行って、左行って、突き当たりを真っ直ぐ進んで、更に突き当たりを右に、、、とか言われて、進んで行ったら、アズサが馬乗りにされてた」


 ぽりぽり、とミストリは頬を人差し指でかく。


「でも、その指示全部一辺に覚えたの?」


「いや、ある程度行ったら土煙を追って行けって言われた。おそらく、デヴラさんが手信号でグロリアさんに指示出してたんだろうな。それからちょっと進むと、いきなり大きな土煙が立ち上って、そっちに向かったんだよ」


 ミストリが喋ると同時に、救護所の中の悲鳴なりなんなりのボリュームが大きくなり会話どころではなくなった。


 痛てぇ!、助けてくれ!、などの声が、救護所内にこだまする。


 看護婦はまるで戦場で弾を補充する兵士のように、忙しく走り回っている。


 ミストリと2人、声の方を見る。


 何人かの兵士が身体の至る所から血を出して、地面をのたうち回っている。


 それだけならば良いが、血まみれで体を部分的に欠損している者もおり、声を出さずにぐったりと項垂れていたり、瞬きをせずに横たわっている者も見受けられる。


 看護婦がこちらの方に来て、そのベッドを使うのでどいて下さい、と大声で告げる。


 アズサは急いで立ち上がった。何人もの兵士がこちらに運び込まれてくる。


 その中には―――。


「ガスコイン軍曹!!」


 ガスコインは頭から血を流しながら、担架で運ばれている。


 思わずアズサは治療を待っている兵士の人だかりの中に入っていった。


「お、おおっ、ブラウンか、それにミストリ、よお、元気か?」


 ガスコインの意識はしっかりしているようだった。それどころか、まるで街中でフラッと会ったかのような気軽さだった。


 ガスコインの後ろからは何人かのE中隊の面々が続いていた。


 誰もが傷つき、傷を負っている。


 レートロックは足がズタズタに切り裂かれ、筋肉が表面に露出している。


 意識はないのか、運ばれた担架の中で虫の息だった。


 ギモンは救護室の警護兵だろうかの肩を借りて立っていた、意識はあるようだった。


 あれ、なんかブラウン、雰囲気変わったか、とガスコインは拍子抜けすることを聞いてくる。


「一体何があったんですか!?」


 ミストリが聞くと、地面が突然爆発したんだよ、地面がひび割れて何人かが吸い込まれるように落ちていった、とガスコインが答える。


 逆にこっちとしては街の方で爆音が鳴ったからお前らの方が心配だったんだぜ、だけど、あの爆発で前線は危険な状態だ。


「E中隊のみんなは?」


 ミストリは先を聞きたくて仕方のない子供のようにせがんだ。


 ガスコインは時折、痛みに顔を顰めながら言葉を発する。


「E中隊は、全員は、分からない。今分かっているのは、ギモンやレートロックたち、俺の近くに居た奴らはここに運び込まれたってことだけだ。ファルコたちは数十メートル先で作業していた。あいつらは分からない」


 ガスコインの声は酷く冷静だった。


 彼が1番に悔しいはずなのに、動揺する仕草は今は見えない。


 ああ、そういえば、ジュールが体調が悪くて司令部にいたからあいつも助かってるな。


 ガスコインはそう付け足した。


 うう、と隣のレートロックが嗚咽のような声をあげる。


 すると看護婦が近寄ってきて、一眼傷を見ると慌てるように救護所の奥に消えていった。


 アズサはレートロックに駆け寄る。


「レートロック、大丈夫!?」


 耳元で大きな声で声をかけるが、焦点のあっていない目でこちらを見返してくる。


 ああ、ブラウンか、どうして、ここに、あ、俺、土が、地面が急に、とレートロックは口走る。


 それからヒュー、ヒューと風切音のような音を口から出し始めた。


 ガスコインが多少慌てるように、衛生兵!と怒鳴る。


 だが誰も来ることはない。


 皆彼方こちらで手一杯なのだ、特に先に運び込まれた人間たちの処理で医者も看護婦も手一杯のようだった。


「私、医者を呼んできます!」


 そう言ってアズサは駆け出した。


 運び込まれた兵士の治療をしている衛生兵に駆け寄り、レートロックを診てくれるように頼む。


「あの、こっちの兵士を診て下さい!」


 衛生兵はこちらを見向きもせずに、ふざけるな!、と怒鳴った。


「ここでの優先順位は我々が決める。貴様は何だ。邪魔だ!」


 目の前の強烈な否定。少し、気後する自分がいる。

 だが、ここで引き下がっては、レートロックは死ぬかもしれない。


「待って下さい!仲間が、仲間が死にそうなんです!!」


「ここにいるみんな仲間だろ!さっきからうるさいぞ!」


 その言葉に、アズサは内心頭を殴られる心持ちがした。


 そうだ、自分が今しようとしていることは、―――ただの我儘だ。


 レートロックを急ぎ診ると言うことは、本来診られるはずの誰かを殺すことかもしれない。


 そう考えると目の前の衛生兵が言ったことに、何一つとして言い返せない。


 アズサはグッと黙ってしまった。


 衛生兵はこの状況において余裕がないのか、怒ったようにアズサの方を見る。

 

 だが、アズサの姿を見るなり、一瞬止まり、敬礼して自身の佇まいを急いで直した。


「し、失礼しました!!エースの部隊の方とはいざ知らず、御無礼な態度を!!」


 衛生兵はもう一度、失礼致しました!と大きな声で唱えた。


 それから目の前の患者に対する処置を看護婦に伝える。


 とりあえず、麻酔薬を打っておけ、戻り次第処置を行う。


 そう言うと大急ぎでアズサの方に向かい、どちらですか?と聞いてくる。


 アズサは、先ほどまで処置されていた兵士に目を向ける。


 彼は左腕がまるで何か巨大な生き物にむしり取られたように千切れていて、出血と凄まじい痛みでショック状態になっているようだった。


 顔色は蒼白で、唇は今まで見たことのないような色をしていた。


 血色が悪い彼は、まるで棺桶からそのまま取り出してベッドに並べた死体のように思えた。


 アズサは、衛生兵に彼の元に戻るよう伝えなければと思う。

 

 だが、ここで戻ってはレートロックは死ぬ。


 それにそれを伝える隙もなく、衛生兵はすでにレートロックに向けて足を動かしている。


 アズサは何も言えず、彼の後を付いていくしかなかった。


 それとなく、後ろを振り向く。


 先程の顔色の悪い兵士がこちらを見ている気がしたのだ。


 だが、彼は身動き一つせずに焦点のあっていない目で天井を見つめている。


「あの、彼で間違いありませんか!?」


 レートロックの前に来た兵士がこちらに向けて声を出す。


「あ、っ、はい。そうです!」


 それを聞くと、衛生兵は看護婦を呼び寄せ、何事かを伝えると、レートロックの足を見て、この場で手術を行うと叫び処置を始めた。


 その様子を後ろから覗き込むように見る。


 小さな刃物で足を切開して、何かを探すように手を入れていた。


 それ以上を直視することは出来ず、アズサは思わず顔を背ける。


「ブラウン、ありがとう」


 ガスコインが声をかけてくる。近くには、ギモンの姿もあった。


「こんなに早く医者を連れて来てくれるなんて、さすがだな」


 レートロックが寝ているベッドの向こう側では、先程の腕の千切れた兵士が見える。


「それで、お前たちはどうしてここにいるんだ?」


「あ、あの、エースの部隊と一緒に市街のパトロールに出ていたのですが、敵の攻撃が急に、それで怪我をした者をここに運び込んだんです」


 話しながらもアズサは先程からあの兵士のことが気になって仕方ない。


「心配してたことが現実になったって感じだな」


 ガスコインも周囲をキョロキョロとしながら応対する。


 おそらく他の部下が運び込まれていないか気にしているのだろう、その視線は新しく運び込まれた兵士たちを自然と目で追っている。


「ミストリも同じか?」


「あ、はい。自分も同じです」


 あああ、とレートロックが一際大きな声で叫ぶ。


 それに対してギモンが、しっかりしろ!、と声を掛ける。


 おい!しっかり抑えろ!と看護婦に向かって怒鳴る声が聞こえる。


 衛生兵の手は血で真っ赤になっているものの、淀みなく手だけは動き続けている。


 1人の看護婦が駆け寄ってきて、あの、お二人はエースの部隊の方でしょうか?、と唐突にミストリとアズサに聞いてきた。


 ミストリがそうだと答えると、あのあちらの方が呼んでいらっしゃいますと、テントの入り口の方を指さす。


 テントの入り口には、自身の身長より高いライフルを肩に抱えたデヴラが立っていた。


 向こうもこちらを発見したのか、目が合うと、ちょこちょこと歩いてこちらにやってくる。


 デヴラの前には何人もの怪我人が地面に横たわったり、立ちながら治療の順番を待っている。

 

 だが、彼女の前にはまるで道が出来るかの如く、怪我人にも関わらず多くの人間が道を開けた。


 通るたび、少しのざわめきと小さな感嘆の声が上がる。


 デヴラがこちらに到着する頃には、多くの兵士がこちらを注視しているのが分かった。


「2人とも、怪我、したの?」


 デヴラの声はあまり大きくない。


 小さくそしてポツポツと、まるで声が小さな塊となり、それを静かに机に並べて置くかのように話す。


「ああ、いえ、まあ、かすり傷ですけど。あっ、でも、ミストリは怪我してないよね」


 ……うん、俺は特には、とミストリが答える。


 アズサの頬のガーゼをデヴラはちらりと見たが、表情は一切変わらない。


「それで、治療は終わったの?」


「え、はい」


「それじゃ、丘に戻るわよ」


 そう言って、くるりと振り向いて、てくてくと、デヴラは1人歩き出した。


「ま、待って下さい。まだ仲間が治療を―――」


 アズサがそう言うと、デヴラは不思議そうにこちらを振り向く。


「エースの部隊が救護所に運び込まれたという情報は入っていない。問題はないはず」


「そ、そういうことじゃなくて、E中隊の仲間が治療を受けているんです。だから今ここを離れることは出来ません」


「いや、離れることは出来るはず。貴方がここにいることで、何か出来ることがあるの?」


 それを言われると、アズサは何も言えなくなってしまう。


「無いのならば行く。おそらく、あの人たちのことだから、貴方たちが喜ぶものを用意している」


 そう言って、またデヴラは歩き出す。


 ミストリはアズサの肩を掴むと、ここは一先ず行こうぜ、確かにここに居て出来ることは俺たちにはないから、と言って促した。


 アズサはもう一度、レートロックを見る。


 治療は衛生兵が落ち着いて処理する段階に入ったのだろう、治療しながら罵声が飛ぶことは無くなっていた。


 ガスコイン軍曹が、何かあれば知らせてやる、色々ありがとうな、と言ってアズサに近づき肩を叩く。


 その後にギモンも続き、ヨタヨタと不安定な足取りでアズサの元に近寄ると、親友を助けてくれてありがとう、と言って頭を下げた。


 アズサはミストリの方を見て、それからガスコインを見ると、ガスコイン軍曹、後をお願い致します、と頭を下げ、小走りでデヴラの後に付いて行った。


 ミストリも遅れないようにと、ガスコインに敬礼をして、アズサの後を追う。


 アズサは、救護所を出るとき、最後あの腕の千切れた兵士の方を見なかった。


 見ないようにと努めた。


 だが、本当は無意識下では視界に入っていたと思う。


 彼は看護婦にベッドの位置を移動させられたのか、以前の場所には既に居なかった。

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