2_動機
「うーん、最近では女性の進出も進んでいるがね。まだ戦場に派遣することには許可が降りていないんだよ」
町役場でその言葉を聞いた時、アズサは反射的に手に持っていた新聞を目の前の相手に見えるように掲げる。
「……でも、この新聞に乗っている部隊に所属しているのは、ほぼ女性です」
新聞を目の前のデスクにのせ、両手で滑らせるように向かい側の人物に送る。
季節はもうそろそろ秋に突入しようというところで、開けっ放しの窓からは涼しげな風がなだれ込んでいた。
六畳ほどの狭い部屋で机を介してアズサと向かい合う村長兼役場の担当官は、困ったようにメガネの縁を掴み新聞の小さい文字をマジマジと読む。
時折木彫りのコップに入ったお茶を飲んでは口を潤している。
この小さい村で役場は一つだけしかない。
ましてや百数十人しかいないこの村では、役所といえるところに勤務しているのは村長と言える目の前の老人と、自身の母程の年齢の女性だけだ。
村長はアズサが生まれる前からこの村の役所に勤めており、誰に対しても親切で村の中でも頼りになる存在だ。
年齢は70歳近いのだろう。
大半が白髪で、所々から地肌が見えている。
顔の皺は目尻に集中していて、この人物が常に笑顔であるでことがその部分から見てとれた。
村長は新聞の記事を一読すると溜息をつき、そうは言っても、と続けた。
「これでも私は男性だ、だからではないんじゃが、女の人にそういった場所には行って欲しくないんだ」
それに特に自身の身近な人はね、と続けた。
彼は目の前の机の上で両手を合わせ、まるで祈るかのような身振りで言葉を発する。
「それにその記事なら私も幾度か読んだが、今話題になっている彼女らの部隊はどうも特別な人たちなんだと思う。書いてある戦果も他の戦局とはだいぶ様子が違う。大袈裟に書かれていると思うし、幾分脚色もされているじゃろう。噂では軍部の陰謀なんじゃないかとも言われている。それを鵜呑みにするのはお勧めしないのじゃが」
メガネを指で上げると共に目尻が下がり、困ったように笑う。
苦笑いをさせてしまったな、とアズサ自身も申し訳なく思ったがここは譲れない部分だった。
だがそんなアズサの気持ちを知ってか知らずか、村長は諦めずに続ける。
「それに、女性であれば後方支援での貢献ならいくらでもできる。病院での小間使いや、軍事工場での弾薬などの加工であれば、条件の良い場所をいくつか紹介出来るのじゃが」
村長は机の引き出しから分厚いファイルを取り出し、パラパラとめくりながら、これなんて―――、と言ってお勧めの勤め先を提案する。
勤め先は国境付近の病院で、看護師の募集だった。
「———————お金がいるんです」
そう言うとアズサは目の前の相手を真っ直ぐに見据えた。
村長は先ほどまで勧めていた病院の求人募集の用紙から目を離し、ゆっくりと目の前のアズサの方を見た。
彼女が単刀直入に切り出したことに驚いたのだった。
2人とも何も言葉を発しない時間が数秒無造作に流れた。
ファイルのページが窓からの風に揺られて、ぱたパタと数枚目くれる。
「———————そうか。もしかしてお母さんの具合が良くないのかい」
「———————はい」
アズサは目の前の相手から視線を外すことをしなかった。
外してしまえば、まるでそれが自身の弱みであるかのように受け取られると思ったからだ。
村長は手元のファイルを閉じると大きく深呼吸をして、自身の右手にある窓の外に視線を投げ、それから一切自分から視線を外さないアズサの方を見た。
「確かに、前線に配属になれば手厚い待遇を受けられるな。それに配属されている限り家族にも恩給が支給されるじゃろう。ただそれは生きている限り、という話だ」
アズサは視線を外さない。
村長は間が持たず困ったようにお茶に口をつける。
先程入れ立てのお茶のはずで、熱がまだあったが一息に飲み込む。
そして村長は観念したように眼鏡を外し、自身が着ていた白いシャツで二、三度レンズを拭くと改めて掛け直して、口を開いた。
「そうかい。ただな複数問題がある。これは君も分かっていると思うが———————」
と言って一息つき、両肘をデスクの上に乗せ、両手の指を絡ませて組む。
2人の視線の間に障害物を置くような心持ちでゆっくりと次の言葉を続けた。
「まず君は戸籍上女性じゃ。今のままではどうやっても戦場、ましてや前線に配属になるのは難しい。次に兵隊としての適正もある。通常3ヶ月はどこかしらの駐屯地で訓練を受けなければならない。そうなるとその3ヶ月の間に君が女性であるということがバレるだろう。それにたとえ女性だとバレなかったとしても兵隊としての適正や体力的に難有りとなれば前線に行くことも出来ない」
村長はアズサの目から自身の視線を外さなかった。
「これらをクリアしないことには君が望む待遇は難しいじゃろうて」
村長は一息に全て言い終えると、ごめんよでも本当のことじゃからな、と言って視線をアズサから下げた。
アズサは村長が言葉を発している間一切微動だにしなかった。
まるで彼女自身、自分が石になってしまったかのように、体全体が緊張して動かなかった。
天井から見えない糸で頭から足の先まで引っ張られているように感じる。
だが自然と言葉は淀みなく思考の中に落ちてくる。
「————それなら、今仰ったことが解決出来るようであれば、戦場に行くことを手伝って頂けますか」
村長は下げた視線をゆっくりと上げ、目の前の人物に焦点を合わせる。
アズサは先程新聞を渡した時と同様に真っ直ぐ相手を見つめる。
体を揺らしたり、服の衣擦れの音も一切が彼女から発せられることはなかった。
それを見て村長は、目の前の人物の決意を挫くことは、―――難しいと悟った。
「———————わかった……。それらをクリアするなら私としても出来る限りをしよう。アイシャ、——————君のお母さんには私も良くしてもらったからね」
それを聞くとアズサは頭を下げ、ありがとうございます、と礼を言った。
村長からして、この返答は自分が彼女に対して本当は何も出来ないことの裏返しでもあった。
ただまだ幼い目の前の少女に、彼女の一家の問題全てを押し付けたことに変わりない。
だが至る所で紛争の火種が燻っている現状では、どこの家も他の家を心配する余裕などない。
本当はありがとう、など言われる立場ではないのだ。
近日中にまた来ます、と言ってアズサは役場を離れた。
役場からの帰り道、アズサは先程村長から言われた問題点を複数回頭の中で繰り返した。
村長から問われる内容は想像の範疇だったのが奏功して、解決策は往々にして準備していた。
禄に舗装されていない土剥き出しの田舎道を解決策を呟きながら歩く。
日差しが傾き、アズサの視界全体がオレンジの塗料を塗ったかのように、一切が―――染まる。
明日からはひたすらにサイコロを振り続ける日々だ。
もしも戦場で身分がバレれば、最悪敵国のスパイとして捕らえられるかもしれない。
だが、もしも上手く隠し通せれば、家族全員が救われる。
アズサは先程村長に見せた新聞の切れ端にもう一度目を通した。
人生で初めての小説執筆です。
もし宜しければ最後まで読んで頂ければ嬉しいです。